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眼帯少年が恐怖をキャンバスに写すようです。

作者: 安藤ナツ



001



 人生を狂わせた。なんて言葉を聴いたことがある。


 何だか重々しい言葉であり、この世で一番犯してはならない間違いその物を示しているように思える。


 狂ってしまった人生はもう修正ができなくて、ただただその道は破滅へと続いていて、残りの一生を全て無為に費やさなくてはならないだろう。


 だから人は皆、真面目に生きることを尊重する。法律を順守し、約束を守り、他人と強調し、長い物に巻かれることによって、なるべく皆と同じ道を歩き、少しでも自分狂っていることに気が付きやすいようにと必死になっている。


 社会と言う枠組みは、そう言う物だと俺は少なくとも考えている。


 一緒に学校を卒業し、皆で背広を着て、狂わないように…………狂っていると思われないように生きていく。


 しかし俺にはわからないのだが、そもそも正しい人生とは、真っ当な人生とは何を示しているのだろうか? 


 本気で俺にはわからないから誰かに教えて欲しい。


 何を持って人生の正しさを決め、何を信じて既存の社会を頼り、何をどうして道徳だとか宗教だとか習慣だとかを守っているのだろうか?


 小学生くらいの生意気なガキが訊ねるような、『どうして人を殺しちゃあ駄目なの?』なんて言う質問に、俺は未だに自分を納得させる答えを持っていない。むしろ『誰がそんなことを言ったんだ? その人を紹介してくれ』と言いたくなる。そいつはどうして無知なガキにそんな戯言を真実だと思い込ませたんだ。


 わからない。


 一体他の人間は何を持って正しいだとか狂っているだとか善だとか悪だとかを決めているのだろうか。


 俺には本当にそれがわからなかった。


 誰が世界の正気を保証してくれていて、俺以外の誰が俺の狂気を否定してくれるのだろうか?


 結局、俺には世界の半分しか理解することができないのだけれども。



 002



 右の頬に痛みが走った。重鈍な衝撃が、じわじわと顔に広がって行く。


 何事かとその場で左足に力を込めてバランスを取り、右側を振り向く。が、産まれつき右目の見えない俺が、首を少し曲げた所では痛みの正体を左の視界に納めるに至らない。直後、同じように顔の右側に衝撃を覚え、今度こそ俺の身体はアスファルトの上に倒れた。


 しかし今ので分かった。革の眼帯越しに感じた痛みの発生源は人の拳だ。


 時刻は夜の十時を少し回った所。期末テストも終わり、描きかけだった絵を今夜中に描き上げてしまおうと、コンビニに夜食を買いに行った帰り。近道をしようと裏路地に入った所で、俺は何者かに襲われたようだ。


 困った。思い当たる節が多過ぎる。


 立ち上がろうとする間にも、何度も何度も執拗に、襲撃者が俺の背中を蹴飛ばし、思うように立ち上がれない。攻撃の間隔からするに、どうやら相手は二人組のようだ。


 あまりこう言うことに慣れていないのか、手加減を良く分かっていないらしく滅茶苦茶痛い。


 こいつら、殺す気なんじゃあないの? と思わず脳内で愚痴を漏らしたくなる。


 それでも何とか隙を見つけ出すと、身体を捻って仰向けになりながら当てずっぽうに腕を伸ばす。左の手は虚しく宙を突いて、それと同時に脇腹を遠慮のない蹴りが穿つ。頼んでもないのに口からは空気が毀れる。


 が、右手は運が良いことに襲撃者のズボンの裾を掴むことに成功した。


「だぁ!」とかなんとかそんな事を言って、掴んだ裾を力任せに左右に振る。


 俺を蹴ることに集中していた襲撃者は、思ったよりも簡単に倒すことに成功した。情けない声を上げ、路地に倒れた男に、痛む身体に無理をさせ、俺は襲撃者に馬乗りする。


 そのまま相手の髪を掴むと、力任せに何度もアスファルトに後頭部を叩き落とすようにぶつけた。背中からは悲鳴のような声と一緒に拳やら蹴りやらが飛んで来たが、俺は下になっている男以外はいない者として、何度も何度もラッコのように男の頭を割ることに集中した。


「やべ、やべめ」二十回目に差し掛かるか否かの所で、男が弱々しい力で己の髪を掴む手を握った。「わるかっ、やべてくりぇ」


 何を言っているかわからん。が、恐らくは降伏宣言だろう。


 さっきまで俺を攻撃していた背中の男も、俺の正面にいつの間にか回ると泣きながら「やめてくれ! 悪かったから」と懇願している。この顔は確か、一年の頃に俺の財布を狙って来た奴等か。懐かしい顔だ。


「まだやるか?」


 当時のことを思い出しながら、意識して笑顔を作る。大層不満だが、俺は笑っている顔が一番怖いらしい。眼帯で隠れた顔と相まって、双子の弟や幼馴染からすらも、笑うなと厳命を受けたことがあるくらいだ。小学生の頃の話だったろうか。


 笑顔は効果抜群の威力を発揮した。馬乗りされている男も、正面の男も、暗闇でもわかるくらい顔を青くしている。


「とっとと消えろ」


 痛む背中を気遣いながら腰を上げ、て男の鳩尾を蹴飛ばす。


 捨て台詞も吐かずに男達は走り去っていった。背中を見送りながら、俺は殴られた拍子に手放してしまったコンビニ袋を拾い上げ、中身を確認する。スポーツ飲料のペットボトルも、夜食代わりの菓子パンとスナック菓子も全て無事だ。


 無事なのは良いけど、わざわざコンビニで割高の物を買ったのだから、割り増し分だけでも俺の身代わりになってくれてもいいんじゃあないだろうか?



 003



 なるべく音を立てないように玄関を開けたつもりだったが、「また喧嘩か。良い身分だな」弟の幸人は律儀に階段を下りて来るとそんな言葉で俺を出迎えてくれた。スニーカーを脱ぎ、溜め息を一つ吐く。


 双子の弟はあらゆる意味で傷のない俺だ。


 つまりは歪んでいない俺であり、人生を狂わせていない俺である。


 成績優秀、頭脳明晰、運動神経抜群、冷静沈着、容姿端麗。そんな過剰な表現が過剰にならないスーパーマン。俺が通う県立高校とはレベルの違う国内有数の進学校へと通い、卒業後はあの『神知教』の特別教育を受ける権利まで貰っているらしい。


「お前の兄だからな。良い身分さ」


 同じ遺伝子を持った双子だと言うのに、片やエリート、片や社会不適合者と何処で差が付いたのか。まったく、大した弟を持ってしまったものだ。


「あんたが自由にするのは良いが、俺の名前や天海の名をあまり出すなよ。父さん母さん……それに凛に迷惑がかかる」


 別に俺だって、好きで殴られたり殴ったりしているわけではない。自分の意見を通すのに、これが一番手っ取り早いのだ。親に言うよりも、教師に頼るよりも、国に縋るよりも、自分だけのたった一つの拳の方が、簡単に相手に言うことを利かせることができる。


 ただ、あまり派手にやると手が痺れて絵が描けなくなってしまうことだけが難点だけど。


「気を付けるよ」


 誰かの足跡の形が大量に付いたコートを少しおかしく思いながらハンガーにかけ、幸人に向かって笑う。すると弟はいつもの顔をして二階へと走って階段を上った。俺の笑みを見ると、あいつは苦虫を潰したような顔になり、俺を心の底から軽蔑しているのが滲み出ている。


 昔は仲が良かったが、小学校に入ったあたりから俺と幸人の関係はゆっくりと壊れて行った。それは幸人が優秀だったと言うことも大きな原因だが、突き詰めれば、俺が人の気持ちと言うか、場の空気を読めなかったことが根本にあると思う。


 どうしても俺は皆が守っているルールを守ることができないのだ。いや、納得ができないと言った方が正確か? 


 例えば、百円玉一枚と十円玉十枚。この二つの価値は一緒と言うことに世の中ではなっている。が、幼少時の俺はそれがどうしても理解できなかった。重さでも面積でも体積でも明らかに後者の方が多い。後になって知ったが、原価もそれほど変わらないらしい。それなのにどうしてたった一枚の百円玉と十枚の十円玉の価値がつり合うのか? それが気持ち悪くて、そしてそれを当たり前のように受け止めている周りの人間が不気味でしかたがなかった。


 今もよくわかっていないのだが、流石にその辺りは妥協を覚え、俺は何とかコンビニで買い物くらいはできる。余談だが、描いた絵をネットオークションで取引もしている。


 そんな俺が授業についていけるわけなどなく、足し算、化学反応、歴史上の偉人の動き、漢字の成り立ち、道徳や国語の授業の他人の気持ちなど、様々な所で躓いた。その度に俺は先生に疎まれ、幸人に迷惑をかけ、凛に教えてもらい、両親を泣かせた。


 何故、俺は社会を理解できないのだろうか?


 その答えは単純で、顔の半分を覆う眼帯の下にある傷のせいだ。産まれた時から、俺の右顔面には獣に襲われたような鋭い傷が幾つもあり、目玉は鳥に啄ばまれたのかグズグズのボロボロだった。その傷は表面上の物だけでなく、俺の脳に数か所の爪痕を残している。


 だから人と倫理感が違うだとか、理解のプロセスが違うだとか、色々と神知教の医者に言われた。


 医者の楽しそうな顔と、母親の悲痛な顔は今も覚えている。


 要するに俺は最初から狂っているらしい。


 だから疎まれ、同情され、嘲笑われながら、俺は自分なりに真っ当に生きて来た。勿論、そのことにも納得なんていっていないけど。特に、幸人のあの表情には死ぬほどに。


 嫌な物を見てしまったとぐちりが冷蔵庫にジュースをコンビニの袋ごとぶち込み、俺は家を出る前に沸かしておいて風呂に入ることに決めた。体中が痛い。今日は絵どころではなさそうだ。さっさと寝よう。



 004



「やっほー。また喧嘩したんだって? 駄目だよ。暴力は何も生まないよー」


 翌日。午前九時。死ぬほど寒い自宅の庭のベンチ。目覚まし代わりにスケッチブックに鉛筆を走らせている俺に、凛が慣れ慣れしく話しかけて来た。三軒隣の家に住む三浦凛は、小さな頃からの付き合いのある幼馴染であり、同じ高校に通う同級生でもある。


 彼女の隣には幸人が難しい表情で立っていて、これから二人で何処かに出かけるようだ。


「今の日本が平和なのは、戦争があってこそだろ?」


 なるべく目線が合わないように、一層スケッチブックに集中する。描いているのはこの庭の枯れた風景。風景画は個人的に言えば描くのが簡単で、暇潰しには丁度良い。もう少し日が高く昇ったら、途中になっている作品を塗り上げようとは思っている。


「またそんなこと言って。怪我したら困るのは勇人でしょ? 絵が描けなくなっちゃうよ」


「いっそのこと描けなくなればいいんだよ。そうすれば少しは大人しくなる」


「あーもう! そんなこと言っちゃって。駄目だよ、兄弟仲良くしなきゃ」


 二人はそんなことを俺の目の前で五分ほど話すと、区切りがついたらしく「じゃあ、行って来るね。勇人の服もちゃんと買って来るから」笑いながらそんなことを言って庭から出て行った。どうでもいいが、双子で体格が一緒だと言うことで、俺の服は大抵凛が幸人と一緒に買いに行って見繕って来てくれる。


 もっとも、俺が彼女の選んだ服を着ることはない。大抵はそのまま袖を通すことなく箪笥の肥やしとなる。俺は自分で買った安いジャージが普段着だった。


 更に三十分ほど時間をかけてスケッチブックに庭を描き込み終えると、ベンチを立つ。その時、ベンチに水筒が一つ転がっていることに気が付いた。ピンク色の可愛らしい模様が入った物で、デザインから凛の者だと一目でわかる。きっと、最近ハマっているらしい、紅茶でも入っているのだろう。


 その気遣いが俺には無性に腹立たしく思えて、見なかったことにして自室に戻る。途中、キッチンによって昨日買ったペットボトルとお菓子を回収する。何故かどちらも封が空いていて、誰かに食べられた形跡がある。幸人が喰うはずもないし、両親は二人揃って出張中。じゃあ、凛か。


 代金を請求してやろうかと考えながら、筆を洗う為のバケツも用意して二階へと上がる。どこぞの医薬品会社の研究室で働いている、両親の金周りは良い。この家は無駄に広く、俺達兄弟には寝室と私室が一つずつ与えられている。俺は殆どの物を寝室に無理やり押し込め、私室をアトリエにしている。と言っても、換気が抜群と言うわけでもないので、臭いには困りものだが。


 そのアトリエに入ると、まず高校の入学祝に買ってもらったパソコンを起動する。最初はいらないと思ったが、試しにネットオークションに流した絵が高値で売れたので、それ以降は俺の資金集めには必要不可欠な相棒となった。どう言うわけか、それなりの需要が俺の絵にはある。


 それ故か日に何度も中傷のメールが来たり、学校からは停学を喰らったりしたこともある。


 とにもかくにも複数のメールボックスを確認したあと、『ぴーさん』と言う名前の常連さんと少しだけチャットをした後に絵に取りかかる。今年の春を過ぎた頃から、このぴーさんは少し雰囲気が変わった。なんと言うか、文が明るくなった気がするし、俺の絵の中身に異様に興味を示し始めているのだ。


『夢の中の怪物』


 俺が描く物の名前が、それだ。多分、同じ名前の絵を俺は数百を超える枚数描いている。


 軟体動物の触手と、南米にでも住んでいそうな派手な鳥をすり潰して混ぜ合わせたようなグロテスクな怪物。タイトルの通り、こいつは俺の夢の中に現れては右目の辺りを執拗に撫でまわし、引き裂き、食い千切って行く。その痛みは今でも絶叫を上げるほどリアルであり、実際に夢に見ると、眼帯の下にある生まれついての傷口から、血がねっとりと流れ落ちて来る。


 俺にとっての恐怖の具現。それが夢の中の怪物だ。


 それを克服するために俺は絵を描き続けていると言っても過言ではない。自分の中で最高だと思える一枚さえ描ければ、俺は自分の狂った人生を修正できるんじゃあないかとさえ、思っている。


「さて、描きますかね」


 自分が描いた怪物は、瞼の無い瞳で俺のことをじっと見ている。それを見るだけで、存在しない右の瞳奥が熱くなって、きりきりと頭痛がしてくる。しかしこの感覚ではまだ弱い。まだまだ、本物の恐怖には程遠い。俺の人生を狂わせたのはこんな程度の物ではない。


 黒い絵の具を取り出して、紙製のパレットに捻り出す。そしてキャンバスの化け物の周囲の闇を描く為に筆を握る。誰もが俺のように狂えば、俺は初めてまともになれる。そんな思いを込めて、俺は着色に取りかかった。


 誰もいない静かな家で、俺はひたすらに自分自身の狂気と戦いを始める。



 005



「おーい。勇人、入るよ」


 ノックもせずに、凛が部屋に入って来た。さっき買い物に行ったばかりだと言うのに、せわしない奴だ。


 俺は返事もせずに作業を続ける。今日は調子が良い。思い通りの色が出せる、線が引ける。絵の素晴らしさとは、どれだけ自分の想像を現実に表すことができるかで決まる、と俺は結論している。その点でいえば、今日の絵はかなり良いできだと思う。


「うわ。またなんか凄い絵だね。小学生に見せたら絶対にトラウマになりそう」


 しかし俺の目的には程遠い。夢で見る怪物の恐ろしさには全く敵わない。深淵に覗きこまれるようなあの視線を、生命を冒涜する幾何学的な模様がある触手を、キャンパスに描き切るにはまだまだ時間が必要そうだ。


 いや、この絵が俺の想像通りに完成したとしても、きっとまだ何かが足りない気がしてならない。技術でも画材でもなく、根本的に間違っていると言っても良いかもしれない。恐怖を描き切ると言うのは、きっとそう言う物なんだと思う。


「もっとさー、可愛い絵を描こうとか思わないの? 私とかどう? 脱いじゃうよ?」


「買い物に行ったんじゃあないのか?」


 ああ、うるさい。面倒だが、適当に会話をしてこいつを追い出さなくては。ここで筆を止めるのは少し残念だが、凛にこれ以上騒がれても同じくらい残念なことになるだろう。この絵に他人は必要ない。少なくとも作成する過程においては。


「買い物って、とっくの昔に終わったよ。もう八時だよ? 夕飯も食べてないみたいだし、心配だから見に来たんじゃん」


 言われて壁かけの時計を見ると、凛の言った通りにもうすぐ八時に差し掛かろうとしていた。熱中し過ぎて時間を忘れるなんて良くあることだから別に気にする必要もないが。


「そうか。ありがとな」


 足元に転がっているペットボトルを手に取り、喉を潤す。気が付かない間に結構飲んだようで、もう一口分しか残っていなかった。その様子を妙に熱心に凛が見つめて来る。飲みたかったのだろうか? 不思議に思いながら、俺はトイレに行くために立ち上がる。


「あのさ、紅茶美味しかった?」


 すれ違いざまに、凛がそんなことを訪ねてくる。


「ん? 今呑んだのはスポーツドリンクだぞ」

「そ、そっか。ベンチに置いておいたんだけど、気が付かなかった?」


 あのベンチに置いてあった水筒の中身はやっぱり紅茶だったらしい。


 しかし何故、そんなことをするのだろうか?


 俺だって馬鹿じゃあない。身体が冷え切る前に家に入るし、充電式の懐炉も懐に入れていた。あの紅茶を寄越す行為が『優しさ』と呼ばれる物だとしたら、俺には何故それが善行と見なされるのか理解ができない。


 俺の能力を勝手に決め付け、見くびって見下しているようにしか思えない。


 それでもこんな時になんて言えば良いか俺は一応学んできた。「悪いな」


「ううん。しっかり渡さなかった私も悪かったし」


 互いに自分が悪いと言いあうなんて気持ち悪くて意味がわからない。凛と話していると、幸人とは別の理由で苛々しなくてはならない。


「でね、ご飯どうする? 幸人は下でもう食べてるけど」


「後で勝手に食う。良い所なんだ」


「じゃあさ、一緒に食べよ? ね? 今日のカレーは超成功作なんだ」


 俺の答えに、凛はそんな風に言って引かない。


「偶にはさ、良いでしょ?」


 冗談。幸人と凛の二人と面を合せて食うくらいなら、夕飯時のファミレスに一人で行って食う方がマシだ。


「ね? 昔みたいにさ!」


「昔は毎日のようにお前の家で食べていたな」


 しつこく飯に誘う凛の表情を見ていると、曖昧な記憶が頭の中に浮かんでくる。


 両親が忙しい俺達兄弟は、何かと三浦家のお世話になっていた。なんでも大学時代の同級生で、既に亡くなっていた凛の父親と俺達の父親は気持ちが悪いくらい仲が良かったらしい。まあその関係で、凛母は色々良くしてくれ、俺の両親が忙しい時は面倒も見てくれた。


 俺はそんな彼女の見せる笑みが嫌いだった。俺は物覚えも悪く、人の言うことも聴かない糞餓鬼だったが、彼女はそれをいつも辛抱強く耐えて許してくれた。凛母だけではない、俺の両親も良く辛そうに笑っていた。思い通りにならない俺を見て、笑っていた。


 今の凛の表情もそれとよく似た笑いだ。泣きそうな、困っているような、そんな笑みだ。


 俺の笑みがどんなものか知らないが、これより酷い笑い方だとでも言うのだろうか?


「遠慮するよ。俺はカレーが嫌いなんだ」


 しかしそんなことを言っても凛には通用しないだろう。善意から、慈愛から現れる笑みが気色悪いだなんて流石の俺でも言うことはできない。


「……嘘。勇人カレー大好きだったじゃん」


「俺がどうしてカレーが嫌いになったかをその後で教えてやるから、トイレに行かせてくれないか?」


「いっつもそうやって適当なこと喋ってるよね。何も本当のことを言わないのが格好良いって思ってるの?」


 なんだ? 今日は妙に喰いついて来るな。目尻には今にも零れ落ちそうな涙が溜まっている。


「ねえ、本当のこと教えてよ」


 本当のこと? 要領を得ない質問に俺は尿意と戦いながら首を捻る。俺の片目だけの歪んだ視界に本物なんてあるんだろうか?


 わからない。


「俺はトイレに行って絵の続きを描きたい。それが俺の本音だ」

「勇人はさ、私のこと嫌い?」


 言葉と同時、凛の瞳から涙が零れ落ちる。


 一体、この質問に何の意味があるのだろうか? 俺には理解できなかったが取りあえず言われた通り正直に答えておく。


「お前も勇人も両親にも感謝はしてるが、嫌いだよ。俺の世界には、誰もいない」


 好きとか嫌いだとかが何かは知らないが、『なるべく顔も見たくない』だとか『一生口を利きたくない』とかそんな感じのことを相手に対して常に感じているのなら、嫌いの範疇なのだろう。俺は大抵の人間に対してそう思っている。


 あなた方のお蔭で俺は今日も元気です。でも、それがあなた達を好きになる理由にはならないでしょう? 


 俺の答えに満足したのか、凛は何も言わずに部屋を出て行く。俺もその背中に続いて部屋を出て二階のトイレに駆け込む。用を足し、手を洗い、続きを何とか今日中に描き上げようと気合を入れる。


「よし。やるか」


 トイレのドアを開けると、目を血走らせた俺と同じ顔をした男が立っていた。誰がこんな所に鏡を置いたんだろうか? なんて思うはずもない。眼帯を付けていない綺麗な顔立ちは、双子の弟の幸人だ。


「……目線で人を殺す練習か?」


 どうやら怒っているようだが、怒っている人間は怒っていることを指摘すると一層怒るので、俺は心にもないことを口にする。幸人の眼は一層鋭くなった。


「凛が泣いてた」


 声と拳を震わせる幸人に、俺は正直に答えた方が得策だと、心の中で溜め息を吐く。喧嘩ばかりしている俺だが、別に漫画のように強いわけではない。むしろ、目が片方見えない分、健常者より弱い。当然だ。


「ああ。知ってるよ。昔からあいつは泣き虫だ。それにヒステリックな所もあるな」


 俺が喧嘩で勝つには、手加減も躊躇いもせずに相手に恐怖を植え付け、『勝てない』と思わせるしかない。倫理観とやらが壊れている俺は、手加減の意味も今一わかっていないから、俺に一番合った交渉の仕方だろう。


 しかしその方法は幸人には通用しない。こいつには勝てないと、俺が一番よく理解しているからだ。


 勉強でも、運動でも、人徳でも、俺は弟と比べられ、『頑張ろう』だとか『もう少し』だとか言われ続けてきた俺にとって、幸人は敵でも目標でもなく忌避すべき存在に近い。


「それがどうしたんだ? 俺は絵の続きを描きたいんだ。どいてくれ」


 返事は拳だった。


 理不尽で突然なその一撃を、俺は避けることも受けることもできず、眼帯の上から顔を殴られる。バランスを崩し、そのまま後ろに倒れ、便器の貯水タンクに背中をぶつける。なんだ? 昨日から眼帯を殴るのが流行りなのか?


「喧嘩は駄目じゃあなかったのか?」


 昨日そんな注意を受けた気がするのだが、記憶違いだっただろうか?


「お前、凛に何を言ったんだ」


 質問ではなく、俺が悪いと断定する強い口調。


「カレーが嫌いって言ったんだよ」


 正確に言えば、彼女が泣いたのは『私のこと嫌い?』と訊ねた時だったか?


 幸人は俺の答えに納得がいかないのか、俺と同じ顔とは思えない程に凶悪な目つきで睨みつけて来る。


「お前は、凛の気持ちを考えたことがあるのか?」


 何かを含んだように、幸人がまた俺に質問をする。授業の内容などを俺が幸人に質問することはなかったから、中々新鮮な感覚だな。幸人に訊ねられると言うのは。


「勿論あるさ。俺はいつも他人の気持ちを考えているよ。俺以上に他人の心を読もうと、考えを知ろうとしている人間は他にいないくらいにな。だけどよ、もっと考えてみろよ? それは俺が考えた他人の気持ちじゃあないか。それを現実の相手もそう考えていると思い込むなんて、その人の人権を侵害していると思わないか? 誰かのことを考えると言うことは、誰かのことを無視していると言うことだと感じないか」


 だから俺は思った通りに答えた。他人の気持ちを考えれば考える程、俺達は間違った方向に進んでいるんじゃあないかと不安になるのだ。俺は彼等の存在を無視していて、信じられない位に傲慢な人間ではないのだろうかと。


「屁理屈戯言を並べるな。お前はそうやっていつも答えない」


 今更だろう? 俺の言葉がお前らに届かないのは。


「凛がお前のことを好きだった。これは知ってたか?」


「知ってたさ。告白されたこともあるし、あいつはこんな俺にも甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる」


 俺には理解できないが、それが『好き』だとか『愛』だとか呼ばれる物らしい。


「だから俺はあいつが嫌いなんだ。今、それを教えてやったよ」


 嘘偽りなく、俺は真実を答える。


 一切の間を置かず、問答無用で幸人の拳が飛んで来た。幸人は一体、何を思って俺を殴っているんだろうか? 俺はそれを再び顔面で受け止めることしかできない。


「ゆううううううううとおおおお!」


 勇人の左の拳が俺の顔面を削るように殴る、殴る、殴る。殴られた部分が痛く、熱い。


 眼帯の下の傷跡が切れ、血が滲んだ。


 革の眼帯を殴る幸人の手からも、出血が見えた。


 俺に対する怒りだけを撒き散らしている弟には、そんな痛みは関係ないようだ。


「お前は! お前は!」


 しかし幸人を突き動かしていた怒りも無限の物ではなかった。次第に拳の雨は往復をするスピードを落とす。代わりに俺の名前を呼ぶ回数が増えた。


「何様なんだよ! 凛が可哀そうだとか思わねーのか?」


「何だ? 凛が可哀そうなら俺を殴ってもいいのか? 凛の気持ちと俺の気持ちだったら、凛の気持ちの方が大切なのか? 好きと言う感情にはそれが許されるのか? 教えてくれよ、優等生」


 本当に苛つく男だ。俺と同じ顔で、俺が知らないことを全て知っている。


「お前のことをあんな風に想ってくれる奴なんて他にいねーぞ? 応えてやれよ」


 叫ぶような幸人の言葉。


 そうか。それが正解なのか。


 凛の告白を俺は受理しておくのが普通なのか。


 俺には、何故それが正解なのかが理解できない。自分の主張を曲げて、自分の気を害してまで、凛に合わせないといけないのだろうか? 嫌いな人間を前に笑えだなんて俺には難し過ぎる話だ。


「わかった。考えておくよ。凛にも酷いことを言ったと謝る。お前にも迷惑をかけた。俺が悪かった」


 しかし俺はそれでも笑って見せる。切れた唇から流れている血を舐めとり、普通の人間を真似して謝る。きっと、こうしておけば、少しはまともな人間に見えるはずだ。


「――――っ!」


 幸人は、最初以上に恐ろしい顔をした。本当に、俺を眼だけで殺すつもりなのだろうか。まあ、幸人に殺されるのであれば、それは仕方がないか。


 ゆっくりと立ち上がると、入り口に立ちふさがる幸人の肩を軽く押してようやくトイレから出る。


 ああ、最低の気分だ。また一つ、俺は自分に嘘を吐いて、世界に跪いて、他人の顔色を窺っているのだ。


 こんなことを、他の人間はどうやって自分の中で帳尻を合わせて明日笑うのだろうか?


「今日はもう顔を合わせない方がいいだろ? お休み」


 出来うることなら、二度と見たくない。鏡の中の自分にコンプレックスを感じる程、惨めなことがこの世に在るだろうか? 何も写さない右目が、明確に俺が一番見たくない物を見せているような気がして、俺は眼帯の上から目を掻く。傷口が開く痛みと、血の滑りが気持ち悪いだけで、気分が晴れそうな気配はない。


「あいつの作ったカレーがあるぞ」


 そんな絶望の中を彷徨う俺の背中に、幸人がそんなセリフを投げかけて来た。


「お前が食えよ。好きなんだろう? 凛の作ったカレー」

 幸人の発言の真意がわからずに、俺は振り向かずに思ったままの言葉を口にする。


 そこで俺達の会話は終わってしまった。いや、最初から俺達は会話なんてしていなかったような気もするな。台本かルールブックに書かれた通りに幸人が喋り、俺が嫌々それに従っただけと言うか、ただただ俺がボコボコにされただけと言うか。兎に角一方的な物であったことに間違いはない。


 俺が間違っているのだから、これも仕方がないのだろうか?



006



 目の下の出血と血塗れの眼帯の処理を終えて、ようやく部屋に戻ってこられた。と言っても、時計を見れば、凛との会話からはまだ三十分も経っていない。殴られたのは俺が悪いとしても、既に絵を描く気分ではなくなっていたのが残念だ。


 頭の中は今、怪物よりも、凛や幸人の理解できない感情の押し付けの方が多く支配している。それは俺の右目を延々と弄繰り回すあの化物よりも理解ができず、夢の中より有耶無耶で気持ちが悪い。


 今日中に仕上げる予定だったが、こんな気持ちで筆を取っても、あの恐怖を描くことは不可能だろう。


 何故、俺が凛の好意に答えなければならないのだろうか? 俺は何を凛に与えればいいのだろうか? そんな事ばかり考えてしまうが、どれだけ時間をかけてもまったく理解できる気がしないので、紙製のパレットと一緒に丸めてゴミ箱に投げ捨てる。ついでに、絵筆をゴミ箱の中に全て突っ込む。どうせ明日に塗り上げるのだから細かい片付けは明日に回そう。


 幸人に合わないように気を払いながら、洗面台で手を念入りに洗う。


 十分時間をかけて全てを完璧に洗い終え、一階まで降りて来たついでに風呂に入り、歯を磨く。磨いた後に、夕食を食べていないことに気が付いた。と言うより、今日一日何も食べていない。今更言っても仕方がないか……今日の分は明日の朝にまとめて食べてフォローしよう。


 そんな風に絵のことを一時的に頭から切り離し、タオルで頭を拭いながら、換気の為に開けた窓を閉めようと私室に戻る。夜の空気にすっかりと支配されてしまった部屋の中では、絶対に暖まらない部屋で奮闘する電気ストーブと、スクリーンセーバーのかかったノートパソコンがそれぞれ稼働音を静かに鳴らしている。


 あまり音を立てないように窓とカーテンを閉めた後、ストーブの電源を足で押して止め、最後にパソコンの電源を落とそうとマウスを動かす。スクリーンセーバーが外れ、真っ白な壁紙が現れる。色々悩んだ末、壁紙は真っ白だ。自分の絵を設定するほどうぬぼれていないし、壁紙一つでセンスがどうとかうるさい奴もいるので、これに落ち着いた。


 電源を落とそうとすると、タスクバーに設定してあるチャットアプリが黄色く点滅を繰り返しているのが目についた。招待制のチャットで、絵を買ってくれた人だけが参加できるようになっている。元々は俺が絵の感想を訊く為の物だったが、俺の絵を買う人間はやはり少しおかしい人間が多いらしく、妙に話が合うので作業の合間の息抜きなどに良く利用している。 


 それが点滅していると言うことは誰か人がいるのだろう。寝る前に一言くらい話してもいいかもしれない。左クリックしてアプリを画面いっぱいに広げる。参加人数は二人で、朝にも見た『ぴーさん』と『むーん』が何やら活発に会話をしていた。


 ぴーさんは初期から俺の絵を買ってくれている馴染みの人であり、このチャットを提案してくれた人でもある。既に十枚以上買ってくれているはずだ。対するむーんは最近になってオクに参加してくれている。入札する時は絶対に現在の倍の金額を提示すると言う恐ろしい金銭感覚の持ち主で、過去に四枚の絵を手にしている。その全てに、俺は自分の血を一筆乗せていると言うのがかなり不気味だ。まさか、狙っているのだろうか?


≪お、陸さん来ましたね≫

≪先生! 次回作はいつですか≫


 俺がチャットに入るや否や、二人が俺に挨拶する。ちなみに俺のハンドルネームは天海陸。空に海と来たら陸しかないだろうと言う、単純な発想だ。


≪こんばんは。何か盛り上がっているみたいですね。絵はもうすぐ仕上げられそうです≫


 もっとも、ストックが後五枚は有るから、その中の一枚を出すことになるだろうけど。


≪お、楽しみにしてますよ≫


≪今、陸さんが描いているあの生物は何なのかっていう話をしてたんですよ≫


 電子音と共に、二人のレスが表示される。五秒と待たずに現れた文章を読んだ後、俺はキーボードを見ながらえっちらほっちらタイプする。


≪それは俺もわかりません≫


 恰好を付けるわけでもなく、正直に答える。題名通りの夢の中の怪物としか俺には言いようがないのだ。そもそも、俺はあの化け物が何なのかなんて考えたこともない。ただ、俺を狂わせた原因で、恐怖や理不尽の象徴なだけだ。


≪先生にそう言われたら、俺達の考えも無意味かもしれないけど、一度俺達の会話のログを見てもらえませんか?≫


≪僕達なりにあれがどう言う物なのか調べてみたんですよ。絵の足しになれば一興、ならなければ下らない妄想として片付けて下さい≫


 二人の会話ログは大量に在り、寝ようとして俺にとってはいささか厳しい文字数だった。が、ぴーさんの言う通りに、何かの参考になれば儲け物だろう。それに二人とも俺の絵を買ってくれている。それはつまり俺の絵に共感を覚えていると言うことじゃあないだろうか? 自分と同じように狂っている人間であれば、その意見は参考になるかもしれない。


 取り敢えず流し読みしてみるとするか。


≪鳥の頭。取り分け目と言うのは信仰の対象になることが多いんですよ≫≪そう言うのは知らないけど、俺はこの絵に恐怖を感じるね≫≪そう、人間が恐怖を抱いた最初の物。それは闇夜に光る獣の目だとは思いませんか? 自分達を襲う、恐ろしい獣の目≫≪なるほどね。それなら確かに人が及ばない上空から地上を見下す猛禽の瞳は恐怖だし脅威だし信仰すべき奇跡だね≫≪と言うか、鳥類の伝承がない神話や文化なんて寡聞にして知りませんから≫


≪タコの身体と言われると思いだすのは『あの』神話だね。ぴーさん≫≪ですね。それにああいう軟体動物や蛇みたいな動物は大抵嫌われている傾向が強いです。これは単純に昔の人がそれらを理解できなかったからでしょう≫≪俺もまだ蛇がどうやって前進してるのかわからないなー≫≪それはさて置き、生命の根源である海に住み、うろこを持たず、しぶとい生命力を持つタコは、英語名の通りの存在だったんだろうね≫


≪つまるところ、あの絵は俺の最初の感想通り『恐怖』の具象化と考えても?≫≪同時に、それに対する憧れや信仰が有るかもしれないし、拒絶すべき忌々しい存在とも思っているかも≫≪絵にするくらいだから、先生はあれに憧れているんじゃあない? 怖い物をわざわざ描こうとは思わないでしょ≫≪どうだろうね。もしかしたら陸さんが本当に描きたいのは案外暗闇の方かもしれないよ≫


≪って言うと?≫


≪どうにも、僕にはあれが先生の視点で描かれている物に見えるんだよね≫


≪それは俺も感じてた。こっちを襲おうとしている絵とか、そんな感じだ≫


≪だから、陸さんは深淵の中にいて、それを誤魔化す為にあの怪物を見てるんじゃない?≫


≪暗闇の中でどうやって化け物をみるのさ≫


≪それは、夢だから?≫


 とか、そんな感じだ。


 なるほど面白いとは思うが、どこまでも彼等の考えは彼等の考えであり、正解には程遠い。


 しかしそれは、二人の未熟ではない。俺がまだ夢を完全に再現できていないだけだ。一目見て瞳が潰れ、肌が裂ける恐怖を、俺の絵は持っていない。なんとなく、それっぽい解説で恐怖を理解されても、俺は全然嬉しくない。


≪ざっと目を通しただけですけど、面白いと思いますよ。あれが恐怖であるのは間違いありません≫


 当たり障りのないことを言って、俺は別れの挨拶を打ち込む。


 と、その途中。二人は凄まじい速さで文章を返して来る。まだ時間は九時だ。寝るには早過ぎ、何かをするには時間が足りない。それは大人でも同じなのだろう。


≪そうですか。楽しんで貰えたなら幸いです≫


≪恐怖か。先生はもしかしてこいつに何かやられたんですか?≫


 こうやって退出を言うタイミングがどんどん遅れて行き、最後には徹夜をしたしまうことが何度かあった。今度からはボイスチャットにでもしようか。いや、でもそうすると歳がばれてしまうかもしれないな。流石に何万も払って買った絵が高校生の物だと知ったら、もしかしたら面倒が起きるかもしれない。


≪そうですね、俺の目玉を片方食べちゃったんですよ≫


 ボイスチャットのことは又の機会に考えておくとして、俺は今度こそこの台詞を最後に去ることを決意してレスする。これは幼い俺が何度も化け物の夢を見た時に両親に訴えた言葉でもある。顔面血まみれで、光を見ることのない目玉を押さえながら叫ぶ俺は、一体どう言う風に映ったのだろうか?


 嫌なことを思い出したと、俺は舌打ちをして≪今日は少し早いですが寝ます≫とキーボードを叩く。そして返事も見ないまま俺はアプリを落とす。


≪へぇ。じゃあ、この化け物は先生が両目で見た最後の物なんですね≫


 しかしチャットが消える瞬間、俺の瞳は消えて行くチャットの画面に、たったそれだけの文字の列を見てしまった。


 そして数秒と待たずに、俺はあの絵が一生完成しないことに気が付いた。


 右目の奥で、俺の脳髄を貪るあの『恐怖』が、にやりと笑う。


 邪悪に、悍ましく、生きているように、笑う。


 偽物が、笑う。



 俺は、俺は――



最後まで読んでくれた皆さんに感謝です。


忍耐に経験値がプラスされたと思います。

長い人生でその経験が役立てば幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] バッドエンドという触れ込みだったので少し覚悟しましたが、なるほど納得のオチでした。 「うたうたいのばらっど」での天海サンの態度の謎も補完されました。 [一言] 天海サンはお世辞にも好感が持…
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