3話「少女と『彼』の兄貴分」
鈴が兵団詰所に住むようになってから三日が経った。
兵団詰所は、鈴にとっては食事時の忙しさを除けば、比較的気楽に生活できる環境である。
無論、竜の襲撃は毎日のようにあるため、食事時も常に一定というわけではないのだが。
そのため、自由に動くことはできるのだが、暗黙の了解として基本的には食堂の厨房か、その隣にある職員の控え室にいることが多かった。
今日もそろそろ食事時が近づいてきており、鈴は控え室に戻ってきていた。
「鈴ちゃん、お茶いるう?」
「はーいっ!」
鈴はけっこう社交的な性格をしているので、三日もすれば十分に場に馴染むことができた。
今では職員の大半が気さくに鈴と呼んでくれるようになっている。
ただ、それだけに心配もされている様子だった。
「鈴、あんた、また『あっち』に行ったのかい?」
「あー、えっと、ちょっと眺めたくらいですよ」
「ホントかねえ?」
と、冬子は少し呆れた様子でお茶を含む。
基本的に食事時が近いときは控え室に戻ってきている鈴。
だが、食事が終わり、自由にできる時間は、龍機兵たちが『棲』む寮のほうへとちょろちょろと通い詰めているのだ。
理由は、できれば諒兵に会いたかったからなのだが、これまで一度も会えていない。
避けられているというわけでは無さそうなのだが、こっちの自由時間と向こうの訓練時間が重なっている可能性が高いのと、寮自体には入れないことが理由だった。
何せ、龍機兵は大半が男である。
下手に女を近づかせるわけには行かないと、詰所の最高責任者である丈太郎が止めているのだ。
「確かに、ちょっと怖いけど……」
「男はケダモノだよ。あんた可愛いんだから、もう少し自覚しな」
そういって鈴を嗜める冬子も狼の群れには決して入ってはいけない見事な美人である。
ただ、冬子は鈴のようにちょろちょろしているわけではないが、たまに食事を持って寮のほうへ行くことがある。
「寮まで行ってるわけじゃないからね。たまにアイツに頼まれるのさ。ラボは食堂の近くにあるのに億劫がるんだよ」
「ラボ?」
「蛮場のヤツが詰めてんのさ」
「えっ、何で?」
「ああ。あんた知らなかったのか。アイツはアレでも科学者なんだよ。この詰所は龍機兵の宿舎だけど、竜に対抗する兵器を作るための研究所も兼ねてんのさ」
「へぇーっ!」と、鈴は心底から驚いたような声を出す。
諒兵が兄貴と呼んでいた人物が科学者だとは思わなかったからだ。
雰囲気から、ここの責任者であろうことはわかったが、科学者のようなインテリなイメージは持てなかったのである。
「研究に没頭してるときはラボから出てこないから、内線で呼びつけるんだよ。人をなんだと思ってるんだか」
そういって呆れたような顔を見せる冬子。
本当に迷惑に感じているようだ。
しかし、同僚の女がひそひそと鈴に耳打ちしてくる。
「けっこう悪い気しないっぽいけどね」
「あっ、そうなんですか?」
「並んでると似合うわよ。甲斐性無しを養う苦労性の女って感じだけど」
くすくすと笑うので鈴もつられてしまう。
だが、確かに一度会った丈太郎の風貌と、冬子の容姿は並んでいて絵になるかもしれない。
自分と諒兵もそうなら嬉しいなと鈴はなんとなく思うのだった。
食事の時間もそろそろ終わりが近くなり、厨房がだいぶ落ち着いてきたころ、冬子がお膳に料理を載せていた。
「どうしたんですか?」
「持ってきてくれ、だとさ。まったく……」
噂をすればというところか。
早速、丈太郎から出前の注文が入ったらしい。
歩いてすぐの場所にいるのに、移動するのも惜しいと思うほど没頭しているのだろうか。
これは手を焼かせてくれると鈴は思わず苦笑してしまった。
そこに。
「浅海さーんっ、ゴメンっ、ちょっとこっち手伝ってっ!」
終わりが近いとはいえ、まだ食事をしている者もいるため、対応していた女の一人から声がかかる。
「あっ、私が手伝いますから」
どうせなら向こうを手伝おうと思った鈴はすぐに背を向けるが、逆に冬子に止められた。
「鈴、悪いけどこれ持ってっとくれ。場所は知ってるね?」
「えっ、いいんですか?せっかくの……」
「何吹き込まれたか知らないけど、アタシゃそんなんじゃないからね」
そういって冬子は料理が載せられたお膳を鈴に押し付けてくる。
「執務室と違ってラボはゴチャゴチャしてるから、適当に机の上の物どかして置いてくりゃいいよ」
「えー……」
「足元には気をつけな。転ぶからね」
「片付けられない人?」
「たまに片付けてやってんだけどねえ……」
そういってため息をつく冬子の姿は、なんというか世話女房そのものだった。
なんとなく、言ってはいけない雰囲気を感じ取ってしまい、鈴としては苦笑するしかなかったのだが。
食堂からラボまではせいぜい五分くらいのところにある。
龍機兵たちの寮に行く廊下の途中で曲がる道があるのだ。
そこを曲がっていくらか進むと、丈太郎が詰めているというラボがあった。
「すいませーん、はいりまーすっ!」
返事は返ってこない。
本当に没頭しているらしいと苦笑しながら扉を開ける。
カギはあるらしいのだが、かかっていなかった。
冬子にいわれていたことを思い出し、そーっと扉を開けると、やたらと重い。
どうやら扉の手前まで物で溢れてるらしい。
「こりゃ、ホントひどいわ」
思わず呆れてしまうが、届けないわけにもいかないのでそのまま物と一緒に押し開ける。
中では丈太郎が大きな机の前で、その雰囲気には不似合いな無数のモニターと睨めっこしていた。
壁一面には無数の書類と資料らしき書物が詰め込まれている。
その乱雑さはまさに研究者といったイメージだった。
鈴に気づいた丈太郎は、モニターから目を離さずに声をかけてくる。
「あぁ。話ぁ聞いてらぁ。そこらに置いとけ」
「そういうことは片付けてから言ってくださいよ」
そこらとは言うものの、置けるような場所がない。
なんだかよくわからない基盤やら部品やらで埋め尽くされているのだ。
怖くて歩くのもやっとである。
「このほうが捗んだ。片付けちまうとどこに何があんだかわかんなくなる」
「絶対この方がわからないですって」
そういって鈴は苦笑しつつ、変なものを踏まないように気をつけながら、机の前まで進み、いくらか物を積み重ねてスペースを作った。
「ここに置いときますから」
「あぁ。食い終わったらそのうち持ってく」
「取りに来ますから」
絶対にすぐには持ってこないだろうことが、丈太郎の言葉で理解できた鈴は苦笑しながらそう答えた。
そして来たとき同様に、変なものを踏まないように気をつけながら扉まで戻ろうとすると、声がかけられる。
「そういや、鈴川、おめぇさん寮のほうに来てんのか?」
「えっ?」
「諒兵からおめぇさんがこっちに来てるみてぇだって話ぃ聞ぃてんだが」
てっきり、話を聞いているのだとしたら冬子からだろうと思っただけに、鈴にとっては寝耳に水といっていい話だった。
振り向くと、今までモニターを見ていたジョウタロウが顔をこちらに向けている。
「何で?」
「たまに廊下歩いてっと、見かけるんだとよ。女将にも聞ぃたが間違ぇねぇみてぇだな」
「あ、はい……」
「こっちぁ男所帯だ。あんま無防備に近づくな」
職業柄といってもいいのかどうか微妙なところだが、自分も含めガラの悪い男が多いと丈太郎はいう。
「慣れてくりゃぁ、も少し時間に余裕もできんだろ。ちけぇからってふらふら遊びくんな」
「……なら、教えて欲しいんですけど」
「言えることぁ教えてやらぁ」
仕方無さそうにそう答える丈太郎だったが、少なくとも言質は取ったと鈴ははっきりと詰問する。
「諒兵って、何で敵視されてるんですか?」
「まだガキだかんな。他の連中と違って空気が読めねぇのさ」
またあっさりと見事に返されたと思わず絶句してしまう。
しかし、ここで引き下がっては真実には辿り着けないと鈴はすぐに別の質問を出す。
「それじゃ『赤の竜』って何ですか?」
「赤い色の」という丈太郎の答えを遮って鈴は続ける。
「それが顕現したとき、倒すのはあなたの役目だって、龍機兵の人に隊長って呼ばれてる人がいってたのを聞きました」
「ちぃと面ど」
鈴はさらに遮って続けた。
「あなた以外だと『青竜』だっていうその隊長さんくらいだって諒兵が言ってたの聞きました」
さすがに丈太郎の視線がきつくなるが、ここで怯んではいられないと鈴は続ける。
「私でも青竜くらいは知ってます。伝説くらい聞いたことありますよ。龍機兵にそんな力を持ってる人がいるのも驚いたけど、伝説になるくらいの竜じゃないと止められない『赤の竜』って何ですか?それって諒兵のことですよね?」
そこまで一気に話し続けると、ようやく鈴は息をついた。
ごまかされないためには、一気にすべて話して何を聞きたいのかを明確にするしかないからだ。
下手に会話しようとすると、丈太郎は絶対にごまかしてくるということが、鈴には理解できていた。
「何が聞きてぇ?」
「もう全部言いました」
「言い方を変えるか。どこまで知りてぇ?」
「全部です」
「全部知ったら、おめぇは何も出来なくなんぞ」
「でも、全部知りたいです」
真剣な表情でそう問い詰めると、丈太郎は一つため息をついた。
そして数瞬考えたのち、口を開く。
「詳しく知るにゃぁおめぇはまだ早ぇ。だから簡単に説明しとく」
「はい」
「まずな、確かに諒兵は俺を含めて龍機兵に敵視されてる。だが、そりゃぁ龍機兵全員に言えるこった」
「えっ、あなたも龍機兵なんですか?」
「あぁ、そっからか。俺も龍機兵だ。井波が『青竜』って呼ばれてんが、俺も似たようなもんでな」
「何なんです?」
「俺ぁ『八岐大蛇』って呼ばれてらぁ」
「はぁっ?!」
その名も、日本人にとっては馴染み深いものだろう。
日本神話に出てくる悪役となる竜、正確には大蛇である。
八つの山々に跨るほど巨大な八つの頭と八本の尻尾を持つ大蛇。
それが『八岐大蛇』だ。
まさかそんなモノであるとは思わず、鈴は驚いてしまう。
「正確にゃぁ、俺が竜の力を手に入れて顕現できたのが『八岐大蛇』の力だった。井波も同じだ。元々ぁ人間だが、竜の力を手に入れて鍛えていきゃぁ、伝説に出てくる竜の力を手にできる」
竜の力を伸ばしていけば、それができるという。
もっとも決して楽にできることではなく、失敗すれば身の破滅となると丈太郎は語る。
「身の破滅?」
「俺たち龍機兵ってのぁ、気ぃ抜くと竜の、まあ、本能って言っとくか。それに取り込まれる可能性があんだよ」
竜は人を襲い、喰らう。
それがこの世界に突如として現れた竜の真実だ。
すなわちそれが竜の本能だ。
金属のような身体を動かし、人に襲いかかり喰らい尽くす。
それを本能として持っていると丈太郎は説明する。
「何で……?」
「それしか竜に対抗する方法がなかった。だが、ある程度は抑えられるように作ってる」
「えっ?」
「竜の力を手にできる丸薬。それを作ったのぁ俺だ」
詳しい説明はしない。
そういって丈太郎は、その丸薬を呑めば竜の力を手に入れられるとだけ説明する。
それを呑んだ者たちが竜に対抗するため竜と成って戦う者。
『龍機兵』なのである。
丈太郎が科学者であるということは、冬子に聞いたこととこの部屋を見て理解できていた。
だが、まさか龍機兵になる方法を作ったのが丈太郎だったとは思わず、鈴は唖然としてしまう。
しかし、すぐに尋ねかけた。
「ある程度は抑えられるっていうのは?」
「丸薬を精製する際に改良を加えてんだよ。だが、その本能ぁ完全にゃぁ消せなかった。だから龍機兵ぁ本能に呑まれると竜そのものになっちまう」
そうなれば二度と人間には戻れない。
竜の姿で人を襲い、喰らうようになるだけだという。
冬子の言葉は正しかった。
人間を捨てたということは間違いではなかった。
ここにいる男たちのほとんどは、もはや龍機兵として戦い続けるか、竜となって人を襲うかという二つの道しか残されていないのだ。
その中に、諒兵もいるということだ。
「じゃあ、さっき言ってた諒兵が敵視されてるのと、他の人たちも同じっていうのは……」
「竜になりゃぁ、俺らとしちゃぁ倒すしかねえかんな。誰でも同じだ。仲間に殺される覚悟で竜と戦ってんだ」
諒兵は龍機兵の中では最年少といっていい。
通常なら二十歳以降という制限があるからだ。
ただ、諒兵はある事件で偶然にも竜になる力を手に入れてしまった。
「それって……?」
「そいつぁ諒兵に聞け。俺が話すことじゃねぇ」
まあ、別に特別重苦しい理由ではないと丈太郎は語る。
竜が人を襲う今の時代であれば、どこにでもあることだ。
ただ、問題は諒兵の年齢だった。
「まだ十六だ。他の連中より取り込まれる可能性がたけぇんだよ」
確かに筋は通っていると鈴は考える。
しっかりした大人ではなく、まだ未熟な子どもといえる年齢だ。
精神的にも脆い面があってもおかしくない。
ならば、竜の本能に取り込まれる可能性は高いだろう。
だが。
あのときの会話は、諒兵の若さを心配したような内容ではなかった。
まったく別の特別な何かを恐れているような会話だったと鈴には思える。
きっとそれが。
「じゃあ、『赤の竜』って何なんですか?」
「ちぃとばかし厄介な竜のこった。鈴川、おめぇ諒兵の竜の姿ぁ見たことあんだよな?」
「はい。血みたいに真っ赤な竜……」
何故か、それに見入ってしまったことを思いだす。
まるで、心の何かを持っていかれたような、そんな感覚に陥ったのだ。
ゆえに、鈴はあの姿の諒兵も決して嫌いではなかった。
怖いと感じることもなかった。
竜は人を襲う敵。
にもかかわらず、諒兵が化身していた血のように真っ赤な竜に対しては、恐怖を感じなかったのだ。
そんなことを考えて少しぽーっとしていると、丈太郎が呆れた表情で声をかけてくる。
「もういいのか?」
「あっ、いいえっ!」
「おめぇが気にしてる『赤の竜』だがな、伝説の中に厄介なのがいるんだよ。もしかしたらそれかしんねぇ。だから気にされてるだけだ」
「それだけ?」
「あぁ。だが竜だかんな。気ぃつけるにこしたことぁねぇだろ?」
確かに、丈太郎の言うとおりなので、気をつけるべきだろう。
ただ、本当にそれだけなのかと思う。
思うのだが、これ以上は問い詰められそうにない。
そう考えた鈴は、先ほどの話で新たに興味を持ったことを聞いてみた。
「丸薬について?」
「それって、私でも呑めば龍機兵になっちゃうんですか?」
「呑むな」
「えっ?」
「絶対に呑むな。人間でいられることぁ幸せなこった。てめぇから人間を捨てたりすんじゃねぇぞ」
そういった丈太郎の表情は、怒っているというレベルではなく、鈴はただ「はい……」と、答えることしか出来なかった。