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四話

 ほぼ外界と断絶されているこの空間には、人工の風しか吹かない。そして今日は、軽やかに吹き渡る風がたまに作られるだけの設定のはずだ。

 激しく動いた葉の影で、通用路に大荷物を担ぎこむ様子がふたつ。一瞬の出来事だった。

 アキヒはなにも気づかないふりをしながら、何をどうやったらこうも芸術的な捕り物に出来るのか不思議に思い、すぐさまその疑問を危険な好奇心に分類して揉み消した。

 本来の客たちが、この捕り物に気がついた様子はない。一部、そわそわと周囲を伺っているが、次の外交相手を物色しているのかもしれず、判断はつけられない。

 近くの三人はただじっと息を潜めている。王子まで辿り着いた「客」がなくて、様子を見ているのかもしれない。

 アキヒは王子に寄り添って(正確には寄り添わされて)、いちごの国の平穏を知らしめるように頂上で立っていた。




 この空中庭園の天井はやたらと高い。かつて、イベントで、ボックスが二十もついた観覧車が組み立てられていたのを見た。

 何か間違っているとやはり思うのだが、いちごの国の中心、姫と王子の座すこのとんがり山もかなり高くて、肉眼では下界の客たちの顔かたちや細かな表情はあまり見分けられない。さらに、多くの客は帽子をかぶり、どれが誰かの判別も難しい。見知った人間を、服装や動作を参考に推測するしかない。


(あ、従兄弟さん。あ、マルハナバチも)


 客と鉢合わせないように頻繁に裏の道を通って迂回しながらも、足を止めずにきびきびと歩くのはシオンだろう。そして、何故かそのシオンに追いすがるもこもこの背中。

 マルハナバチは、とても動揺して焦っているようだ。

 会場設営に相当入れあげていたようだから、先の会場の異変に気づいたのかもしれない。そして、誰かから今日の警護責任者について教えられ、混乱したまま直談判に行こうとしている、というところだろうか。


(いや、直談判しちゃだめでしょー)


 学生バイトとは立場も責任も違う。まさに今職務中の警護責任者に、むやみに話しかけていいものか、考えればわかるはず。

 だけど、マルハナバチはわからないかも。とアキヒは思った。なにしろ、論理が通用しないのだから。

 そもそも彼は、自分を含めた彼の研究室の学生たちが今日何のためにここにいるのか、わかっているのだろうか。

 もやもや考えるうちに、マルハナバチがシオンに追いついた。というよりも、シオンが気づいて歩みを緩めたようだ。

 わたわたと、手振りを交えて話し出すマルハナバチ。シオンは周囲を警戒しながら耳を貸し……十秒後に、大きな手を金茶色の頭に置いたと思ったら、あっという間に通用路に投げ込んでいた。そのまま、マルハナバチは新たな大荷物として誰かに運ばれて行く。

 マルハナバチが何者なのかを把握し、面倒だからと排除しても問題なし、と見た、のだろう。


(所要、十秒か……)


 思わず組んだ手を顔の前にかざして冥福を祈ってしまう。

 それを、王子が見咎めた。


「どうしたの、アキヒ」

「え、なにが?」

「それ。お祈りしちゃって。大丈夫だよ、シオンだからね」

「はあ」


 確かに、的確な判断と速やかな実行の力があるのは、今まさに目撃した。

 彼の予想した反応ではなかったからか、王子は肩をすくめた。


「なんだ、怖がってる様子も無いし、シオンの無事を祈ってた訳でもなさそうだね。シオンの方をずっと見ていたと思ったけど?」

「うん、まあ。怖がるには実感が無いから。……シオンさん、目立つよね。背が高いし」

「そうだね。でもあいつは、目立ちたくないときは存在を感じさせないよ?」


 愉快そうに笑い出した王子がそんなことを言う。

 つられて下界をもう一度見れば、やはりシオンが風のように歩いていた。今が、存在を感じさせていないとき、なのだろうか?

 背中を追っていると、視界のはずれでざっと風が乱れた気がした。

 確認すれば、また、誰かが通用路に大荷物を運びこんでいるところだった。


(あー、もしかして。今は気配を撒き散らして歩いて、特別なお客様を追い立ててるってわけ?)


 あやうく声に出しそうになって、アキヒはぴたりと息も止めた。

 口は災いの元。首を突っ込むと命が危ない領域というものある。王子と関わるようになって、慎重に自分を制して深い関わりを避けることを覚えた。だが今日は、なんだかかつてなく自制が必要な場面が多くはないか? それは自分が安全パイだと思われているから? でも、それ以前に安全を保障してもらいたい一都民なんですけど!

 叫びたい気持ちにも、必死で蓋をする。ここまで頑張って来たのに、わざわざこの緊迫した状況で、ぼろを出したくはない。

 なんだか、隣からチーズ臭もするし!

 と、笑いをおさめた王子が「yes?」と呟いた。

 見上げれば、アキヒを見下ろして甘ったるい笑みを浮かべ自分の耳を示してみせる。インカムから通信が入ったらしい。


「終了? 成果は? にぃてんさん、、、なんだよ、その0.3は」


 マルハナバチです。とアキヒはひとりで注釈した。


「ん、じゃあ残りの客を入れていくんだ。了解」


 サクッと終わった会話に、だがアキヒはムズムズした。

 なぜならば、数に齟齬がある気がしたからだ。いちごの葉陰の捕り物で、獲物の数は三。マルハナバチは別として。二ではない。

 数字が多くなっている分にはどこか見えないところで増えただけと気にしないでいられるのに、減っているとはどういうことか。マルハナバチすら数に(三割扱いだが)入っているのに、おかしくはないだろうか。

 アキヒは、空気を読み、危険を察して、過剰な好奇心を抑えたり、本音を言わないように誤魔化したりはできる(つもり)だ。

 だが、だが!

 明らかに誤っていることを見過ごすことだけは、出来ないのだ。それこそ、きつい靴の中で指の間が痒くなったのに少しも動かせない時、あるいは夢の中でテストに遅刻しそうで走っているのにまるで足が動かない時のような、堪え難い気持ちになる。本来の動きを制限された動物が本能をむき出しに凶暴化するように、アキヒはイラっと顔をしかめた。

 まずい、と理性が言っている。

 しかしこの類いの戦いで、理性が勝てた試しはない。

 アキヒは悶々として、バイト用のにこやかな笑顔も抜け落ちてしまった。


「あれ、どうしたの? お腹でも痛い?」


 気にされても、べつに、とそっけなく答えるだけしか出来ない。というか、今刺激しないでほしい。


「お客がくるよ、いちご姫。別枠の客も意外と少なくて片付いたし」


 刺激しないで、というのに!


「ヒールだと、階段って辛いのよ、ミルヒ。ちょっと配慮が足りないのではない?」


 そのときアーチ門から響いた咎める女性の声に、王子は落ち着き払っていた。がっちりとアキヒの腰を抱き寄せたまま、新たな客に相対した。

 外交の重要な場であるこのイベントに参加する客は、海千山千の政治家ばかり。多くはそれなりの年齢か、食えない癖のある人間だ。だからアキヒは単純に、目の癒しだとほっこりして、一瞬、合わない数字のストレスを忘れ去った。

 ゆるく編み上げられたしっとりとした栗色の髪、白い顔は可憐に整い、肉感的な唇が赤く色づいている。ぴたりと身体に沿うロングワンピースは黒にも見える深紅のビロードで、華奢な身体を深く印象づけた。まさに、薔薇のお姫様だ。


「ようこそ、ローゼリア市長どの」


 王子の呼びかけを聞いて、ああ、と得心した。

 古き良き都市、ローゼリアの若き女性市長、レディ・メトセラ。空の都市、赤の都との親交も深い都ゆえ、ミルヒとシオンの従兄弟たちとは幼い頃からの付き合いがあると、これもニュースだか噂だかで聞いたことがある。

 それにしては、他人行儀な呼びかけだけれど。

 それはメトセラも感じたらしい、なぜかちらりとアキヒを見た後、唇に指を添えて首を傾げた。


「ずいぶん他人行儀な呼び方ね。いちご姫がいては、素ではいられないってこと?」

「市長、と呼んでほしいと就任式で言われたけれど? 呼び方がどうであれあなたに対する態度は変わらないと思うけどね」

「だってあの時は、なんだか私が市長に就任したこと、認めていないみたいだったから。ごめんなさいね、あなたより先にトップに立って」

「相変わらずだね。はい、どうぞ」


 最初こそ、かわいいお姫様に賛辞の気持ちばかりだったが、会話を聞いていて、だんだん寒気がしてきた。くっついた隣から、冷気が吹き出ている。チーズ臭すら吹き飛ばす勢いだ。

 王子の機嫌が、ここまで悪いのを見たのは、初めてだ。

 だが、目の前のレディは、どこ吹く風。こんなに空気を読まないで、外交なんてできるのだろうかと、他人事ながら心配になってくる。いやいや、これが戦略なのかも、と思い直そうにも、会話に透けて見える思考回路もあからさまで。

 王子との仲がとてもいい訳でもないが、アキヒとくっついてるのも面白くなくて名前呼びをねだったり、王子が未だ大統領補佐官の身の上であるのに対して、先に父親の地位を襲ったので、妬んでいるのだろうと当てこすったり。

 幼馴染み同士であれば、許されるのだろうか。自分としてあるがままにいることが。……外交の場に立っているにも関わらず? それができるからこそお姫様か、と納得しかけたが、彼女はお姫様ではなく市長だ。形ばかりとはいえ、市民に選挙で政治を託された、責任ある立場だ。

 きっと、そこらへんが、王子のブリザードの理由だろう。

 くわばらくわばら。

 だが、距離を取ろうとすると王子の腕が固くて外れない。まだ、警戒が続いているのかも、と思い出した。

 一方のメトセラは、王子の片手から、嬉々として籠を受け取った。


「まあ、大粒ね。で、どれが話題のエイジアなの?」


 さっきまでの不満くすぶる顔から一転、きらきらと輝くような笑顔で問うてくる。愛らしい表情だが、目だけは飢えた狼のように鋭くいちごたちを睨め付けた。

 あ、この人、エイジア狙いで私の首を刈る人だ、とアキヒは悟った。

 王子は澄まして、いちごを説明していく。


「沙羅理がふたつ。コレステロール値を下げる。あとはすべて、ナギだ。血圧を下げる」


 数拍、メトセラはじっといちごを見つめていた。

 そしてやがて、別人かと思うほどに顔を歪めて、低い声を出した。


「エイジアは、ここに無いってこと? 収穫量が少ないの?」

「そこそこはあるよ」

「私、健康なの。こんな老人のためのいちごなんかいらないから、エイジアを出してよ」

「そうだね、君にはいらないね」



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