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五話

連休中、少しスピードアップします。

 王子の周りの空気が、凍り付くようだ。

 それでも食って掛かろうとするメトセラを、ずっと後ろで控えていた女性が抑えた。耳うちをして、なんとか宥めようとしている。説得は一定の効果はあったようだが、メトセラはレディにあるまじき舌打ちをして、忌々しそうに女性の手を振り払った。


「お父様は確かに高血圧がひどくて、苦しんでるわ。でも、最先端の治療を受けていらっしゃるし、いちごなんてどうぞ、お気遣い無く。それより、市長として出席しているのは私なんだから、私に合わせていちごを選んでほしいわ」


 うわあ、とアキヒはドン引きした。

 メトセラの後ろで女性も真っ青になっている。

 王子も確かに意地悪をしたのだろうけれど。公の外交の場で、友好国から前任の市長、しかも父親への気遣いを無碍にし、特産のいちごの効能もどことなく否定し、さらにはいちごセレクションのやり直しを要求。初等科の子供でも、よその家に遊びに行ってこんな態度は取らないだろう。

 マルハナバチの言っていたカメラとモニタ経由で、世界中の要人にこの事態が見られているのではないかとドキドキしたが、一応、相手ごとに秘すべき内容のある場面。イベント用のパフォーマンス時以外は、カメラを切っているのだろう。……もっとも、メトセラが、気にしているかはわからないが。

 唇を尖らせている本人以外に、緊迫した空気が流れたが、ふと王子が、背後の机から一粒、新たに摘まみ上げ、差し出した。


「これこそ若く健康な人には、不要だと思うけれどね。まあ、せっかく参加したんだ、ひとつどうぞ」

「エイジアなの? ——ひとつだけ?」

「では、もうひとつだけ。これで、今日の収穫分は終わりだよ」


 嘘である。

 だが、ひとつ要求が通ると、臆面も無く要求を上乗せする彼女に、まだふた籠分はある、と言ってはいけないことは、誰しもわかるだろう。

 メトセラはもう周りは目に入っていないように、うっとりとエイジアを眺め、香り高い紅い宝石にキスをしたあと、上機嫌でアーチ門へ向かった。

 退出も何も、自由だ。まるでここが、彼女のサロンでもあるかのようだ。

 外交トークはないらしい。

 王子は去り行くメトセラに呆れた視線を投げながら、アキヒを体の前に抱え込み、ドレスのお腹の前で手を組んで、顎で髪をかき分けて、頭に乗せてきた。

 そして、あれれ、と自分の状態を把握するのに時間がかかったアキヒが文句を言うより先に、ぼそり、と小さくつぶやいた。


「二人か、少なすぎて、気になるな」


 独り言は、効果覿面。理性が戦う準備すらする前に、アキヒの本能がムクムクと立ち上がる。


「さん……」

「ん?」

「さん、てんさん、だよね?」

「……それはもしかして、客の数?」

「客、かどうかはしらないけど、捕り物の数。どうして一つ減るの?」


 理由が気になって気になって仕方ない。うっかり間違っているだけなら、正したくて仕方ない。

 その一念に支配されて口を出したら、にまりと笑った頭上の気配に気付いて、即座に後悔した。

 だが後悔とは、先に立たないものである。

 アキヒの顔を横から覗き込む、甘いかんばせのミルク王子の眼差しと声が、もはや笑っていない。


「いちご姫、特別な視界を持ってるんだね。捕り物なんてこの高さからは見えなかったよ。彼らは優秀だ。僕はとても信頼してる。

 でも君は、まるで目の前で見たかのように自信を持ってるね。いや、実際見たんだね、どうやってか。水くさく隠したりしなければ、僕だってこんなセクハラみたいなことして聞き出さないのに」


 囁きはぞわぞわと耳と首筋をくすぐる。アキヒは口をパクパクさせた。

 ようやく捻り出せたのは掠れ切った声だ。


「せ、セクハラだったらもっと隠れてやってよ。こんなとこだと丸見えじゃない……いや、隠れてても困るけど!」


 何を言ってるんだ私、と自分で突っ込む。


「可愛いなあ。恥ずかしい? 大丈夫、王子と姫が仲良くしてても演出だと思われるよ、きっと」

「そんな馬鹿なー!」


 ジタバタともがくと、今度はくるりとひっくり返されて正面から抱え込まれた。

 チーズ臭がぷんぷんする、とはいえ、実際は少し甘い柑橘系の香りがして、背中もお腹も、がっちりした温かいものに固定されて、頭の中は大混乱だ。


(明日の週刊誌が怖い、いや、今日はマスコミシャットアウトだし、いやいや、こういう情報はどこから漏れるかわからない。ここしばらく平穏だった学生生活が……。いやいやいや、そんなばかなことがあるものか。こちとらセクハラの被害者なのに。ああ、でもだれもそんなこと信じないんだろうな。王子信奉者ばっかりで……いやまてまて、従兄弟さんは?)


 救いの神と、シオンとその配下の存在を思い出し、まさにすぐそばに彼らがいて、このどうすればいいのかわからない状態を見ていることに思い至った。


「お、王子、やめてよ。ミルヒ!」


 ギャラリーを意識して、顔を髪ほどに赤くしてもがいたのに、何故か大きな手が背中で不埒な動きをしたので、悲鳴が出た。

 おかげで、声がまともに出るようになった。


「し、シオンさーん! いるでしょー、ちょっとこの人はがして下さい! そのへんの警護の三人さんの誰かでもいいですからー!」


 王子が息を飲む音が、胸から直に伝わった。

 と思えば、その後は振り回されて投げ出されたか引きずられたか、わけがわからないうちに衝撃が走って、揺れる視界が定まった時には、王子は地に倒れ伏し、その身体の下からいちごのように赤い液体がみるみる広がっていた。


「……え?」


 王子の傍の床やプランターには赤い斑点が散らばり、鉄臭い温かな空気がむわっと押し寄せて、アキヒを打ちのめす。


「おっと、まだ生きてる。誰も動くなよ」


 王子に代わるように立っていたのは、ぱっと見は会場スタッフ。だが、お仕着せのキャップの下には目出し帽をかぶり、王子に向かって差し伸べた手には、小さいが明らかに殺傷力のある銀色の銃を持っている。

 体格からして男、はアキヒに向かって鼻で嘲笑った。


「なんだ、大人しいな、いちご姫。もっと取り乱してさ、きゃーとか叫んで騒ぎをでかくしてもらわないと、逃げらんねーよ。せっかくチャンスを作ってくれたけど、助太刀が中途半端だなあ。

 いやー、まさか手勢がすでに全員捕まってたとは。視界の効かない嫌な条件だし、タイミングを見てたつもりが、追い込まれかけてたとはなー。本来俺は実行担当じゃないんだけどね。しょうがない。

 んじゃ、逃げる算段させてもらうよ。ホイ、ホイ」


 音は何もしなかった、と思う。

 なのに、男を挟んだ向こう側で様子を伺っていた作業服のふたりが、続けて崩れ落ちた。

 ちっと真上から降ってきた舌打ちの音に、アキヒはアーチ門近くで自分を抱きとめて膝をついているのがシオンであることに、やっと気がついた。

 脳内で、したくもないのに状況が再現されていく。


 頂上付近で気配を殺して潜んでいた刺客ひとりと警護ふたりは、互いに気づかないまま状況を見ていた。

 そこでアキヒが潜む人間の数を叫んだから、状況を悟った刺客はとっさに王子へ攻撃し、警護は出遅れた。王子はアキヒを頂上付近へ忍んで上がってきていたシオンに向けて突き飛ばし、王子を優先するはずのシオンもアキヒを引き寄せてかばって伏せた。

 刺客の銃弾は王子の身体を貫いて、あの殺しても死なないはずの王子を地にねじ伏せた。


 おおまかな流れが飲み込めてくるにつれ、アキヒの血の気は引いていった。

 いろいろと、仔細はわからない。きっと、自分の与り知らない所で動く思惑があった。けれど、アキヒは冷静に悟ってしまった。

 事態が急変した引き金は、アキヒの考えなしの発言だ。

 王子たちは、アキヒに刺客が存在することを知らせていた。状況が緊張すべきものであることはわかっていた。わかっていたからこそ気がつかないふりをしていたくらいだったのに。

 たかだか、王子の冗談セクハラにあったくらいで、まさに警戒態勢にある警護の人間に声をかけるなんて、絶対避けるべきことだ。マルハナバチを馬鹿にしていた自分が愚かすぎて情けない。アキヒがしでかしたことは、彼と比べるどころではなく、最悪だ。

 どうしてそこまで我を失ってしまったのか、今のアキヒにはわからなかった。いつもと違う王子が、怖かった?

 ただ、この場合、責めはアキヒにある。それは明らかだ。

 アキヒが、王子を死なせてしまう。



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