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1.聞こえ始めた薬恋歌


 故郷から遠く離れたその国には、人間の姿をした、人間とは少し違う生き物がいる。獣のような嗅覚を持ち、獣のような聴力を持ち、獣のように強くしなやかなその生き物は、その身に持ちし宝玉で支配することが出来る。本人達が一度殺されたと表現する全身を砕く痛みを与え、彼らの命と呼べる宝玉で制御することが可能だ。

 彼らは妖人と呼ばれた。人間の姿をした、人間とは異なる生き物。

 妖人は、その耳を、その鼻を、その力を、その美しい姿を欲されて、狩られた。





 夜風に舞った濃密な植物と土の香りが、血の匂いで穢された。いや、違う。寧ろ清められたのだ。

 全身を真っ赤に染めた妖人の少年は、既に事切れた人間を無感動に踏みながら、自らの宝玉に手を伸ばした。切れた手首から血が伝い、真白い宝玉に落ちる。最後の最後に弾かれて吹き飛んだ宝玉は、その程度では傷もつかない。

 それは美しい少年だった。真白い髪は赤く染まりはしたものの、本来の艶を失わない。瞳は怜悧に鋭く、無表情に俯いた顔は雪のように白かった。

 夜闇を切り裂く鋭い瞳は、まっすぐに己の宝玉を見つめている。

 このまま、人間が血のついた手で触れれば彼の身は支配される。妖人の血と人間の血が宝玉に触れれば儀式は終了だ。

 少年は氷よりも鋭く口角を吊り上げた。くだらない想像だ。そんなことになれば、命じる隙も与えずその首跳ねてくれる。決して外すまい。

 その状況を想像すれば逆に愉快になってきた。もう誰も、二度と己を支配できない。俺は、自由だ。

 血塗れの手が、宝玉に伸ばされる。


 べちゃん!


 美しい少年は、呆気に取られて目の前を見つめる。

 どこからか少女が降ってきた。それはどうでもいい。問題は少女の赤く濡れた指が綺麗に宝玉を捉えていたからだ。開かれた掌の中指の丁度下に、少年の命があった。

 持ち主である妖人の血と、人間の血。

 二つが宝玉に触れれば、儀式は、終了だ。


 呆然と見下ろした先で、呆然と見上げた少女の鼻からたらりと鼻血が垂れた。








 キオス国は小さな国であり、大陸一有名だった。キオスは大陸で唯一薬術師を輩出することが出来る国だ。薬術師を育成する薬術院も、そもそも彼らが生まれるのもキオスの民にしかありえなかった。


 薬術師は医療に特化した術者だ。

 薬草と陣を組み合わせて医術を行う人間だが、誰もがなれる訳ではない。多量の知識を身につけられることが大前提だ。しかし、何よりの前提として、薬術師になれるかどうかは産まれた時に決まる。薬術師は身体に紋様を持つ。額、両手の甲、胸元、腰の付け根。紋様がなければ術は使えない。また、紋様を持っていても薬術師にならないと決めた場合、解印の儀を行い、紋様を消す必要がある。

 薬術師は医者よりも上位に位置づけられ重宝される。同時に危険視も。よって薬術師という資格であり称号を持つためには、厳しい訓練と知識を叩き込み、先達が残した意志を継いだ者だけがその任につける。


 医者とは違い彼らに医療道具は必要ない。両手を合わせて目を閉じる。手を患者に当てるだけで病の元を突き止め、癒してしまう。薬草を宙に浮かべ、その身一つで薬を精製し、医者が匙を投げた病すら、あっさりと癒せてしまうのだ。


 キオスを害せば、たとえ流行り病が国を襲っても、その後百年間薬術師の助けは得られない。何より連合国が黙ってはいない。決して仲の良いとはいえない国々だったが、薬術師には手を出さないことは暗黙の了解として通っていた。



 彼らの治療を求めて人々はキオスに殺到した。次第にキオスの前に巨大な町ができた。始まりは病人と家族がテントを張った。数が増えれば屋台が並んだ。商店が揃えば定住者が現れた。そうしてキオスは国の前に巨大な医療施設を作った。厳選な順番を待ち、偶に暴動も起こった。しかし、どれだけ刃を向けられようが、薬術師達は決して順番を違えることはない。彼らの矜持だ。彼らにあるのは緊急性の有無だけで、命に上下は無い。それが薬術師の信条である。

 たとえ己の命が尽きたとしても彼らは信条を曲げない。だからこその薬術師。なればこその薬術師。

 薬術師は、キオスの秘宝であり、世界最後の希望だった。







 柱が愛しい。

 舞踏会に疲れ果てたライラは、柱の影を探しては柱に恋していた。柱って頼りになる。柱って素敵。私、この柱と結婚する。


「ライラさん? どうしたんですか?」


 美しい黒髪の女がひょこりと現れた。ライラの髪も黒だが、如何せん美人ではないのでこの女性のように映えない。


「サキ。いいの? あんなに囲まれてたのに」


 黒髪だけが美しいのではない女は、さっきから大人気だ。明るい髪色が多いキオスで散々からかわれて育ったライラに、黒も悪くないなと思わせたサキは普通に話を戻した。


「柱が愛しいなんて、ユーリスみたいなこと言わないで下さい」

「ユーリス中薬二師もそんなにも柱を愛して!」


 サキは端整な顔で真面目に頷いた。


「ユーリスは熱を出すたびに、柱や壁、そして床をこよなく愛すのです」

「…………それは倒れてるんじゃ」

「彼はそう主張して憚りませんから」


 ライラ・ラハラテラ。十五歳。下薬三師。今年薬術院を卒業したばかりの新米薬術師だ。自己紹介後、相手が発する第一声の九割は、ラが多い、だ。

 サキ・イクスティリア。十七歳。中薬二師。現在最年少の中薬師であり、少々特殊な事情を持っている。

 ライラにとっては面白い人で、年下のライラに対してさん付けで呼び、自分のことは呼び捨てを願うのだ。先輩に使用すべき敬語も、やめてほしいと頭を下げられれば仕方ない。彼女の親友ユーリスも同様で、当初ライラは凄く居心地が悪かったが、今はすっかり慣れた。順応ってなんて素敵な言葉だろう。



 二人の少女は薬術師だ。

 薬術師特有の衣装はすぐに分かる。服装は少し特殊で、普通の衣服店で手に入らない。普段は清潔を保つ為に診察以外は大きなローブで全身を覆い、極力砂埃を衣装につけないよう気を使う。手首や足首など、全身の様々な箇所に絞る工夫がなされていて、治療の邪魔にならないよう片手で服を留められる。紋様を無闇に晒す必要も無いと、額は装飾品で、手の甲は中指に嵌めた指輪に布を通して覆う。これも治療の際には、腕の機具に指輪を引っ掛けて留められるようになっていた。ズボンの上にはスカートのような布が覆い、これは前と後ろで捲り上げられ、簡易のエプロンの役割を果たす。必要が無くなれば元に下ろし、もし血が付いていても次の患者の目から隠して動揺させずに治療を行うことができる。



 現在二人は故郷を遠く離れ、パオイラ国に出向いていた。薬術師は国外遠征もこなす。連合国からの要請であれば尚の事。蓋を開ければ王女様のお誕生日に他国に薬術師を自慢したいが為であってもだ。しかし、そこは薬術師。転んでも只では起きぬ。遠出ついでに手に入りにくい薬草をパオイラに請求することを忘れない。

 薬術師が海外遠征をする際には必ず国軍の護衛がつく。それにプラスして薬術師一人につき専属の護衛が存在している。隊には伝令士が必ず常住されてもいた。伝令士は耳から心臓まで繋がった紋様を持つ能力者だ。伝令士同士であれば、遠く離れていても会話ができる。稀少な薬術師は、何時の時代でも様々な標的にされる。好意も興味も悪意も、薬術師を珍しがる限り人は変わらず、変わらぬ限り薬術師は他国に固く閉ざされたままだった。



 サキの親友ユーリスは薬術師でありながら身体が弱い。だから二人一対が基本の薬術師が相方を連れず一人でいるのだ。代わりに選出されたのがライラだ。理由は簡単。さてどうしようかと話している前を偶然通りかかったのだ。「ライラさん、付き合ってくださぁい」と笑顔を向けられて、「はい、喜んでー」と答えた結果、まさか他国遠征なんて思いもしない。


 そんな理由で選ばれた遠征は、貴族と王族の健康チェックに、後はいい見世物だ。楽しいはずがない。

 王女の誕生日パーティだけあって内容は非常に豪勢だ。しかし、それだけだ。人の心が富んでいるようにはとても見えない。今もパオイラでは伝染病が流行り、たくさんの人間が死んでいる。既に先見の薬術師も派遣されているが、彼らは忙しい。その援軍としてサキとライラが呼ばれたのだ。舞踏会が終われば彼らと合流する手筈になっている。

 一年前の戦で、キオスは連合との連携を深めるべきだと、あちこちに薬術師を派遣している。必然的に稀少な数は底を尽き、専属の護衛も持たないライラが借り出される羽目に陥っている。

 これも必要なことだと溜息を吐いたライラの耳には、様々な会話が入ってきた。聞き耳を立てずとも流れ込んでくる言葉を出来る限り聞き流す。


「全く、何年経とうとあの妖人は変わりませんな」

「全くです。しかし王女もお人が悪い。決して懐かずとも手離さぬ」


 バルコニーで二人の男が、酒を片手に話していた。


「あれだけの妖人。年頃の王女が手離さないのは致し方がありませんよ」

「ああ、全く全く。姿形は最上級だというのに、致し方ない妖人ですな」


 頷き合って酒を煽る男達の会話に、知らず寄った眉間はサキが直してくれた。

 パオイラや周辺の国々は、この辺でしか生まれない妖人を奴隷扱いしている。もっと南へ行けば人間を奴隷にしている国もある。そのどれも、ライラは嫌いだった。ライラに限らない。薬術師を前に奴隷を連れるなど愚の骨頂だ。


「ライラさん、部屋に戻りませんか? 疲れたでしょう?」

 

 中薬として格段に遠征が多いサキは、さほど疲れを見せない。


「でも、サキ一人だと視線が殺到だね」


 薬術師は珍しい。珍獣扱いされる。好奇の視線はどこでも変わらない。


「平気です。兄さんがいるから」

「嬉しいことを言う」


 突然現れた黒髪の青年に、二人の薬術師は跳ね上がった。


「「うわぁ!?」」


 長い黒髪を一つに纏めた少年の名は、イヅナ・イクスティリア。サキの血の繋がらない年下の兄だ。妖人と見紛うくらい、美しい男だった。


「兄さん! いるのは分かってたけど、気配消すの、やっぱりやめて!」

「お前がいるところに俺はいるさ」

「兄さんごめん、会話になってない」


 全く会話にならないのに諦めないサキが不憫すぎる。ライラはそっと涙を拭った。







 護衛を誰か連れて行くようにと言われていたが、すぐそこだからいいだろうと、ライラは安易に会場を出た。それがいけなかった。

 会場を出てものの五分で、それはもう見事に、教科書でお手本とされるような完璧さで。


「ぉおぅ……迷った……」


 立派な迷子となった。



 城なんてどこも同じようなものだ。同じように豪華で、同じように廊下が伸びて、同じように扉が並ぶ。どこを進んでも代わり映えしない景色。衛兵に聞こうにも誰もいない。これは正しく、入っちゃいけない所まで入ってしまったのではないだろうか。


 とりあえずどこかの部屋に誰かいるだろう。いつ何時も手離さない薬術師の鞄を握りなおし、ライラは能天気に結論を出した。

 適当な扉を選んでノックする。扉の隙間から零れ出る光があったからだ。誰かいるかもしれないと希望を籠めて、もう一度ノックする。返事がないことに肩を落し、それでも明かりがついていることに首を傾げ、そっと開けてみる。


「あのー、すみませーん」


 やはり返事はないし、誰もいないのだろうか。しばし悩む。他国の城の中にいるのは、他国の貴人だろう。そう簡単にお手打ちにはされないはずでも、不興を買うのは避けたい。明かりはあるのに返事がない上に、鍵が開いている。中に誰かいる状態で倒れでもしているのかと一応覗いては見たものの、誰もいないのなら下手に足を踏み入れて泥棒扱いされるのは困る。


「止めとこう」


 あえて主不在の部屋で主を待つより、適当に歩いて誰かを探したほうがいいだろう。怪我人病人がいないのなら強行する必要もない。

 すっぱり決めて身を引いたライラの耳に、酷く心地よい声が届いた。


「誰だ」


 若い男の声だ。奥の部屋から聞こえ、やはり誰かいたのだとほっとして、緊張した。


「すみません、道に迷ったんですけど、ここってどの辺ですか?」

「入ってこい」

「いやぁ、ここで」

「入れ」

「うい」


 有無を言わさぬ声に、思わず異国語で返事をしてしまった。


「失礼、しまーす」

「失礼はするな」

「ごもっともです」


 手前の部屋は無意味に豪華だ。どうして椅子一つでこんなにきらきらする必要があるのだ。花に金箔や銀箔をまぶす必要だってない。花はそれだけで綺麗じゃないか。それに、何て勿体ない。この花は西国で採れる花弁に薬効がある薬草だ。こんなものまぶしたら薬に出来ない。

 声は奥から聞こえてくる。

 ライラはやけに気配のしない雰囲気にごくりと唾を飲んだ。なんだか廃墟を探検している気分である。ここはパオイラの城で、廃墟なんて縁起でもないのに。


 隣の部屋と違い、続き部屋は薄暗かった。月明かりだけが灯りで、蝋燭は一つも無い。てっきり寝室だと思った部屋の中は寝台も家具もなく、中心に巨大な鳥篭があった。声は、そこから聞こえている。

 ライラは息を飲んだ。暗闇に紛れない長く真白い髪に肌。少し尖った耳。金紫の瞳。何より整いすぎた顔は、きっと神に捧げる献上品より美しい。


「どうした。来い」


 呼ばれるままに傍に行き、へたりと床に座り込んだ。声が身を浸食するほどに美しい。

 なんて美しい、妖人。


「俺に用があるのでは?」


 少年は酷薄な笑みを浮かべて、檻の隙間から手を伸ばした。白い手がじゃらりと音をたて、ライラは初めて、彼の手足と首の枷に気づいた。肌が切り裂かれ、鞭打たれた頬から流れる血が赤い。当たり前だ。生きているのだから。

 弾かれたように、伸ばされた手を両手で握った。少年は驚いたように目を見張る。


「動かないで」


 目を閉じたライラの周囲で不自然な風が舞う。隠された紋様が淡い光を発した。これが、生きた奇跡、病に陥った人間全てが望む、この世の御手。

 他者の中をライラは巡る。巡り、廻り、再び瞳を開いたとき、少年の傷は姿を消していた。ほぅっと息を吐いた後、少年は興味深げに掌をひっくり返した。


「薬術師か……道理で薬草の匂いが鼻に付く。そうか、今日はあの煩い女の生誕日とか言っていたな。なんだ、あんた、本当に迷ったのか。粗忽だな」


 くっと笑われて、ライラの頬がぷくりと膨れる。


「だから最初からそう言ってるんですけどね」

「あの女の目を盗んで、遊びに来る輩が多いものでな」

「なるほど。私、あやとりが得意です」

「阿呆か。夜伽に決まってるだろう」


 事も無げに言い放たれた言葉に、音をたてて固まった。


「お子様」


 馬鹿にするように鼻で笑われては薬術師の沽券に関る。産婆を務めたことだってあるのだ! 無駄にきりりと表情を引き締め開いた鞄の中には、ぎっしりと数百種類の薬草と色取り取りの小瓶が入っている。翳した手の中で一つ踊り、宙に浮く。それを幾つも浮かべて手を合わす。淡い光が結集した光の束を小瓶に移した。


「今夜は止めて下さい。熱がありますし、薬出しときますから安静に……」


 動揺を悟られないよう一気にまくし立て、はっと気づきぴたりと言葉を止めた。巨大な鳥篭は中に鳥ではない少年を閉じ込める。不必要に長い白髪は観賞用。観賞用でありながら鞭打つ身勝手。


「馬鹿か。奴隷の意思でどうこう出来るようなら、人間は奴隷など持たないだろう。人間が気が向いた時に、鞭打つなり夜伽なり見世物なりで活用する。その為の奴隷だろう。奴隷同士戦わせ、殺し合わせ、歓声を上げて金を賭ける。女妖人に子を産ませて売る。その金で賭ける」


 裂けた頬が治っても、発熱が収まっても、ここにいる限り本当の休息は訪れない。鍵はきっとある。彼が言うように不貞の輩が多いのなら、比較的誰でも手に入れることの出来る場所にあるのだろう。だが、駄目だ。魂石がない。彼の自由には魂石が必要だ。彼の身にあった、恐らく、剥ぎ取られた、妖人の命。


 ライラは、薬術師であろうがあくまで他国人だ。そんな立場で、王族が「所有」している妖人を自由にする権限など無い。本来ならこうやって言葉を交わす事も許されないだろう。


「私は、奴隷、嫌いです」


 青年は冷たい瞳で嘲笑した。


「だったら触れずに消えればいい」

「違う」


 きょとんとした青年の手を捕まえる。白く細い綺麗な手。この手が苦渋を舐めるばかりなど許されない。この手でなくても、他者が彼を害すことなど許されてはならない。許されないのに助ける手立てを、ライラは持ち合わせない。


「奴隷って言葉が嫌い。制度が嫌い。奴隷を作る人間が嫌い。他者を踏み躙り、傷つけ、害し、それをおかしいと思わないこと、全部が嫌い。手で、言葉で、視線で、他者を叩くことを、虐げることを平然と行っておきながら、それが暴力だと、自分は暴力的な行動をしているのだと気付かない風潮が、それが許されていると思いこめる制度全てが大っ嫌い」


 感情の高ぶりが涙腺を刺激する。しかし、ライラは泣かない。泣いていいのは自分じゃない。傷つけられたのも、傷ついたのも、全部、ライラじゃない。


「もう、行け。いくら薬術師といえど、長居すると面倒だろう」


 静かな声だ。静かで綺麗な生き物だ。蔑ろにされていい筈がない。それは生きとし生ける全てにいえることだ。

 ライラはぐっと唇を噛みしめる。自分は部外者で、何の権限も無い小娘だ。一時の情けで、野良猫に餌をやるような残酷さしか持ち合わせていない。一生面倒見る術も無いのに、咄嗟に命を永らえさせる術しか持ち合わせていない。


「私は、貴方をここから出す術がありません」

「そんなものあんたに求めていない」


 美しい金紫。この瞳が自由に色を放てる場所は、とても素晴らしい景色だろう。



「貴方は命です。何とも区別のない、尊い、尊厳ある命です。薬術師は命を区別しない。命に差なんてないのだから」


 白い手に瓶を押し付けて立ち上がる。悔しくて泣いてしまいそうだ。何も出来ない自分が惨めだ。魂石を取り返すことは不可能だ。キオスとパオイラの間に亀裂を生み、彼も罰を受けるだろう。殺されてしまうかもしれない。虫と同じように踏み潰すを厭わない。そんな人間がいるから、彼らは奴隷なのだ。


「あんたはおかしなことを憤るな。妖人を人と同等に扱う」

「獣であれ人であれ、互いがその気なら心だって通じるのに、別物みたいに扱う方が変なのよ。罪ではなく都合で罰し、権利を奪い、それを罪と思わない奴がおかしいのよ」


 搾取するもの、されるもの。分ける人間がおかしい。そんなもの受け入れなくていいのに、抵抗すれば数で負けて酷い目に合う。そうしてどんどん諦めて当たり前になる。


「あんた、名は」


 大きなトランクを乱暴に閉めて出て行こうとする背に、青年は名を問うた。


「ライラ・ラハラテラ」

「…………ラが多いな」


 うん、知ってる。

 ライラは頷いた。


「ライラ・ラハラテラ。俺に治療代などないぞ」

「いらない。私が辻治療しただけです」

「……辻斬りの類似語か?」


 金紫が月光を弾いてまっすぐライラを見た。


「金はない。あるのはこの身一つだが、あんたには礼になり得ないようだな。お子様」

「……言っときますけど、私、十五ですからね」

「正真正銘のお子様だな」


 再び笑った音は、先ほどより随分と柔らかく、思わず見惚れた。こんな顔も出来るのだ。


「レイルだ」


 きょとんと首を傾げる。


「俺の名をあんたにやろう。俺の持っている唯一だ」


 名は妖人が持つ魂石の次に大切なものだ。妖人は容易く人間に名を教えない。彼ら自身が口にした名を得た人間は、その妖人の守護下にあるとされる。

 それに気づいたライラは仰天した。


「辻治療でお礼なんて貰ったら恐喝じゃない!」

「久しぶりに新しい言葉を知ったな」


 面白そうに一頻り肩を揺らした後、レイルは顔を上げた。穏やかな表情だ。


「もうやった。返品は不可だ。さあ、もう行け、ライラ。あの煩い女の生誕日とあって、訪れる輩はおらずとも騒がしい夜だったが、なかなか愉快だった。締めにケチをつけるな。罰せられる前に早く戻れ。あんたも俺もな」


 はっとなる。罰を受けるのは自分だけでなく、レイルの方が酷い罰を受けるのだ。殺されるのを躊躇われない存在。許されなくても、許せなくても、この国ではそれが常識だ。


 急かされるように明かりが燈った部屋に駆け出して、月明かりだけの部屋を振り向いた。彼は変わらず檻に凭れている。違うのは、片手が軽く上げられていることだ。間違ってなんかない。彼は礼を返してくれた。勝手に押し付けた残酷さを恩としてくれた。


「レイル!  綺麗な名前ね!」

「さっさと行け」


 後は振り向かない。飛び出してひたすら覚えていない道を駆ける。少しでも彼から離れなければならない。重たい鞄を両手で担ぎ上げ、ライラは必死で走った。偉そうな態度と口調の下で、酷く衰弱した身体を持った彼に、これ以上負担をかけてはならない。

 曲がって曲がって、結局会場まで戻ってきてしまった。いつの間にか会場から姿を消した挙句、何かに追われるように会場に飛び込んできたライラに驚いたサキが近寄ってくる。


「ライラさん!?」


 自分を案じる手が肩に触れた瞬間、ライラは泣いた。彼と過ごしたあの時間を一時の気紛れにしてしまわなければならない自分の非力さを憐れんだ。そう、これは卑小な自分への憐れみだ。

 彼は自身への憐みなど望まないから、ライラは自分への憐れみを理由にして、泣いた。






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