六
最終話です。
色々きつい、とホムラが呟くのを、月華は首を傾げて受けとる。
マイハマの街の象徴、〈灰姫城〉。そこで行われているのは、〈円卓会議〉と〈自由都市同盟イースタル〉との条約締結を祝う舞踏会である。
ザントリーフでの戦いは、クラスティが〈緑小鬼の将軍〉を倒したことにより決した。とはいえそれですぐさま全てが終わったわけではなく、残党の処理には一週間がかかった。それに、〈緑小鬼〉との戦いの全てが終了したわけでもない。あくまで一旦の休養期間である。
その間に、二つの組織は条約を結んだ次第だ。今日は、その祝宴である。
何がきついのか解らず、月華はホムラを見上げる。普段はあまり気にしないが、ホムラの目線は背が高いとはいえ女性である月華より幾分か上に位置している。
「この格好だよ。スーツだって着たことないのに、タキシードとかレベル上がり過ぎ」
そう言って、ホムラは首元を少しだけ緩めた。
〈冒険者〉とはいえ、このような場所では礼服の着用は免れない。この場にいる全員がきらびやかな衣装に身を包み、歓談を楽しんだり、音楽に合わせて踊ったりしている。ちなみにダンスをしている者達の中心にいるのは、我らがミ・ロードのクラスティと、〈自由都市同盟〉が誇る美姫、レイネシアである。
「まあ確かに、ちょっと気恥ずかしいよね」
月華は苦笑した。
月華もまた、いつもの武装を脱いで、きらびやかなドレスをまとっている。
胸元に銀細工の大きめのブローチを光らせた夜空色のカクテルドレスは、この日のために買い求めたものだ。いつもはポニーテールにしているだけの髪も、かんざしに似た髪飾りでまとめあげている。いつもの戦闘ドレスとは違う、きちんとした礼式のドレスだった。
その姿に、ホムラは思うところがあるのだが、月華は気付きもしない。
彼に好意を持たれていることは理解している。だがそれにどう対応すればいいのか、月華はよく解っていないのだ。ほかのことには必要以上に大人びているのに、こと恋愛に関しては幼稚――というより無知と言えた。
そんなふたりの微妙な空気の間に、無遠慮にも割り込む者がいた。
「月華さあん、ホムラくうん!」
元気よく小走りで駆け寄ってきたのは、薄桃色のドレスを着たルイだった。レースをふんだんに使ったロリータ風のドレスは、愛らしい彼女によく似合っている。月華は笑顔で迎え入れたが、ホムラはちょっと不満そうだった。
ルイはどこかで酒を引っかけてきたのか、白い頬に僅かな朱が差していた。潤んだ大きな瞳も相まって、庇護欲をそそる姿である。可愛いは偉大だよなあ、と、どちらかというと大人っぽい――世間一般の評価は格好いい――容姿の自覚がある月華は、少しうらやましく思う。
ルイの後を追いかけてきたのは、ホムラと同様タキシード姿のクロッドだった。焦った様子と、小さく遅かった、と呟いたことから、ルイを何とかして止めようとしたのだろう。
そんなに酔っているのだろうかと彼女を見れば、いつものにこにこ笑顔が、今日は四割増しであった。もはやにこにこではなくへらへらである。否、にへらにへらだろうか。
「……ルイってお酒弱いの?」
月華がおそるおそる尋ねれば、クロッドはそもそも酒飲めません、と首を振った。
「僕もですけど、未成年ですよ、彼女。酒なんて今日初めて飲んだんです」
「そもそもどうしてお酒なんて……」
「ジュースと間違えて飲んだみたいです」
「……べただね」
「ええ、べたです」
クロッドは神妙に頷いた後、苦笑した。それから、辺りを見回す。
「蒼月さんは、今日はいないんですか?」
「兄さんは今日、私の友達を城下町でエスコート中」
月華はに、と笑って、手のグラスを揺らした。ちなみに、中身はジュースである。彼女もまた、ルイやクロッドと同じく未成年――とはいえ、十九歳という微妙な年だが――であるため、酒は口にしていない。
もし兄がいたら、けろりとした顔で酒を煽り続けていただろうが、前述した通り、蒼月はここにはいない。
彼は、今回の戦線に参加しなかったリリアと城下町デート中である。参加しなかった、とはいえ、リリアは別に、この戦線で何もしなかったわけではない。
リリアは〈D.D.D〉の資材班に所属している。今回の大規模戦闘でも後方支援に回っていた。リリア本人は戦闘に参加できなかったことに申しわけ無さを感じていたようだが、充分重要な役割を担っていたと、月華は思っている。
蒼月もきっと同じ思いだろう。だから、遠慮するリリアを連れて、城下町の祭りに出かけたのだと、月華は推測していた。
そう説明すれば、足元のおぼつかないルイを支えたクロッドは、好奇心にか目を輝かせた。
「そうなんですか。あの、その人と蒼月さんって、付き合ってるんですか?」
「いや、そういうわけじゃないけど……でもリリアの方は、ね。本人から直接聞いたし。お似合いだとは思うけど、付き合うようになるのは、まだ先かなー。あ、ここだけの話ね」
他言無用だと言外に告げれば、クロッドは一瞬きょとんとした後、素直にこくりと頷いた。ルイは無反応だが、そもそも聞こえているかどうかが怪しい。
月華は肩をすくめてから、兄に思いを馳せて眉をひそめた。
「兄さん、飲み過ぎないといいけど」
「蒼月、酒弱いのか?」
ホムラに尋ねられ、月華は首を横に振った。
「むしろ逆。あの人、めちゃくちゃお酒強いんだよね。ザル――いや、それを通り越してるな、あれはワクだね」
「ワク?」
「お酒に凄く強い人のことをザルって言うだろ。その上がワク。ザルはすくったそばから隙間からこぼれていくけど、ワクはそもそもすくえない――そんな風にお酒を飲む人のこと」
例えば、一升瓶の日本酒をひとりで空けてけろっとしていたとか、周りが潰れていく中でひとり素面となんら変わらないまま黙々と飲み続けたとか、道場の門下生が二日酔いで苦しむ中、同じ量を飲んだはずなのに平静と変わらぬ様子で朝から素振りをしていたとか、そんな武勇伝はざらにある。蒼月にとっては、酒は文字通り水でしかないのである。
本人は、そんなこと無いよと笑うのだろうが。
遠い目になっていく月華を前に、ホムラとクロッドは顔を見合わせた。ルイは口元をだらしなく緩めながら、半ば夢の中に足を突っ込んでいる。
月華は我に反って、誰にともなく咳払いをした。
「まあここにいない人のことあんまり言ってもね。私達は私達で楽しもう」
「楽しむったってなあ」
ホムラはがりがりと頭をかいた。
「飯ぐらいじゃねぇかな、俺らが楽しめんの」
「……まあ、確かに。ダンスも、できる人間限られてくるよな」
ホムラの言葉に、クロッドは頷く。
「……その限られてる人間のひとりである隊長って何なんだろうね」
月華が遠くのクラスティを眺めながら呟けば、そこにあるのは沈黙だった。
「……あの人、何者なんですか」
「うちのギルマス。……そうとしか言えない……」
クロッドに力無く答え、月華はジュースを飲み干した。
「そういえば、アシュラムは?」
「あいつは、来ないっていってました。こんな華やかなところ、嫌いなんです」
クロッドが頬をかけば、月華はあいまいな笑みを返すしかない。切り替えるように、全員を見回した。
「飲み物取ってこようか。ルイには水かな」
「あ、僕が取ってきます」
「いいよいいよ。あ、わざわざ取ってこなくても、給仕さんに頼めばいいのか」
すみませーん、と声をかけると、銀盆を持ったエルフの若い給仕が駆け寄ってきた。彼にジュースを三つと水を頼んだ後、振り返る。
「食べ物もいる? 私取ってくるよ」
「……あの、月華さん? 貴女僕達の上官ですよ? 直接じゃないにしろ、上司にばっかり動いてもらうのは……」
遠慮するクロッドに、月華は笑顔で手を振った。
「気にしないで。ここでは上下は無し。ね」
「でも……」
クロッドがまごついている間に、月華は行ってしまった。クロッドは上げかけていた手を、しかたなく下ろす。
「月華さん、あんまり上下関係気にしない人なのか……?」
「いや、月華は上下にはどっちかっつーと厳しい方だよ」
ホムラは近くの壁にもたれかかった。
「あいつの実家、剣道場だからな。昔からその辺しっかりしつけられてたんだと。だから上下関係だけじゃなく、礼儀作法もばっちり身に付いてるぜ。まあ、それがこの場で役立つかどうかはまた別だけど」
「へえ。月華さんがそうなら、蒼月さんもか。そっか……あのふたりがしっかりしてるのって、そういうことか」
「それだけじゃないけどな、勿論。本人達の性質だろ」
ホムラの視線は、皿を一つ取って首を傾げている月華に向いている。何を取るか迷っているのだろう。
「それに話聞く限りじゃ、幹部メンバーの中で最年少とまではいかないまでも、若い部類に入るみたいだしなー。気遣いするのが当たり前になってんだよ。特に月華は、クシの姐さんの片腕みたいなのやってたから」
「クシさんですか……今、テンプルサイトにいるんでしたっけ。今でも色々やらかしてるんでしょうね」
「みたいだよ。そもそも〈大災害〉初日からやっちまってるみたいだし……あ」
ホムラの眉間に深々としわが作られた。ナイフで切り付けたようなそれは、視線の先の状況によって生まれている。
視線の先。そこには月華がいる。それは先ほどから変わらない。問題は、月華の傍に立つ男だった。
仕立てのいい礼服をまとった、背の高い優男である。細身ながら服の上からも解る程度には身体は鍛えられており、甘く整った顔立ちは上品そうだが、ホムラにはいい印象を与えない。
ホムラは無言でふたりに歩み寄った。回復職とは思えぬ、厳めしい表情である。
近付くごとに、ふたりの会話がはっきりと聞こえるようになってきた。
「ほう、では、貴女はクラスティ殿の率いる騎士団の上官なのですか」
「そうなります。ただ、訂正させていただきますけど、我々〈D.D.D〉は騎士団ではなくギルドです」
「ギルド――ですか。我々〈大地人〉にとっては、聞き慣れない言葉ですな。具体的にはどう違うのでしょうか」
「それは」
月華の言葉が不自然に途切れた。ホムラが強引に腕を引き、男から無理矢理距離を取らせたせいだ。
「ホ、ホムラ?」
「…………」
月華の戸惑いの声には答えず、ホムラは男を睨み付ける。男の方はなぜ睨まれているか解らず、困った顔でホムラを見返した。
「お連れですか?」
「ええ、まあ……」
月華もまた、困惑の表情で返答する。
男はしばし月華とホムラを交互に見ていたが、やがて、では私はこれでとそそくさと去っていった。
月華はため息をつく。
「ホムラ……一体何?」
「……別に」
ホムラはふい、とそっぽを向く。月華は苦笑を浮かべた。
「何怒ってるのか解らないけど、別に私、何もされてないよ? 今回のことと、ギルドのこと訊かれただけ。あの人、騎士団に所属してるらしくて」
「別に怒ってないし」
ホムラはむくれた顔を隠そうともせずに呟いた。月華は首を傾げるばかりである。
ふたりの間の認識の差をきちんと理解できたのは、遅れて歩み寄ったクロッドだけだった。
―――
マイハマの城下町は、夜になってもにぎやかさを失わなかった。これは都会だからというわけではなく、条約締結を祝う祭典に際して訪れた行商人達が露店を出し、今なお商売を続けているためだ。それを目当てに、全ての店を回らんとする勢いで、〈大地人〉だけでなく〈冒険者〉までもが今なお歩き回っていた。
蒼月とリリアもまた、その内に加わっている。今は休憩と食事を兼ねて、酒場に腰を落ち着かせていた。
「ごめんなさい……私、に、付き合わせてしまって……」
今日何度目かのリリアの謝罪に、蒼月は苦笑するしかない。
最初は気にするなとか好きでしてるからなどと返していたが、それがリリアの癖であることを思い出し、何も言わなくなっていた。
代わりに今は、机の上の料理を勧めた。
「これうまいよ」
リリアの方に押し出したのは、野菜と豚肉の煮込み料理だった。味付けは塩とこしょうだけの簡素なものだが、食材の味が色濃く出ていて素朴な味わいがあった。
困り眉のリリアはそれを皿に盛って口に含む。とたん、ほわんと頬が緩んだ。
「おいしいです……」
「だろ」
蒼月は杯の中の酒をあおった。これで五杯目であり、値段が高い分かなりアルコール度数も高いのだが、彼の顔色は一切変わることがない。
それどころか、近くの給仕にお代わりを要求する始末である。
周囲の〈大地人〉酒飲み達は若い優男に負けじと酒をかっくらい、最終的に明日苦しむことになるのだが、そんなことはそれこそのちの話である。
対してジュースを飲みながら、リリアはその飲みっぷりを驚きもせず眺めていた。
リリアは蒼月、月華兄妹とはリアルでも知り合いである。当然蒼月の酒豪っぷりも知っており、今更驚嘆する事実でもなかった。
ただ、蒼月の発した言葉には目を見開いた。
「今回の戦闘で実感したよ。俺はまだまだだって」
「……どういうことですか?」
未だ最高レベルにも至っていないリリアからすれば、蒼月はトップクラスの実力者だ。〈武士〉としては、アキバでも上位に食い込んでいると思っている。なのになぜ、彼はそんなことを言うのだろか。
だが、蒼月は首を横に振った。
「俺自身はそう思っていない。そうでありたいと思っているし、そうなるように努力している。だが、それだけじゃ駄目なんだ」
「駄目っ……て」
「ただの努力じゃ駄目だ。そこから更に一歩踏み込まないといけない。月華を見て、確信した」
蒼月は新たな酒を受け取り、それで唇を湿らせた。
「一歩――そうだな、新しい技や技術を作り出す気持ちでなきゃいけない。例えば、今アキバは技術革新が盛んだろう。ゲーム時代には無かった味の付いた料理に装備品じゃない服飾、肌着といった生活に関係するものから、機械類に至るまで――だがそれらは、現実世界出身の俺達にとっては目新しいものじゃない。この世界にとっては未知の技術でも、俺達からすれば既存の技術だ」
「それは……確かに」
リリアは小さく頷いた。
アキバは現在、発明ラッシュだ。それは間違いない。だが今のところそれは、現実の技術をいかにこの世界に再現するかにとどまっている。全てがそうではないが、大半が再現止まりであることも事実である。
新しい何かを作るというのは、それだけ難しいことなのだ。一口に努力と言っても、それだけで新しいものを生み出すことは不可能である。現実世界でもこの世界でも、規格外を作り出すことができるのはほんのひと握りでしかない。
そのひと握りが特別というわけでは勿論ないが、限られた人間であることは間違いないだろう。
蒼月は、その限られた人間になろうというのだろうか。
「実を言うとさ、掴みかけてはいるんだ。ただ、形になっていないだけで」
蒼月は苦笑を浮かべた。
「形にするためにも、もう少し鍛練を積まないと……目標は、今年中に」
「できる……んです、か?」
「できるかじゃなくて、するのさ。ゴブリン王討伐まで、まだ時間がある。それまでに、俺は俺のできることをする」
「蒼月、さん……」
リリアは大きな目で蒼月を見つめた後、うつむいた。その様子が常とは違うように感じられ、蒼月は心配になって身を乗りだし、顔を覗き込む。
「リリア?」
「私、もっ……」
突然、リリアは大声を上げた。いつも囁くような声の彼女らしからぬ声量に、蒼月は目を剥く。
「リリ――」
「私も、お手伝い、させてくださいっ」
うつむいたまま、震える声で、しかしはっきりと、リリアは言葉を紡ぐ。
「ずっと、ずっとずっと、蒼月さんのや月華に、助けてもら、もらっていました。だから、い、いつか、恩返しがしたかったんです……だから、手伝わせて、ください。何でもしますとは、言えません……私、弱いから、できること、少ないから……だから、で、できること、します。一緒に、考えたり、戦いで、補助、したり……」
「…………」
最初、蒼月は断ろうと思った。そんなこと気にしなくていいとか、君は自分のことだけ考えていればいいんだとか、そんな優しい言葉でなだめようとした。
だが、直前で飲み込んだ。
そんな言葉は、上っ面の中身の無い戯言だ。真剣に、真摯に、本気で言葉を紡ぐリリアに対して、あまりにも失礼極まりない。
なら蒼月にできるのは、それに対して真正面から受け止めることだけだ。
リリアは仲間だ。力も実力も関係無い、共に戦う仲間だから。
だから、真剣に、真摯に、本気で受け止め、応える。
「ありがとう」
そう言うと、リリアはぱっと顔を上げた。紅に染まった頬に、喜色も浮かべて。
「一つ約束。無茶はするな。俺を手伝うって言った以上、厳しい状況にあえて飛び込むことも確実にある。だから何より、生き残ることを優先するんだ。……死なないのに、変な約束かもしれないけどな」
「いえ、いいえ……!」
リリアは目を潤ませ、何度も首を振った。その様子に、蒼月は苦笑して見守る。
この時の約束は、蒼月にとって、そしてリリアにとっても何より重要な約束になるのだが、それはまだ、先の話である。
最終話、無事投稿することができました。
ザントリーフでの月華達の話は、これで終了です。前作の『アキバヘの旅程』より短く、その分一話一話の中身が濃くなりました。……濃くなってると願ってます。
次回はザントリーフと天秤祭の間のエピソードを書こうと思ってます。いつになるのかは解りませんが、目標は年内です。とりあえず今はじっくり構想を練るとします。
では皆さん、またいずれ。