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十四話

「あら、太朗さん。一体どうしたのかしら?」


 勝手口からの突然の来客に美貌の婦人は柔らかな声で出迎える。振り返ったその顔には歓迎の色が浮かんでいた。


「菊子さん、どうも昨日はお忙しいところご迷惑をお掛けしました」

「いいのよ、そんな気を使わないで。頭を上げて頂戴」


 深く頭を下げる太朗に手を軽く振って、体勢を解くよう告げる女性の顔立ちは誰かとよく似ていた。


「むしろ花湖が知らせなかったらどうなっていたことやら……本当に熱はないようね」

「お蔭様で」


 額に当てられた手を受け入れ、太朗は唇で弧を描く。


 ――対応が全く同じ、さすが親子だな。


 花湖が気品を纏った未来の姿、といえば良いだろうか。和服に身を包み、柔和な笑みを浮かべるその姿はまさに淑女そのものといえる。


 果たして花湖は、このまま時を重ねれば目の前の女性のようになれるのだろうか。


 ――いや、無理だろう。


 太朗は己に対し即座にツッコミを入れる。有り得ない可能性は最初から除外すべきだ。


「一時はどうなるかと思ったけれど、良かったわ。皆心配していたのよ」

「すみません」

「謝らなくていいのよ、けれど体には気をつけてね。太朗さんは頑張り過ぎるから」


 菊子の顔から未だ不安の相が払拭されていないことに、太朗は僅かに顔を顰める。


「そんなつもりはないのですが……」

「少しはそこのところ、自覚したほうがいいわよ」


 菊子に軽く額を小突かれて、太朗は困り顔で頬を掻く。


「あなたが倒れた時、花湖の慌て様は凄かったんだから……太朗さんなら分かるでしょう?」

「……はい」


 そう、分かりきっている。自分が倒れれば、花湖がどんな反応を示すかなど。


 家族が倒れたときの心境など、知り尽くしている。


「花湖のためにも、私や太朗さんを慕う人達のためにも、そして何よりあなた自身のためにも、少しは周囲を頼りなさい」


 下から昇る真摯な視線に、太朗は何も言うことが出来ずにいた。


 ――これが本当の母親、というものなのだろうな……


 贋作の自分とは似ても似つかないほど、強く暖かい存在感。胸中に込み上げて来る感情を太朗は必死に抑え付ける。


「分かった?」

「……はい」


 そう言い返すことが精一杯だった。


「……そう、心の片隅にでも留めてもらえたら嬉しいわ」


 一瞬、憂いを帯びた菊子の瞳は、瞬いた後にはいつもの温和さが戻っていた。


「用件はそれだけ、ではないのでしょう?」


 太朗は菊子の言葉に首を縦に振り、肯定を示す。本題はこれからなのだ。


「菊子さんは、OLNの連絡便は見ましたか?」

「いいえ、見てのとおり営業中なので流石に目を通していないわ」


 予想通りの反応に太朗は小さく頷く。


 メジャーなグルメ雑誌で度々取り上げられるほど有名な、日本茶店《松風》の週末の店内はちょっとした戦場だ。とてもではないが、コミュニティのメールなど見ている余裕はないだろう。


「何かあったの?」


 松風の店事情に精通している太朗が、態々尋ねなければいけないほど重要な案件が書かれていたのか、そう言外に含まれた視線に太朗は僅かに苦笑を浮かべる。


「えぇ、実はその発信者は私でして」

「太朗さんが? やはりどこか具合が!?」

「いえ、それとは全くの別件です」


 太朗のその言葉に、菊子は怪訝な顔をする。無理もないだろう、倒れた次の日にコミュニティに連絡便を発信したというのだ。先日の件に関連するものだと思うのが極自然な流れだ。


「実は今、記憶喪失の少女を家で保護しているんです。メールでは記憶喪失ではなく、迷子と書いてありますが……」


 これは間違ってこの情報が悪意ある者に渡った場合を考慮したためだ。


 もし記憶喪失という情報が入った場合、保護者を名乗って誘拐や拉致といった極めて悪質な行動を起こす者が出ないとは、残念ながら断言できない。


 その点、迷子ならこの危険性は回避できる。


「記憶喪失……」


 その言葉に顔を顰める。雪の身を案じているのだろう、流石、花湖の母親だ。しかし、そこから頭の回転がかかるのが、娘と母親との大きな差異だ。


「でも、太朗さんはずっと寝ていたのでしょう? では、その子は彦星くんや織姫ちゃんがお家に連れてきたのかしら?」

「いいえ。実は織姫や彦星、花湖も気づかぬ内に、その娘は私の家にいたんです」

「花湖も気づかなかったの?」

「えぇ」


 鏃流を嗜んでいない菊子だが、花湖の並外れた実力を知っている。その彼女すら気づかなかった事実に、菊子が驚くのも無理はない。


「それでは、太郎さん達の知り合いの方か何かかしら?」

「どうでしょうね。少なくとも私達は彼女のことを知らなかった。逆はあるかもしれませんが、記憶を失った今の状態ではそれも分からない」

「そうね……」


 頬に手を当て、小さくと息を吐く菊子の表情は憂鬱そうだ。


「私達は雪と呼んでいますが、彼女は完全に記憶を失った状態、所謂、全健忘状態であり、正直手を焼いているのが現状です。そこで、私はOLN全会員に対し、メールで彼女に関する情報を求めました。記憶を呼び覚ます引き鉄を引くために」


 そう言うと太朗は片手でピストルの形を作ると手首を跳ねる。


「つまり、私がこれからすることは……」

「お察しのとおり、雪に会ってもらいたいんです。直接会ったほうが、雪も何か知っていれば反応を示すと思ったので。菊子さん……お時間、少し頂けませんか?」

「それは構わないけれど……太朗さん、相変わらずの世話焼きぶりね」

「そんなことありません」

「そういうことにしておきましょうか、ふふ」


 口元を袖で隠して控えめに笑う菊子の姿に、太朗は軽く肩を竦めてそれに応える。


「それで、その娘はどこにいるのかしら?」


 ワクワクとした面持ちで期待の視線を寄越す菊子に、太朗は花湖の可愛いもの好きは母親からの遺伝ではないかと推測する。


「裏口の前で待ってもらっています。何分目立つ外見なものですから」

「だから表口から来なかったのね」

「営業の邪魔になるのが目に見えていたので」


 太朗の目から見ても雪は相当の美貌の持ち主であり、純白色の髪が彼女の存在感を強烈に引き立てる。そんな彼女を店内に置いたらどうなるか。


 この店、松風には常連客が数多く存在する。その多くはOLNに属しているご婦人方だ。そんな中に、雪を放り投げたらどうなるかなど考えるまでもない。


「まぁ、なんて可愛らしい娘でしょう!」

「でしょ! 本当に雪ちゃん可愛いよね!」

「雪ちゃんって言うのね、本当に愛らしい。どこの子かしら?」

「近所では見かけないわね。モデルかタレントかしら。パパとママは相当の美形よ、これは」


 目の前の光景のように、寄って集られて……


「お肌もスベスベ、やっぱり子供の肌は違うわね~。おばさんに少し潤いを分けてほしいくらいだわ」

「気持ちいいですよね、スリスリ~」


 顔を触られたり……


「それになんて綺麗な髪なの! 私もこんな綺麗な白髪だったら髪を染めずに済むんだけどね~、はぁ~」

「凄いふわふわだわ、一体どんなトリートメントをしているのかしら?」


 髪を弄られたり……


「もしかして……この子じゃない、オフクロちゃんが言っていた、例の子」

「確かに迷子なんでしょ? 可哀想に」

「親御さんも心配している筈よ」

「誰か、この子について知らないかしら?」

「……もしかして」

「……えぇ、そのようです」


 太朗は疲れの滲んだ声を絞り出す。


 やけに騒がしい店内の一角に太朗と菊子の視線が集中する。


 二人の視線の先には複数の女性陣が誰かを取り囲んでおり、その僅かな隙間から皓白の髪や濃紺の衣服が覗く。太朗は額に手を当てていると、ある人物が声を張り上げた。


「太朗ちゃん、裏口で雪ちゃんがつまらなそうに待ってたから、お店の中に連れてきちゃったけど良かったよね!」

「あの子ったら……」

「こうなると思ったから外で待たせていたのに……」


 頭を抱える二人に対し、花湖は首を傾げる。何故、二人がそのような態度を取るのか理解できないようだ。本当に菊子の娘なのだろうか……太朗はそう思わずにはいられなかった。


 ――こんなことなら、織姫の着替えが終わるのを待てば良かった。そうすれば、この現状を回避できた筈だ。選択を間違えた。


 深い溜息を吐きながら後悔を募らせていると、人垣から何かが必死になって抜け出そうとしているのが太朗の瞳に映る。


 モゾモゾと白い塊が人と人との僅かな隙間から迫り出し、そして、まるで囲いから吐き出されるように転がり出る。


 小動物のように体をブルリと震わせると、雪は忙しなく周囲を見渡す。そして、太朗を見つけるや脱兎の如く走りだす。


 結局こうなるのかと、太朗は片膝を床に付けると、苦笑いを浮かべながら両手を広げ迎え入れる体勢を取る。


 今後の動きに、一層の注意を払うことを決意する太朗だったが、その考えは次の雪の言葉で無情にも木っ端微塵に砕け散ることとなる。


「パーパッ!」

「「「パパ!?」」」


 ――勘弁して下さい、本当に。

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