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8.運命奏でる薬恋歌




 人間と同じ空気を吸いたくないと、ジェイは一人で洞の外に立っていた。行くなよと男に厳命され、渋々感が滲み出る背中が見える。


 男は、ガイアス・ジンと名乗った。妖人には珍しい、はっきりとした赤髪だ。さらりと明かした名は、恐らく本名ではないだろう。人間相手に名を明かす妖人は少ない。ジェイの場合は、レイルに対して名乗ったのだ。


「俺達は無益な殺しはしない。目的はあくまで妖人の解放だ」


 ガイアスは乱暴に頭を掻き毟り、ちらりと外に立つ小柄な背中に視線をやる。


「だが、まあ、酷い扱いされてきた奴らは火がつきやすい。恨み辛みで終わる話じゃないしな。あいつのように身体が欠けた奴も少なくない。お前なら分かってくれると思うが」

「レイルだ」

「レイル。いい名だ。お前は顔が良い分、苦労も多かっただろう。魂石はあると聞いたが」


 頷いて肯定を示すと、ガイアスは嬉しそうに膝を叩いた。


「そうか! それはよかった! よかったなぁ」


 その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。これがジェイが懐く所以なのだろうか。



 レイルのことをまるで自分のことのように喜んだ男は、すっと姿勢を正した。雰囲気ががらりと変わる。ぴりりとした緊迫感が生まれた洞の中で、ライラはある種の予感を感じてぎゅっと拳を握り、そうして息を深く吐いた。

 この空気を知っている。今まで何度も経験してきたからだ。


「薬術師殿にお伺いしたい。貴殿は現在、順番持ちであるだろうか」


 同じように背を正したライラは、両手を揃えてガイアスを向き直る。


「ご返答致しかねます」


 ふざけた様子は一切ない。レイルは伸ばされた細い身体に感心した。まっすぐな視線は、体格のいい相手を前に怯まない。

 向き合った視線をずらしたのはガイアスだった。指を立て、頭を下げる。


「無理を承知でお願いしたい。我らと来て頂けないだろうか」


 ジェイが上げた悲鳴のような声が洞に響く。


「親父!? なんでそんなことして!?」

「お前は黙ってろ」


 低い声に、ジェイはぐっと身を引いた。悔し気に睨まれても、ライラは身動ぎ一つしない。視線どころか、刃物を向けられようが、ライラが答えが替わることは有り得ないのだ。

 両手を揃えたまま、下げられた頭を見つめている。


「薬術師の派遣を私の一存では決定出来ません。キオスに申請後、順番をお待ち下さい」

「妖人には医者がいない」

「……存じ上げております」


 妖人は医者に診てもらえない。誰も妖人の為に金を払わないからだ。奴隷に給金などない。病に罹れば最後、自力で治す他ない。人間より頑丈な肉体を持つ妖人でも、病に罹るし怪我もする。救施場では区別などつけないが、救施場に近づくことすら禁止されていた。


「人間から解放しても医者がいない。目を抉られ、内臓を潰され、劣悪な環境で酷使されて病を患ってる。薬一つ、ままならない。医者がいないんだ。妖人を診てくれる、医者が」


 パオイラ軍が厳重に周囲を囲っている救施場には近寄れない。かといって薬の知識もない。ただ力付くで薬を奪っても駄目なのだ。どんな病に傷口に、どの薬を、どの手当を。振り分ける知識がなければ薬は無力どころか毒となる。遠い昔は、山々で暮らしていた故に薬草の知識も豊富だったが、土竜に狩られ人間に売られた妖人達には、最早先陣の培ってきた知識はなかった。


「医者が、必要なんだっ!」


 死に掛けた子を、苦痛に踠く男を、焼け爛れた女を、救う術が妖人にはない。掬い出したその先で、生きながらえさせる術がないのだ。

 地面につけられた頭を前に、ライラも両手を地に降ろし、額をつけた。


「申し訳ございません」


 ぐしゃりと歪められた顔をライラは見ない。見ずとも分かっていた。


「……ならば、力尽くでも来て頂くよりない。手荒な真似をしたくはなかったが」

「順番の有無を問うたのならばご存知でいらっしゃると思いますが、薬術師が他国の在り方に介入する事はありません」


 癒術を盾に権力を振り回せば、きっと世界すら支配できる。治療と称して命を直接握る、緩やかでいて絶対的な支配だ。それは既に薬術師ではない。

 直接触れる日陰の土は冷たい。じゃりと石が擦れて肌を傷つけた。それでもライラは顔を上げない。男が姿勢を戻した後も、地に額をつけたままだ。


「なんでだよ! てめぇは薬術師なんだろ!?」


 ジェイが目を充血させて飛び込んできた。右手だけでライラの胸倉を掴み上げる。指先を揃えた掌で形作られたライラの制止は、レイルに向けられていた。


「おれ達が人間じゃないからか!? 妖人だから、だから、助ける必要がないって!? ふざけんな! 何が薬術師だ! 何が、命は平等だ! 嘘ばっかじゃねぇか! てめぇは人間しか助けねぇんだろ!? てめぇが人間だから!」


 薬術師は命を区別しない。人間だろうが妖人だろうが、変わらず癒してくれる。皆そう言った。しかし、ジェイは薬術師を見たことがなかった。当然、癒された事も。ジェイが初めて見た薬術師はライラだ。そして、そのライラはいま、妖人への救いを断った。


「キオスを介し、手続き願います。なれば、我々は貴方々を癒すに異論ありません。他の何とも変わらぬ治療をお約束致します。状況を鑑みるに、優先的に派遣されるでしょう」


 失われた左手が頬を張る。止まりかけたライラの頬の傷が開き、血が流れ出す。しかし、ライラの視線は自分を打った手を見ていた。ジェイの左手は継ぎ目が膿みかけている。適切な治療が行われず、命だけはからがら助かったのだろう。炎症が引き起こした熱もある。


「医者が要るのは今なんだよ! そんなこと、考えなくても分かるだろうが!」

「致しかねます。お引取りを」

「てめぇっ!」


 ジェイの青い瞳が雷撃を浮かべる。


「やめろ、ジェイ!」


 鋭い制止の声も耳に届かないジェイは、そのまま瞳術を叩きつけた。

 憎い。人間が憎い。失った左手が痛い。ずっとずっと、切り落とされた箇所が痛くて堪らない。痛み、憎しみ、殺意。人間がジェイに与えたのはそれだけだった。


 バシンッ!

 激しい音がしてジェイの手がライラの胸倉から外れた。尻餅をつきかけたライラを支えたのはレイルだ。長い睫毛は憂うように瞳を隠している。


「こいつには俺の名を渡した。俺より弱い瞳術は無効となる」


 淡々と事実だけを述べられたジェイはへたりと座り込んだ。無意識か、縋るようにガイアスの裾を握る。


「名前……人間に? だってあんた妖人で、妖人は味方だろ? え? だって、なんで?」


 妖人を弾き、人間を庇ったレイルは緩く伏せた瞳を開き、皮肉気に口角を吊り上げた。


「人間を敵だと言いながら救ってくれと乞い、却下されれば八つ当たりか? 八つ当たりは人間のお家芸だ。気をつけたほうがいい」


 小さな身体を激情が震わせた。目が飛び出しそうに開かれ、充血した瞳が激情を叩きつけてくる。子どもがする表情ではない。これは、怨念だ。


「裏切り者! 妖人の恥曝し! 殺してやる!」


 細く、重い溜め息をライラは聞いた。旋毛に直接届いた嘆息に身が震える。一番分かり合えるはずの同胞に、裏切り者呼ばわりさせたのはライラだ。


「レイルは関係ない! 憎悪の先を間違えるな!」


 殺意は殺意しか呼ばない。そんなものをレイルに向けないで。今まで傷ついてきた人だ。妖人はもう充分傷ついた。妖人同士が争うなんて馬鹿げてる。憎悪は全て、彼らを傷つけた人間が担うべきだ。

 言い募ろうとした唇は掌に柔らかく塞がれた。背後から覆った掌は大きく、開かれると片手で顔の半分を簡単に隠してしまう。


「俺はこいつに恩があるし、意外と気にいってもいる。更に、雇い主でもある。だが、ライラ、契約は無効だな」

「え……?」


 レイルは、二人を向いたまま入り口まで下がった。


「傍を離れて怪我をさせた。俺は護衛失格だから、契約は終了だろう」


 ああ、彼は行ってしまうのか。諦めに似たものがライラの中に浮かんで、消えた。

 彼は言ってくれた。キオスに行くのも悪くないと。充分だ。充分ではないか。

 レイルは、樹木の美しさに似ている。白い肌、鋭い金紫、風のような声、白髪は光。一度でも、心の底から笑ってくれただけでよしと思わなければならないのだろう。

 薬術師は見送るものだ。病を、怪我を、快癒させてその背を見送る。力及ばず命を、見送る。薬術師は置いていかれるものなのだ。だから、いつものように笑って見送らなければ。


「出来るなら、一年以内に、気が向いたら、会いに来てね」


 泣きそうになりながら呟くと、不思議そうな顔をされた。


「一年?」

「連れ去られた薬術師は、癒術酷使で長くて三年……状況を鑑みると一年ほどしか生きられないから」


 金紫はちらりとガイアスを向く。


「ほぅ……それを承知で連れていくか?」

「見たところ武器もない。妖人同士、怪我をさせたくはない」

「は、武器ならたくさんあるだろ」


 腕の中に抱かれたままぐるりと視界が回って、ライラは息を飲んだ。いつの間にか三十人ほどの妖人が洞を囲んでいた。木の上からじっとガイアスの指示を待っている。風が枯葉を宙高く巻き上げても、彼らは微動だにしない。それだけ集中して狙いを定めていた。

 薄く笑ったレイルが彼らの緊迫感を高めている。たった一人が脅威となるのだ。妖人は獣に近く、強さに従う本能が強い。そして個々の能力なら、レイルが圧倒的に高かった。


「ライラ、俺は俺の意思で、あんたの意思に付き合おう」


 無意識に彷徨った掌をレイルの手が捉える。大きな掌が包んだと思うと、指が絡んできた。遊んでいるように掌を撫でていく指に力が抜ける。大丈夫、怖くはない。

 ガイアスは緩慢な動作で立ち上がった。上がった瞳には、後悔も躊躇いもない。


「貴殿にはお越し頂く。レイル、引いてくれ。妖人の未来の為だ」


 絡んだ掌が見せ付けるように持ち上げられ、口付けられる。


「俺は誰の命令も受けない。人間は勿論、妖人もだ。お願いなら聞かないでもないが、おっさんよりは、枯れ枝の方が幾分マシだ」

「……一応乙女に枯れ枝言うない」

「自分で一応とか言うな。憐れになる」

「んなぁ!?」


 一度深く沈み込み視界が下がったと思う間もなく、空高く舞い上がる。勢いをつけて幹を蹴り、唖然とした妖人の顔に膝を叩き込んだレイルは、しなやかに身体を捻り、落ちていく男から長剣を奪い取った。


「意外と良い品を使ってる。これなら、俺の力にも耐えられる!」


 金紫が赤く光り、一振り。一振りで充分だった。剣は炎を纏い、一振りで雨のように降り注いだ。飛びずさった妖人の幾人かが起こした風が、刃の形を取って襲ってくる。レイルは口角を上げた。地面にいれば立っていられない強風が、風の刃を掻き消す。


「て、めぇ! 調子に乗るなよ!」


 ジェイの怒声と同時に、彼が纏った電撃がレイル達を目指して立ち昇った。


「柔い」


 宙へ昇る電撃の真上から落ちたのは、雷撃。音よりも早く電撃を飲み込み、地面へ一直線に突き刺さった。





 呆然と立ち尽くしたジェイを抱えて洞に飛び込んだガイアスは、金紫を見上げて呻いた。


「何て奴だ。幾つ能力を使えやがる………まさか白狼か? 王家に売られたと聞いていたが、土竜はどうやってこいつを捕えた? 俺達から見ても化け物じゃねぇか」


 思わず憎い妖人狩り部隊の名を呟く。それが悪かったのか部下が泡を食って駆けてきた。


「親父! 土竜の集団が来た! 軍隊も連れてる! 同胞48、土竜19、甲冑150!」


 ああ、あんな奴ら思い出すんじゃなかった。名前だけで災厄を呼び寄せる。彼らに罪はないのに道を間違えて地面にひょこりと顔を出した生き物が憎くなった。それに気づいたのか、全体的に丸みを帯びたフォルムの茶色い生き物は、慌てたように地面に帰っていく。

 その様子を見て苦笑しながら、ガイアスは声を張り上げる。


「てめぇら散れ! 同胞と殺しあわされるぞ!」


 雲の子を散らすように散開していく部下に混じり、ジェイを担いで飛び去った。視界には映らないほど遠くに薬草の匂いがする。


「早いな」


 舌打ちと苦笑が同時に浮かぶ。

 他国の城を追われた薬術師が、同胞でさえ震え上がる妖人を手に入れた。魂石を返して尚、共にいると言う相手とこんな状況で出会うなど奇跡だ。


「男と女は何がどうなるか分からんが、さてさて…………白狼、お前の出会いは恐らく運命だが……悪いな、お前の運命は、妖人の為に奪わせてもらうぞ」


 非道であれど、人間が妖人にしてきた事に比べれば何の事はない。妖人への業は、人間の救いで贖ってもらう。

 担いだ子どもの身体が熱に震えていることに気づいた。失われた左手をそっと包む。誰も救ってくれないなら、誰かを害しても、ガイアスが動くしかなかった。

 そこに後悔はない。







 早すぎて息が上手く出来ない。

 風圧で押し潰されそうな胸で、木に着地した瞬間、は、と、無様な息をした。下は極力見ない。見てなるものか。ライラは自分に難く言い聞かせた。

 レイルは剣を仕舞わず再度宙を飛んだ。



「少し耐えろ」


 頷いて胸に額を付けたライラの手は、必死に服を握っている。不恰好な髪が一瞬視界を覆う。森よりも濃い薬草の匂いがする。


「何だ?」


 微かな声は呻き声かと思ったが、よく聞けば言葉だと気づいた。



「……引き受けない私を、あざといと思う?」

「いいや」


 即答が返り、ライラは状況も忘れて顔を上げた。縋りついていた硬い肩と、ぱんと張った背中がいきなりリアルに感じられて赤面する。顔を見られなくて良かった。


「俺は、人間も妖人も信用しない。俺を人間に売ったのは妖人だ。土竜と取引して、自分を見逃す代わりに俺を売った。だから、同胞なんて、今更だ」


 切れ長の瞳が背後を確認し、剣を仕舞った。空いた手がぐしゃりとライラの頭を掴む。撫でるなんて柔らかい動作ではない。けれど、その手は何より優しかった。


「あれだけうるさいあんたが引き受けられなかった。重要なのはそれだけだろう」


 本当にそう思っているのだ。レイルの言葉に戸惑いも憤りも感じられない。


「あんたは、俺が知っている中で一番まともな人間だ。まあ、女としては枯れ枝だが」

「枯れ枝、言うない」


 澄んだ森の匂いが少しきつい。だからだ。鼻の奥が痛いのは。追われるのが怖い。だからだ。どれだけ噛み締めても唇が震えるのは。


「泣くな、ライラ」


 彼が優しい。だからだ。

 涙が止まらないのは。

 嗚咽を噛み殺して震えるライラを抱きしめた身体は、どこまでも優しかった。






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