五
レイネシアがその不思議な格好の人物に会ったのは、クラスティのところを高山三佐と共に後にしてしばらくしてからだった。
「三佐さん、お疲れ様です。そっちの首尾はどうですか?」
そう声をかけてきたのは、〈狼牙族〉の女剣士だった。
彼女が剣士だと解ったのは、彼女の腰に携えられた双刀があったからだ。そうでなければ、彼女を剣士――否、そもそも戦士であることすら判別できなかっただろう。
なぜなら、彼女がまとっているのは重々しい鎧ではなく、仰々しい布鎧でもなく、華やかかつ艶やかなゴシックドレスだったからである。
フリルや装飾品で飾られた黒いドレスは、とても戦場に向いているとは思えぬ格好だった。まだしも、レイネシアが着せられている鎧の方が防御に期待が持てそうだ。
――というか、胸元凄い空いてて谷間が……!? す、スカートも短い上にスリット入ってるし……!
貴族の娘として多くのドレスを持っているレイネシアですら見たことが無い、動きやすさと引き換えにして露出多過気味なドレスである。おまけに着ている本人が背の高い、スタイルのいい美人であるために、かなりの迫力があった。高山もそうだが、小柄なレイネシアでは見上げねば視線が合わない。
目を白黒させているレイネシアに気付いたのだろう、女剣士はレイネシアを見、どこか鋭さの含んだ顔に柔らかな笑みを浮かべる。笑うと、幼さが表面化した。
「初めまして、レイネシア姫。〈D.D.D〉所属、月華と言います」
ポニーテールを揺らして頭を下げた女剣士――月華に、レイネシアもまた、礼をする。
「初めまして、月華様。……戦ってくださいまして、ありがとうございます」
「当然のことですから。私も、〈冒険者〉ですし」
月華の言葉に、やはり彼女もまた〈冒険者〉なのだと認識し、レイネシアは内心で理解不可能の項目を増やした。勿論、顔には出さない。
だが、彼女はやはりあの脳喰らいの眷族だった。月華は顔を上げたレイネシアと目を合わせ、苦笑を浮かべる。
「〈大地人〉から見て、やはり私の格好は奇妙に思えますか?」
「えっ……い、いえ、そんなことは……」
「正直におっしゃってくださいな。私もちょっと、これは状況と合わないなー、と思ってますから」
ふふ、と笑う月華に、レイネシアはあいまいな笑みを返す。ならばなぜ、彼女はこのような格好をしているのだろうかと、些細な疑問が浮かび上がった。
レイネシアが頭を悩ませている間に、高山と月華は互いの情報と意見を交換していた。レイネシアを無視する形になり、貴族社会においては無礼以外の何物でもないが、レイネシア自身は今更気にしない。エリッサ辺りがいれば憮然としたかもしれないが、彼女はここにはおらず、そもそもこの場における〈大地人〉はレイネシアひとりだ。
情報交換を終わらせた後、高山は月華に尋ねた。
「月華さんは、変わらず前線に?」
「勿論。穴を開けるわけにはいきませんし、少しでもクシ先輩の代わりになるようにしたいですから」
月華がクシ先輩、と言ったとたん、高山は頷いた。
「そうですね。クシ先輩が帰ってくる『まで』、月華さんには頑張ってもらわないといけませんから」
どうしてまでを強調するのだろうと、レイネシアは高山をうかがう。一方の月華は肩をすくめた。
「解ってますよ。……レイネシア姫」
「え、あ、はい」
「貴女の演説、凄く感動しました」
月華は真剣な目でレイネシアを見た。
真剣な――真摯な目で。
「貴女の演説を受けて、私はここにいると言っても過言じゃない。もし貴女の演説がなかったら――貴女じゃなかったら、私は――私達は、ここまで実力を発揮できなかったと思います」
「…………」
「お礼を言わせてください。そして――最後まで、私達の戦いをみていてください」
月華はにっこり微笑み、踵を返して行ってしまった。
レイネシアは高山を見上げる。
「あの方は……」
「〈D.D.D〉の幹部のひとりです。大規模戦闘部隊を、私と共に指導する役目を負っています」
「……でもあの方は、前線で戦っていらっしゃるですよね」
「そういう戦い方をする娘なんです。彼女が師事していた人と同じ戦い方をしてるんですよ」
「そうなんですか」
「ちなみに」
高山は、誇らしげに胸を張った。
「私もその人に師事していたんです」
よほどその人物を尊敬しているのだろう。おそらくは、月華も、また。
――お礼を言われるなんで、思ってもみなかった。
レイネシアは不思議な気持ちになる。
変わった人だと、彼女の心の隅に、かの〈冒険者〉は留まった。
―――
装備を確認する。全て問題無い。
ステータスにも、異常は見られない。
全てを確認し終えて、クロッドはため息をついた。
さきほどのホムラとのやり取りが、クロッドの胸に引っかかっている。棘に返しでもついているのか、どんなに頑張っても取れることが無い。忘れようにも、小さくも確かな痛みは存在を強く主張している。
大きくはない、だが小さな痛痒は、小さいからこそクロッドの胸を苦しめている。
それがため息に出ていたのだろうか。それをルイに見咎められた。
「どうしたの、クロッド」
ルイの表情は、心配そうだった。
ルイとは、ゲーム時代を含めればそれなりに長い付き合い。互いに気心も知れている。それはアシュラムもそうだったが、無口で、ゲーム時代はほぼチャットで会話していた彼とは違い、ルイとの方が会話がスムーズにできる。
「……ルイはさ、他人の役に立ちたいって思ったこと、ある?」
「え?」
「〈エルダー・テイル〉を始めて、このゲームの中で出会った人の役に立ちたいと思ったこと、ある?」
「それは……」
「あるいは、現実化したこの世界で、誰かを助けたいって、思ったこと、ある?」
「…………」
ルイは黙り込んだ。言っていることを理解できない半分、それに答える術を持たなかった、が半分という顔をしている。彼女の隣で用意をしていたアシュラムは、表情こそ覆面で解らなかったものの、こちらに意識を向けるように顔を上げた。
ルイもまた、クロッドと同じなのだ。そんなことを考えもしなかった。思いもしなかった。頭をよぎりもしなかったのである。
自分ひとりではないと知ると、人間は安心するものだ。クロッドはため息をついた。今度は、安堵のため息である。
「いや、何でも無い。忘れてくれ」
「ホムラ君に何か言われたの? 話してたみたいだけど」
「別に。本当に何でも無いんだ。僕が勝手に、悩んでるだけ」
クロッドは首を振った。ルイの瞳がかげる。
「クロッドって、けっこー好奇心旺盛でいろんなこと首突っ込んで……で、たまに意外なことで悩んでるよね」
「そう……か?」
「そうだよ」
そう言いつつ、ルイは視線をそらした。
誰かを助けたい、役に立ちたい――そう思ったことがないことを恥じたのはクロッドだ。同じことをルイに求めることは酷だし、そもそも同じ思いをクロッド以外の誰かに抱けというのは無理な話である。
だが、質問に思うところが無いかといわれれば、それは違うだろう。
ホムラは言った。〈大災害〉直後、誰もが自分を保つのに精一杯だったと。
それは、今もだ。今もなお〈冒険者〉は、自分のことで精一杯なのだ。表面上はゲーム時代と変わらなくなりつつあるが、内心では他人のことにまで気が回らない者が多い。それはクロッドもルイも例外ではない。
勿論、ホムラ――それに蒼月や月華が、全くの余裕であるわけではないだろう。三人も三人で、自分のことで手一杯のはずだ。
それでも、他人を想っている。他人のことを考えている。
他人を大事に想っている。
それがどれほど難しいことか、クロッドは知らなかった。
別に、現実世界で思いやりのある行動をしたことがないではない、
だが、それは追い詰められていなかったからだ。恵まれていた。豊かだった。だから他人を見る余裕があった。
今は、そんな余裕は無い。きっと、この世界にいる〈冒険者〉の誰もが、そんな余裕は無い。
それでも、他人を想う人間は存在する。それは、アキバを統治する〈円卓会議〉の上層部だったり、アキバをよりよくしようとする努力をおこたらない人間だ。蒼月や月華、ホムラがそのうちのひとりだっただけに過ぎない。その数はあの街でもほんの一握りだが、しかし確かに存在する。
そういった〈冒険者〉と比べて――自分達はどうなのだろう。
自分は、どうなのだろう。
「難しく、考え過ぎ」
そう言ったのは、クロッドでなければルイでもない。
アシュラムだった。
「あ、アシュラム?」
「役に立つとか、助けるとか、意識してすることじゃないと思う。そういう人になるために努力するって話ならともかく、行為自体は、見返りを求めるならともかく、考えてすることじゃない。したいと思って、することだろ」
言うだけ言って、アシュラムはまた黙り込んだ。
クロッドとルイは呆然とアシュラムを見る。
言葉が出なかった。意外だった、と言っていい。
アシュラムがそんなことを言うとは、思っていなかった。ふたりにとってのアシュラムは、目の前の敵を倒すことにこだわり、それ以外のことには無頓着な、もっと言うと人と接することを苦手とする、少し近寄りがたい人物だったのである。それが覆されたのだった。
ふたりが返す言葉を見失い、もとより多弁ではないアシュラムが黙ってしまっては、場を支配するのは沈黙しかない。
それを破ったのは、別のところでしていた戦闘準備を終え、こちらに近付いてきた蒼月だった。
「三人共、準備はできたか? そろそろ月華も戻ってくるみたいだし、次のことを話し合おうと思うんだが」
「蒼月さん……」
クロッドは目を丸くして蒼月を見た。様子がおかしいことを感じ取ったのだろう、蒼月は首を傾げる。
「どうした?」
「い、いえ……」
クロッドは首を振った。アシュラムも何も言わない。
こういう時、口火を切るのはルイの役目だ。
物怖じせず、他人と話すことができる彼女が、いつも会話を繋げていた。
「蒼月さんは、誰かを助けたいって思ったこと、ありますか?」
「え?」
蒼月は目を瞬いた。まじまじとルイを見、次いでクロッド、アシュラムを見――苦笑した。
「助けたいと思ってるからここにいるんだけど、な」
「え……」
「君らもそうだろ」
ほら、行こう――そう言って、蒼月は背を向ける。
特別なことは何も言わなかった。
彼はただ、思ったことをシンプルに口にしたに過ぎない。
だからこそ、それは疑いようの無い本心だった。
「…………」
その言葉自体が、クロッドの心にどう影響したかはといえば、ほとんど影響しなかったとしか言えないだろう。その単純な思いは、当たり前過ぎた。ここにいる面々全てが自分達に訴えかけてきた〈大地人〉の姫君のために戦っている。彼女を助けるために、ここにいるのだ。
当たり前――なのである。
だが、その当たり前を、クロッドは今の今まで忘れていた。
忘れていたというより――気付いていなかった。
言葉自体は当然のこと。だがそこに込められていた意味を、クロッドはこの瞬間まで気付いていなかった。考えもしていなかったのである。
クロッドは見る。己が手にした、戦うための武器を。
それを補助する装備の数々を。
戦うための――助けるための補助する力を。
見て――顔を上げた。
「……よし」
クロッドは歩き出す。戦闘再開のために。
胸の棘は刺さったままだ。だが、今はもう、気にならなくなっていた。
―――
何のために戦うのか。そんなことを、今まで月華は考えたことはなかった。
考える必要がなかったからだ。月華がしてきたのはあくまで剣道。文字通り剣の道。極めることに意味があり、歩むこと自体に意義があり、それそのものがまさしく道なのである。
考えずとも、答えは始めた時点で出ているようなものだ。
けれど、この世界においては、そうはいかない。
月華は考えなければならない。何のために戦うのか、何のために刀を振るうのか。
誰かのため? その誰かとは誰だ?
自分のため? 自分に何の利がある?
あるいは何のためでもない? 重みの無い刃に何が斬れるのだろうか?
考えても考えても、確かな答えなど出ない。あるいはギルドマスターたるクラスティなら――先輩と慕う櫛八玉なら、とっくに答えを出しているのかもしれない。しかしそれはふたりにとっての答えであって、月華にとっての答えではない。
おそらく、まだまだ時間が足りないのだろう。時間が――何より実力が。
――強くなりたいなあ。
月華は思う。
彼女は自分自身の弱さを知っている。自分自身のできないことを知っている。
だから、もっと強くなりたい。できないことを無理矢理できるようにしたいわけじゃない。できることをもっとできるように――できないことを少しでも補えるようになりたい。
誰かを助けられるようになりたい。
あの〈大地人〉の姫君を助けたいと思った気持ちを持ち続けたい。
だから。
だから、もっと鋭く。
もっと速く。
刃を、振るう。
―――
「っああぁ!」
咆哮。それはまさしく、咆哮と呼ぶにふさわしい。
駆ける月華を、蒼月は瞠目して見送る。
戦況は完全に〈冒険者〉側だった。元の実力差、士気の高さ、指揮の高さ。どれを取っても、〈緑小鬼〉の上だった。その差は、もはや覆せるものではないだろう。
今、この場においてもそうだ。
多量の〈魔狂狼〉とそれを従える〈緑小鬼の調教師〉を刃で、あるいは魔法で打ち倒していく〈冒険者〉の動きに乱れは無い。煙を払うかのようにたやすく〈緑小鬼〉の軍を蹂躙していく。
その中で、月華が見せた気迫は鬼気迫るものだった。
勿論、相手が格下と言っても気は抜けないし手は抜かない。皆真剣そのもので自らの特技を使用する。
だが、月華のそれは何かが違うと蒼月は直感した。
特別なことをしているわけではない。訓練によって洗練され、極限まで磨きあげられているが、共に戦ってきた蒼月にとっては見慣れた動きである。
だから、これは感覚的なものだ。
月華は、何かを掴みかけている。それが何かは解らない。おそらくは、月華自身は気付きもしていないだろう。
しかし、蒼月にとっては見慣れているはずの、訓練通りの動きは、月華にとって明らかに一歩進んだ代物に進化しつつあった。
〈クイックアサルト〉で〈魔狂狼〉と〈緑小鬼の調教師〉の一小隊の中心に踊り込み、ルイの〈キーンエッジ〉を受けつつ、〈ワールウィンド〉でそれらを舞うように一閃。動揺した小隊の隙を逃さず、三体の〈魔狂狼〉を解体ショーさながらの手さばきで鮮やかに斬り裂く。
それらは強力であったが、しかし手数が多い分、一つ一つの威力が小さく、倒しきるに至らない。月華に向いた注意を、一秒遅れて追い付いた蒼月が〈武士の挑戦〉で引き付ける。
〈魔狂狼〉の牙や爪を刀で受け流し、あるいはホムラのかけた〈障壁〉で受け止めながら、蒼月は月華と背中合わせになる。
ホムラ、クロッド、ルイ、アシュラムは、手負いとなり、〈魔狂狼〉から転がり落ちた〈緑小鬼の調教師〉を殲滅する。操り手を失った〈魔狂狼〉は、文字通り手負いの獣として、集団行動に適さない存在と成り果てた。
「やる気だな」
〈魔狂狼〉の猛攻をいなしながら、蒼月は月華にそう語りかける。
自覚がなかったらしい月華は、目前の〈魔狂狼〉の首を酷薄に斬り飛ばしながらも、そうかな、と戸惑ったように返す。
「でも、もしそう見えるんだとしたら、あのお姫様のお陰かも」
「レイネシア姫か」
「戦闘が再開する前、彼女に会ったよ。そしてお礼を言った」
「お礼?」
「演説してくれて、ありがとうって」
月華は戦場に似合わぬ微笑みを浮かべた。不敵なものでも、狂気的なものでもない。
晴れやかで穏やか、何より優しい笑みだった。
「彼女じゃなかったら、私達はこんなに真剣に戦わなかったよ。彼女の言葉があったから、こんなにも真剣でいられるんだ。だから」
細められる目。そこに宿るのは、手にした刀よりなお鋭い光だ。睨み付けているのは、目の前の獣どもでも亜人間でもない。過度に装飾された敵の戦車でもない。
それらの先にある、勝利ただ一つだけだ。
「勝つんだ。勝てる戦いだからでも、勝つべき戦いだからでもない。彼女のために勝つ」
「……ああ、全くの同意見だ」
蒼月は唇の端を吊り上げる。
月華が掴みかけているのは、勝利の先にあるものだった。それは具体的な形は未だ持たないけれど、確かに月華の指先を掠めている。
そしてその理由は、あの〈大地人〉の姫だった。彼女の願いが、月華の心を、あるいは魂そのものを揺さぶったのである。
それが蒼月には、この上なく嬉しい。
仲間として、同志として、何より兄として、月華の変化がこの瞬間最も喜ばしく感じた。
月の名を冠した兄妹は、笑みをたたえて狂った本能を持つ巨狼を斬り伏せる。ほぼ同時に、〈緑小鬼の将軍〉の乗った戦車が大破し、中からがっしりした巨体の〈緑小鬼の将軍〉自身と、その近衛兵である〈緑小鬼〉達が吐き出された。
それを受け、蒼月は仲間に向かって活を入れる。
「最後の大仕上げだ。将軍はうちの大将に任せて、俺達は周りの雑魚を刈り取るぞ!」
応える声は、戦場とは思えないほど明るかった。
〈緑小鬼の将軍〉が倒され、勝鬨の声が上がるのは、それから間もなくのことである。
前回から結構間が空いてしまいました……すみません。自分の遅筆が恨めしいです。
今回で、戦闘シーンは終わりです。二話だけとはいえ、原作に沿って書くと色々大変ですね。改めて原作読み返してみて、間違っているところもあったので(前話で出てないのに〈緑小鬼の呪術師〉出しちゃったり)、ちょこちょこと直そうかと思います。
次回で最終回です。最後までお付き合い願いますm(__)m