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サイコ・ラバー ~始まり~

狂気と天才は紙一重と言った者がいる……。

だが、その者は大きな勘違いをしている。

真の天才は子供と紙一重なのだ。

狂気は狂気でしかない……今から閲覧して頂く事例は、それを如実に語っているだろう。

 ここは警視庁の地下――膨大な書類が保管されている資料室のような場所である。

 しかし、公式にはこの場所は存在しない。だからと言って、この場所があの世とか普通の人には見えない特別な空間というわけではない。

 もっとも、警視庁に勤務する多くの警察官達でさえ、この場所を知らないわけだが……私は、そのような場所で仕事をしている。

 ここでの仕事内容は、通常の刑事のそれと比較すると異質なものだ。

 何が異質なのかと言うと、目の前にいる二人の男性刑事の会話を聞けば分かる。


「先輩、聞きましたか? 例の連続殺人事件に新しい犠牲者が出たという話なんですが……」


 私から見て左斜め前のデスクにいる刑事に話しかけるこの大柄な男は、巡査部長の大倉源三。そのゴツゴツした顔や手、威風堂々たる体格は、いかにも刑事らしい姿を踏襲していた。

 トレンチコートにハンチング帽でも与えれば、非の打ちどころのないベテラン刑事が出来上がる。

 だが、彼の年齢は驚くことなかれ、なんと二十五歳。高校を卒業してからすぐに警察官の道に入ったため、見た目ではこの道二十年と言っても過言ではないが、実際は今年で七年目である。


「先輩。実はこんな話を耳にしたのですが……『殺人鬼が捕まらないのは、犯人が人間じゃないからだ』というものでして……」


 彼は椅子に座って書類作業をしている男性刑事に対して、出所もわからない不確かな情報をベラベラと話し始めた。

 もっとも大倉刑事は、ああ見えてもこの世で三本の指に入るほどの怖がりである。

 案の定、大倉刑事の話に飽き飽きしてきた男性刑事が、ニッコリと笑って質問した。


「じゃあ、犯人はオバケなんですか?」


 その瞬間、大倉刑事の顔から血の気が失せ、


「と、とんでもありません! オ、オバケなんて、自分は絶対に信じないでありますよ!」


 と、このように軽く錯乱する。

 それなのにわざわざ怪談まがいの噂話を持ちかけてくるのだから、人間の心理というのは実に複雑である。


「ふふ、そうですか」


 椅子に座っている男性刑事は、警部補の鳴海雄太。警視庁に新卒採用されたキャリア組で、見た目は大倉刑事と違って痩せた好青年といったところだ。

 もっとも二十三歳という年齢の割には、いささか幼い印象も受ける。

 大倉刑事が鳴海刑事の事を『先輩』と呼ぶのは、大倉刑事の階級が巡査部長で、鳴海刑事の階級が警部補だからだ。

 最初は鳴海刑事もその呼び名に抵抗を示していたが、『階級は絶対であります!』と言って譲らない大蔵刑事に折れ、最近は気にしないようにしているらしい。

 そんな大倉刑事を見て、私は親しみの意味を込めて微笑んだ。


「貴様ぁ! 何を笑っているかぁ!」


 私の顔を見るなり、大倉刑事は顔を真っ赤にして威嚇して見せた。

 私としては親愛の証を示したつもりだったのだが、彼には自身を侮辱する表情に見えたらしい。


「あの、大倉さん? 神牙さんの階級は警視正ですよ?」

「構いやしません! 第一、こんな怪しい輩が警視正というのも怪しい限りであります!」


 ……なんというか、ひどいこじつけだ。

 警視正といえば、通常では大規模な警察署の署長や警察本部の部長のポストに付く地位だというのに……もっとも、そんな人物がこの場所にいることが大倉刑事にとっては理解できないのだろう。

 私は大倉刑事の誤解を解くために、努めて温和な態度で接した。


「……フン」


 私に対する不信感は拭いきれなかったようだが、一応は落ち着いてくれたようだ。


「なぁ、アンタら。その連続殺人事件だったら、今テレビでやってるぜ」


 この独特のしゃがれた声で男勝りな言葉を使う女性は、警部の鬼島陽子。大倉刑事と鳴海刑事の上司であり、私の部下である。

 しかし、この鬼島警部は二人の部下と一人の上司の目の前で、勤務中にも関わらずに堂々とソファに座ってだるそうにテレビを見ている。

 私はこの者の態度に最初は呆れたが、もはや慣れた。というか、説得するのを諦めた。

 そんな鬼島警部であるから、体育会系で真面目な大倉刑事とは相性が悪い。

 案の定、大倉刑事が吠える。


「警部殿! またテレビでありますかっ!? 我々の給料は国民の血税で賄われているのですよっ!? だというのに――」

「……うっせぇなー、いいだろ? こうやって事件の情報を漁ってんだからよー」

「それならば、ここに事件の資料があるわけですからこちらを――」

「あ、ほら、例の連続殺人事件のニュースだぜ?」


 額に血管を浮かび上がらせている大倉刑事をよそに、鬼島警部は再びテレビ画面に釘付けになった。

 私もテレビの内容が気になったので、大倉刑事の後ろを通って鬼島警部の座るソファに腰かけた。


「なっ!? き、貴様までっ!」

「ま、まぁまぁ、落ち着いてくださいよ、大倉さん」

「……むぅ」


 私は鳴海刑事に、大倉刑事に対する皮肉を込めた感謝の言葉を送ると、改めてテレビ画面に注目した。


「都内の女性達を震撼させている連続殺人事件に、昨日、新たな犠牲者が加わりました」


 ニュースが始まり、女性キャスターは神妙な面持ちでニュース原稿を読み始めた。


「被害者はまたしても若い女性。杉並区に住む保育士、加藤さつきさん、二十歳。帰宅途中、犯人に襲われ殺害されたものと見られています。所持品を奪われた形跡が無かったことから、警察は同一犯との見解を示しています。次に――」


 その後は別のニュースとなり、私はソファから立ち上がって再び自分の机に戻った。


「若い女性ばかり狙った連続殺人……早く捕まってほしいですね」


 鳴海刑事はテレビ画面から目を背けて言った。


「まったくであります。ですが、捜査一課もかなり手を焼いているとか……現場に手がかりが一切残っていないのでは、犯人の捜索も大変でしょうな」


 大倉刑事の懸念はよくわかる。

 それ以外にも、若い女性ばかりを狙うという手口がマスコミのスクープ魂を焚き付けて大いに盛り上がっており、現在世間ではこの連続殺人の話題で持ちきりである。

 私はこれからの捜査が難航することを吐露した。少なくとも、手がかりはあるのだが……。

 その時、鬼島警部がソファに座ったまま顔だけを私の方に向けて話し始めた。


「そりゃそうだろうが、手掛かりがまったくないわけじゃないぜ? 一つは被害者が若い女ばかりってこと。もう一つは、公式発表じゃないんだが……」


 鬼島警部は大倉刑事と鳴海刑事、私の三人を見据えながら、ゆっくり口を開いた。


「被害者の身体が、きれいに解体されてるってことさ」


 私の座っている位置からある程度離れた位置にいる大倉刑事が、息を飲むのがわかった。

 そう、事件の犠牲者は全員が身体の一部、もしくは大部分が欠損した状態で発見されている。


「しかも、遺体の一部は今も見つかっていないらしい。こいつぁ、ただの事件じゃねぇぜ……」


 そう言って、鬼島警部はテレビを消してソファに寝転がってしまった。

 普段なら注意をする大倉刑事も、鬼島警部の『二つ目の手がかり』を聞いて、今はまったくの役立たずである。

 私はこの事件について、自身のデスクの引き出しから一冊の黒革手帳を取り出した。

 これは私が独自にまとめている捜査資料であり、今回の事件が起きた時にまとめたものだ。

 その捜査資料によると、この連続殺人の最初の事件は数か月前にさかのぼる。

 最初の犠牲者は帰宅途中の女子高生。

 下校時に通る橋の下で全身をメッタ刺しにされ、両目をくり抜かれた状態で発見された。

 その後、犠牲者は二ケタを数えるほどに増加したが、犯人の目星は一向についていない。

 手元の資料に貼ってある新聞や週刊誌のスクラップ記事には、捜査陣の無能、警察組織への不信感を煽る記事、あるいはこの事件をオカルトと結び付けたり、面白おかしく脚色したものもある。

 実際、今日の朝に入手した新聞や週刊誌にも、事件の事が大々的に書かれていた。正直、ここまで報道が過熱すると、都内に住む女性は気が気ではないだろう。

 被害者の身体が解体されているという情報は、私があらゆる手段を行使して入手した捜査一課の極秘資料に書かれていたが、その資料のコピーもこの捜査資料に貼付されている。

 そこまで考えた時、デスクにいる鳴海刑事の携帯電話から着信音が聞こえた。

 いつもなら電波が届かないはずなのだが……不思議なこともあるものだ。

 鳴海刑事は画面を見た後、携帯電話を耳元に当てた。


「もしもし?……あれ? もしもしっ!?」


 どうやら電波の状況が悪いようだ。

 もっとも、大都市の地下にあるこの空間に電波が届くこと自体、不思議でならない。


「あ……はい、そうです……えぇ」


 どうやら電話の向こうにいる人物とコンタクトが取れたようだ。


「はぁ、なるほど……その、あなたは本当に連続殺人の犯人を見たんですか? あなたが本当に犯人を目撃したのなら喜んで協力しましょう。しかし、もしウソなら……そうですか。僕は鳴海雄太。警察官です」


 そう言って、しばらく黙り込んでしまった。いったい、何の用件だろうか?


「……えぇ、もちろんです」


 しばらくして、鳴海刑事は微笑みながら答えた。


「はっ!? あの、犯人は誰なんですっ!? もしもしっ!?」


 しかし、突然焦った様子になり、やがて耳から電話を離した。


「しのみやまい……?」


 鳴海刑事は呆然とした表情で、何事かつぶやいていた。

 やがて、彼はパソコンで何やら調べ始めた。

 その表情には確かな決意があり、電話の主から何らかの手がかりを掴んだことを示していた。

 私は鳴海刑事に悟られないように彼の後ろに回った。


(……)


 驚いた。鳴海刑事は事件の調べものをしているのかと思ったが、国民的人気歌手の北条さつきの事を調べていたらしい。彼は北条さつきの公式ホームページの画面をじっと眺めていた。

 私は、鳴海刑事に警察官の職務中の態度はどうあるべきかということを問いただそうと思い、率直に疑問をぶつけた。つまり『何をしているの?』


「うわっ!? 神牙さんっ!」


 相変わらず気配を察知するのが苦手な男だ。

 私がその後も質問しようとすると、自分のデスクに座っていた大倉刑事が立ち上がって、私の方に近寄ってきた。


「貴様っ! 先輩に何をしているかっ! おぉうっ!? そ、それはまさしく、さつきちゃんの公式ホームページではありませんかっ!?」


 しかし、彼の興味は私から北条さつきの公式ホームページに移ってしまった。分かりやすい男だ。


「もしかして、先輩もさつきちゃんのファンなのでありますかっ!? いやはや、先輩が同志であったとは、大倉源三、今生における最大の喜びでありますっ!」


 ……正直キモいのだが、彼の食いつき方は異常だった。

 鳴海刑事も同じことを考えていたようで、大倉刑事に対して質問していた。


「あ、あの、大倉さんは北条さつき……ちゃんのファンなんですか?」

「はっ! もちろんでありますっ!」


 ……何がもちろんなのか。

 それから、大倉刑事による熱弁が始まった。

 百年に一人の逸材とか、今世紀最強アイドルとか、挙句の果てに初恋の女子に似ているとか似ていないとか……正直ウザい。


「そ、そうですか……」


 鳴海刑事もうんざりしている様子だった。


「あ、あの、さっきの電話、犯人を知っているという内容でして」


 鳴海刑事は、話の矛先を自身の電話に移した。


「その人は女性だったのですが、彼女は連続殺人犯を目撃したと言いました。そして、犯人の名を『しのみやまい』と――」

「そんなバカなっ!!!」


 机が振動するほどの大声を上げ、大倉刑事は必死に訴えた。


「それはただのイタズラに決まっていますっ!! 仮にその女性が犯人を見ていたとして、さつきちゃんとは関係ありませんっ! 同姓同名の別人ですっ! そうだっ! もしくは、さつきちゃんの人気に嫉妬しているライバルアイドルが計画した嫌がらせかもしれませんっ! 彼女の人気を羨む芸能人は、ごまんといますからっ! 間違いありませんっ!」


 もはや大倉刑事の頭の中は連続殺人事件の事よりも、ライバルに貶められそうになっているアイドルを擁護することが中心になっているようだ。

 もっとも、私は人気絶頂の芸能人が今回のような猟奇的な殺人を行うというのは信じられなかった。

 私は、ホームページの画面をよく見てみることにした。

 ほとんどは当たり障りのない芸能人のブログといった感じだが、プロフィールの欄に書かれていた文字に、私は釘付けになった。


(篠宮麻衣?)


 プロフィールの欄には、北条さつきの名前の下に『本名:篠宮麻衣』と書かれていた。

 先ほど鳴海刑事が言っていた『しのみやまい』とは、これのことだったのだろうか? もしそれなら疑問がある。

 鳴海刑事がどのような考えで本名が『しのみやまい』の北条さつきにたどり着いたかはわからないが、もし北条さつきが犯人ならば、鳴海刑事と話した女性は犯人を『芸能人の北条さつき』と言えば済むことである。

 では、連続殺人の犯人は北条さつきではないのか?

 それも否定できない。確固たる根拠はないが、わざわざ鳴海刑事に電話するほどだ。何かしらの目的があるに違いない。

 そこまで考えて、私はハッとした。

 そう、その女性はなぜ犯人の名前を『知っていた』のか? 鳴海刑事の言葉が正しければ、犯人を『目撃した』としか言っていないと思うが……ひょっとしてイタズラ電話ではないのか?

 鳴海刑事にも、その疑問をぶつけてみた。


「そうですね……僕もそのことは気になっていました」


 彼は神妙な面持ちで答えた。


「ですが……その、うまく言えないのですが、僕は彼女が嘘やイタズラをやっているようには思えません。神牙さん、どうか、もう少し待ってはもらえませんでしょうか?」


 彼は直角に近い角度でお辞儀をした。

 その様子を見ていた大倉刑事は唇を噛みちぎらんとばかりに歯を立て、鬼島警部は気にしていない素振りを見せながら、こちらの様子を探っているようだった。

 正直言って、鳴海刑事が得た情報はあまりにも不鮮明で信用できるものではない。

 だが、世間を賑わす連続殺人の犯人をわざわざこの部署の鳴海刑事に通報してきたことに、私は通報者に何らかの意図があることを感じていた。

 ならば迷うこともない。私も上司としてこの事件の解明に尽力しよう。

 今は霧に包まれたような状況であるが、それも捜査していくことによって徐々に晴れてくるだろう。

 私は首を縦に振って、鳴海刑事の意見に賛同した。


「ありがとうございますっ!」


 鳴海刑事は頭を上げてパッと明るい笑顔を見せたが、その日は電話もメールもなく、退勤時間を迎えた。

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