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9.違う色した薬恋歌




 かつ、かつ、かつ。

 爪が机を叩く音が断続的に響く。肘をついた掌を下唇に当て、片方の爪を軽く揺らすのが、考え事をしているときのサキの癖だ。


「サキぃ、うっせぇぞぉ」


 はっと顔を上げて、サキは素直に謝る。


「ごめん、ふられんぼのおじさん」

「おれ、二一歳――!」


 涙に伏したプロダの周りで、同じようにサルダート隊が傷ついていた。

 何度『お兄さんだろ?』と言っても彼女は一向に聞き入れず『サキの兄さんは一人だけだもの―!』と泣きじゃくった挙句、会議の供で出席していたイヅナの胸に飛び込んだ事がある。当然サルダートの怒りを買い、色々引き千切られたのは良い思い出だ。部隊にとって良いことは欠片もなかったけれど。


 死屍累々の仲間を跨ぎ、イヅナがサキの横に座った。神様に捧げる芸術だってこんなに美しくない。美しい兄は、当たり前のようにサキの頭を撫でる。


「心配か?」


 イヅナの髪はまっすぐなのにどこか柔らかい。サキの髪は同じ黒髪なのに、少しうねって量が多い。ライラの髪はどこまでも頑固にまっすぐで、一度寝癖がつくと直らない。

 頭を撫でながら梳く感触に目を細め、素直に頷く。


「レイルがいるなら大丈夫だと思うけど、ライラさんがライラさんである限り、不安」

「レイル?」


 聞き慣れない名前に、イヅナは首を傾げた。


「ライラさんとパオイラで出会う妖人。他国の城を一人で歩くなんて迂闊な真似、普段のライラさんは絶対しない。けど、この時だけ、しちゃうんだよ。だから、これは運命。出発間際にユーリスが熱を出したのも、あの時ライラさんが通ったのも」


 時期は大分違うんだなぁとサキは背を伸ばした。一仕事しなければならない。薬術師の仕事ではないけれど、これはサキの役目だ。


「兄さん。パオイラ新王に話があるの。投降要請を半分だけ引き受けたいんだけど」

「駄目だ」


 即答された。それでも、はい分かったと了承できない理由がサキにもある。


「お願い、兄さん。これは私の役目だもの」


 倒れ伏していた男が一人復活した。


「役目って、どういうこった?」

「私も伝え聞いた話だけど………解決しないと薬術師を敵視したままだわ。話し合いの場を設けたいの。おだんごのおじさんも兄さんを説得して!」

「俺、三一――!」


 ごついオルダンは泣き伏した。


「君が絶対に安全だと確信がなければ、我々は許可できないよ、サキ」

「ごほんのおじさん……でも、安全にする為に行くのなら許可はくれる?」


 眼鏡をかけた穏やかなウズミは、オルダンと同じ年で妻子持ちだ。おじさんだからねぇと穏やかに微笑み、サキの呼び方にダメージを受けない数少ない隊員だ。

 しかし、今はその穏やかな顔を困り顔へと変えている。


「困ったね。君が危険なことをイヅナに容認しろと、わたしは言えないよ。君を二度と失わせたくない。無論、わたし達も君を失くしたくないんだ」


 おじさん……とサキは困って眉尻を下げた。彼より年上の面々が大ダメージを受ける。難しい年頃の男心は、一七の娘におじさん呼ばわりされるのが非常に堪えたらしい。


「俺は言えるな」

「ちっちゃいおじさん!」

「ちっちゃい言うな! このくそがきが!」


 サルダートはがなった。


「サキです」


 すかさずイヅナの訂正が入った。

 額に青筋を走らせたサルダートは、こめかみを引き攣らせてサキを向く。


「タイミング良くと言うべきか、宰相自らお越しだ。王が薬術師を直接問い質すそうだ。さて、どうする?」

「行きます」


 迷う必要はなかった。


「サキ!」


 兄が大声を上げることは少ない。そんな時は、いつだってサキに関係することばかりだ。


「大丈夫よ、兄さん。多分、なぞるだけだから」


 試し書きを清書するように、サキは既にある道順をなぞるだけだ。今の所本筋は変わっていない。そう、今の所だ。知っているより進行が早い。それが不安を煽る。本筋は変わらずとも細かな箇所が違う。どう影響するのかサキには分からない。急ぐ必要があるのかもしれない。


「ライラさん、お願いですから無茶だけはしないで下さい」


 サキが敬愛する人は、いつもいつも思いも寄らないことをして誰かを救う。なのに自分は救わずにいなくなってしまった。

 小さな手が悔しくて堪らなかったあの頃。あれから十年以上経った。どれだけ洗っても薬草の匂いが消えない手は、薬術師の誇りだ。


「今度は私に助けさせてください」

『サキ、頑張れ。貴女が生きている限り、その願いは夢想じゃない』


 兄もサルダート隊も、全てを失った自分を生かした彼女の言葉を、サキは今でもはっきり覚えている。






 固く閉ざされた門が開かれる。サルダートを先頭に土を踏んだ薬術師に、兵士達は緊張を隠せずがちゃりと鉄鎧を鳴らした。


「護衛二名同行、武器携帯。王の前であろうとだ。この条件が呑めねぇなら、行かせねぇ」


 深窓の姫君より厳重に傅かれたキオスの秘宝。人類の救い。それが薬術師だ。

 ヒグルス宰相は、ごつい身体には小さく見える杖を両手で前に持ち、静かに頷いた。


「薬術師、名乗るのじゃ」


 サキは静かに目蓋を開いた。


「サキ・イクスティリア中薬二師でございます」


 頷き、ヒグルスは視線で続きを促す。サルダートは誰よりも先頭で、兵士達を見上げていた。対面すれば祖父と孫ほど身長差があるが、威圧感は互いに譲らない。


「サルダート隊、隊長、サルダート・ガク」

「隊長補佐官イヅナ・イクスティリアです」


 老臣の眉が動いた。


「薬術師の親族か……待て、そなたの名は聞き覚えがある」


 しばしの沈黙を得て、宰相の皺がぐっと深くなる。静かに掌が上げられた瞬間、兵士が一斉に弓を向けた。


「先の戦で先陣をきったという、妖人でもないのに怪しの術を使う若者とはそなたであったか。なるほど、若者がする目ではないわ。わしもそれなりに生きてきたが、末恐ろしいと思うぞ。そなたを王の御前に拝すは罷りならぬ」


 引かれた弓を前にして尚、サルダートは更に進み出る。腕を組んで鼻を鳴らした。


「だからこそじゃねぇか。てめぇまさか、俺達が無防備に薬術師を渡すと思ったか?」

「そなただけで十分ではないのか? キオス筆頭兵士サルダート・ガク」


 口角を吊り上げてサルダートは笑った。誰より小柄で、誰よりも不遜なのがこの男だ。一国の宰相相手に肩を竦めて見下す。


「は! 俺だろうが誰だろうが、妹馬鹿の兄貴に勝る護衛はねぇよ。てめぇら、分かったなら弓を下げろ。矢の無駄だ」


 命令がない以上、パオイラ兵が武器を引くことはない。分かりきったことを他国の武将は忠告した。

 イヅナの青い瞳が緩慢に閉じる。次の瞬間見開かれた瞳は燃えるように赤い。


「ひぃい!」


 兵士達は、一瞬で燃え上がった弓矢を慌てて放り出した。赤く染まった瞳がなぞるだけで武器が灰になっていく。

 ちりりと焼けた風を頬に受けたレグルスは、言葉もなく息を呑んだ。そんな中、吐き捨てるように笑ったのは当然サルダートだ。


「だから言っただろうが。サキの方向に武器が向いて、こいつが黙って見過ごすわけがない。今まで待ったのが奇跡だ。さあ、どうする。こちらの要求が呑めねぇなら、てめぇらの要求も却下だ」


 レグルスが宰相であろうと、相手が国王であろうと、薬術師はあくまで要請を受けてこの国に存在しているのであり、対等な立ち位置だ。礼節は取ろう。しかし、薬術師は権力や地位とは無縁な存在だ。誰の命令にも従わない。上下関係に当てはまらない存在だ。

 だからこそキオスは暴君にならず、大陸に混乱はない。



「それでいい」

「ベルナルド王!」


 カシューを連れて歩いてくる男に兵士達は慌てて二つに割れた。反射的に武器を握り締めたまま敬礼しようとして、武器が手にないことを思い出し、少々不恰好な礼となった。

 重いマントを難なく着こなす男は、ずっと前から王を務めていたかのように堂々としていた。

 レグルスの横に立つと、無表情にサキを見つめる。


「薬術師よ。お前に問いたいことがある」

「私も、貴方にお話しがあります。クロリア・ユーヴィー下薬一師の一件です」

「…………お前は、何を知っている?」


 愕然とした男の前に進み出て、サキは一礼した。


「恐らく、全てを。王よ、私は急いであの人と合流したいのです。ですので、手早く済ませましょう。これは既に終わったことですから」


 それは、とても美しい礼だった。





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