6:気づかれないように
痛い。とてつもなく、痛い。
ローゼンはあまりの体の痛みに目を覚ました。
圧迫感があって、それでいて、温かい。むしろ、暑い。
苦しみを紛らわすために、寝返りを打ったその時、端正な顔立ちをした男と向かい合うことになって…
「いっ……!!」
ローゼンの声にならない叫びと、大きな平手の音が響いた…━。
「信じられません!人間として、考えられません!普通、人の寝込みを襲うなんて…!」
「違うよ、ローゼンが寒そうにしていたからだ。…ローゼンって、脱ぐ癖、ある?」
「〜〜〜っ!!違います!たまたま、暑くて脱いでしまったんです!自分から望んで服を脱ぐことなんて、そんなの…!」
顔を真っ赤にさせて怒るローゼン。
クラウンによると、昨夜いつもどおりローゼンの隣で寝ようとしたら、ローゼン羽毛布団も掛けてなく、さらには、パジャマ代わりのネグリジェも捲れ上がっていて…。
とても、姫らしさのない状態だった。
そのため、ローゼンが風邪を引かないように、とクラウンはローゼンを抱きしめて寝たとのこと。
ローゼンに平手をされた部分を撫でながら、クラウンはそう語った。
これ以上言うと、泣いてしまうかもしれない。
クラウンはふっと優しい表情をも浮かべると、ベッドから降りて服を着替えはじめる。
「今日はせっかく、俺の奥さんと出掛けられるんだ。…今日の服、俺に選ばせてくれない?」
ローゼンも慌ててベッドから降りようとしていた途中だったのだが、その声に顔を上げる。
「…クラウンさんが、選んでくれるのですか?」
「うん。やっぱり俺好みの服着て欲しくて。…駄目かな?」
「い、いえ、その…。私、この国での服の合わせ方とか、全然分からなくて…助かります。」
「その他人行儀も直ってくれると嬉しいんだけどね。…まあ、いいや。寝てて?準備ができたら、また起こすから」
普通にしていれば、すごく良い人なのに。
けれど、脳裏に浮かぶのはあのナイフを持つクラウンさんで…━。
深くは考えないようにしよう、とローゼンは無理矢理目を閉じた。
♦♦♦
「おはようございます、王子、ローゼン…様?」
カルナが2回ノックをしたあとに、クラウンの部屋へと入ってきた。
出来たてであろう朝食の良い匂いが立ち込めた。
が、カルナはそれどころではなさそうで。
「ローゼン様、その…いつもと雰囲気が違って、その…随分、可愛らしいお姿、で…」
「カルナ。間違いだ。ローゼンはいつも可愛いよ。」
そんなクラウンの言葉すら耳に届かない様子で、カルナはローゼンをじっと眺めていた。
ローゼンは、いつもの姫用のドレスではなく、大人っぽいデザインのロングスカート、そして上は可憐な印象を与えるブラウスに、上に薄手のカーディガンを羽織っていた。
街に出ればどこにでもいそうなその格好だが、薔薇の飾りを付けたローゼンは、やっぱりどこか気品に溢れていた。
「綺麗……です」
「え!?あ、カルナ…そんな…」
「いや、本当に綺麗だ……間違えた、綺麗です」
カルナとローゼンの初々しいそんなやり取りに、クラウンが黙っているはずもなく。
「カルナ、朝食の準備は?」
「!…申し訳ございません、ただいま…!」
「カルナ、私にも手伝わせて?一人だと、大変でしょ?」
「いえ、姫様にそんなことさせるわけには…!」
さすがにクラウンも、ローゼンのその言葉にムッとして口を挟む。
「ローゼンはメイドじゃないだろ?そんなこと、しなくていいよ」
そのクラウンの言葉を待ってました、と言わんばかりにローゼンは勢い良く立ち上がった。
「私、まだ眠り姫と決まったわけじゃないですし、いろいろなこと、経験したいんです。…クラウンさんは、私が準備した食事は、嫌ですか?」
利用する、というのは少し違うかもしれないが、何事も経験したいなら自分で動かなくては始まらない。
クラウンはローゼンに反論することはできず、余裕を持った笑みで、楽しみにしてるよ、とだけ告げた。
ローゼンとカルナは、クラウンから見えないところで互いに微笑みあった。そして、朝食の準備を始めた…━。
♦♦♦
「………うん、いや、俺はね、どんなローゼンでも可愛いと思ってるよ」
口元を軽く押さえつつ、ティーカップを置くクラウン。その姿は過去に見たカルナの表情とひどく似ていて…。
「え、私、また…?」
「たとえ、紅茶をうまく注ぐのすらできなくても、可愛いと思ってる。そう、大好きだ、ローゼン。」
「無理しないでください、王子!」
カルナが顔色の悪いクラウンを支える。
「あ、と、…えっと、その、ごめんなさい…!」
クラウンの手を引っ張るように、ローゼンはクラウンを抱き寄せた。
その様子に、クラウンだけでなく、カルナでさえも驚いた顔を隠しきれてなかった。
「え、っと、具合悪いですか…?」
「い、いや、そうじゃなくて、その……」
「……あの?」
「俺に、触れても大丈夫、なのかなって…」
クラウンの言葉に固まるローゼン。
そして、そっとクラウンから離れた。
「違います、よ。今回は私のせいだったから、もし具合でも悪くなったらどうしようって思っただけで…」
顔を真っ赤にして照れるその姿は、クラウンにとってはたいそう愛おしいものだった。
「っ……あ、俺次から具合悪くなったら、ローゼンのところへ行こうかな…じゃあ準備できたら外に来てよ、俺、外にいるから…」
クラウンは足早にその場を去る。
カルナとローゼンは互いに顔を見合わせ、少しクラウンを不思議に思った。
「まあ、オレらも準備するか、ローゼン」
「あ、う、うん」
「クラウン王子、馬車の準備整いました」
「ああ、すまないな。あとはローゼンと、カルナを待ってやってくれ」
はっ、とクラウンに敬礼をすると、兵士はすぐに城門に駆けていった。
「しかし、なあ……」
クラウンは一人、馬車に凭れかかり、先ほどのローゼンの感触を思い出す。
「ローゼン……柔らかかったな…」
瞳閉じて、ローゼンを思い出す。
その姿、香り、すべてが俺を魅了している。
あの、
あの、ローゼンを
もしも、彼女を自分のなかに溶かしてしまえたら
彼女は一体、どんな味がするのだろう…━。
あの柔らかな肌は?肌の下に隠れる赤い赤い血液は?キラキラと輝く瞳から零れる涙は?
背筋が、ゾクリとした。
「クラウンさん、お待たせしました…!」
「…王子、いかがなされました?」
「…いや、なんでもない。今日のルートを考えててね。…よし、行こうか!」
まだこの心は隠しておけばいい。
きっと誰よりも警戒心が強く、誰よりも純粋なローゼンなら気づかないだろう。
俺の、この歪んだ感情に。