十一話
「どうも、ゾイマフラー教授にもなにかしら意図があるような気がするね。単なる秘蔵っ子かどうか。まあ、それは追々分かるとして、ドラグーンはもう解放する必要はないよ。ポストドクターはグレーゾーンだ。学生優先制度に庇護される可能性もあるけれど、教員ではないにせよ大学が雇用しているのなら、学務規定に従わねばならないはずだ。雇用形態を調べてみてからでもいいか。しばらく、放置だね」
「了解した。では対応を変えよう。
……薔薇石と墨真珠は、砂漠の都市ローゼリア市長のレディ・メトセラと、湾口都市の市長レディ・アッシュのことだろう。メトセラはともかく、レディ・アッシュがあんな男に依頼をするとは考え難いが、どちらも今回のイベントに参加している。
そこらがアキヒにお願いしたい要精査事項か。アキヒ、どういう風に、条件を提示したらいいだろうか」
「あ、えっと、ミルヒとの面談の時間かな。そこで個人を特定できたら、前後を追いかけられるかも……」
「すぐ確認しよう。データは荷物の中か」
「いま、ユカワが持ってくるよ」
「ほかに必要なものは? PC……いや、だが会場では何も持っていなかったと思うが」
「現場ではエラーを拾うためにリアルタイムでデータを脳内投影して流しでチェックしてるから。でも、普通にPCがあれば、大丈夫。……や、モニターを複数繋げて、は設置が面倒だね。超高解像度プロジェクターあるかな。スクリーンと」
王子が黙って胸元のピンに手をやり、通信越しに指令を出した。
「巨大スクリーンのある会議室を押さえて、そちらにアキヒの荷物を移動してくれ。スペックの高いPCとプロジェクターを用意。……3001室か。こちらも移動する」
通信を切った王子は、ワインボトルとグラスを手に立ち上がる。シオンもそれに倣って、そして丁寧にアキヒの手を取った。
「さあ、場所を変えようか」
「え、付いて来てもらわなくてもいいような気がするけど。ていうか、なぜワインを持っていくの?」
「犯人探しは僕の職務ではないからね。出来る限り出番を遅くして、客を引き止めるのが役割なんだよ。出番までは、リラックスしないと」
(つまり、私がデータをチェックしている間、雇い主の王子様は後ろで寛ぐ、ということですね!)
半分は納得するが、半分は納得できない。役割が違うのは当然だし、働きどころも違うのは当たり前。けれど、寛ぐ場所はデータチェックの部屋でなくともいいはずだし、自分の勤労(ボランティア?)を酒の肴にされるのもいただけない。
ちらちらと後ろを振り返っていたからか、シオンがくいっと手を引いた。
「ミルヒと私が一緒にいた方が、報告がまとまる。捜査には我々の側からも、ミルヒの側からも手を尽くしているが、未知数の期待を持てるのはアキヒのデータだけで、しかも貴女については貴賓扱いが前提なので。私たちがいて気が散るだろうが、見守らせて欲しい」
「なるほど、報告。……え、貴賓? な、なんで?」
至極真面目な表情で見下ろされ、冗談の影もない。
つい、問い返して、アキヒははっと口を噤んだ。スルー技能が著しく低下している。もしかして、酔っているのだろうか! 生のブランデーを最も好み、いくら飲んでも潰れない、髪の色はいちごじゃなくて酒の色だ、と揶揄される自分が!!
「あれ、アキヒ、なんでか聞きたくなった?」
すいっと隣に並んだ王子が、あまーい声で囁いてきた。
関係ないが、両脇を立派な男に挟まれて歩いてもまったく余裕なこの廊下の広さは、さすがだ。
「聞いた後に聞かなかったことに出来るなら聞きたいけど、そうでないなら、絶対嫌」
もはやスルーなどと言っていられない。正面から拒否して、案内された部屋に飛び込み、すっかり用意の整ったPCに、傍らの自分のトートから取り出したデータチップを接続した。
すでに起動されていたPCの画面を最高解像度に設定し、巨大なスクリーンの映像で後の作業をする。
部屋はすり鉢状になっており、再下段中央に講壇がある。その頭上に遥か高い天井から下がった透明のパネルスクリーンに、ホログラム投影をしているのを、アキヒたちは十数段目の座席から眺める形だ。
もちろん、アキヒにこんな講義室を使用した経験はないが、すでに些細なことは気にならなくなっている。データチップに触れた時から、スイッチが切り替わった。
研究室のPCと違って、解析用の専用アプリもプログラムもない。だが、条件を絞って異常を探し当てる目的ならば、こうして自分でデータを眺めるほうがいい。
データファイルを一気に開く。どんなPCにも標準装備されている表ソフトで、ファイルごとに、一覧表示。基礎作業を淡々と進めるが、すでに文字は芥子粒ほどだ。だがどんなに字を小さくしても、2万個のセンサーから入った三時間にわたるデータのすべてを一度に表示することはとてもできない。
時間帯でデータを区切る。さらに、重要な人物に注目するために位置情報でデータを区切る……。
時間が限られているので、大胆にデータを捨てていく。すると、目に入ってくるデータが、あの出来事を鮮明に伝えてくるようになってきた。
忠実にデータ採取と受粉を行っていた蜂たちが、ある瞬間、一斉に受粉作業を放棄。まるで女王蜂の元に参集するかのように、一気に地点ゼロを目指している。地点ゼロ、それは設定上、アキヒの立ち位置だ。そこから五分間、データを採取すれども、行動はプログラムを外れている。
有り得ない五分間の、原因が気にかかる。
だが、これは今は関係ない。
さらに状況を追いかけながら、不要なデータを消して行く。 データ数が多すぎて、単純な処理でもアプリが動かなくなることを心配していたが、なんとか最低限のデータを並べきることができて、 縦横スクロールと画面切り替えを駆使すれば問題なく眺めることができるようになった。
「しばらく、返事とかしなくなるから」
スクリーンから目を離さずに宣言するや、アキヒは雑音もシャットアウトして、小さな数字に目を走らせ始めた。
まずは地点ゼロに登録しているアキヒ自身を起点にする。地点ゼロ付近を飛ぶ一匹の蜂が、半径30センチの周辺の温度を計測している。毎秒6メートルの速度で飛翔しながら、0.1秒ごとに計測。そのデータの時点aからa+1にかけて、アキヒの体温が計測されている。30センチ径の球内の温度は立体サーモグラフとして計測されているのだが、専用アプリがないので、画像表示はせず、便宜上規則的にデータを抜き出して数値で表示している。その数は、計測一回ごとに約100に絞った。体温データの分布を見ると上方向が途絶えているので、アキヒの頭の横を横切ったようだ。
アキヒの体に寄り添うように、別の体温がある。全体的に、やや温度が高い。王子だろう。時点は、蜂たちの異常行動の3分前。おそらくは刺客による襲撃の10分ほど前だろうか。
アキヒの目は、地点ゼロ近くの別の蜂のデータに移る。同時点で、緊張によって分泌が増すホルモンの値を計測したデータを見る。高価なイチゴの警備を兼ねて、採取しているデータだ。アキヒの値は通常よりやや高いが、異常ではない。そのまま、自分の体温とホルモン値に意識を固定して、時間を進める。
計測に携わる蜂は随時変わるので、追う値は同じでも、アキヒの指は上下左右のスクロールを止めることはなく、視線はあちらこちらに飛ぶ。その視線移動に一切の無駄がなく、転じた先に求めるデータ値がぴたりとくるようになると、「リンク」が完了したという実感がある。
アキヒの測定ホルモン量が徐々に上がっていたのが分かる。王子が、ずっと隣にいる。敢えて当時の状況を思い返したりはしない。
おそらくは、襲撃の、瞬間。
王子の体温が急上昇した。1秒に満たない間の危険察知と回避行動。その回避はアキヒのためで、王子自身の回避ではなかったのだが。
王子の数値は急激に変化して離れたのに、アキヒ自身のホルモン値は直前の値を維持したまま。放り出されたことに混乱してはいるが、尋常ではない事態が起こったことに、まだ気づいていない。
事務的に、アキヒはその時点における周辺の体温データを走り読む。
すぐそばにひとり。これはシオンだろう。倒れた王子と、3メートル離れて、ひとり。さらに2メートルほど離れてふたり。
とすると、位置関係からふたつめの体温が、刺客のものだろう。
まったく正常値の体温。ホルモン値も低い。淡々とデータを解析しているつもりでも、ひやりと腹の底が冷えた。
そのまま、刺客に意識を固定して、今度は時間を遡り、位置移動を追いかけて、データの海を泳ぐ。刺客が、物陰から飛び出る直前まで、わずかに高い体温と、かすかな緊張と、多めの心拍数をしていたことがわかる。そして、それをひと呼吸の間に正常値にまで引き下げるという、驚異的な制御をしたことも。
プロなのだ。
アキヒは、ほんのわずか揺れた意識を、自分で叱咤した。
(私だって、プロだ)
そして、ことデータ解析に置いて、負ける気はないのだ。




