(21)
薬術師に休みなどない。否、休みはあれど休む暇がない。そんな己を許せない。
忙しない日常に疲れ果てていようと、休息時間に癒やしを見出せず、焦りと罪悪感ばかりが募る。
こんなことをしている間に、出来ることがあるだろうと。いま己が過ごしている時間は、生死の境を彷徨う患者を前にした自分が判断を下す為に必要な知識を得る時間ではないのかと。
いざその瞬間が訪れたとき、胸を掻き毟るほど望む時間だと。
どうしたってそう思う自分が捨てられないのが、薬術師だった。
昨夜から見事な星を開示していた空は日付が変わっても機嫌を保ったまま朝を迎え、昼過ぎとなった現在も適度な雲を浮かべるのみだ。
燦々と輝く太陽は眩しくも、肉を焼き血を茹だらせる脅威の熱を世界に降り注ぐ季節ではない。全身に浴びようと体力は削られず、ほかほかと適度な体温を保つ手助けをしてくれる穏やかな日差しが、ずっと世界を照らしている。
「………………どうしてこんなことに」
そんな日差しからすらも守られるような日陰の下、ライラは小さな羽で不格好に飛びながら自らの鼻上を通過していく虫を視線だけで追った。
やがて視線だけでは限界となれば、仰向けに寝転がった姿勢のまま、今度は頭ごと右へと倒し、小さな虫の飛行を追っていく。
「………………ライラさんとユーリスまで夜更かしするからでは?」
ライラの隣では、ライラと同じ体勢のサキが自らの上を通過していく虫を視線で追っている。その内サキも限界が来たのか、ライラ同様頭を右へと倒す。
一番右端で同様の体勢を取っていたユーリスが、のそりと起き上がる。それに驚いたのか、はたまた風圧で飛ばされたのか、小さな虫は風の渦にぐるりと飲まれるように飛んでいき、あっという間に所在が分からなくなった。
そんな虫を探すでもなく互いに視線を合わせた薬術師三名は現在、皆等しく日干しの刑に処されていた。
三人が日干しの刑に処されている場所は、決して狭くはない野原だ。生い茂る背の低い柔らかな草花の種類は豊富で、よくよく目を凝らせば小さな物から大きな物まで様々な花が咲いている。
自然が豊かであれば当然虫も豊富だが、虫除けの香を焚いているため視界にはほとんど入らない。
よって、先程の虫が剛の者だったのだ。だから余計に、三人共が視線で追ってしまったのである。
多忙な薬術師三名が揃いも揃って日干しの刑に処されている理由は明白だ。専属騎士は勿論、サルダート隊から散々注意されたにもかかわらず、誰一人早めの就寝をしないどころか日が昇るまで医学書を読みふけっていたからである。
そして業を煮やしたサルダートから、いい加減外に出て何もせず日に当たってこいと叩き出されたわけだ。
そして三人は、特に何をするでもない時間を野原の真ん中で過ごしていた。
ライラ、サキ、ユーリス、誰しもがこの時間を持て余している。三人揃おうが十人揃おうが、このような時間の過ごし方がさっぱり分からないのが薬術師なのだ。
何をするでもなく日干しされていろと厳命されているがどうにも据わりが悪く、そわそわしてしまう。日向ぼっこをのんびり楽しめる性分の者は、そもそも薬術師にはなっていないのである。
そんな三人がいる場所は、日干しといっても日除けの膜はしっかり張られていた。
穏やかな日差しとはいえ、病み上がりのライラ、病がちなユーリス、三人一組中唯一病の枕詞を背負わないサキ。
それらが揃いも揃って寝不足なのだ。天日干しというよりは、風を通して虫除けをされている古書のような扱いである。
そんな薬術師を、少し離れた場所からそれぞれの専属騎士が見ていた。そして専属騎士三人より遙か遠い、決して狭いとはいえない野原の外周をサルダート隊が囲んでいる。
キオスの外にいる薬術師の警備としては、平時であろうと珍しくもない光景だ。まして、薬術師が一人浚われた直後である。警護対象の薬術師が揃いも揃って寝不足に陥らなければ、サルダートとて建物内に止めておきたかっただろう。
苦肉の策で外に出された薬術師、苦肉の策で日干しの刑に処すしかなかったサルダート隊。誰も幸せにならない、長閑な昼下がりである。
先の事件後、一人合流が遅れたユーリスは、ライラと同じ長さに切りそろえた白が強い銀髪を緩やかに揺らした。
初めから同色であったライラとサキだけでなく、いつの間にかレイルまで揃いの髪色となっていた事実に散々拗ね倒した挙げ句、せめてこれくらいは揃いにすると切りそろえた髪であると、ライラ達は知っている。
そして今度はそのユーリスを知ったサキが拗ね倒した。その結果、ライラはもう髪を全て刈り上げてしまったほうが早いし、衛生的ではなかろうかと思ったものだ。
サキとユーリスに散々泣かれ、レイルからこいつは馬鹿なのかという視線を向けられて考え直したが。
そんな出来事を思い出しながら、虫の行方を見届けることが叶わなくなったライラは、ユーリスの後へと続き、のそのそと起き上がった。同様に起き上がったぼさぼさ髪のサキと二人揃ってユーリスを見る。
二人の視線を受けたユーリスは、重々しく口を開いた。
「………………ライラさんの監督不行き届きということで」
「何で!?」
先程起き上がった速度からは想像もつかない勢いで口から飛び出したライラの疑問に、神妙な顔のサキが続く。
「確かに……ユーリスの言う通り、最年長の監督不行き届きということですね」
「今この状況下においては私が最年少では!?」
会話の順番としてはサキはライラに続いたが、同意という面においては全く続いてはおらず、サキはユーリスの同士であった。
しかし、二人がどれだけ同意し合おうが、サキは三人の中で最年少であり、薬術師としても後輩である。
確かに薬術院では監督生を務めてはいたが、ライラはサキとユーリスを後輩とした経験はない。何せライラは、二人と出会わなかったライラなのだから。
それでも二人はどこまでもライラを先輩として扱うので、ライラが根を詰めて勉強しなければならない一因はこの二人が担っているといっても過言ではない。
しかしそれは、言っても詮無きことでもあった。どんな事情があろうとなかろうと、ライラ達が薬術師である以上、元来持ち合わせた性質は変わらない。
他国の民は、薬術師を薬術師になれた者として認識する。けれど、キオスの民は違う。キオスの民は薬術師になれた者を、なれてしまった者なのだと。
そう、認識するのだ。
どんな理由があろうとなかろうと、薬術師は止まれない。そういう気質を持って生まれてきてしまったのだから。
柔らかな風が吹いた。暑くも寒くもない、ただ心地よさだけを齎す穏やかな風だ。その風に運ばれた草木の香りが流れゆく先に、三人は自然と視線を向けた。
香りを運んだ風が、少し離れ場所に立つ専属騎士達の髪を揺らす様を見届け、再びのろのろと横になる。行動の確認を言葉でせずとも、三人の動きは連携していた。
今日大人しくしていれば、明日はディカメルの医学院が管理している薬草園に寄る許可がでる。逆に言えば、そうしなければ薬草園は素通りとなる。
ならば、薬術師である三人の選択は、火を見るより明らかであった。
ディカメルの医学院が管理している薬草園は世界的にも有名な場所だ。園と呼ばれてはいるが、その実体は薬草山だ。山全体を使い、様々な薬草を育んでいる。それも一つや二つの山ではない。幾つも連なる山々をそうして所有している。
キオスも同様の山々を所持しているが、やはり土地が違えば生息しているものは変わる。土、気温、高度、生息動物。様々な要素が絡み合い、その土地独自の生態系が出来上がっていくのだから当然だ。
ライラ達としては、是が非でも薬草園を訪れたい。丁度通り道であり、日程に余裕があるのだから尚のことだ。
その為ならば、どう過ごせばいいか分からないこの時間を所在なげに過ごすことも厭わない。処される罰は違えど、薬術師が一度や百度は軽く通る道である。
ゆえに、抜け穴は見つけてしまえるもので。
こうして他国遠征ともなると、警備の関係上どうしても纏めて転がされる場合が多い。そして勉強など、手元に何もなくとも可能なのだ。最近読んだ医学書、最近診た事例、最近発表された論文、話すことは山ほどある。
一応静かに休むことが目的なので、基本的に専属騎士達も少し離れている。それを逆手に取り、わりと好き勝手出来てしまうのだ。ライラ達ではないが、覚えている医学書を互いに暗唱し続け、丸々一冊分を新たに覚えてしまった者も出たという。
しかし、今のライラ達には口頭での話し合いも許されない。
何せ新たに専属騎士として加わったレイルは妖人だ。つまりは耳がいい。ライラ達にとって身のある話をしたが最後、明日の薬草園訪問を失うことは明白だった。
ディカメルの薬草園はキオス同様、基本的に関係者以外立ち入り禁止だ。しかし医に携る者であれば学生であれど入山許可が出る、医学発展への労を惜しまない同志でもある。
そんな薬草園訪問の貴重な機会を逃せるわけがない。これを逃せば、もう一生ないかもしれなかった。あらゆる意味で、薬術師が私的な旅行など出来ようはずもないのだ。
ライラ、サキ、ユーリスは、専属騎士の許容範囲を超えぬ行動及び会話を維持しながら、サルダートによる許しを待つしかない身の上だ。
他の薬術師のように、口頭で情報交換することもままならないのだから、本当に何も出来ることがなかった。
だが、それを疎ましく思うはずもない。聞こえないより聞こえるほうがいい。勿論聞こえないのならば全力で診る。ただそれだけの違いだ。
やるべきことは限りなくあれど、やっていいことは何もなく。
ライラ達はたっぷりとした時間をひたすら持て余した。昼寝でもすればすぐなのだろうが、そうすると夜が長くなる確信があった。
そもそも夜にきちんと眠らない薬術師の不養生を責められての結果で、夜に眠らぬ理由を作るわけにはいかなかった。
「仕事に関係しない雑談なら、ちっちゃいおじさんも許してくれるはずなんですけどね……雑談って、何を話題にすれば雑談になるんですか?」
「私に聞かれても……」
「僕が思うに、入院中の患者さん達の会話を参考にしたらどうですかね?」
「あ、ユーリス賢い。えーと……」
ユーリスが提示してくれたきっかけを頼りに、薬術師三人は記憶を頼りに話題を探す。
「最近流行りのお菓子の話題とか……?」
そろりと口を開いたライラに、サキとユーリスは諸手を挙げて賛成した。まさに雑談中の雑談と言える話題選択であると誰しもが思ったのだ。
しかし、世界とはそう甘くはないもので。
寝転がったまま挙げた諸手の先が野原に敷かれた敷布からはみ出て、活きのいい草によりちくちく指先を刺されながら、ライラは元気よく問いかけた。
「最近流行りのお菓子を知っている人ー?」
問いかけに対し、即座に沈黙が落ちる。発案者であるライラ自身も例えを出すことはなく、二人に落ちた沈黙へと沈んだ。
「…………最近効能が見直された薬草なら、論文見なくても言えるのに」
「…………私達がをそれ言えなかったら、薬術師としてまずいのでは?」
ライラとユーリスは既にお手上げ状態だ。精神的にも身体的にも手を上げたまま、最後の希望としてサキを見る。サキは美しい黒髪が乱れるのも構わず、髪を潰しながら頭を左右に揺らす。この案もこのまま潰えるかと思った矢先、サキがはっと動きを止めた。
「…………兄さんが買ってきてくれたお菓子の話題なら、かろうじて手札が」
「でかした、サキ。……そういえば、美味しかったお菓子の原材料や製法を応用すれば、薬を飲みやすくできるんじゃ?」
「でかした、ユーリス。その通りよ!」
「それは仕事の話では!?」
嬉しそうに語り始めた二人の口を、跳ね起きたライラは両手を叩きつけるような勢いで塞いだ。少し勢いがつきすぎて、結構いい音がしてしまったがそれも仕様のないことだ。ライラの視界の先では、レイルの耳がぴくりと動く様を確認してしまったので尚更である。
ライラの勢いで状況を察した二人は、そろそろとライラの手を外し、ゆっくりと呼吸をした。
「甘く炊いた豆が、とても美味しかったです」
「それは炊いた豆単体でしたか。それとも何かに包まれていましたか」
「弾力のある生地に包まれていました」
「製法は如何でしたか」
「恐らくは蒸されていたのではないかと思います」
淡々と続く会話に、ライラは涙を禁じ得ない。どう考えても美味しいお菓子を和気藹々と語っている雰囲気ではない。しかしかろうじてお菓子の感想として通用する範囲に収まっているようにライラは思うので、二人の努力は認める。
しかし、ライラは自身の基準も相当だという自覚があるため、レイルの様子を見て判断するしかなかった。
再びレイルへ視線を戻すと、彼は予想外の表情を浮かべていた。てっきり怒っているか不機嫌な顔をしていると思っていたが、彼が浮かべていた表情は呆れであった。
彼がその表情を浮かべていたのは予想外ではあったが、ライラはすぐに思い直す。薬術師の思考や行動は、他者を呆れさせるほどに薬術師独特のものへと傾いている。
ライラとて、自覚はあるのだ。自覚があろうと治せないだけだ。そして治ってしまえばもう、それは最早薬術師ではない。薬術師が薬術師の感性ではなく、極一般的と呼ばれる感性を常としてしまえば、きっと薬術師である己に耐えきれないだろう。
こちらを見ているレイルに、小さく手を振ってみる。何となくした行動だったが、それに気付いたサキとユーリスも、レイルと並んでこちらを見ている己の専属騎士に同様の行為を送っていた。
返ってきた行動はそれぞれだったが、それが少しおかしかった。馬鹿にしているわけではないが、何となく、並んでいる人々から個性が出る瞬間は楽しいものがある。
それはサキとユーリスも同じだったようで、さっきまでぎこちなくお菓子の話をしていたとは思えない穏やかな笑みを浮かべていた。
「どうも私達は世間話が苦手ですし、それぞれ専属騎士の好きなところでも語ります?」
「あ、それなら僕達でもいけそうだ」
「一人だけ当人に筒抜けな私を慮った提案を要求していいですかね!」
ライラの猛抗議により、二人はそれもそうかと考え直してくれた。
だがそれはそれとして、世間話の議題再提出は必要だ。薬術師三人は、穏やかな昼下がりに延々と頭を突き詰めて唸り続けた。
結局、日干しの刑期終了までに碌な話題は出てこず、立て続けに患者が担ぎ込まれて来た事態よりも深い疲労が三人にのし掛かっていた。
疲労困憊となった三人はその日の夜、開いた本の上に突っ伏して早々の就寝を迎えることとなり、サルダート達の目的は達成されたのである。




