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いちごの国のお姫様はただのバイトですが、若き次期大統領に溺愛されています  作者: 日室千種


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十四話

「ご機嫌麗しく、はなさそうですね、ローゼリア市長」


 ミルヒはメトセラと腕を伸ばしても届かない距離で立ち止まり、くすりと笑いながら、よく通る声で声をかけた。対して、メトセラが片手を水平に上げた。手の甲への挨拶キスを促す、傲然とした仕草。

 そのたおやかな白い手をアカシアの目が眺めて、ふっと蕩けるような色を浮かべた。

 それだけだ。ミルヒは手を伸ばさない。無言で微笑んで、そこに立つだけだ。

 メトセラの顔に一瞬戸惑いが浮かび、すぐさま鋭い怒りに取って代わった。

 周囲に立っていた幾人かが、気配を抑えて成り行きを見守り始める。その様子に気がつく人間が増え、二人の周辺だけ、奇妙に静かな空間になった。

 白い手が、紅い爪をひらめかせて握り込まれ、ゆっくりと下ろされた。


「……まあ、ミスター・ウィトゲンシュタイン。ご挨拶いただけないなんて。残念です」

「挨拶? 昼間にいちごの国でしましたよ。私は騎士ではないので、姫君の他愛無いご要望に応えられませんが。あしからず」

「他愛無いですって? ローゼリアでは、淑女の手の甲にキスは、貴族の嗜みです。ご存じないの?」

「そうですか」


 ミルヒは鷹揚に頷いた。


「私も次にローゼリアを訪れることがあれば、参考にしましょう。ですが、この空の都市では、時代錯誤な女王気取りの勘違いした小娘と思われるので、控えた方がいいでしょうね」


 そして、まるで、向かい合う女のドレスを褒めるときのような笑顔を浮かべた。

 周囲の人垣から押し殺した囁きが洩れる。幾人かはそっとその場を離れて、主や同盟者を呼びに行く。皆、痴話喧嘩を期待するような気軽さはなく、その目は冷静に、場の流れを見極めようとしている。

 ひとり、取り残されたようにぽかんと口を開けていたのは、当のメトセラ本人だった。

 さすがに侍女が見かねて、背後から合図を送る。

 その瞬間、口元は引き絞られ、眉根には深い皺を刻み、まぶたは震えるばかりに強張った。親身な侍女の手を高い音をさせて弾き、叫んだ。


「なんて無礼な! 新興の都の一官僚風情が、古き良きローゼリアの王を馬鹿にするなんてっ」


 甲高い声は、広間の端まで届いたようだ。

 新興と見下げられた都の大統領が、おやおやと面白そうに首を伸ばした。

 比較すれば歴史は浅いとはいえ、空の都市クーロンはいまや押しも押されぬ大国だ。対して、ローゼリアは歴史だけが財産と言ってもいい。

 まして空の都市の名産物について貿易交渉をしにきているはずのこの会場で、口にしていいことではない。だが、言い放った後も、メトセラは顎を上げ、自らの発言に何の問題も感じていないようだった。

 スキャンダラスな発言と、その失言にいまだ気付かない体たらくが、静かに周囲に染み渡るのを待って、ミルヒはゆるゆると首を振ってみせた。


「馬鹿になんて、するわけがない。ローゼリアの歴史の長さには敬意を表しますし、市長を歴任されるモンゴルド家の栄光を疑うことがあるわけはない」

「いいこころがけだわ!」


 してやった、と打ち笑むメトセラは、侍女の秘かな制止を、またも無碍に背後で打ち捨てた。


「でも、そのわりには昼間の贈り物には、誠意が感じられなかったですわね。私のような女性には何を贈ればいいのか、ちょっとお勉強されたらいいわ。血圧を下げるいちごなんて、私が食べたら朝ますます起き上がれないわ」

「そうでしょうね。あれは貴方のためのいちごではなかった」

「そうでしょうねって、ミルヒ、あなた」

「なにか?」

「……評判に高いエイジアを渡さずに、私にあなた方お得意のいちごの価値を、どう量れとおっしゃるの」

「お嬢様!」


 侍女が、なりふり構わずにメトセラを引きずってソファに押し込めた。

 なにをするの、と騒いでいたが、すでに周囲は囁き声でうるさいほどで、さすがに怪訝そうにあたりを見回している。

 ミルヒは、すでにアカシアの目に暗い光も無く、ただ一切の興味の失せた顔で、では、と会話を打ち切った。

 今の見せ物で、客たちは充分に悟ったはずだ。

 ミルヒすなわち空の都市が、ローゼリアではなく、メトセラを取引相手として評価していないこと。

 そしてメトセラに致命的に政治的判断能力が欠けていること。まして、人間的に問題があることも、一目瞭然だっただろう。

 もともと、絶大な支持を集めながらも持病の高血圧が悪化して入院した前市長を慕う市民が、その晩年の一人娘というだけで彼女をお飾りの立場に据えたのだ。だが若くして支配者となった彼女は、お飾りでいるだけならまだしも、生来の傲岸さゆえにあちこちで問題を引き起こしてきた。

 世界中の都市代表が集まる今日のこの騒ぎで、メトセラの政治生命は断たれんとしていることを、本人はおそらく、まだ気付いていない。

 

「なんだなんだ、好きな子いじめか?」


 厳つく灰汁が強い顔を、ほくほくと緩ませて尋ねてくる父親に、ミルヒは冷めた一瞥を返した。


「違います。あの女性(こども)にやたらと甘かったのはお父さんと、あちこちの、男やもめの皆さんでしょう」

「おお? まあ、それはなあ、モンゴルドのとこの娘だしな。我々にはごつい息子しかいないもんで……」


 ぽん、と隣の奥方から扇で腕をつつかれて、大統領は言葉を切った。


「いやもちろん、私の奥さんによく似た麗しい息子は、誇りだとも。うん、娘がいたら嫁にやるのも辛いしな。あの娘も、そろそろ遊びを終わらせて、いい結婚を考えてもいいだろう」

「僕は彼女は受け付けませんので。シオンにもやめて下さい」

「そうか、残念だなあ」


 何事か考えている様子の父親に、ふとミルヒが嫌な顔をした。


「……将来僕が結婚したとしても、妻を娘扱いでかまい倒したりしないで下さいね」

「なんだ、珍しいことを言うなあ。結婚を考える相手がいるのか」


 親子は、美女と野獣ほど異なる顔立ちで、睨み合った。

 ちょうどピアノの演奏が始まったところ。大統領親子は侍従たちに囲まれて、客の視線には晒されていない。

 と、おもむろに、大統領夫人がふう、と細く息を吐いた。とたんにはっと妻に向き直り、機嫌を取るようにその手を取ると、大統領は咳払いをした。


「その話はあとで家でな。それより、ローゼリア市長をすげ替えるのにモンゴルドのやつは頭では納得しても気がおさまるかどうか。拗ねると面倒だぞ。どうする」

「彼女の侍女が、エイジアを胃に隠して持ち帰ろうとした証拠があります。侍女の単独犯はあり得ない。彼女が侍女にエイジアを渡しているところを、シオンも見ています。会場からのいちごの無許可持ち出しは、遺伝情報窃盗にあたり、重犯罪です。この罪と、引き換えにしましょう。

 ……あとは、どうせならいい婿を探してやればいいのでは。婿殿には気の毒なことですが」

「お前、意地悪くエイジアをやらんかったらしいじゃないか。やっておけばいいものを。いいじゃないか、いちごくらい」

「彼女に、若返りのいちごなんて、必要ないでしょう。強硬にねだられたので、それでもエイジアをふたつ、渡したんですよ。うち、なけなしのひと粒を、法を犯してまで持ち帰ろうとした意図は、お分かりでしょう。成功するはずはないとしても、万が一、遺伝情報を手に入れて、栽培に成功したとしたら?

 エイジア開発には、二百億投資しています。今後想定される利益は、エイジアだけで年間五十億。賞味期間がとても短いので、必ず都に来て食さなければならず、付加的な商業効果を見積もると、年間百億。少なくとも二十年は法的にも実質的にも市場を独占できると仮定して、二千億。

 その収益がフイになるかもしれませんが、よろしいですか?」

「お前怖いなあ」

「お父さんに言われたくありません。そも、私は彼女の就任以来、一度たりと彼女を認めたことはない。まして、前市長は公にはその地位を退いたといえど、未だに事実上は彼がトップです。彼女の馬鹿馬鹿しい女王さまごっこに付き合わされるのも、うんざりでしたので」

「婚約相手だのと、でっち上げられてたもんな…」


はあ、とミルヒはこの件に関しての諸々をため息で吐き出した。


「今回、僕は正当なる(・・・・)ローゼリア市長に効果覿面のいちごを選びました。決して、ローゼリア自体を軽んじたわけではない。モンゴルド市長なら、察してくださると思いますがね」

「まあ、やつにはそれは、伝えるよ」

「ええ、話がまとまったら、ぜひいちごを食べにお招きしてください」


 それで、メトセラの運命は決まった。

 よろしくと会釈をして、ミルヒは会場に向き直った。標準装備の微笑みを浮かべて、閉会の挨拶をするために。





 親子の会話を耳に入れながら、シオンは会場から取り残された主従を見ていた。

 メトセラはいまだ侍女に繰り言をぶつけている。侍女たちも困り顔で、ひとりは本国へ連絡をしたいと会場の入り口で退出を願い出たが、閉会まではと拒否され、肩を落としていた。

 メトセラのわがままで、ほかの客と違い、侍女は三名も着いている。さきほどメトセラを諌めた侍女が中では序列が高く、メトセラの乳母子だと届けられた身元書に書いてあった。エイジアを飲み込んだ侍女は、いまだ青い顔をして、立っているのもやっとという様子だ。その侍女にも、メトセラは時折きつく攻める言葉をかけている。

 言葉のすべては、証拠となるに充分だ。会場のすべての会話は録音されていることなど、思い至りもしないのだろう。

 だが、会話はいちごに関することばかりだ。あの襲撃について、明確に関係する発言は無い。

 やがてミルヒの閉会のスピーチが終わると、歓迎会はお開きとなった。

 客たちにはひとりひとり案内が着き、滞在先のホテルへ、領事館へと向かう車に乗るまで見届ける。

 メトセラは、周囲の好奇の視線などどこ吹く風、ホストであるミルヒはもちろん、大統領夫妻にも挨拶をせずに、さっさと会場を出た。護衛担当が三人付く。それを画面から見送ってしばし。

 シオンのインカムに緊急連絡が入った。


「レディ・メトセラが、護衛から離れ、侍女一人とともに空中庭園行きのエレベーターに乗りました」


 ホールまで来て、あの具合の悪い侍女を護衛たちに向けて手ひどく突き飛ばし、エレベーターに駆け込んだのだ、と。

 シオンは、呆れて嘆息した。


「ご苦労。侍女たちに怪我は無いか」

「はい、少し混乱していますが、これから医務室に連れて行きます」

「わかった。あとは引き受ける」


 インカムを切ったシオンに、右腕が面白そうに笑った。


「さすがですね。元婚約者の行動はお見通しってことですか。庭園の警備には、少し隙を作って彼女たちを入れるように伝えてあります。庭園の警備モニター室に行きますか?」

「待て。……ミルヒも向かうそうだ。合流して、庭園に向かう。モニター室での指示は任せる」

「了解です」

「あと、婚約をした事実は無い。直接会って話したことすら無い。彼女の一時の妄想だ。いい加減、そのネタはやめろ」

「了解でっす」


 シオンの訂正すらおもしろがる様子に、余計な一言だったかと口を噤んだ。この男を用いだしてから、生来の無口に磨きがかかっているのを自覚している。

 ブランデーを煽りたい気分になった。

 揺れる琥珀の液体を両手で抱きしめる、それこそ夕日に透けたブランデー色の髪の女を連想した。

 はっとして、意識を切り替え、シオンは空中庭園に向けて走り出した。


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