十二話
『お前を倒せば、全てが終わるんだ!』
『……くっくっく、アーハッハッハッ!』
『何が可笑しい!』
『俺を倒せば全てが終わる? 何の冗談だ、一介の士官を破っただけでか』
『何を……言っているんだ』
『俺を倒して侵略が終わるとでも本気で思っていたのか? とんだお笑い話だ、傑作だよ』
『……ぁれ』
『ここで俺が敗れたところで本国が新たな司令官をこの下層世界に派遣するだけだ。喜べ小僧ども、お前達が愛して止まない戦争はまだ続くぞ』
『黙れぇぇぇぇぇ!!』
絶叫と共に画面が溶暗し、場面が一変、軽快な曲と画像が流れる。
インターバルという名のテレビ広告時間が画面に映し出される中、ゴクリと興奮を抑え切れない彦星は唾を無意識に呑み込む。
「え、どうすんの? ラスボスかと思ったらまさかの中ボス? もしかしたら序盤の雑魚ボスだったかもしれないってこと?」
興奮を抑えきれない彦星だが、何時の間にか視界の下に白い物体がいることに気付く。
「あれ、お前もこれ好きなの?」
彦星の前に陣取った少女は振り返って首を傾げる。どうやら、今放映しているアニメを知っているわけではないようだ。
「なんだ、もしかしてこの後やる、何だっけ……スイートウィッチーズ、だっけ? アレが見たいのか?」
その彦星の問いかけにも傾げられた首が縦に振られることはなく、少女のその視線は再びテレビへと注がれる。
何を熱心に見ているのか分からず、彦星は意味もなく頬を掻く。しかし、特に騒ぐわけでもなく、ただじっとテレビに張り付くだけの少女を無害と判断すると、彦星は改めて姿勢を正す。
もうすぐ、CMが終わり、待ち望んだ続きが映し出される。
「さぁ、どうなる!」
気を引き締める意味も込め、彦星はもう一度唾を呑み込んだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「さて、彦星の気も済んだことだ。これより会議を再開する」
「はい!」
「……はい」
元気良く答える彦星を織姫が冷淡な視線が襲うが、興奮が冷めぬ体には無力のようである。織姫は軽く息を吐くと心中に渦巻く感情を鎮めるため、だいぶ冷めてしまった紅茶を一口啜る。
「まずは現状把握だ。昨日正午過ぎ、玄関先で倒れた私は、今日の午前五時四十六分まで意識を失っていた。意識を取り戻した私のベッドには、見知らぬ少女が眠っていた」
太朗の視線の先を、彦星と織姫の視線が続く。その先には……。
「最近の魔法少女のコスチュームは随分と可愛くなったんだ~。私が見てたのはセーラースターまでだから~あれって何年前?」
昔のアニメと比較しながら花湖は嬉々としてテレビを見つめる。彼女の前には太朗が言った見知らぬ少女が、相変わらず真剣な眼差しでアニメを見つめていた。
「花姉さん……」
織姫は額に手を当て力なく首を振る。その声には何処か呆れが混じっているように聞こえる。
太朗も顔に苦笑を浮かべながら、ソファーに座る二人組を見つめる。
「そしてその少女だが、私は勿論、彦星と織姫、先程連絡してみたが父も覚えがないそうだ」
「そっか、父ちゃんも知らないのか~」
頭の後ろに手を組み、彦星は背もたれに寄りかかる。その表情から、特に期待もしていなかったようだ。織姫は無言のまま、テーブルに置かれたクッキーを手に取り、口に運ぶ。
カリッと乾いた音が小さく鳴った。
「念のため、花湖にも聞いたんだが……花湖」
「太朗ちゃん、な~に?」
「花湖はその子のこと、知らないんだな?」
のほほんと気の抜けた表情で振り返る花湖に、太朗は用件を簡潔に伝える。
「そうだよ~。こんな可愛い子、一度でも会ってたら忘れるわけないよ」
花湖はスリスリと少女の純白の髪に頬を擦り付けると、鬱陶しいのか身体を捩る。
「花湖……嫌がっているだろう」
「だって、可愛いんだもん」
「駄々を捏ねない」
聞き分けの悪い大きな子供の我が儘を太朗は切って捨てる。そもそも花湖は大きくない、むしろ小さい、とてもという副詞が付随するほど。
「太朗ちゃん、今何か失礼なこと考えてなかった?」
「いや」
「ふ~ん」
花湖の直感は野生の獣すら軽く凌駕する。太朗は素知らぬ顔で彼女の言葉を否定した。
「でも、そうなるとウチの誰もあの子を知らないってこと?」
「そうなるな」
彦星の問いに、太朗は是と答える。その言葉に、率直な疑問を投げかけた。
「じゃあ誰なの?」
「……」
結局はそこに行き着くのだ。彼女が一体誰なのかということに。
「花湖……テレビを切って、彼女をコチラに連れて来てくれ」
「はいは~い」
陽気な声で引き受けると、花湖はリモコンに手を伸ばす。彼女が軽くボタンを押すと、ディスプレイが漆黒に染まる。
突如、画像と音が途絶えたことに純白の少女は驚いたのだろう、瞼を何度も開閉させると、振り返って花湖に抗議の視線を寄越す。
「太朗ちゃんが呼んでるよ?」
その言葉に、少女の金色の瞳は花湖からすぐさま引き剥がされる。太朗をジッと見つめていると、顔に歓喜という名の花を咲かせる。
少女はふわりと、まるで羽毛のような軽やかさで足を進めたかと思えば、その身を宙へと躍らせた。
「おっと」
まだ幼い子供とはいえ、人間の体は存外重い。加速が加味されたその肉体から発生するエネルギーの総量は本来、油断できるものではない。
しかし、太朗の体は微動にせず、しっかりと少女を受け止める。抱きとめられたことが嬉しいのか、少女は顔を太朗の厚い胸板へと埋め、擦り付ける。先程の花湖を真似るかのように。
「あ、あなた! お兄様に何をしているんですか!」
「甘えてるだけじゃねぇの?」
口に菓子を放りながら眼前の光景を彦星は平然と受け止める、単に興味がないとも言えるが。
「彦星、アンタは黙ってなさい!」
「こ、こぇぇ」
「何!」
「い、いぇ何でもありません」
彦星は砂糖をたっぷり入れたミルクティーを啜って口を濁す。
「お兄様も、どうしてその子をそこまで受け入れているんですか? いくら心優しいお兄様でも変ですわ」
「確かに、いつも以上に可愛がってる気がする」
花湖は先程いた席に腰を下ろすと、織姫の援護に回る。その表情は少女を羨んでいた。
「そうか? 私は普段どおりのつもりなのだが」
OLNに在籍する太朗の、子連れの女性と会う頻度は同世代の者と比較して圧倒的に高く、子供をあやすこともまた多い。
それを知っている花湖と織姫の目から見ても、太朗の態度はそれ以上に甘いものらしい。
「そうだよ! 私だって太朗ちゃんに甘えたいのに!」
「花姉さん! 論点がずれています!」
「織姫ちゃんはしたくないの? 太朗ちゃんの胸にごろごろ~て」
「そ、それは……」
織姫の釣り上がった目が一点、ふらふらと意味もなく宙を泳ぐ。顔は依然赤いままだが、その意味合いは大きく姿を変えていた。
「私はしたい!」
本来、とてつもなく恥ずかしい台詞のはずだが、彼女に恥じらいの様子は皆無だ。
大平原、バンダナにそう評された花湖のその薄い胸を反らせる。余談だが、評論者はその後、原因不明の怪我により一週間学校を欠席している。
「別にこの程度、後でいくらでもしてやるが」
「本当ですか!?」
思わず織姫は身を乗り出す。その瞳孔は極度の興奮状態のためか、大きく開かれていた。
「あぁ」
当の本人は、何をそんなに興奮しているのかと内心で首を傾げていた。
「織姫、何をそんなに遠慮しているか知らんが私はお前の兄だ」
「……はい」
「下の者は元来、上の者に迷惑をかけるものだ。そして、それを黙って受け止めるのが兄の、私の責務だ」
「し、しかし」
胸元に手を置き、顔は依然朱に染まった織姫だが、その表情は何処か苦しそうに見える。
その表情に太朗は目を細める、彼女の内心を読み取ったのだろう、声に温かさが滲む。
「それとも妹の我が儘一つ受け止めきれぬほど、私は狭量な男かな?」
「そんなことありません! お兄様ほど頼れる人を私は知りません! そんな意地の悪いことを仰らないで下さい!」
即座に織姫は言い返す。その言葉には強い想いが込められていた。
思わず言い返してしまい固まる織姫に、太朗は笑みを深める。その兄の視線に織姫は小さく縮こまる。
穴があったら入りたい、彼女の身はそう言っていた。
「それでは、後ほど……よろしいですか?」
「あぁ、いくらでも」
最後まで遠慮する妹に太朗は小さく笑った。
「太朗ちゃん、私も私も!」
「織姫も、花湖を少しは見習うといい」
「それはちょっと……」
「織姫ちゃんひどいよ!?」
ショックを受ける花湖に、太朗と織姫は小さく笑い声を上げる。その声に釣られ、太朗の胸に収まる少女もまた笑みを浮かべていた。
「兄ちゃん、会議まだ終わらないの~?」
織姫の剣呑な雰囲気が霧散したことを受け、彦星はそう切り出す。彼にしてみれば、さっさとこの話を終わらせて遊びに行きたいのだろう。
その言葉に、太朗も頷いた。
織姫からこの少女に対する敵意がだいぶ薄れた、頃合といって良いだろう。時間をかけて場の雰囲気を整えたのだ。太朗にしても、そろそろ本題に入りたい。
「少しいいかな?」
太朗の優しげな問いかけに少女は顔を上げ、彼の瞳を見つめる。そこには一点の曇りのなく、ただ太朗という存在だけを捉えていた。
太朗の発言に、花湖達は姿勢を正す。気付けば、穏やかだが適度な緊張に満ちた絶妙な空間が形成されていた。
小さく息を吐くと、太朗は静かに語りかける。
「私の名前は太朗と言う」
太朗という言葉と共に、己を指差す。彼女が言葉の意味を理解していない可能性を考慮しての動きだ。そして、己に向けられていた指を少女へと向ける。
ゆっくりとした動きでその指は、少女の頬にそっと撫でるように触れた。
「君の名前は何というのかな?」
太朗の声に、少女は何も答えない。ただ、ジッと太朗を見つめるだけだ。固唾を呑んで見守る花湖達の視線にも気付く様子はない。
――やはり失語症か、あるいは……
少女の状態に顔が歪むのを必死に堪えながら、太朗は次の質問を投げ掛けようとした時、彼女の小さな口がゆっくりと開く。
「……名前?」
それは鈴の音のような透き通った声だった。
「喋った!?」
彦星は思わず身を乗り出していた。驚いたのは彼だけではない、織姫も口元に手を覆い、花湖は食べていたクッキーを落とす。
三者三様に、その顔に驚愕の相を浮かべていた。
「そう、君の名前は?」
――良かった。
太朗の心中にまず浮かんだものは安堵だった。
それは意志の疎通が可能になったことにより現状把握が容易になったなどの利己的なものではなく、少女が口答できるだけの精神と肉体を有したことに対する純粋な人情によるものだ。
しかし、その人情も、合理的な思考に覆われていく。
彼女は誰で、何故自分の部屋にいたのか、聞かねばならないことは山のようにある。
太朗は彼女の次の言葉を待つ。
次に、どのような質問をすべきか脳を高速で回転させる太朗だが、次の言葉であっさりその思考は停止してしまう。
「名前……知らない」
痛いくらいの沈黙が室内を満たす。
「……私、誰?」
少女はそう言い、小さく首を傾げた。
その問いに答えられる者は、何処にもいない。