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いちごの国のお姫様はただのバイトですが、若き次期大統領に溺愛されています  作者: 日室千種


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二十話

 ぶーん、と蜂がのどかに飛び回る。リンクは正常で、昼間のような異常な攻撃行動も起こる気配はない。


「ねえ、ミルヒ。今、何時?」

「……?」


 訝しげに見下ろしてきたが、ミルヒは律儀に腕時計を確認してくれた。


「ちょうど、零時だ。今日が終わる」

「そか。じゃあ、新しい今日が始まってるわけだ」


 うん、とひとつ自分に頷く。

 そして、バックヤードに駆け込むと、自分のトートバッグから、親指の幅ほどの厚みの冊子を取り出し、素早く丸めた。

 冷静かつ速やかに、走って戻る。ミルヒのところまで戻って、さらに、走る。黒く艶光るあの虫と対峙する時のように、動揺を押し殺し——。

 ミルヒが、シオンが、呆気にとられて反応できないのを置いて行く。

 近づいた気配に振り返ったセルゲイは、なんだ、という顔をしてみせた。


「なんだい、何かよ——」


 鈍い、重い、衝撃と音。

 あまりにアキヒを舐めていたのだろう。セルゲイはぽかんとした顔のまま、なすすべも無く地面に崩れ落ちた。

 呻くものの起き上がらないから、軽い脳震盪でも起こしたのかもしれないが、死ぬことはないのはわかっているので、気にしない。

 にわか棍棒をぱしりと反対の手に打ち付けて、アキヒは宣言した。


「教育的、指導!」

「な、なにが指導だ。後輩のくせに。これこそ傷害だぞ」


 ぐぐ、とようやく上半身だけ起こしたセルゲイが、どす黒い顔をして、震える声で怒りを露にした。

 アキヒは、棍棒を広げて伸ばし、冊子の題名をセルゲイに見せつける。

 都立大学学務規定。


「……え、ガクムキテイ? なんで、君が持ってるの?」


 学務規定とは、大学の教職員が遵守すべき、学内では法律より尊いとされる規定である。

 学生ではない。教職員が、だ。

 その規定集は今時紙冊子のかたちでしか存在せず、教職員各人に一冊、任命時に与えられるというものだ。

 察しが悪いな、と冷静に観察したアキヒは、あ、駄洒落。と自分で突っ込んで、意外と自分も興奮していることに気がついた。


「今日付けで、うちの研究室の助教に就任する辞令の内示を受けてました。今は、私は教員、あなたは学生。学生の学業に関する行動について、その指導教官と補佐する立場の教員は、これを正し、これを律し、これを導く義務があり、また権利がある。というわけで、指導、です」

「お前が、助教……?」


 呆然とつぶやくセルゲイに、アキヒは冊子をつきつけた。

 そして、気を取られた彼のもこもこベストから、的確に、小さなプラスチック容器を抜き取った。


「そ、それは僕の」

「指導。研究室の共有ツールである蜂型デバイスに加えた変更をすべて報告すること。他研究室の活動に教授の承諾を得ずに関与した件について、つまびらかに報告をすること。また、他学生の研究を阻害したことと、他者の研究成果の不正入手には厳正に対応することが必要と受け止めること。学内での精査の結果必要となれば、公的な司法機関の取り調べを受け、誠意を持って申し開きをすること。——少なくとも」


 高く、容器を掲げる。

 その中身は、どろりとした真紅のゲル。

 どこからか飛んできた蜂が、親しげにそのゲルに擦り寄って、ふたたび飛び去った。


「いちごの香りと、アルコールの匂い。蜂は、受粉作業のために、いちごの花と実を容易に見つけ出す。——これがどの種類のいちごであれ、持ち出しを許されていない研究成果を、どさくさに紛れて盗み出したことに変わりはない。ここに、窃盗の証拠はあるわけだから、学生の身分を盾に取り調べを拒否する権利は失われた。

覚悟、するように」


 言葉のでないセルゲイに、シオンが近づき、まるで王女に敬意を払うかのように胸に手を当ててアキヒに一礼した後、両腕を拘束した。

 入り口に向かって片腕で招くと、だっと警護官がなだれ込んできて、あっという間に三人を連行して行った。

 そして、いちごの国は、宵の静けさを取り戻し、いちごたちはそれを喜ぶかのように、芳醇な香りをそっと風に乗せた。


「見事な教育的指導だった。あそこで逃がしていたら、面倒なことになっていた。外の人間が言うことじゃないが……この都の大学は、やっかいすぎる」

「いえ、そんな。というか、なんだか、恥ずかしいというか」

「いや、アキヒ、ありがとう」


 珍しく熱く謝意を述べたシオンは、これまたレアだろう微笑みで、アキヒを労ってくれた。アキヒから、いちごの液体を受け取って、それから無表情に戻って、これはアキヒの推測だが、いささか呆れ気味に、ミルヒにおい、と声をかけた。

 つられて見れば、ばちりと音がするほど目が合った。いつもより、険しい顔。薄い唇が少し開いて、一度閉まる。再び開いて、小さく咳払いをしていた。


「あ、その、ありがとう、アキヒ。本当に、いい機転だった。……ところで、その、辞令の内示は、いつ受けていたのかな」

「え? えっと、11月ごろかな。それで、今年でこのバイトも終わりにしようと思って。まだ、担当の人に伝えられてないけど」

「11月……」


 なぜか、細められた銀緑の目が、怖い。

 アキヒはつい、学務規定の冊子を背中に隠して、じりじりと距離を取った。

 すると、ミルヒの目つきがさらに硬くなってくる気がして、アキヒは本気で首をひねった。


「あれ? えーっと、ちゃんと、ミルヒにも言おうと思ってたの! ほんとに! でもほら、こういうことがあったし」

「辞令の前日に言われてもね」

「だって、今日しか会わないし」

「プログラム用の撮影で会ったよね。12月だったよね」

「あー、うん、うーん、実は、受けるかどうか、少し迷ってたんだ。教員なんて、柄じゃないというか。今日も、勢いで」

「……で、迷いは晴れたの?」

「そ、だね。まだ自信は無いけど、いずれは進路を決めないといけなかったし、研究は好きだから、いい話だとは思う」

「なるほどね」


 極上の笑顔で、ミルヒが腕を組み、視線をあさっての方に飛ばして、しばし。

 よし、とふたたび視線を戻されて、なぜかかちり、と体が固まった。

 なぜ、あんなに柔らかな色の目なのに、恐竜と見つめ合ってる気持ちになるんだろうか。


「もう少し、検討する猶予期間ができるだろうね。今日のこの騒ぎを受けて、大学側と都政宮とのバランスを早急に見直す必要があるのは明らかだから、すべての大学運営関連事項は、一時凍結とさせるつもりだ。

——アキヒの辞令も、事件のあった今日の昼時点で凍結だから、効力は無い。セルゲイは、いちごを隠し持っていた証拠があるから、学生特例は使えないし、アキヒが教員である必要は今はないから問題は無い」

「……はあ。まあ、それは、構わない……のかな」

「了承、ありがとう。今度進路を決めるときには、まず僕に相談して。では、また近いうちに」


 にやりと歪んだ笑み。対象のとれた美しい顔がもったいない気もするのに、俗っぽい表情はアキヒのみぞおちを撃ち抜いてくる。目を回してるうちに、さっと頬にキス。そして、ミルヒはあっさりと身を翻して立ち去った。

 ぽかんとして、頬を抑える。

 くっと抑えた音を見れば、シオンが肩で笑っていた。


「とりあえず、大学も慌ただしくなるだろうし、今日くらいは下のホテルで休むように。部屋まで送らせる」

「わ、かった。でも、わかんない。ミルヒって、なんか変だったよね」

「……変だったな。だがきっとすぐに理由もわかる。俺もいかないと」

「あ、はい。ご苦労様でした」


 すっと差し出された褐色の大きな手を、少しだけ躊躇ってから、握りしめた。固くて、厚い。そして、暖かい。

 では、とシオンもミルヒを追って、指示を飛ばしながら庭園から出て行った。入れ替わりに、シオンに敬礼して応えた警護官が一人、歩いてくる。きっと、部屋まで送ってくれる人だろう。

 それを視界に入れながら、アキヒは抑えたままだった頬を、ぐにぐにと押したり引っ張ったりしてみた。

 まだ、蜂とのリンクは健在だ。蜂が伝えてくる情報に、転げ回りたいくらいの羞恥がわくのを、そうしてごまかしたのだ。

 昆虫は、異性を引きつける性フェロモンを介してパートナーを見つけることが多い。フェロモンは低分子の化学物質でごく微量、空中に散布されるのを触覚を通して一分子から感知するのだ。その感知機能と、特的の化学物質に照射すると波長を変える光と、その光に反応するセンサー物質を応用して、ヒトの脳内物質を計測したりしてみたりしたわけだが。

 いたずらごころで、ヒトのフェロモン値を測定するタイプの蜂も作ってあった。今の今まで、特に変わった値を知らせてこないので、意識の外に出ていたそれが。

 ぶーん、ぶーん、と蜂が忙しなさを増した気がする。

 もしかしてもしかすると、自分が混乱しているせいかもしれない。

 それは、ミルヒが自分に話しかけるときに、撒き散らす、という表現が当てはまるほどに高まるフェロモンの値のせい、ではなくて。

 そのフェロモンに当てられたように、自分自身のフェロモン値が上がってしまうから、なんて。

 

(——なんて! 面白すぎるデータなのに! 言えない! プログレスミーティングで、ラボのみんなに言えない! ——もったいない!!)


 なんだかずれてツボにはまっているのが、現実逃避だと、アキヒが気付くのは、もう少し先。

 事態が解決しても自分の辞令だけ凍結されたまま新年度を迎えて、不思議に思う頃。

 それまで大統領位の継承は早いと突っぱねていた息子に、大統領が迫られる形で三年後の譲位を約束し。そこからわずか数ヶ月で大学の魑魅魍魎を抑え込み、きっちりと政治的上下関係を教え込んだ将来の大統領に、公衆の面前でプロポーズをされた時だ。




 土壇場で気付いてもなすすべは無く、もっと早く対策を練っていれば、と先に立たない後悔をしたのだが、それはまた、別の話。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

ここで一度完結とします。

後日、プラスアルファの小話を掲載予定です。

もしかして、ミルヒ視点と、、、。

対応できるかどうかわかりませんが、もしも、もしもリクエストなどありましたら、拍手かメッセージ、感想などでお寄せください。

本当にありがとうございました。

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