5:王子の一面
ガチャリとドアをそっと開ける。
中にはまだ、誰もいなかった。
よかった、とほっと胸を撫で下ろすローゼン。
まだ、クラウンは部屋に帰ってきてはいなかったのだ。
急いで扉を閉めると、服を着替える。
「何も考えてなかった……どうしよう……」
脱いだ服を畳んでも、着用跡のようなシワが消えないのだ。今から洗濯してアイロンをかけるか、しかしそんな時間は残されていない…。
「…もし、見つかったら……。」
嫌な予感が頭の中を過ぎる。
今度は部屋から本当に今出してもらえなくなるかもしれない、それとも、本当に殺されてしまうのだろうか…―?
悪い方向へ、悪い方向へと考えると体の震えが止まらなくなっていた。
「い、や…!こんな、知らないところで、死にたく、ないっ…!!」
「あんたも考え過ぎだ、ローゼン。」
ぽん、と優しく手を頭に乗せられた。
振り返ると、優しく、そして逞しくもあるカルナの姿が立っていた。
「…カルナ、私、どうしよう、殺される…!」
「そんなことないって。適当に理由つけて、この服はオレが洗濯しておくよ。…あの王子は脅すだけだ。ローゼンを殺したりしねぇよ。」
「そ、っか…そっか、ありがとう、カルナ。」
「オレさ、あんたには、王子に屈しないでいてほしい。いつの時代も、欲望のままに動く男と、それに媚びる女は醜いもんだ…。ローゼン、あんたにはそんな風になって欲しくない。」
遠い目をしてカルナはそう、ローゼンに語りかけた。
まるで、遠い過去を思い出しているような、そんな瞳で。
「最終的には、どちらも自身で身を滅ぼした。…この世に多くの未練と憎しみを持ったまま、な。」
そう言って、ローゼンの頭を撫でた。
そして、ローゼンの手を引いて椅子に座らせる。
「王子が帰ってくるまで、暇だろ?……少し、俺ノ昔話に付き合ってくれねぇ?」
「…私で、いいのなら。……あ、お茶とお菓子、持ってくるね。」
「ああ、ごめん。ローゼンの淹れた茶を飲んでみたいんだ、淹れてくれるか?」
「う、うん、頑張ってみる…!」
出されるだけ、優しくされるだけ、やってもらうだけの生活だけではない。
カルナとの付き合いは、いつも新鮮さで溢れていた。
♦♦♦
「うん、まあ…。今度、淹れ方教えるな。」
「ご、ごめん…。」
「いや、気にしないでくれ。ちょっと薄いだけだから、蒸らす時間とか覚えれば、ローゼンだって美味い紅茶淹れられるようになるさ。」
「そう、かなあ…。」
ローゼンはがっくりと肩を落としたままになっていた。
「…大丈夫、徐々に慣れてけばいいさ。」
「ありがとう。……ところで、カルナの昔話って?」
「ああ…。これからあんたとは付き合いが長くなるだろうし、知っていおいて欲しくてね…」
カルナはティースプーンで紅茶を混ぜる。
ローゼンも少しだけ紅茶を飲むと、カルナの言葉を待った。
「オレさ、ローゼンにいろいろ偉そうに言っておきながら……実は貴族の出とかではないんだ。」
「そう、なの…?」
「そう。オレは、娼婦の母と誰かもわからない男から生まれたんだ。」
「娼婦の…お母さん…。」
「産んでくれたことには感謝してるぜ。…でもさ、本当はオレは貴族の娘になれたんだ。」
「お母さんに、何かあったの?」
「ああ…。あの女は、自分の浮気がバレて貴族の旦那と別れたらしい。それからは夜の商売さ。そこで、運悪くオレが生まれた。オレがいると商売にならないだろ?だから、ある程度育てられた時、土砂降りの雨の中捨てられたんだ。」
「…っ、そんな…」
「それまで母のそばで嫌になるほど醜いものを見てきた。そして母も病気にかかり、一番金をくれてた男も、どこかで殺されたらしい。母のストーカーに。」
「そう、だったんだ…」
「そうやって、欲だけで動く男も、そんな男に媚びる女も、みんな、自分で自身の身を滅ぼしていくんだ。オレは、ローゼンにはそうなってほしくない。」
「う、ん…うん。大丈夫、ならないよ。意思の強さだけは、自慢できるから!」
「へぇ、そいつは楽しみだな。…で、捨てられたオレは、ここに辿り着いて働き始めたんだ。クラウン王子が拾ってくれてな。」
そうカルナが言うと同時に鐘がなる。
16時を知らせる鐘だった。
16時になると、王国の会議は、例外を除いてすべて終わる。もうすぐ、クラウンが帰ってくるのだ。
「じゃ、オレはそろそろ行くな。少ししたらまた洗濯物持ってくるから、それまでは頑張れよ。」
「大丈夫。私を姫以外として見てくれる、たった一人の人ができたんだもん。…クラウンさんなんて、乗り越えてみせる。」
「そっか、応援してるぜ。…そうだ、明日暇だったら、街へ行こうぜ。オレが案内してやるよ。」
「いいの?行きたい!」
「よし、じゃあ約束な。」
そういってカルナは部屋を出て行った。
カルナといる時は、心が軽くなった。
まるで、前の……前の……?
よく分からないけど、自分らしくいられるのだった。
♦♦♦
「いい子にしてた?ローゼン」
「お、おかえりなさい…。」
「ああ、ただいま。…部屋の明かりくらい、付けたってよかったんだよ?」
「え、あ、ごめんなさい。付け方がわからなくて。」
「ナナカの小屋へは一人でいけるのにね?」
時間が止まった気がした。
この目の前の男は、いま、なんと言った…?
ローゼンは恐る恐るクラウンを見上げる。
クラウンはローゼンを見つめながらも、光のない瞳で微笑んでいた。
「あ、の…―」
「俺が、見てないとでも思った?」
「ど、どこから見てたの……?」
「ローゼンに事前に発信機を付けておいたんだ。そうすれば、どこにいるか。何を話しているか。誰といるかなんて、すぐに分かるだろ?」
「あ…」
「明日はカルナと出かけるんだって?…あのさ」
怒られる、そう思ってローゼンはきつく目を閉じた。
今度こそ刺されるかもしれない、そう覚悟を決めていた。
「俺も明日、暇なんだ」
クラウンの口から出た言葉は、予想と違っていた。
クラウンはほのかに頬を赤く染め、そっぽを向いていた。
「あ、の?」
「だから、暇なんだ。」
「…それで?」
「…明日、カルナと街に行くんだろ?」
「はい。…あっ」
「…」
「よかったら、クラウンさんも一緒にどうですか?」
「えっ、俺が一緒に行ってもいいの?」
「…はい、一緒に行って欲しいです」
ローゼンのその言葉に、クラウンは照れながら笑った。
まるで先日のあの狂気がどこからも感じられないかのように。
「嬉しいよ、ローゼン。ほしい物があったら、何でも言って。俺が買ってあげるから。」
クラウンはローゼンが異性が苦手であることを理解していたため、手に触れたり抱きしめたりはあまりしてこなかった。
その時だった。
「クラウン王子、メイドのカルナです」
「ああ、入っていいよ」
「失礼します」
カルナが洗濯物を持って入ってきた。
そこでローゼンと目があい、会釈するついでに微笑む。
「クラウン王子の洗濯物です。…だいぶ前の汚れがまだ取れていなかったので、勝手ながら洗濯させていただきました」
「…カルナ、隠さなくていい。俺は今日の出来事をすべて知ってる。」
「…っ、申し訳、ございません…!」
「ああいや、俺は怒ってないよ。…あ、そうだ。明日俺も二人と出掛けるね?」
「は?」
「ローゼンに来て欲しいって言われたんだ。」
カルナは驚いた表情のまま、ローゼンに目を向ける。ローゼンはカルナにごめん、と、手を顔の前に出して視線を送った。
その仕草から、なるほどな、と理解したカルナは、表情を柔らかな笑みに戻し、クラウンに
「喜んで」
と返事をした。
そしてその夜クラウンがローゼンが昼間に着ていた自分の服の匂いを嗅いでいて、ローゼンに引かれるのは数時間後の話…―――。