十九話
「でも、わかってたんでしょ? どんな時でも自分が一番守ってもらえるって。いちご姫様だしね。そりゃ、王子を傷つけてナイトに守られて、どんなに反省した顔をしてたって、どこかで思ってたよね。わたしって、大事なんだーって。うわー、どんだけ勘違い?」
じじ、とリンクがぶれる。確かに、感情の大きな振れに弱いようだ。
同時に、これだけ怒りを感じると言うことは、マルハナバチのフザケた言い草がどこか、真実を言い当てているのかもしれない、と思った。
常に手のひらに置いて眺めているように、全体を認識できていた庭園の情報に、欠落が出てきた。これは、リンクが途切れがちなのか、蜂たちの行動パターンに変異があったのか、アキヒには判断がつかない。
すこし、昼間の恐慌状態のときに似ているのかもしれない。そうは思ったけれど、それだけだった。
「……あれ。なに。しぶといね。出し惜しみしないでよ」
「仕組みはわかってないの。残念ながら」
「またまたー。君のデータ解析力は、魔術だって聞いたことあるよ。捜査にも協力したんじゃないの? ここにいる麗しの市長をマークしたのだって、君のおかげだったんじゃないかなー。まあ、個人的なデータ解析による証拠が認められるものなのか、僕にはわからないけど」
「拘置されていたはずなのに、どうしてそんなになんでも知ってる風なの? というか、拘留からどうやって逃れたの」
否定も肯定も、相手に情報を与えることになる。
何かを与えれば、ナンセンスに暴走しそうで、アキヒは返答をぼかした上で率直に疑念をぶつけた。披露したくて、溜まらないはずだから、教えてくれるだろう。
「僕って、拘留はされたけどものの数に入ってなかったからね。基本的な個人情報を確認されたら、もうあまり構ってもらえなくて。拘留部屋に移動する前に、バックヤードで拘束されながら事態を見ることはできたし、移動したらもう赤の都の精鋭でもなく、ぼんやりした都宮の警備員が見張りだし。つい興奮しちゃった学生バイトとして身分証明書見せたら、世間話で捜査に協力するいちご姫ってスクープ情報を教えてくれるし、ほかのバイト仲間と一緒に事態の収束を待ちますっていえば、簡単に開放してくれたよ」
案の定。すらすらと並べられた事態に、シオンが鋭く舌打ちするのがアキヒにも聞こえた。
「どうしても蜂の変な行動が気になって、庭園に来たら、アキヒがちょうど庭園に入るところだったから。そっと一緒に入ったんだよ。幸い、会場の警護担当者と、入り口の担当者が違ったからね。学生証見せたら、アキヒの関係だろうって通してもらえたよ」
にこにこと、誇らしげに手口を語って行く。
その口元が、不意にぐいっとへのじに曲がった。
「なのにさあ、わがまま市長は人へのものの頼み方を知らないし、アキヒは出し惜しみで蜂の行動は確認できないし、つまらないよね。頑張って来なくてもよかったなあ」
「……」
何を言っても、通じない気がした。
リンクはぶれなくなった。自分の鼓動も、体温も、安定している。揺らがない。
つまらないと嘯くからには、もはやアキヒと話す意義は彼にとってはないわけで、あとはミルヒに任せようか。
そう思って、視線を斜め前に流す。
その先で、王子は蒼褪めてこちらに身を乗り出し、横手から、その体を押さえてシオンが飛び出してきた。どこかで見たような、光景だ。
シオンの体は視野の中で瞬く間に大きくなり、鼻をつぶさんばかりに胸板にぶつかって、ぐるりと体をまわされた。
ぐっと、うめき声。
と思えば体は放り出されて、レンガ敷きを模した床にへたり込んだ。
甲高い悲鳴が上がり、アキヒの隣に鈍く光るナイフが落ちてくるくると回った。
ローゼリア市長か、侍女か。どちらかが、張り裂けんばかりの心臓と煮えたぎるほどの興奮性物質を撒き散らしながら、アキヒに向かってナイフを向け、それを庇ったシオンが怪我を負いながらも取り押さえたのだ。
目から入る情報と、蜂からもたらされたデータを瞬時につきあわせて、アキヒはまず、ナイフを捕まえて、王子の方へと投げ捨てた。ユカワが、拾い上げてハンカチにくるんだのを認めてから、振り返る。
シオンの怪我は、浅い。流れる血液も多くはないし、血圧や心拍に異常はない。
取り押さえられたのは、侍女だった。
ぎらぎらと憎々しい目でアキヒを見据え、「余計な協力をして……」と呻いた。
「お、おまえ……」
ローゼリア市長は美しい顔を紙のように白くして、絶句している。
それに冷たい一瞥をくれて、ミルヒがアキヒを助け起こした。
「献身的な乳姉妹だね。だけどこの場合、ローゼリア市長の指示も疑われるから、罪が重くなるだけだ」
「お、おまえっ、なんてことをしてくれるの!?」
途端、主に責められ、両腕を拘束された侍女は床の上で項垂れた。
「アキヒ、今庭園に、ほかに人間は?」
「バックヤードに潜んでいなければ、いないみたい」
「ユカワ、事情を知らせに走ってくれ。アキヒを連れて行ける?」
「え。私は、まだいいよ。いまさら仲間はずれにしないで」
言わずにはいられなくて、眉をひそめて訴えれば、なぜかアキヒの腰を抱き寄せた状態で、ミルヒは嬉しそうに、かつ意地悪そうに笑った。
なぜだか、腰から骨が一本抜かれかけたように、頼りなくなった。
「そう? いままで我関せずでスルーに徹してたから、そのほうがいいかな、と思ったんだけど。じゃあ、もう少し、そばにいてくれるかな」
(うええええ、その顔、やっぱりスルーでって言っても離さない顔だよね!?)
つい怯えたけれど、あれ、と思う。
チーズ臭がしない。
強引だしなんだか危険な匂いはぷんぷんするのに、顔をしかめるよりもぽやんと緩めてしまって。アキヒは我がことながら混乱した。
(え、ええ? え、私、マゾのつもりないんですけど!)
二人のやり取りを呆れた目で見やったユカワが、入り口に急ぐのを確認して、シオンは淡々と仕事をした。
「三人とも、身柄を抑える。そのまま、動くな」
「そんな、ローゼリア市長の私を、拘束すると言うの?」
「警護上、都から権限を認められている。拘束の上、都の警務庁との共同取り調べをうけてもらうことになる。本国に連絡することは可能だが、取り調べが終わってからだ」
「なんてこと……!」
「セルゲイ、どこへ行く」
打ち拉がれる美女にそれ以上構うこと無く、シオンは鋭く一喝した。
ユカワを追いかけるかのように気軽に歩き出した男は、気だるそうに茶色いもこもこベストに両手を突っ込んで、唇を尖らせた。
「えー、帰るんだけど。バイトは一泊しろ、っていうなら、ホテルの部屋を教えてよ」
「お前の拘留先は、警務庁内だろうな」
「そんなはず無いでしょー」
あまりに違和感のある能天気な受け答えに、呆然と成り行きを見ていたアキヒは、ごく近い隣でチッと舌打ちが落とされるのに、はっとした。
もしかして。
「だって、僕、都立大学の特待院生だよ。学業を優先する限り、なによりも保護される存在だよ? 今回のことだって、本当のところ、僕は何も知らない。無実を主張するよ。そうすると、物的証拠も無く、だれも、警務庁だって、僕を拘束することはできない。これは、都の法で認められた、僕の権利だ」
さっと、シオンがミルヒに視線を投げた。
渋い顔で、ミルヒが頷く。
都立大学法。基一条、学生は、その自由を尊重される。補23条、特に優秀な学生が学業上必要でとった行動について、犯罪に関わりその証拠が明らかである場合を別とし、学生はいかなる司法的、政治的、経済的な公的圧力を受けず、公的機関は学生からも申し出があれば即座にその身柄の自由を保障しなければならない。
「拡大解釈すれすれだが、大学の権利を侵害するのはまだ危険だ。大学側との前交渉なしに、学生に手は出せない」
「そうでしょ? 仮拘留所の担当者も、そう判断して開放してくれた訳だし、当然だよね。僕からすると、なんで暗殺学部のやつらはおとなしく捕まってるのかって、疑問だよ。勉強が足りないね」
「……やつらは殺人未遂の現行犯逮捕だ。いかれた無罪主張なんてしなかった」
「あー、ばっかー」
けらけらと笑う。
捕まることを恐れる様子は微塵も無い。悪びれる様子も無い。もちろん、反省の様子も無い。
怪我をしたシオンも、あるいはミルヒを襲ったあの男も、同じく何の動揺も見せなかった。常に生体の値は平静。それは、訓練された意思の力によるものだ。
だがこの男は、おそらく違う。
これだけいろいろと悪巧みをして、面白がって、首を突っ込んでかき回すのに。
彼は、何もわかっていない。
アキヒは、ぐぐっと拳を握りしめた。
「僕は、ほんと、なんにも悪いことしてないからね。じゃ、お疲れ」
今度こそ、セルゲイは入り口に向かって歩き出した。ガラス扉の向こうには、いつの間にか警護官がずらりと並んでいる。が、ちらちらとシオンの方に視線をやりながらも、直立の状態で動かない。いつの間にか、庭園内の通信が復活して、会話を聞いていたのかもしれなかった。
きっと、彼らはセルゲイに触れることもできないのだろう。
「くそっ」
とても珍しい、王子の悪態。
大学は、都の切り札だ。大統領の直轄と言っていい。後継者候補であり、優秀な秘書官と言えど、まだ踏み込めない領域であろうことはアキヒにも見当がついた。
奥の手は、ないのだ。
だれにも。




