17.あなたが唄う薬恋歌
「……レイル、運命に、殉ずる覚悟はあるか」
それが望みではないのに、ただライラの死を待つしか術がない人々に、ガイアスの静かな声が浸透した。
「親父…………?」
「トオン、頼む」
一人では立っていられないジェイをトオンに託し、ガイアスはレイルの横に膝をついた。
妖人の中でただ一人赤い髪を揺らし、まっすぐにレイルを見つめる。
舌打ちしたサルダートは、重量のある武器を地面に垂直に突き刺した。
「てめぇ、何か知ってやがるな」
「ああ……ただし、この場にいる誰もが他言無用と心得ろ。いまはどう転がっても害にしかならん」
伸びてきた手から庇うよう、咄嗟にライラの身体を引いたレイルの胸に、とんっと指が触れる。そこは我が身に戻ってきた魂石がある場所だ。
「死に別れるその日まで、彼女と共にある決心があるのなら、お前の魂石を彼女に渡せ。魂石と溶け合った人間は、妖人程とはいかなくとも、強い生命力を得ることになる。救施場までなら保たせられるはずだ」
「魂石……?」
「お前の命と彼女の命を溶け合わせる。故に妖人は、どちらかが死ぬまで決して離れることは出来ない。お前は生涯捕らわれる。その覚悟はあるか」
生涯捕らわれる?
レイルは、知らず握りしめた拳の中で皮膚を食い破った。
捕らわれるなんて許せない。
俺は自由だ。何者にも二度と囚われない。
思わず自分の胸元に視線を落としたレイルの視線の中で、ライラの口端から血が伝い落ちる。片方の目はガーゼで覆われ、頬にも口端にも殴打痕が残った、月明かりでも誤魔化しきれない土気色。ただでさえ細かった手足は若い少女と思えないほど痩せ、骨を浮かべる。そのやせ細った場所にさえ多数の傷が浮かぶ。
人が妖人を害し、悪意も憎悪も巡り巡って、妖人がライラを害した。
結局、誰も彼もが薬術師に甘えている。確かにこの力は世界の奇跡だろう。縋るに値する力も信念も、尊く美しい。
だが、彼女自身はこんなにも細い。自らを削りながら他者を癒し、害されながらも優しさで返し、そうして殺されるのか。彼女が犯した罪などどこにもない場所で、人間が犯した罪の贖いとされるのか。
誰一人薬術師を、ライラを見ずに、自分達の都合ばかりを押し付ける。
何も、知らないくせに。
鼻歌を歌いながら刺繍する横顔も、美味そうに肉を頬張る姿も、幼子のように寝息をかきながらも不安そうに小さく丸々寝姿も、真剣に薬草を煎じる背中も、何かを好きだという笑顔も。
こんな所で、こんな理由で、殺されていい訳がない。そんなこと許容できるはずもない。
たとえ、彼女がそれを許しても。
掌の中で事切れようとしている命が、腹が立つほど愛おしい。
一生縛られる。それでも、いい。縛る相手がライラなら、それはきっと、自由と変わらない。魂石がライラと溶け合うということは、レイルは一生他の誰にも捕らわれないということだ。
つまり、一生、自由だ。
否。否、否!
「構わない。方法を教えろ!」
この生き物の命を長らえさせる方法があるのなら、それが何であれ構わない。一生籠の鳥でも、構うものか。
物心ついた時から決して揺るがなかったレイルの信念を覆すことも厭わない。
それだけのことをライラはしてくれた。
レイルに、人間に、妖人に、世界に。
ライラは、与えてくれたのだ。
彼女を救うために払う犠牲を厭うものか。レイルの生でライラを救えるというのなら、それは犠牲ですらない。
そう思える相手に出会えたことで、レイルは既に、生まれた意味を得たのだ。
逡巡とも決意ともとれる一拍を置き、ガイアスはレイルに視線を戻す。そして、飲み込もうとしていた言葉を発した。
「お前の場合は、黒髪になるんだろうな」
その一言に、レイルだけでなく、はっと息を飲んだ音が重なった。白髪が特徴である妖人の中で、只一人赤髪の意味を悟ったのだ。丸でこの世の終わりのようにがくがくと身体を震わせたのはジェイだった。
「親父、まさか、嘘だ! 親父がそんな、妖人を、俺達を裏切るなんて!」
飛び出そうとした身体はトオンに抑え込まれた。全身を震わせたジェイの眼にあるのは、憎悪と迷子の幼子だ。その二つが混ざり合う。
「ジェイ、後にしろ」
「親父!」
「後だ」
縋るような子どもの声を背に受けながら、ガイアスはライラの額に手を当てた。
「どうすればいい」
「俺も誰かから習ったわけじゃない。そうしようと思ってしたわけでもなかった。だが、結果的にあいつの命と重なった。俺の魂石はあいつの中に溶けて、あいつが死んだとき一緒に消えた。繋がれ、レイル。繋がりたいと望め。魂石は俺達の命であり、意思そのものだ」
妖人の魂石が人間に溶け込むなんて聞いたことがない。そもそも、人間と妖人が心を通わせた話すらあり得なかったのだ。
だが、そこに活路があるのなら躊躇う理由などない。
冷え切った頬に手を当て、至近距離で覗き込む。いつだって生の尊さを、命の喜びを宿していた瞳は、陽が落ちた空のように薄暗い。
レイルの魂石を剥ぎ取って押し付けたところで無意味だろう。そんな方法で魂石が移るのなら、ほとんどの妖人は土竜に魂石を奪われることになる。
なら、どうすればいい。
魂石は妖人の命そのものだ。その命が交わる様など想像したこともない。そもそも、人間と妖人は同じなのか? その命と魂は同じものとして扱えるのだろうか。
思い浮かんだ疑問を、レイルは己で否定した。
『貴方は命です。何とも区別のない、尊い、尊厳ある命です。薬術師は命を区別しない、命に差なんてないのだから』
初めて会ったあの晩、ライラはそう言った。
思えばあの時、否、もっといえばライラが迷い込んできたあの瞬間から、レイルの自由は終わり、そして始まっていたのかもしれない。
レイルは、血の匂いが溢れだすそこに静かに唇を重ねた。
心を繋げたことなどない。繋がろうとしたことすらない。だが、繋がりたい。ライラの命を救うためだけでなく、その後もこの生き物と繋がっていたいと強く願った。
冷え切った唇からは呼気と共に命が流れ出ていく。それを抑え込むように重ねた唇に意思と願いを込める。
ライラ、目を覚ませ。
馬鹿みたいに笑って、馬鹿みたいなことを言って、馬鹿みたいにまっすぐに生きろ。
馬鹿みたいに、お前のままで生き続けろ。
胸が熱い。魂石が燃えているのかと思ったが違う。熱さはやがて全身を巡り始めた。土竜に剥ぎ取られたときより余程熱いのに、痛みはない。自分の中だけで巡る熱さに集中する。
ライラ、死ぬな。俺の命をお前にやるから。生きろ。生きて、世界に居続けろ。
熱さは急速に勢いを増した。レイルの命は奔流となってライラの中に流れ込む。他人同士の命は反発しあう。弾き合う命の中で、レイルは慎重にライラの命を探る。弱りきったライラの命が弾け飛んでしまわないよう、慎重に、慎重に潜っていく。
その途中で、ふと気づいた。薬術師が人を癒すときも同じような感覚なのかもしれない。
ならば遣り方は分かる。ライラがしてくれたようにすればいいのだ。相手を壊さぬよう、自分も壊されぬよう、柔らかく溶け合わせる。
「ライラ」
一度離した唇から零れるのは彼女の名前だった。
伝えたいことは沢山ある。叫びたい出したいほど身の内に溢れていた。けれど、音になったのはたった一つだ。
「ライラ」
誰もがライラに甘えている。きっと、レイルもそうだ。ライラの強さと優しさに甘えている。彼女なら投げ出さないと、彼女なら逃げださないと。彼女なら、皆が悲しむ選択を選ばないと。
ライラなら、たとえそれがどれほど辛くとも、生きてくれるだろうと。
「ライラ」
辛いことは沢山あるだろう。誰もがお前に背負わせるだろう。それでも、生きろ。生きてくれ。これは俺の我儘だ。だから、俺も背負う。俺も背負い、護るから。だから。
「生きて、ここにいてくれ」
額を合わせて目を閉じた後、再度唇を重ねる。
弱りきったライラの生命力に、今度は弾かれなかった。少しずつ熱が溶け合っていく。命が溶け合う。それは何より恐ろしく、何より心地よかった。
身の内を焼かんばかりに燃え滾っていたレイルの命は、次第に勢いを落ち着かせ、ライラの命と溶け合っていく。
命が唄う。二つの命が混ざり合いながら、唄うのは哀歌のようで、子守唄のようで、聖歌のようで、賛歌のようで
そして、恋歌だ。
命は唄う。命に唄う。尊いと讃えながら、恋しいと唄う。命が恋しい、愛おしい。唄う命は重なり合い、そこに違いなどありはしない。
いま、レイルはライラで、ライラはレイルだった。
身体の中心から何かが溢れ出し、身体を走り抜けた。下から吹き抜けるように舞い上がった髪が、重力に従って頬を掠める。一瞬で色の変わった髪に意識が逸れた腕の中で、小さな呻き声が聞こえた。弾かれるように視線を戻せば、ライラの胸に開いた穴が塞がっていく。肉と肉が重なり合う様子は神秘的というよりグロテスクだったが、レイルにとってこちらのほうが生を実感できた。生きるということは、美しさだけではありえないのだ。だからこそ、美しいのだけれど。
塞がりきった穴の上、穴で欠けていた薬術師の刻印は少し形を変えていた。真ん中にレイルの魂石が現れ、それを包むように刻印が刻まれている。
レイルが胸元に感じていた魂石の熱さが失われていた。だが、その存在を確かに感じる。魂石の色も変化していた。森のような緑、まるでライラの瞳のようだ。
本物の瞳が見たい。そう願った時、硬く閉じられていた瞳が震えた。
「ライラ……?」
サキも身を乗り出して叫ぶ。
「ライラさん!」
「ライラ?」
「ライラ!」
「ライラっ!」
「ライラぁ!」
「ライラ!」
「ライラ・ラハラテラ!」
苦しそうに血の塊を吐き出したライラは、緩慢な動作で周囲を見回した。虚ろな緑瞳が彷徨い、レイルを捉えて困ったように眉を下げる。
「レ、イル……あな、た…………なにを、した、の」
掠れ、血の匂いがする吐息で紡がれた言葉に、レイルも苦笑に近い表情を浮かべた。その頬を涙が滑り落ちていく。この数日で、もう一生分泣いたような気がする。
「……あんたと生きようと、決めただけだ」
何かを言おうとした唇から、また血の塊が吐き出される。サキは涙でぐしゃぐしゃになった顔で癒術を発動させた。
「サ、キ…………」
「ありがとう、レイル。ありがとうございます、ライラさんっ……!」
命を繋げてくれてありがとう。生きていてくれてありがとう。
「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございますっ……」
血塗れの手を握り締め、サキは息もできないほど泣き続けた。
一気に緩んだ空気を、子どもの悲痛な叫びが切り裂く。
「嘘だっ!」
トオンに押さえられるように、その実肩を抱くように支えられているジェイは、世界を呪わんばかりに絶叫した。
「嫌だ、そんなの嘘だ! 親父が妖人を裏切ってたなんて、親父が人間と繋がってたなんて、嘘だ! でたらめだ!」
存在しない手で顔を覆おうとしたジェイに、ガイアスは静かに向かい合った。
「まだ、今の妖人達に話せる段階じゃないと思っていたから黙っていた。ジェイ、事実だ。俺の魂石は人間と溶け合った。その証拠がこの髪だ」
ジェイの目が大きく見開かれる。戦慄いた唇から覗く牙がガチガチ打ち鳴らされた。恐怖と憤怒が入り交じり、純度の高い憎悪が練り上げられる。いつもならそこで終わりだった。ジェイは思考を放棄し、憎悪だけを滾らせて相手に飛び掛かっただろう。
だが、今回は違った。憎悪の中に悲しみが混ざったのだ。全身をがくがくと震わせ、ジェイは涙を散らして叫ぶ。
「なんでっ……なんでだよ! 人間は敵だろ!? なんで、敵の為に味方を、妖人を裏切ったんだよ、親父ぃ!」
地面に頽れた彼を支えようする数多の手を拒絶して、ジェイは泣いた。ガイアスが延ばした手を弾き、全身に雷を纏って拒絶する。ガイアスは己の手が焼けることも構わず、ジェイの肩を掴んで抱きしめた。
「嫌だ! 離せ! 裏切り者!」
「ジェイ、聞け」
「嫌だ! 人間と繋がった親父なんかっ!」
一際激しく膨れ上がった雷ごと、ガイアスはその腕の力を強めて抱きしめる。
「ジェイ、お前の中には二つしかないんだ。お前にとっての敵は絶対で、味方もまた同じだ。だけどな、ジェイ、この二つを分けるのは、酷く難しい」
「何言って……人間は敵だ!」
「俺の魂石を剥ぎ取ったのは妖人だ」
ひゅっと呼吸の成り損なった音が妖人達から漏れた。
「仲間だと思ってた。人間は敵で、妖人は無条件で味方だと信じていた。土竜から逃げ切れないと判断した仲間が、一番年下の俺の魂石を剥ぎ取って土竜に投げつけ、逃げる時間稼ぎに使われたあの時までは。仲間というか、親だったけどな。俺は確か四つくらいだったか。死にかけたよ。群れの仲間も誰も止めなかった。なあ、ジェイ。レイルもそうだったな。俺やレイルを土竜に売った妖人は味方か? 俺を救ったあいつは、レイルを救ったライラは、敵か?」
雷はいつの間にか消えていた。零れ落ちんばかりに見開かれた瞳をまっすぐに見下ろして、ガイアスは続ける。
「あいつやライラのような人間がパオイラでは異端だと俺だって分かってるさ。けどな、一度知っちまうと、ただ人間だからと憎むことはもうできなくなる。それでも妖人の方が大事だ。それは変わらない。何があろうとも、俺は自分が妖人であることが何よりの誇りだ。だから俺はここにいる。…………ジェイ、お前にも、皆にも、いつかは話したいと思っていた。妖人だから味方じゃない。人間だから敵じゃない。敵も味方も、判断するのは種族でじゃないんだ。今まではそれでもよかった。けどな、ここから先に進むには、それだけじゃ判断できなくなる。妖人だって裏切る。俺やレイルはそれを知っている。ジェイ、お前は、いい妖人と出会えてきたんだよ」
「だって、親父、妖人は、人間は」
「お前にはまだ早いと思ってる。まだ、酷だとも。でもな、ジェイ。少しだけ考えてみてくれないか。お前が俺についてきてくれたのは、俺を慕ってくれたのは、俺が妖人だからか? 勿論、俺が人間だったらお前は俺の話すら聞いてはくれなかっただろうが、俺以外の妖人でも、お前は同じようについていったか? なあ、ジェイ。お前は俺だからついてきてくれたのか? それとも、妖人だったら誰でもよかったか?」
ジェイは何かを言おうと口を開いたが、それは音にならずに霧散する。
「わ、からない。分からない分からない分からない!」
「ジェイ、頼む。そこで閉じてしまわないでくれ。敵か味方かで二分化されたお前の世界に、少しだけ考える余地をくれないか。たぶん、今じゃないと駄目な事なんだ」
「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ!」
耳を塞ごうとした己の手がないことに絶望したジェイは、無茶苦茶に暴れ始める。牙を剥き出し、ガイアスの首筋に喰らいついた。
「ぐっ……!」
弱った子どもの力で噛み切れるほどガイアスは軟ではない。それでも生物としての急所に喰らいつかれた衝撃は、獣に近い妖人には凄まじいものだ。反射的に振りほどこうとした自身を押さえ、ガイアスは腕を解こうとしなかった。
置いては、いかない。必ずこの子どもを連れていく。未来に、世界に、連れていく。世界を二分化することで己を守ってきた子どもには、それ以外の世界を開かされるのは苦痛以外の何物でもない。それでも、この手は絶対に離さない。
引き剥がそうとするトオンを手だけで制し、深く子どもを抱きかかえる。
「ジェイ、お前が俺を憎んでも、俺はお前を嫌わない。だから、考えろ。考えを放棄するな。世界は、お前の知らないことで溢れてるんだ。俺はいつか、それをお前に教えたかった。嘗て、俺がそうしてもらったように。ジェイ、俺はお前が好きだよ。ジェイ、お前が大事だよ」
時代がこの子どもを形作った。いま、時代が移り変わろうとしているのなら、確実に取り残される子どもだ。だが、絶対に連れていく。子どもが変化を拒絶しても、これが己のエゴだとしても、必ず連れていく。
頭を撫で、何度も何度も繰り返すうちに、抱え込んだ子どもの身体が震えだす。そして、首筋から恐る恐る牙が離れていく。その気があったのなら喰らいついたまま引き裂きにかかっただろうが、牙は最初に刺さった場所から動いていない。
自分が貫いた首筋から流れ出る血を見て、ジェイは真っ青になった。
「ご、ごめんなさ」
「いいさ、ジェイ。いいんだ」
出来るだけ優しく頭を撫でてやれば、その瞳から涙が伝い落ちる。
「わか、らない」
か細い声で、子どもは泣いた。
「親父が、何を言ってるのか、分からない」
「いきなり分かったらこえぇな」
ガイアスは思わずそう口に出した。いきなり全部分かった、理解した、と諸手を上げられたら驚愕する。
その言葉にきょとんとしたジェイに、トオンが珍しく口元を緩ませた。
「おい」
不機嫌そうな声が割って入る。振り向けば誰もいない。盛大な舌打ちが下から聞こえて視線を落とすと、大刀がどすりと地面に突き刺さった。突き立てた小柄な男が半眼で顎をしゃくる先には、サキと名乗った薬術師の女に癒術をかけられているライラがいた。癒術を行使している薬術師に触れられないので、レイルはその横にしゃがみ込んでいる。
「そのクソガキ押さえて連れてこい」
「は?」
ついさっきライラを殺そうとしたジェイを、もっと引き離せと言われるかと思いきや、連れていけと言われるとは思わなかった。理解できずに眉を寄せると、それよりも寄せられた眉と更に盛大な舌打ちで返される。
「ほぉ? 今の状態でライラに動けとぬかしやがるかくそが。てめぇは何様だ? ぁあ!?」
寧ろお前が何様だ。そう思ったが口に出さずにジェイを抱きかかえてライラに近づいていく。毛を逆立てた獣のように、黒に染まったレイルの髪が浮き上がった。力を制御できていないのだろう。
ライラはどこかぼんやりした瞳でこちらを見ている。死にかけたのだ、当然だろう。
まるで枯れ枝のように細い腕が緩慢な動きで持ち上がる。自らの血で染まった服を張り付け、その手は淡い光を纏ってジェイに触れた。
「触るな!」
反射的に逃げようとしたジェイを押さえたガイアスの前で、ライラは薄く微笑んだ。
額と胸元、手の甲にある刻印が光を放つ。逃げようともがくジェイの動きが次第に鈍くなり、遂にはその動きを止めた。
まるで赤子のようにまどろみ始めたジェイの腕の膿が消え、どす黒い色に染まっていた肉が赤みを帯びていく。
「難しいことを考えるのは、身体が、万全になってからに……お互い、元気になって……それからに、しよう。まずは、元気に、ならなく、ちゃ」
ライラの放つ光は、サキの光に比べて弱く、更に明滅している。その光が掻き消えるように尽きた瞬間、細い腕はぱたりと地面に落ちた。
「ライラ!」
咄嗟にその手を受け止めようとしたレイルを、イヅナが止める。
「駄目だ。いま触るとサキがきつい」
癒術を行っている術者だけでなく、行われている者に触れることも術者への負担となる。ライラがジェイに触れられたのも、サキがうまく調整したからだ。
「大丈夫、ライラさんは気絶しただけだから」
よく見ると薄ら汗を滲ませているサキは、一際大きく髪を靡かせて癒術を収めた。
「今のうちに馬車まで運んで、移動を開始しよう。…………貴方達も、一緒に」
額に張り付いた髪を寄せ、サキは眠りに落ちたジェイに触れた。再び光を放ったが、今度はすぐに術を収める。そして、苦笑した。
「流石ライラさん。完璧です」
熱が下がり、腐り落ちようとしていた傷口は炎症も見られない。こんな時でも、どんな相手にも、本当に変わらない。何か言いたい気もするけれど、そんなライラに救われた自分が言えることは何もない。
同じ気持ちだろうレイルの憮然とした顔を見て、サキは心を収めた。
そこに苦しんでいる人がいて、ここにそれを救う手だてが合って、サキ達は薬術師で。だから癒した。それはきっと、サキ達が生きているように、当たり前のことなのだ。
「だって」
私達は薬術師だから
それが、ライラさんだから。
どっちの言葉を口に出したのか、サキは自分でも分からなかった。けれど、周りの諦めとも承諾ともとれる頷きに、どっちも同じことかと肩を竦めた。




