いちご姫には辛口を
その後の三人です。
少し甘め。
先日の騒ぎの慰労会で、おいしいお酒、奢るよ。
そう言われて、警戒しても、仕方ないと思う。
事件で協力して以来、王子がおかしい。
会う機会が増えたのは、事件に関するデータ解析に協力して、都政宮で作業をしているからだ。と、思う。作業に出向く日には必ず一度は王子が部屋を訪れて、少し話して帰る日もあれば、食事に誘われる事もある。人目についたりするなら断れるのに、都政宮内、あるいは王子の執務室だったりするので、断れない。ユカワさんに美味しい紅茶をサーブしてもらうのにも慣れてきて、ヤバい気がする。
そして、目が合えば蕩けるように微笑まれ、隙あらば手を取られたり、背中を支えられたりと、スキンシップが増え、おまけに。別れ際には必ず、引き寄せられて頬ずりをされる。最初は飛び退いて、叫びかけたけれど、目に入った王子が、あまりに凶悪に悪い顔で笑っているのを見て、悲鳴も掻き消えた。かわりに目とか鼻とか耳とから蒸気が出そうに茹だって、腰が抜けそうになった。
二回目以降は、警戒をいつのまにかほぐされて、安心しきってるところに不意に近づかれるだけで、思い出して勝手にくにゃくにゃになってしまう体たらく。
それでも、食事は美味しいし、お酒も美味しいし、王子との話も面白いしで、結局また、お誘いに負けてしまう訳で。
やっと解析が終わって、証拠として提出が済んだ時点で、都政宮へ出向くこともなくなり、二週間、王子との接点もなくなった。
直接の、接点は。
一人暮らしの単身者用マンションには三日ごとに花とワインが届き、お休みメールも毎日来るし、週末のゆっくり起きた昼頃に、見計らったように電話も来た。
本当に、本格的に、王子がおかしいと思う。
そう切実に訴えると、じっと黙って聞いてくれていたシオンが、黙ってエスプレッソを呷り、どこかを見つめたまましばし。
やがて、こちらにようやく目を向けて、少しだけ困ったように言った。
「それで、助けてほしい、ということなのかな?」
アキヒも、ぱちくりと困ってしまった。
助けてほしいのか?
どうだろう。
「た、すけてほしいというか。困っていて。どうしたらいいか」
シオンは黙って、でも穏やかに聞いてくれている。勇気づけられて、アキヒは言葉を続けた。ただ、恥ずかしくて顔はあげられない。
「えっと、王子が変で、会うのがちょっと怖い、というか困る、というか。——でも」
ちらり、とシオンがよそに視線を投げたのに、アキヒは気がつかない。
「会うのも怖いのに、会わないとなんだか落ち着かないとか、それなら会うの楽しいし、心臓が持たなそうだけど、少しは我慢しようかな、とか思う自分も、かなり変で——。お休みメールも、おやすみ、だけだなとか。電話も数分で、なんだか物足りないって」
「アキヒ」
「は、はい」
「本当に、困った事になったら、いつでも助けよう。私の都に来てくれるのだって、大歓迎だ。ただ」
いたずらっぽく、薄く微笑んだシオンが、そっと口の前に人差し指を立ててみせた。
「今は、少し待った方がいい」
きょとん、としたアキヒの前で、シオンが促すように目線を転じた。
つられて振り返ったアキヒが、ぎくりと強張った。
ホテルのプライベートラウンジの入り口に、すらりとした立ち姿。まさに今話題にしていた、ミルヒ・ウィトゲンシュタインが立っていたのだ。
アキヒと目が合うと、にこりと笑って、大きなストライドで歩いてきた。優しい眼差し、ただ、なぜか、どこか、怖い。
まっすぐにアキヒに近づいてきて、アキヒにだけ、もう一度微笑んだ。
同じ席についている従兄弟は、見えていないかのようだ。
「なんとか、今日の業務も片付いたところで、アキヒが来ているとユカワから聞いて。昨日誘った時には、あまり期待できない返事だったから、余計嬉しくて迎えに来たよ。……ぜひ、味を試してほしい酒が届いてね。これ」
見せたのは、細身のガラス瓶だ。瓶自体が淡い紅色をしていて、中の液体も紅い。ラベルは無い。
「試作させた、いちごの蒸留酒だよ。かなり辛口らしいけど、試し飲み、参加する?」
「か、辛口? ……参加する!」
「そう、よかった。じゃあ、一緒に上がろう。他の酒も、つまみもいろいろあるよ。この後の予定は大丈夫? 遅くはならないつもりだけど」
「うん、大丈夫! 明日は教授も出張だし、週末にレポート書き上げたしね!」
「それは、よかった」
不穏な気配を背中に漂わせながらも、あくまでアキヒには蕩けそうな従兄弟に、シオンは肩をすくめた。
「あ、シオンは?」
「いや、今夜は会食だ」
「そう? 残念」
まったく残念そうではない。明らかについでだ。
いやむしろ、嬉しくて身震いしそうな勢いだ。ついに美味しい獲物を捕らえて、至福の予感に歯を鳴らす猛獣と言うべきか?
「従兄弟どのは地獄耳だったのを、失念していたな」
二人が去って、シオンが呟いた。ミルヒの箍が外れそうだったので、アキヒの発言を聞かせないようにしようと思ったのだが、遅かったようだ。
少し考えたが、もはや致し方ない。アキヒにとっても、自覚は無いものの、悪い事では無いだろう。
少し、少しだけ、惜しい気もするが。
「あとは、ユカワに頑張ってもらうか」
学生に手を出したら、醜聞だ。そこは、意地悪ではなく、ミルヒのためにも踏みとどまってもらおう。
シオンはエスプレッソを飲み干すと、静かにラウンジを後にした。
まだまだミルヒ我慢です。




