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一話

以降、毎日午前零時に投稿します。二十話完結。楽しんでいただけますように。

 ぼんやりと、空を見上げる。

 澄み渡った青さからは、昨日の大雪の名残は見出せない。

 今日は降るものといえば柔らかな日差し。周囲には、ほどよく遠い人のざわめきと、軽くて小気味好いいくつもの羽音があるだけだ。

 寝転がるアキヒの体からもう力は抜けていて、眩しいほどの視界に自分の睫毛がゆるゆると落ちかかって来るのを受け入れようとしていた。


「おーい。いちご姫ー!」


 遠くてもはっきりと、不愉快な呼び声が聞こえたので、アキヒは速やかに覚醒して渋面を作り、去ってしまった柔らかな眠りを悔しく見送った。

 肘をついて体を起こすと、頭の上からミツバチが数匹、慌てて飛んで行った。頭に飾ったいちごの花に寄っていたのだろう。アキヒは花をそっと整えると、一息ついて白いベンチの上に行儀悪く立ち上がり、呼びかけに答えた。


「ここです」


 柔らかく甘い掠れのある声は、いくつもの視線を引き寄せることになった。

 高層建築物に溢れた空の都市クーロウ、その最高峰である都政宮の屋上に据えられた巨大な温室、中央。煉瓦と緑で飾られた小高い丘のてっぺんに、ほんのりピンクの差しが入った白いドレスを着た娘が、豊かな紅い髪を腰まで垂らし、頭上には銀のティアラにいちごの花と葉をあしらって、そっと下界を覗いていた。

 仰ぎ見た誰もが、ふんわりと甘い中にも瑞々しい酸味があるあの果肉を思い浮かべただろう。

 その見た目こそ、ここ数年このおいしいバイトを勝ち取れてきた要因であると、アキヒは重々承知していた。なので、せいぜいにっこりと口角を引き上げて、立っていた。

 やがて、アキヒのいる丘の上までせっせと登ってきたのは大学の先輩だ。所属研究室は違うが、教授から学生まで研究室ぐるみで仲の良い部屋の古参の院生、なのだが、親しく話したことはない。ただ、彼がアキヒとは別の仕事でここにいることは知っていた。ふたつの研究室共同で請け負った大仕事に、駆り出された学生たちがひいひい言いながら準備をしていたそのときに、どこかにふらりと消えて手伝いもしていなかったことも。

 つやつやした顔に金茶の縮れ毛を貼り付けて、丸々した身体で意外と素早く段を登ってくる。大学で見かけるときは常にファー素材のベストを着込んでいるのだが、この暖かな空間でも彼のスタイルは変わらないようだ。

 アキヒには、彼がマルハナバチにしか見えない。いちごの花を目指して、ぷりぷりの重たげなお尻で必死に飛んでくるかのようだ。愛らしすぎる。真っ赤な顔をしてふうふう言っているようだが、こちらから降りて行って合流しようとは、少しも思わない。愉快な動作が見られなくなるし、面倒だし。


「やあ、流石にいちご姫は本番前でも落ち着いてるね。会場の確認をしてたんだろ? どうかな、今年のセッティングは」


 ようやく辿り着いて、やたらにこやかに話しかけてくるのに、アキヒは少しだけ首をかしげた。

 別に会場の確認はしてはいなかったし、どうかな、と尋ねるその意図がまるで掴めなかったのだ。会場設営なんて、彼にも関係ないだろうに。

 彼とこうして一対一で向かい合うのは初めてだ。彼、と呼ぶほかないのは、名前もあやふやだからで。こんなわけのわからない問答を仕掛けられる謂れはない気がした。だが、馴染みの研究室の院生を無碍に扱うのもよろしくないという自覚はあったので、一応、答えを探してみた。

 まあ、無難な答えが吉だろう。


「今までにない地形になってますね」

「そうでしょ! 毎年、こう、舞台に広さはあるけど客の視点の動きは単調だし、それを上下に振ったらもっと新鮮で奥深くなるんじゃないかと思ってね! よかった、いちご姫がそう言ってくれるなら、安心だよ」

「あ、いえ——」


 無難な答えが、吉。けれど、話が歪曲されるなら、黙って見過ごすことの出来ないタチだ。


「はっきりと言うなら、まあ目新しいけど、個人的にプラスの評価はしてないです」


 そして、相手に取って都合の良い解釈を、遠慮なくきっぱりと否定をした場合、たいていは、場が凍る。


「……えと、どういうことかな?」

「え、説明した方がいいですか?」

「うん、ぜひ教えてよ」


 笑みの形に細められた目の下瞼がピクピク動いていた。

 うわ、嫌なパターンだな、とアキヒはげんなりした。


「えー、それなら。……私たちが立っているこのとんがり山ですけど。高いから目立つかも知らないけど、ここでなにかやっても観客からは遠いし、首は疲れるだろうし、逆光だし、斜面のとこのいちごは取りにくいだろうし。

 これは舞台劇じゃなくていちごを目玉とした観光イベントだから、別に深みはなくても問題なくて、目的は宣伝効果をあげるとかイベント内容をきちんと伝えることですよね? いちご狩りの説明もあるから、おいしいいちごの見分け方とか摘み方とか、手元をよく見せないとわからないですよね」


 彼はもこもこの腰に手を当てて、ふん、と鼻を鳴らした。もはや笑みの欠片すらない。


「天井から超小型カメラを吊るして、計算し尽くした角度で遠距離撮影してる。お客はあちこちのモニターを見て、君の表情の細部までちゃんと見るよ」

「え。いや、私、単なるバイトだし、顔アップにされても困りますけど。でも、いちごとか手元の説明がちゃんと写るなら、それでいいのかな。……ただ、それなら」


 アキヒは、さすがに一度言葉を切った。けれど、目の前で露骨に不機嫌な顔をし始めた青年は、今は到底、マルハナバチには見えない。つまり、愛らしくない。

 尊大に、ナニ?と促されたので、そのまま素直に思ったことを言うことにした。


「それなら、つまりお客がモニターを見るなら、このとんがり山なんてますます要らないですよね。視点の動きも関係ないしね」


 彼はかっと目を剥いて、ぐぐ、とおかしな音を出しながら、


「ぼ、僕が話したのはね、挑戦とその理由とであって、結果がすべて論理的な思考に沿っているべきとか思っていたら、芸術なんか生まれないんだよ!」


 捨て台詞を残し、どすんどすんと段を降りて行った。

 途中から緑の茂るアーチに入ってしまい、見えなくなったその後ろ姿は、やっぱりマルハナバチに見えたが、もはや可愛らしさは半減している。

 彼の言葉は、理解が及びそうにないので右から左に流した。そも論理的であることを否定する人の主張を理解するには、きっと超能力かなにかが必要だ。芸術のすべてに論理を押し付けるつもりはないのだけど、今一度確認するなら、彼は理系研究室の院生のはずだ。


「……なぜ芸術? ていうか、あの人会場設営に口出ししてるの? どおりでみんなの作業の時いなかったわけだ……」


 実を言えば今年の中央に舞台を高く据えた会場には、ほかにも気になるところはいろいろあった。些細なものでは、逆光で服が透けそうで気になる、とか。高いところが好きな人みたいでやだ、とか。


「そもそもこの設営案が承認されていること自体不思議なんだよね。偉いひとの警護面で問題が多そうなんだけど。全方位への警戒が必要になるし、無用な高低差は死角も産むし。警護側としては許容しないのが普通なんじゃ……。まあ、関係ないよね、うん」

(というより、あのひとがそんな迂闊なわけないから、むしろ、うさんくさいというか)


 イベントの裏の目玉とも言われる、都市のえらーい人を思い出したところで。あまり深く突っ込むと怖いし、ミーハー的興味も無いので、アキヒはそこで思考を散らした。

 また頭の花に蜂が戯れるのを指先であしらいながら、白いベンチにぼんやりと座る。と、不意に頭上に影が差した。

 雲にしては濃い。都の上空は航空機の飛行は禁止だ。では大型の鳥か、とガラスの向こうの空を見上げると、ごく至近距離に影の主がにっこりと笑って覗き込んでいた。


「関係ないとは、つれないね」

「い、いつの間に」

「普通に登って来たよ、スタッフ用の通路からね。もうすぐ、イベント開始だろう?」


 首筋を半分隠すほどに揃えられた柔らかな癖のある白金の髪、アカシアの葉のような銀緑の目。ほんのりと微笑を残した顔は美しく、すらりとした身体は優雅さと同時にさりげない逞しさも備えている。

 ミルヒ・ウィトゲンシュテイン。この空の都市クーロンを統べる大統領の、第一補佐官であり、その息子。そして本日の裏の目玉、その人だ。

 ちなみに、表の目玉はもちろん、いちごである。

 気安い口を聞いているが、アキヒより八つ年長であり、秘書でありながら既に大統領の政務をいくつか肩代わりしている切れ者で、慣習的に世襲が続く大統領位の後継者として揺るぎなく、今、この都市で一番の優良物件、らしい。

 五年前にアキヒが初めてこのバイトを引き当てたときは、彼はイベントの企画者というだけだった。それが、たまたま広報誌に載ったアキヒとのツーショットの受けが大変よかったために、いちご外交に力を入れているこの人は毎年イベントに参加するようになった。

 アキヒがいちご姫なら、彼は、名前そのまま、ミルク王子。さっぱりの喉越しでいながら仄かな甘みとコクをもたらす、甘酸っぱいいちごと相性抜群の組み合わせ。

 ——それはあくまで、売り出し用のキャッチコピー。ファンタジー、でしかない。

 まだ若いとはいえ、魑魅魍魎の跋扈する都政治のど真ん中にいる男だ。爽やかで甘いだけで務まるはずはなく。

 アキヒは彼を、発酵乳チーズ王子、と密かに呼んでいる。それも慣れない人なら食べ物とも思わない、青々とした特別強いにおいのする、あれである。

 今日もその爽やかな笑顔から、やたらに胞子が飛んでいるように見える。

 アキヒは、チーズは嫌いではない。むしろ、お酒の供として尊敬している。だから、チーズ王子にも嫌悪感を抱いているわけではないのだが。


(これだけ胞子を飛ばしてるのに、だれも気がつく様子がないっていうのが腑に落ちない!)


 

 王子側も、そんなアキヒの反応に気がついていて、面白がって観察している節がある。彼は、アキヒ相手にはどこかざっくばらんで、いうなれば、適当、雑だ。なのに周りには、それは親しさと映るらしい。そんな認識の差で、ひどい誤解をされることもある。婚活中の大学の知人に、真剣に彼への紹介を頼まれ、良識的に断ると、「やっぱり貴女たちできてるのね、ばかにして!」といわれのない恨みを買うという理不尽が、この五年間にそこそこ起こっている。


「関係ない、とか、言われるとはね」

「まだ引っ張るの。だって、関係があるって考えるだけでも怖いじゃない。そういう、専門性の高い・・・・・・話題には、巻き込まないでよ」

「まるっきり専門外ってわけじゃないよね? 大学で、地形戦略を選択してるって聞いたけど」

「……どこからそんな情報を手に入れるの? 選択してるって、もぐってるだけなのに」

「君が思うより、僕は君が気になっているってことだよ」

「それ、ちゃんと『人材として』とか『使えそうだから』とか、本音のフレーズを組み込んでしゃべってよね。ささいな誤解から、ほんと、とんでもない嫌がらせとか勘違い週刊誌の張り込みとかに発展するんだから……。いや、そんなこと知ってるはずだから、確信犯? 確信犯なの??」

「君って、頭の回転はいいし、能力もあるし、人材としても秀逸だけど、とにかく面白いよね。一生そばにいてほしいよ」

「そういう腹黒い発言で人の首締めるのって、ハラスメントだと思う!」


 ははは、と爽やかに笑みを零した王子は、隙のないエスコートでアキヒを空の都市で今一番高いステージの中央に導いた。


「さあ、いちご姫。ここが、今日の舞台の最高の観覧席だよ」


 耳元にかがみ込んで落とされた囁きが、引き金を引いたように。

 遠い空の高みで真昼の花火が鳴り、開場が知らされた。



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