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書簡

君去りてのち

作者: いちはつ

庭に出ると、古風なリュートの音がぽろぽろとこぼれてきた。祖父だ、とステラリアは思った。

近年、リュートを弾く人も職人も減りつつあると言う。古いリュートを手ずから丁寧に直しては古い歌を弾き語る祖父が、ロマンスをうたう古の吟遊詩人のようで、ステラリアは好きだった。


 青き袖ぞわが喜び

 青き袖ぞわが楽しび

 青き袖ぞわが魂なりし

 わが心置く青き袖の君


ステラリアは、青ではなく緑よ、学校で聞いたもの、と口を開きかけてやめた。祖父の目に、涙が光っているのを見たからだ。



ステラリアの祖父は、かつて王の騎士であったという。


その王は二人の娘を残して没した。王位を継いだのは先に結婚した妹姫ラエティティアの夫であった。

王が死んだ当時、産業界の発展と労働者の増加により、農業に基づく封建制度は緩やかに崩れつつあった。後を継いだラエティティアの夫は贅沢に慣れ切っていた。栄華の極みにあった異国の王家に生まれ、婿入りしたのちも国の関係を慮った周囲に大切に傅かれた。王は国の変化を顧みず、豪奢な即位式をとり行い、華やかな舞踏会を開催して権威を誇示した。

しかし貴族を重視するその政治は、急速に力を強めつつあったジェントリや中流階級の反感を買った。彼らは、王の専制をよしとしない一部の貴族とともに、クーデターを目論んだ。旗印として担ぎ出されたのが姉姫のユスティティアである。


ユスティティアは、先王妃すなわち母が王宮にある間は旗印となることを渋っていた。しかし、やがて先王妃は信用の篤い侍女や騎士数名のみを連れて郊外へ移り住んだ。表向きは病の療養のため、ということになっていたが、その発言力を王に疎んじられてのことだということは誰の目にも明らかだった。妹が小さな庭園に引きこもるにつれ、さらに歯止めが利かなくなった王の贅沢と民の疲弊を見て、ユスティティアは覚悟を決めた。


クーデターは成功した。ユスティティアは女王として即位し、立憲王政を敷いた。王は国外追放され、妹姫は幽閉された。女王のもとにひとまずの平穏はもどった。そして小さな諍いを重ねながらも、治世は早20年に及ぶ。



封建制度がほとんど崩壊した今、侯爵家の血を引くステラリアも、ほかの少女たちと同じく、家を離れて街の学校に入学している。ノブレスやジェントリ、ブルジョワといった上流階級の子女が通う学校ではあったが。

寄宿舎の中で少女たちが話すことと言えば、お姫様や騎士が活躍する遠い昔の物語。数十年前の他愛ない童話でさえ、急速に変化する世の中では、身近にはない遠いあこがれだった。


花たばに寄せる恋心、リュートにのせる愛のささやき、王宮のパーティーで紡がれるロマンス。


遠く去ったそれらに憧れる年頃の少女たちは、騎士物語に夢中になり、昔の歌や詩を仕入れては披露しあった。伝言は花言葉で、待ち合わせは花の数で。花たばに秘められた愛の告白には、満開のバラを胸元に飾って答えるのだ。

そんな級友たちの中で、騎士の祖父を持つステラリアは人気者だった。休みのたび祖父の振る舞いを観察し、言葉少なに伝えられる昔の思い出を聞き出しては、友達に語って聞かせるのだ。少しばかり、自分が夢見るようなロマンスを添えて。



ステラリアは祖父がリュートを奏でるあずまやの後ろにそっと隠れた。今日もまた、何か友達に聞かせるようなお話が聞けないかと思ったのだけれど、涙を浮かべる祖父にどのように声をかければ良いかわからなかったのだ。


「ステラリア、かくれんぼかい」


予想に反して、祖父はすぐにステラリアに気づいたようだった。ええ、とごまかして笑うステラリアに、祖父は微笑みを返す。その青灰色の瞳に、涙の色はもうなかった。


「お休みに入ったのか。寄宿舎の生活はどうかね」

「楽しいこともあれば、嫌なこともあるわ。友達はたくさんできたけれど、毎日おんなじ紺のギンガムチェックのキャラコのスカートを履くのは飽き飽きしちゃう。だからと言ってちょっとおしゃれをすると寮母さんにがみがみ言われるし」

「そうか」


年頃の少女らしい不満を言い募るステラリアを、祖父はやさしく、どこか懐かしいような瞳で見つめた。ステラリアは、先ほどの祖父の涙を思い出して少し居心地が悪くなった。


「それより、私、おじい様のお話が聞きたいわ」

「私の話かね」

「ええ。おじい様が若いころ、どんな仕事をしていらっしゃったのかとか、どんな生活をしていらっしゃたのかとか」


ステラリアはいつも私の話を聞きたがるけれど、年寄りの昔話なんて面白いものかね、と言いながら祖父は楽しそうに目を細めた。そして、しばし考えたのちに口を開いた。


「今日は、私が隣国で人質になっていたころのお話をしようか」



***************


王家の遠縁でもある侯爵家に生まれた祖父は、10歳かそこらの時に第一王子の側近となるべく王宮に送り込まれた。大人に囲まれて暮らしていた王子にとって、数歳しか離れていない祖父は物珍しかったのか、それとも単に気が合ったのか、王子は祖父をあっという間に受け入れ、やがて兄のように慕うまでになった。


その当時、侯爵家当主は軍における権力を持っていた。それに加えて祖父が第一王子の側近として名乗りを上げることで、侯爵家の権威はより一層高まった。

しかし、それを面白く思わない者もいた。公爵位をもつ王弟を筆頭とする一派である。もともと権力志向であった公爵は、自分の娘が王子の婚約者となったことをきっかけに、欲を深めた。自分が王位を継ぐために、王子を亡き者にすることすら考えたかもしれない。しかし、わざわざ危険な賭けをするよりも、外戚として王を操ることを選んだ。そのためには侯爵家の失墜と祖父の排斥が必要だった。国を意のままに操るには、王子の側近を自分の息がかかったものに入れ替える必要があったのだ。


折よく、東方でもめ事が起こった。軍が誤って隣国の交易旅団を砲撃したのである。隣国は謝罪を求めた。軍は旅団に不審な態度があったためだとその要求を突っぱねた。両国間の緊張は高まり、やがて小競り合いにまで発展した。公爵はここに口を出したのである。

公爵は王の前で憂えて見せた。民のためを考えるならば戦争など起こすべきではない、自分には隣国とのパイプがあるから平和裏にことを収めて見せる、と。そして、もとはと言えば軍の失策によるのだから侯爵家に責任を取らせるべきだ、と。


表向きは友好のための留学生として、実質的には人質として、軍の権力者の息子であり王子の側近である祖父が隣国に送り込まれた。その間、祖父と自国の間の連絡はすべて校閲されていた。知人に累が及ぶことを恐れた祖父は、家族への事務的な連絡を除いて一切の連絡を絶った。


公爵は喜んだ。公爵は知っていたのだ。隣国も近年力を強めたこちらの軍を恐れ、戦争など起こしたくないと思っていたことを。それを公爵は自国に伝えなかった。そして自国にも隣国にも、さも自分が相手を説得したように見せて恩を売った。

両国に貸しを作った上に、目ざわりだった政敵の息子を留学という体で追い出すことに成功した。その安否は隣国に強いパイプを持つ自分にかかっている。祖父が留学した数年の間、この国は公爵一派の天下だった。


しかし公爵の目論見はやがて破綻を見せる。

祖父は留学している間、隣国王妃の信頼を得て隣国で交友関係を築き、様々な伝手を作った。その過程で公爵の目論見は祖父の知るところとなった。やがて祖父は隣国王妃の協力を得て帰国した。

帰国後、隣国に強力な伝手をもつ祖父を王は厚遇した。それは王が代替わりしてから一層顕著になった。侯爵家の失墜という野望かなわず、それどころか自分の謀略を政敵に知られ弱みを握られることとなった公爵は、失意のうちに余生を送ったという。

尤も、外交に長けていた公爵は、その後隣国だけでなく複数の国とのパイプを自国との間に作ることに成功している。そのうちの一つがラエティティアの結婚である。もし国の産業や制度がこれほど大幅な変革を見せず、ラエティティアの夫があれほど享楽的でなかったなら、公爵の血筋は今頃大きな権力を握っていたのかもしれない。


***************


「政治の話ばかりで、ステラリアには少しつまらなかったかな」


首をかしげながら話を聞いていたステラリアに向かって、祖父は少しだけ困ったように言葉を添え、話を終えた。ステラリアは慌てて、背筋をしゃんと伸ばして首を振った。つまらなかったのではない。ただ、そのまま友達に話すには少し難しい気がしたから、少女好みのロマンスが入る余地があるか考えていたのだ。


「そんなことないわ。でも……お隣の国では、どんな生活をしてらしたの?どうやって王妃様の助けを得たのかしら」

「向こうでは、サロンが発達していたんだ」

「サロン?」

「有力な貴婦人が自分の邸宅に紳士淑女を呼び集めて語らう集まりのことだよ。どのサロンに行くかでどの派閥に入るかが決まるし、どこのサロンに呼ばれたかによって社交界での地位付けが決まってくる」

「まるで学校の、女の子たちのグループみたいだわ」

「まさにその通りだよ。主な話題は芸術や流行だから、楽器ができるというのは珍重されるんだ」

「それでは」


そう言ってステラリアは目を輝かせ、祖父の持つリュートに手を伸ばした。


「おじい様はリュートで王妃様の心をつかんだのね」

「……そういうことになるかな。ある時、王妃様のサロンでリュートを弾いたら、気に入ってもらえてね。王妃様のサロンでできた伝手は、帰国してからも役立った」

「すてきだわ。人と人が音楽でつながるなんて」


ステラリアはしばしうっとりと思いをはせた。芸術を求める貴婦人たちが集うサロンに、ある日異国の青年が現れる。青年はリュートをかき鳴らし、故郷を思って歌う。その歌声はサロンの人々を魅了し、青年への好意を高めるのだ。そこから生まれるのはロマンスかもしれないし、崇高なる芸術の追求かもしれない。やがて青年の帰郷によってリュートの音が絶えたのちも、その歌声は美しき思い出として語り継がれ、その思いがまた新たな芸術を生むのだ。


「私もそんな時代に生まれたかったわ。着飾った貴婦人のサロンで、芸術を語らって」


夢見心地に口にしてしまってから、ステラリアははっとした。サロンに出入りできるようになるまで、祖父は家族との連絡すらままならない不自由を強いられていたのだ。少女らしい憧れを気軽に口にしたことを恥じてうつむくステラリアの名を、祖父のしわがれたバリトンが呼んだ。


「後ろを向いてごらん」


ステラリアがそれに従うと、祖父の筋張った手がやさしくやさしくステラリアの髪に触れた。


「昔は振り返れば美しいものだ。今こうしているこの時のことも、将来振り返ればきっと美しく感じる」


――だから、今を大事に生きなさい、私の小さなステラ。

そう言って祖父は、ステラリアの頭をそっと撫でた。祖父の指の動きに合わせて、誰かの歌声がかすかに聞こえた気がした。




「まあお嬢様、素敵ですねその髪飾り」


家政婦のアンナに言われてステラリアは合わせ鏡を覗き込んだ。

ハーフアップにまとめた髪に、見覚えのない髪飾りが飾られていて、ステラリアは首を傾げた。青い花から零れ落ちた真珠が、ステラリアのブルネットに映えて星のように煌いていた。

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