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18.涎塗れの薬恋歌





 数区画に分けられた救施場の狭間が騒がしい。レイルは眉を寄せて声のする方に足を進めた。

 人体でいうなら骨格の間に配置されている関節のような形で設置されている薬術師の部屋に、左右の区画から人々が押し寄せている。左が人間、右が妖人だ。

 薬術師の部屋は薬草やカルテが所狭しと敷き詰められており、薬術師以外の者は許可がないと入れない。入口には特殊な膜が張られていたが、透明な膜の傍で、それぞれが言い分を叫んで唾を散らす。


「妖人如きに貴重な薬を使うなど! 薬草への冒涜だ!」

「妖人を追い出せ! そいつらが来た所為で部屋が狭くなったんだ!」

「妖人など、死ぬなら次を使えばいいだろう!」


 吐き気がする人間の言い分に、いきり立った妖人が膜を破ろうと爪を伸ばす。牙を剥き出しにし、荒い息を吐く妖人の傷口が開き、辺り一面に血の臭いが溢れ返った。

 日に日に酷くなっていく諍いに、薬術師の疲れもひどい。ただでさえ癒術の酷使は彼らへの負担でしかありえないのだ。それに加えて妖人と人間の確執に挟まれれば、気も休まらないだろう。人間は、命に差をつけない薬術師の前で妖人への蔑みを隠しもしない。かといって、妖人は彼らの仲間であるライラを瀕死の底へと叩きこんだ存在だ。

 そこに、そのどちらにも変わらぬ癒しを提供し、自らの身体を酷使している薬術師への感謝はない。

 深いため気を吐いたレイルは、ぎちりと爪を軋ませた。とにかく今は、この諍いを鎮めなければならない。炎は必要以上の混乱を齎すと判断し、風を掌に纏わせる。術を発動しようとしたレイルの動きは、鋭い声で止まった。


「やめんか、痴れ者が!」


 老いて尚、凛と張りのある声を張り上げたのは、ハリス・ヴァリーヌ上薬一師だ。皺が深く刻まれた身体で、矍鑠とした足取りのままもう一つの入り口から入ってくる。


「妖人は下がれ! この場に一歩も入るは罷りならん! 寧ろ近づくでない! 散れ!」


 しっしっと、まるで犬猫を追い払うように妖人を手で払いながら舌打ちをした老人に、妖人は憤怒の形相を浮かべ、人間はにたりと笑みを浮かべた。

 しかし、その笑みは次の瞬間に引き攣る。


「ここにいる人間は流行病を得ているのだぞ! そんなに弱り切った身体で病をうつされたらどうする! お前達は傷を治すことに専念し、とっとと飛び跳ねるくらい元気にならんか! 人間もとっとと下がらんか! 自分達が病原菌を撒き散らしている自覚を持たんか馬鹿者! 病を得ていない者にうつしたらただでは済まさんぞ! 苦い薬を更に苦く調合してくれるわ! そして早く良くなるとよいわ!」


 ぽかんとした妖人と人間の間で、他の薬術師は肩を竦めて薬の調合に戻った。

 ふんっと鼻息荒く腕を組んだハリスは、ぎろりと左右を睨み付ける。


「分かったらとっとと散れ! 何の為に術式の厄介な膜を設けておるか、まるで分かっとらんな! くだらん諍いをしている暇があるのなら、とっとと快癒し、さっさと日常生活に戻れ! そしてわしらを配属される権利をよそに譲らんか! わしらの手を必要としておる者が世界中にどれだけおると思っておる! まったく、痴れ者が!」


 ぷりぷりと怒って、また戻っていこうとしたハリスは、ぴたりと動きを止めた。

 そして、ぎろりと天を見上げる。


「腰に――、っ、きた!」

「ハリス上薬一師――!」


 憤怒の形相で身動きが取れなくなった老人に、人間も、妖人も、何とも言えない顔で立ち尽くす。仕事が増えた薬術師は、悲しげな顔で湿布薬の調合を始めた。

 約一名の名誉の負傷はあったものの、諍いは収まったようだ。荷物を持ち直してその場を去ろうとしたレイルを呼びとめる声があった。名誉の負傷者、ハリスだ。


「待て貴様! ラハラテラの専属騎士だな!」


 腰を押さえて身動きが取れないハリスに、仕方なく近寄ると、胸元から書類を投げてきた。


「ラハラテラに渡せ」

「分かった」


 まだ他の人間への抵抗感があるのはレイルも同じだ。

 手短に会話を終わらせ、背を向けた肩が掴まれる。反射的に振り払おうとしたレイルの至近距離に、憤怒の表情を浮かべたハリスがいた。


「な、なんだ」

「貴様…………大きく環境や状態が変わったそうだが、体調に変化はないな!?」

「あ、ああ」

「少しでも不調を感じればすぐに言え! 全く、ただでさえ人手の足りぬこの場で余計な手間をかけさせるでないぞ! 誰に聞かれずともさっさと自己申告しろ! 悪化させれば、貴様が苦しいだろうが!」


 ぷりぷり怒ったハリスの顔が、目玉が飛び出しそうなまでに力む。


「こ、腰がっ……!」

「ハリス上薬一師――!」


 慌てて駆け寄ってきた薬術師の中には男も多々いたが、誰も彼もがライラやサキに似たり寄ったりの細腕だ。がくりと床に倒れ伏したハリスを抱え上げられないでいる。彼らの騎士達はというと、第一騒動、第二騒動、第三騒動の際に集まった妖人と人間を散らせて留守なのである。

 どいつもこいつも痩せすぎだと嘆息したレイルは、荷物を片手に纏めると、残る片手でハリスの身体を持ち上げた。


「どこに運べばいい」

「あっちです! すみません!」


 三十代半ば程の男は、折れそうな首を何度も振って礼を言った。





 案内された場所は、大量の妖人に合わせて増設された簡易の救施場だ。怪我の程度が軽い者や、治療よりは介護や介助が必要な者、面倒を見る者がいない子ども達が集まっている。


「そこだ、若造! 感謝する!」


 担ぎ上げられているのに、何故か胸を張っているハリスに示されたベッドに下ろす。

 その横には、何人かの幼い妖人の子どもが座っていた。


「ぽここる?」

「そうだ! 私の腰はぽんこつだ!」

「ぽんこつ!」

「ぽここつ!」

「ぽるこちゅ!」

「そうだ!」


 舌っ足らずな様子で人間より少し長い耳をぴるぴる揺らして、きゃっきゃと両手を叩いて喜んだ。その中で、片腕のない子どもがバランスを崩した。

 咄嗟に支えようとしたレイルの腕は、しかし子どもには届かない。何故なら、ハリスがスライディングで子どもを受け止めたからだ。


「腰が――!」

「ぽーちゅ!」

「ぽんこつだ!」


 子どもを抱いたまま起き上がれず、床で呻くハリスを抱き上げてベッドに戻す。もうこの老人は動かさないほうがいい気がする。

 途方に暮れていると、奥から薬術師がぱたぱたと駆けてきた。そして、無表情のまま椅子に並ぶ子ども次から次へとハリスの周りに置いていく。幼子で飾り付けられたハリスを満足げに一瞥し、中年の薬術師の女はまたぱたぱたと走り去っていった。

 成程、これなら身動きは取れないだろう。感心して女を見送っていると、子どもに顔面をよじ登られているハリスが胸を張った。


「私の、妻だ! 元は弟子だった!」

「ちゅま!」

「ま!」

「まぁ!」

「まんまぁ!」

「何!? 腹が空いたのか!? それはいかん! 誰か、誰か飯だ!」


 拳ごとしゃぶっていた子どもが、涎でべとべとになった掌でハリスの顔面を撫で回している。しかし、ハリスは気にも留めないらしい。

 確かに、時計を見ればいい時間だ。自分もそろそろ戻ろうと腰を浮かせた先にいた男を見て、レイルは動きを止めた。薬術師以外の人間がいたのだ。年代は様々だが、皆一様に居心地悪そうに突っ立っている。


「人手が足りん。家族の付き添いなどでついてきた奴の中で、まともそうなのを選んで連れてきた」


 視線を落とせば、顔中涎でべとべとのハリスが静かな顔で言った。


「……どちらも受け入れないだろう」

「とりあえずは子どもの世話だ。安心しろ、人を見る目はある」


 真剣な顔で見つめるハリスの口元を、赤子に近い子どもが引っ張って笑った。


 人間達は何をしていいのか分からない様子で突っ立っていた。

 食事の用意を始めて慌ただしくなっても、何故ここにいるのか分からないといった様子で突っ立っているままだ。


「ぬ!」


 ハリスの目がくわった見開かれた。

 人間達の前で、片足のない子どもが転んだのだ。真新しい杖をうまく使えないのだろう。苦心して起き上がろうとする子どもに、若い男がおずおずと手を出した。

 子どもはびくりと脅え、這うように走り去る。

 呆然と取り残された男の前で、別の子どもが盛大に転び、そして大声で泣き始めた。


「い、痛い? 痛いのか?」


 おろおろと両手を彷徨わせる男に、とことこと走ってきたエミリが言った。


「ころんだら、みんないたいのよ? おとななのにしらないの?」


 泣く子どもを抱き起していたヒースは、鋭い目で男とエミリを見ている。


「だいじょうぶだよ! あのね、しらないってわかったら、だいじょうぶなんだって! これからしったらいいんだよ! エミ、じゃなかった、わたしもね、そうするの! わたしにわかることだったら、おにいさんにもおしえてあげるね!」


 そう笑ったエミリは、泣いていた子どもの手を引いて走っていった。ちらりと男を見たヒースは何も言わず、エミリの後を追う。


「あ…………」


 男は伸ばした手をだらりと垂らし、また俯いて人間の群れの中に紛れ込んだ。




 一歩踏み出していたレイルの手を掴んでいたハリスは、静かな声で言った。


「焦るな、若造。これからだ」


 視線を戻せば、声音と同じくらい静かで真摯な瞳がレイルを見上げている。


「お前は面構えが良い。その色も、お前によく似合っている」


 ハリスが指しているのは、レイルの髪だ。見慣れない自分の姿は、驚くほどに違和感を感じない。だって、見ていたのだ。この色が揺れるのを、苛つきながら、焦がれるように。

 だから、レイルは笑った。


「ああ、俺もそう思っている」

「ラハラテラに会えて、良かったな」

「それも、そう思ってる」

「そうか」


 もう一度、何かを噛み締めるように同じ言葉を繰り返したハリスの頭に、涎塗れの手がべちゃりと置かれる。老人は、細く皺だらけの身体で子ども達を抱きかかえ、皺くちゃの顔を更に皺くちゃにして笑った。





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