5.饅頭食べたよ薬恋歌
ジェガバリーは街道が重なった山間の拠点だ。山深い道を進むと大きな街が見えてくる。旅人達は、旅の途中の商人を見つけては荷を買い、売った。この地に腰を落ち着けた露店も並ぶ。人が集まる場所はいつだって住む人間が出てくる。キオスの前に出来た町、ナザールもそうやってできた街の一つだ。
「すごい活気」
「そうか?」
「……どうせ、あんまり他国で外を歩きませんよーだ」
田舎物ですよ、いーだ! 思いっきり頬を引っぱって言えば、不細工とさらりと返された。ごもっともだ。
重たいトランクを下ろし、その上に二人で腰掛ける。露店で買ってきた温かい饅頭は、中に肉と香草がつまり、かぶりついた瞬間に肉汁が目を攻撃してきた。
「あうち!」
「……どこの言葉だ」
「さあ。どっかの国で覚えたんでしょーね。目薬目薬……」
細かく繊細な刺繍を施したおかげで、金のない小僧は、放浪じゃなくて旅をしてるんだなと思える程度になり、貴族だけが所有する『観賞用』の妖人は旅する小僧のお付……にしてはちょっと高価そう、という認識になった。。
通り縋る人々は美しい妖人をちらちらと見ていく。レイルは慣れたもので反応も返さない。視線に慣れているのはライラも同じだ。他国で薬術師は珍獣扱いされる。喋って驚かれた事もある。見れば目が潰れると拝まれた事もだ。
「食料とー、薬草珍しいのあったらいいなぁ。レイルは何か欲しいものある?」
ちらりと切れ長の瞳がライラを見た。
「剣」
ライラは叫んだ。
「高い!」
しばし沈黙が訪れる。咳払いで誤魔化した。
「う、うぅん! じゃなかった、剣かぁ、剣ねぇ……私が持ってた小刀じゃ、駄目、かな?」
「人里離れた野盗ほど武器は原始的になっていく。手入れが出来なくても構わないようにだ。斧や鉄槌で潰されたいか? いくら能力が戻ったからといって、素手で出来るのは限度がある」
無理か。ライラは観念した。必死にお財布様を説得する。饅頭を返品してこいとのお達しだ。もう食べちゃいました。大変美味でございました。
「給金から引け」
当たり前のように言われ、反射的に叫んだ。
「駄目! あれはレイルが自由に生きる為に必要なお金だもの!」
纏った額があれば、新しいことを始めようと思った時に困らない。旅でも、留まるにも。せめて、そんな理由で争う必要がないように。
「必要経費は雇い主が出します。薬剤師ってことにして、薬を売ってくる。後、レイルが着てた服も売っていい? あれも給金に足しとくから」
「馬鹿。剣の方に足せ」
ゴミを纏め、レイルが立ち上がった。トランクは大きく重い。そんなことでは揺るぎもしない。
「その代わり、高かろうが質の良い物を買え。俺の好みを混ぜるんだ。俺の金を使って問題あるまい?」
ぐうの音も出ない。助かる。
さっさと歩き出した背中はまっすぐで揺るがない。白い髪を靡かせて胸を張り、かといって偉そうでもなく、立ち姿まで美しい。妖人を奴隷とする国の人々が、そうと分かっていながら見惚れる視線が後を絶たない。憧れる。ああなりたいと。
ライラも頑張って胸を張ってみた。足が縺れて、転んだ。美しく歩くためには相応の筋力が必要なのだ。人間身の丈に合った行いが大切だ。ほんと大切だ。家訓にしよう。
「風邪薬に、熱冷まし、湿布に肌荒れ対策も万全! さあさ、そこ行くお姉さん。綺麗なお肌がもっと綺麗になりますよ。薔薇の香料で皆の視線を独り占め!」
帽子を目深に被った痩せた少年が売る薬が売れるのか。全てはライラの口上に懸かっている。なかなかどうして、一般の販売人と引けを取らない客を呼んでいた。
くるくると変わる表情に、ひょうきんな声音、絶え間ない声掛けは警戒心を解くらしい。実用第一の透明瓶ではなく、色鮮やかで洒落た細工がされた瓶も目を引いた。特に女性が興味を引かれて寄ってくる。
「使い終わった後も大活躍。このちょっとが女子力! 他の子と差をつけて一人勝ち!」
閉じられたトランクの上の鮮やかに光る小瓶達は、飛ぶようにとはいわないまでも、順調に姿を消していく。その様を、隣に立ったレイルは興味も無いように眺めている。彼の姿で更に女性客が増えていた。
「流行り病に効く薬はないか?」
中年の男が、重たそうに荷物を降ろしながら問うた。
「これから東の方に行くんだが、あちらは酷いと聞くんでな。弱いものからバタバタ倒れていくのに、前の王は何もしてはくれなかった。せっかくきた追加の薬術師も、自分達だけ囲って、何がパーティだ」
もっともだ。あの用事がなければ、ライラ達は直接救施場に行けたのだ。
だがそんなことはおくびにも出さず、人当たりの良い笑顔を浮かべる。
「どうりで皆様聞いていかれるはずですね。そんなに酷いんですか?」
「どうやらデューラを襲った流行り病と同じものだそうだ。新王も即位早々大変だよ。この国はどうなるんだろうなぁ」
男は疲れたように嘆いた。
「新王はベルナルド様でしたか。どんなお方なんです?」
「聡明で利発な御子だったと、昔聞いたな。慈悲深く民に近い目で見てくれると。そのお方が薬術師を留めているんだ。本当に薬術師が罪を犯したのやもしれんなぁ」
ライラは苦笑した。
「どうなんでしょうね。流行り病の薬はありませんが、マスクをして、手洗いうがいの徹底、出来るだけ人ごみは避けてください。滋養をつけて、病に負けない身体を作ることが一番大切です」
「そうだね。どれ、栄養剤を一つ貰おうかね」
「まいど! 空き瓶はお土産にしても喜ばれますよ」
どうりで街が浮き足立っていると思った。祭りの前の騒がしさではない。不安でそわそわしているのだ。ライラはこそりと息を吐く。あまり、長居したくはない雰囲気だ。
一通り売ってしまえば、瓶の値段分ちょっと高めの薬は良い臨時収入になった。これならお財布様に御出座し頂かなくてもいいかもしれない。
さて店仕舞いと、トランクを立てるだけで終了したとき、影が落ちた。
「あ、すみません。もう店仕舞いで」
それまで微動だにしなかったレイルの左腕がライラを抱え上げる。何が起こったか分からないまま、放り投げられるように背後に落とされた。痛い。
「何のつもりだ」
彼の右手は、少年の拳を受け止めていた。短い白髪と浅黒い肌、少し尖った耳で妖人と分かる。殴りかかられたのだとようやく気づいた。
少年は拳を止められたことは気にしないのか、無邪気な笑顔を浮かべる。
「もう人間を守らなくていいぞ。おれがあんたを自由にしてやる」
「何の話だ」
眉根を寄せたレイルに、少年はちょっと待てと言い置いて、胸元からペンタクルを取り出した。二枚の羽の中心に、彼らの魂石のような石が飾られている。
「聞いたことないか? おれ達は妖人を人間から解放する集団、アカツキだ。おれはジェイだ。よろしくな!」
邪気の無い笑顔で差し出された手に、慌てたのはライラだ。
「ちょっと待って! 彼がいなくなったら困る!」
ジェイは人懐っこい表情を激変させた。
「おれに触れるな、人間!」
火花が散り、静電気のような光に弾かれた手を覆う。人々が何事かと足を止め、誰かが悲鳴を上げる。
「あいつ、魂石を持った妖人だぞ! 衛兵を呼べ!」
「土竜は、土竜はいないのか!」
土竜は、妖人の売買、管理を行う集団、つまりは妖人を対象とした狩人だ。
しかし、その名を聞いた瞬間、バチバチと静電気の量が多くなり、ついには雷のように放電を始めた。
電気に巻き上げられた服と髪の毛が浮かび上がる。
「土竜だと? 人間が、人間ごときが、おれを従えられるものならやってみろっ!」
一際大きな音がして爆ぜた電気にジェイは目を丸くした。ライラを守るように立ったレイルの瞳が色を放っている。無差別に放電されるものを、レイルが弾いたのだ。
「おまえ、まさか魂石を持ってるのか!? ちょ、ちょっとこっち来い!」
ジェイはレイルの腕を掴んで屋根の上に飛び上がった。妖人二人は、猫のように体重を感じさせない動きで次の屋根へと飛び移る。
「レイル、待って!」
「すぐ戻る」
アカツキの名は聞いたことがあった。奴隷になった妖人の飼い主から、魂石を奪い返し、妖人を自由にしている集団だ。話くらい聞いてもいいだろう。
「待って、レイル、待って! 一人にしないで! レイル! レイル!」
衛兵から放たれた矢の雨に気を取られたレイルは、悲痛な声で叫ぶライラに気づかなかった。
「待って……」
震えだした両手を地面についたライラの前に、再び影が落ちた。誰かが心配して覗き込んだのだ。びくりと壁に背をつける。上げられた表情は、さっきまで飄々と口上していた人間とは別人だった。
「大丈夫かい? あいつ、最近噂になってる妖人だよ。人の妖人を奪っていくんだ。金出して買った妖人だ、渡さないって言ったら、殺しまでやるんだよ。妖人の一人や二人、いなくなったって構いやしないさ。また買えばいいんだから。それより、あんたに命があってよかったねぇ」
中年の女は、恰幅の良い腹を重そうにしてしゃがみこんだ。ライラは無意識に両手を顔の前に構えた。
「怪我したのかい? どれ、見せてごらん」
女の手が止まる。不審に思って恐る恐る開いた視界に、転がった帽子が見えた。
息を飲んで、慌てて両手で前髪を押さえる。ジェイの電気に反応して浮かんだ前髪は、紋様を隠してはくれなかった。
「あんた……まさか薬術師かい!?」
「違います!」
大声を掻き消すように怒鳴った所為で、余計に視線が集まった。心臓が胸を突き破ろうと脈打つ。息がうまく吸えない。
「何だって!? そういえば、さっきまで薬売ってたよな!?」
「手も隠してるわ! 手を見れば分かるもの!」
別の誰かが声を張り上げる。
「違います! 違います違います!」
トランクを掴んで走り出したライラは、すぐに大勢に囲まれた。
「違います! 通してください! お願い、通して!」
人数が集まれば集まるほど熱気が増していく。多数派が道理となる。
両肩を掴まれた。さっき東に行くと言っていた男だ。穏やかそうな面差しが豹変し、ぎらぎらと光る瞳がライラを捉えた。
「薬術師の髪を持っていると、病に罹らないってのは本当かい?」
目の前の男が、記憶と、重なった。