8:ナイトメア・スタート
「それで、そのお洋服、どこで買ったんです?」
「あ、の、城下町のお店で…」
「誰と、城下町に行かれたんです?」
「え、と、クラウンさんと、カルナで…」
「ああ、王子様と二人きりではなかったのですね!…それで、楽しかったですか?」
「は、はい、楽しかった、ですよ…!」
ローゼンはナナカの小屋に来ていた。
昨日出かけた城下町で、ナナカに似合いそうなネックレスを買ったきた。そして、お土産にケーキも。
カルナは喜んでくれるよ、と言ってくれたのだが、現実はそう甘くはなかった。
ネックレスのこともケーキのことも、すごく喜んでくれた。
しかし、ナナカはどうしてか不機嫌で、先程からずっと質問攻めにあっているのだ。
…なぜか、右手のナイフをローゼンの視界に入るように握って。
「ナ、ナナカ、あの…」
「なんでしょう?」
「なんで、ナイフ持ってるんです…か?」
ローゼンのその言葉にピタリと動きをやめたナナカは、まじまじとローゼンの顔を見つめる。
分からないんですか?、と言いたげに。
「え、あの、だって…使う必要、ないじゃないで━」
「ごめんなさい、手が滑って落としてしまいましたぁ」
ナナカの声を聴き、違和感を感じたローゼンは自分の手元を見る。
まるで紙で切ったような、しかし、紙よりもじくじくと痛む、そんな傷が左手首に出来ていた。
「あ、っ…いった……!」
ローゼンは近くにあった布で血の溢れる傷口を押さえる。痛む傷は、血が止まる様子がなく、恐怖を感じた。
「あ、あ…いや、嫌…!お姫様は私を嫌わないでください…!!お姫様は、私と一緒にいてください…!ご、ごめんなさ、い…っ!ごめんなさい…!!」
ナナカはナイフをカランと床に落とすと、まるで怯える子供のように、頭を抱えて座り込んだ。
布を真っ赤に染め上げた血は、止まることをしらず、机にも跡を残していく。
まさか、死ぬのだろうか…━。
そんな焦りから、止血しようとする手も震えて力が入らない。
「あ、あの、っ、ナナカ!…血が、血、が、止まりません…!何か、ないで━」
「お姫様、死にたくないですか?」
「…は?」
さっきまでとは打って変わった態度を見せるナナカ。
唇は弧を描き、瞳は暗く、ローゼンの瞳をずっと見つめている。
「死にたいですか?死にたくないですか?」
「し、死にたくない、です……?」
「じゃあ、私が、助けてあげます。今回も、これからも。ずっと私が、貴女を助けてあげるんです。……はい。」
ナナカは、ローゼンを覗き込むようにしか、口元に不気味な弧を浮かべたまま、ゆっくりと言い聞かせるように囁く。
そして、はい、と差し出されたのは、鎖のように…まるで、他者を拘束するかのように、しかし、お洒落なデザインで飾られたチョーカーだった。
「え、と……」
ローゼンが自身の手元に暖かな光を感じて、手首を見ると傷は癒えていた。
「あ、…傷が……」
「治しましたよ、ちゃんと。…だからこれ、付けてください。約束ですよ?」
ローゼンは言いようのない恐怖をナナカから感じ取り、恐る恐るチョーカーに手を伸ばし、そして…
カチャリ、と首に回して留め具をかけた。
まるで、大事なものに鍵をかけて仕舞うように。
お洒落なチョーカーは、重く、不気味な首輪になった。
「これで、もう"お姫様"はいない。よろしくお願いしますね、ローゼン?」
ローゼンの血液の付いた布を大事そうに仕舞いこむと、ナナカは眠るローゼンを見つめて囁いた。
♦♦♦
「カ、カルナさん、あの…」
城の中で呼び止められる。
このオドオドした声、苛立つような作り物の声、だ。
そんな声を出して、オレを呼び止める女は一人しかいない。
「どうした」
振り向かずに返事をする。
あの女とは目を見て話そうとも思わない。
……何を考えているのか分からない、暗い瞳をしているからだ。
「あ、あの、ですね、実は、ローゼンが私のところに来てから、寝てしまいまして……」
『ローゼン』。
その言葉を聞いて、とっさに振り返る。
ナナカは眠っているローゼンを抱いて立っていた。
きっと魔法を使って抱き上げてるのだろう。
しかし、心配そうな声とは裏腹にその嬉しそうな表情はなんなのだろうか。
「お前か…」
「ひっ…な、なんのことですか?私は、ローゼンを、心配して…」
「お前は魔女だからな。責めたって事実はいくらでも変えられる。…お前とは極力関わりたくないんだ。はやくローゼンを渡してくれ。」
「………また、私を、そうやって…」
ナナカは、何かを呟いていた。
しかし、オレには何も聞こえない。
この魔女は何をするか分からないから問いただしたいところだが、魔女はいくらでも事実を捻じ曲げることができる。
何か問題が起きてからでも遅くはないはずだ。
少なくとも、ローゼンが無事であれば。
オレは奪い取るようにローゼンを抱き上げると、医務室に向かった。
たった一人の、友人なんだから。
「無駄ですよ……カルナさん、いえ、騎士様がいくらでしゃばったところで、魔女には勝てないのですから…。私をどれだけ差別しても、虐めても、ローゼンだけは、譲りませんから」
黒い魔女は、自身の小屋へと戻っていった…━。
♦♦♦
「じゃあ、明後日の夜にしよう。俺とローゼンの婚約を正式に発表するんだ。この前は、目覚めの祝福と、それとない発表だったからさ」
「はぁ……ですが、急ではないですか?集まりますかね?」
「大丈夫だよ。以前来られなかった国も、眠り姫となれば一目見たいとくるはずさ。友好国にはもちろん圧力かけてでも参加してもらうよ」
「ではそのように手配させていただきます。…ローゼンはまだ医務室で眠っていますので」
カルナはそれだけ言うと立ち去った。
俺はカルナが出て行ったことを確認すると、一人考える。
ナナカが厄介なことには変わりはないが、最近は妙に積極的な気がする。
ローゼンに関して。
あの魔女が今回、ローゼンにどんな魔法をかけ、眠せたのかは分からないが、今後障害になるのなら…
「斬るだけ、か」
クラウンの瞳が、赤く、疼いた。