三話
「あああー、ここにもエイジアって書いてある。恐ろしい!」
とか小声でぼやきながらも、手は機械的にいちごを摘みとっていく。
五年のキャリアは伊達ではない。
てきぱきてきぱきと、いちごを満たした籠を増やしていく。
いちごはデリケートだ。遠距離輸出には不向き。たくさん積み重ねるのも衝撃も厳禁。だから籠のなか、いちごは緩衝材の上にひとつずつ丁寧に並べてある。籠の前には自立式のラベル。決して間違えないように、摘果前と後で二重の確認をする。
全品種を摘み終わらないと王子の仕事が始まらないので、まずはひと籠ずつ作ってしまう。まだ実の残っている品種だけ、二籠目に入れていくのだ。
籠をひととおり並べ終えると、ようやく王子が作業を始めた。鼻歌でも歌い出しそうに機嫌がいいのがわかる。
美しいレース模様の入ったガラスの器に、ひょいひょいといちごをいれては、相手の名前を書いたカードを添えている。一方にエイジアを三つも入れたかとおもうと、次にはたったひとつだったり。もらう方はさぞ振り回されるのだろうと、アキヒはやや同情した。
客たちはと意識を切り替えれば、本当にいちご狩りを楽しんだり、他の参加者と歓談したり、そっと他を探っていたりと忙しそうだ。その間を縫って、決められた順番通り、ガイドがアーチ門へと案内を始めた。
あまり仲のよろしくない客たちが決して鉢合わさないように。身分差が大きい客たちが無駄に同席することのないように。いろいろと気を使うらしい。ちなみに、そのあたりの差配は、さすがに学生ではなく都の外交担当者がスケジュール管理している。
アーチ門は山の中腹から頂上近くまでトンネルのように続いて、蔦が絡む間からお宝いちごの実る様子を垣間見ることができる。
上に着くと、王子とわずかな歓談ののちにいちごを手渡されるわけだが、王子の背後には分配が終わった籠が並ぶのが見えるはずだ。客はおそらく、見てないふりでほかの籠の盛り加減をチェックし、自分の籠と比較して、自都市の位置付けを知るのだろう。
なんて悪趣味な、とアキヒは思う。
何様だ、空の都!
都の学生として庇護を受け、バイト代の恩恵に預かってさえいるアキヒがそう思うのだ。当然、不快に思う客もいる。
不快を突き抜けて、怒り心頭の客がいる可能性もあって、その怒りの矛先が向きやすいのは、当然、虫も殺さないような顔をした、王子だ。
だいたいにおいて、怒りに染まっていると、王子の笑みも幻惑の効果をなくし、元のチーズ臭のする胡散臭いものに見えるもの、らしい。王子を知るほどに、その怒りすら計算で植え付けているのではないかと勘繰ってしまうけれど。
にこにこ、おどおど、そわそわ、そしてぎらぎらとした客たちの顔を横顔で見送る。王子と言うのも、因果なものだ。アキヒはあくまでオプションなので、会話にも加わらず、遠巻きにいちごを摘んでいる。いわば風景なので、気楽なものだが。
頭のミツバチを追ってから、 ふと、 アキヒはあたりを見回した。
「おやー? 今年は、いないの? 特別警護」
客の切れ間に尋ねてみると、やけに面白そうな顔をして王子が振り返った。
「タイミング良いね。今日の警護責任者が次に来るよ」
手に持つ籠には、山盛りのいちご。その独特のピンク加減は、IKOIだ。ストレス軽減効果、あり。次に来るという警護責任者に渡すつもりだろうか。
それが心からの思いやりなのか、それとも嫌味なのか、推し量るのも面倒で、アキヒはアーチの方を見やった。
誰かが登ってくる。ものすごい速さだ。二段ずつくらい飛ばしているかもしれない。
ということは、若い人だ。警護責任者としては珍しい、と思いかけて、思考を切り返す。
アーチ門を登るのは、原則客だけだ。表の道だし、狭いし、ほか運営側のいろいろな事情から。警護責任者だって、裏方である限りここを登るはずはない。
アーチ門を登る資格があって、かつ警護に与る人とは。
「あ、従兄弟さん?」
思考を辿って答えを見つけるのと、答えそのものが目の前に立つのとはほぼ同時だった。
短く揃えたダークブラウンの髪と、日に焼けた肌。首から下は、紺を基調とした軍礼服で包まれている。背は高い。王子より高い。そして、厚みもある。ただ、姿勢がよく腰辺りが締まっているので、すらりとして見える。
大湖を挟んだお隣、赤の都の、シオン・ウィリディス。赤の都の総代一家の末っ子は、家業を手伝わず家を飛び出し、赤都軍の下っ端として入隊してめきめきと頭角を現し、今は新たな特産として軍による警備事業を売り出している、と聞いたことがあった。
空の都市のミルク王子、もといミルヒ・ウィトゲンシュタインと母同士を姉妹とする従兄弟であることは有名だ。年齢は王子の一つ下、のはず。ニュースや週刊誌で顔は知っていたが、対面するのは初めてだ。
彼に何故か見据えられて、アキヒはどうも、とハサミを片手に、ぎこちなく挨拶をした。
精悍な顔つきは王子に似ていない。だが、その眼の色は薄ら靄のかかった森のような色で、少しだけ似通っている。
(王子がミルクなら、この人は珈琲もしくは濃い緑茶ってとこ?)
彼はアキヒに会釈を返すと、従兄弟からいちごの籠を受け取った。IKOIだよ、と注釈を受けても聞き流し、豪快にその場で口に放り込んで行く。厳めしく、図体のでかい立派な男が、次から次へといちごを消費していくのは、異様な光景だった。
似合わない。
もしかすると、それを承知した上での素早い「処理」だったのかもしれない。空になった籠をすぐさま王子に返すと、せいせいした、とばかりに右肩を回していた。IKOIの効果が現れるのは、何分後だろうか。
次の客が下で待機している様子はなく、どうやら赤の都の接待時間は長めらしい。警護打ち合わせと王子の休憩を兼ねているのかもしれない。
ピアスのような形をした襟元のインカムを通じて短くやりとりをした後、彼は王子を睨みつけるようにして振り返った。彫りが深いので、寄せた眉の影が眼に落ちて、迫力がある。なのに、そのど迫力の男に向かって、王子はアキヒを押し出した。
「お互い顔くらいは知ってるよね。アキヒ、従兄弟のシオン。シオン、いちご姫だ」
「……アキヒ・アラニアです」
自分に対してさして興味もないだろうが、あまりな紹介をされたので、仕方なく挨拶をしたら、「名前はかねがね」と返されて固まった。固まっているうちに「しかし、近くで見ても見事ないちご色だな」と評され、横で王子が「そう。どこもかも甘そうだよね」とセクハラまがいの発言をして、話題が流れ、彼がどこでアキヒの名前を聞いたのか確認するタイミングを逸してしまった。
聞かない方がいいかもと、忘れることにする。
「今年は会場と僕の警護はシオンのところに一任してる。だから、去年までと違って、見える形では張り付いていないんだ。警護方針の違いと、あと、ちょっと事情があってね。つまり、手薄だなと思えば襲わずにはいられない気分になるだろう、とね」
王子の笑顔はいつも通り胡散臭い。
そんな裏情報、誰も聞いていない。アキヒはこれも聞かなかったことにしたかった。
「単なる警備なら問題が無いものを。性根が悪いから余計なことを思いつく」
「そういう要望に応えてこそ、だろ? いい宣伝になるじゃないか」
「ずっと言っているが、最優先はお前の身の安全だ。犯人の確保および背景の洗い出しは可能な場合に限る。……殺さないというのは、はなはだ面倒だ」
こちらもやはりアキヒの心情などお構いなしだ。
せっかくのいちごの国でする会話では無いだろう。
「面倒面倒と言いながら、ちゃんと遂行してくれるシオンは本当に頼りになるよ」
白々しく王子が言うのに、シオンは目を眇めた。
「他都市の公式イベントでの警護など、本来は畑違いだ。俺が取り仕切るのだって、段取りがどれほど面倒だったことか。それもすべてお前に振り回されてるとなると、面白くない」
「まあまあ、おかげで顔も見えたし」
そこでちらりと投げられた視線は、とんでもない厄介ごとの匂いがしたので、一切気がつかないふりをした。
寄り添って立つだけで、さして美醜に興味がなくても見惚れてしまう姿の良いふたりの意味深な会話に、浮かれた妄想をちらりともしないわけではない。ないが、そんな甘っちょろい幻想を圧倒する面倒ごとに巻き込まれて、疲弊していく予感しかしない。
アキヒは再びいちごの籠詰め作業に集中した。
王子たちの会話はまだ続いていたようだが、あえて耳には入れない。
自衛手段なのだから、多少の無礼は多めにみてもらうつもりだ。
ふと、手元に影がさした。見上げると、珈琲な彼がいつの間にかすぐそばにいた。
「すまないが、そこのエイジアをひとつくれないか」
思いがけず柔らかなトーンで話しかけられて、アキヒは不覚にもどきりとした。
王子をうかがえば、にやにやと頷いている。
渡してもいいということだ。
アキヒはすぐ隣にあったエイジアの株から、真っ赤な一粒を選んで、そっと摘み取った。
「ありがとう」
差し出された手は、体格に比例して標準より大きい。上向きにされた手のひらに、いちごを載せる。
大粒のはずのいちごが、まるでさくらんぼサイズに見えた。
さっきと同じように、シオンはその真っ赤なお宝を、そこらのスナック菓子のようにヘタと茎ごと口に放り込み、処理してしまった。
「いちご姫に手ずからいただけるとは、ありがたい」
飾らない言動ばかりかと思えば、ふとそんな冗談を言われて、アキヒはまたしてもどきりとして、今度は不本意ながら顔が赤らむのを抑えられなかった。
硬直していると、目を合わせた珈琲の君がくすりと笑った。
眉の開いた柔らかい表情は、当初の印象よりも王子に似ている。
そこへ、当の王子が茶々をいれた。
「あーあ、アキヒがいちごみたい。僕が同じこと言っても流すよね、きっと。……ほら、シオンは仕事行って。そろそろお客さんが動くんじゃない?」
最後のセリフが意味ありげで、思わず客たちをうかがったが、変わりはなく、皆、いちごと外交を楽しんでいるようだ。
内心首を傾げていると、俺が離れたら警戒しろ、と低い声がして、黒い姿が颯爽とアーチを駆け下りて行った。
入れ替わりに、スタッフのようで違和感のある気配が、いちご畑中を縦横に走る隠された通用路を使って頂上近くまで上がってきた。ばらけて、三人。
(え、お客ってもしかして、招かれざるお客の方? いや、むしろ招いたと言うの?)
と混乱しているうちに、王子に籠とハサミを取り上げられ、代わりに王子の片肘を持たされて、ピッタリとくっついて立たされた。受け身ばかりだ。
「しばらくくっついててね。護衛対象がまとまってる方が、彼らもやりやすいだろうから」
なぜかその言葉に微妙にチーズ臭を感じたが、場合が場合なので、アキヒは黙って成り行きを見守ることにした。胡散臭くても、自分の身を守るには、王子に従った方がいいのだろう。
ざざざ、と乱れた風が吹いたような気がしたのは、あちこちでいちごの葉が激しく動いたからかもしれない。