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十話

 綺麗に舗装されたアスファルトの道を多くの者達が往来する。


 不思議なことに、妙齢者や年配の歩行者は疎らであり、制服に身を包んだ学生が大半を占めていた。しかし、それはこの揚葉町において何ら不思議な光景ではない。


 揚葉町は日本でも五指に入る著名な学術都市、桜塚研究学術都市の中心区域。数多くの教育機関が点在しており、その数は揚葉町だけでも両手で数えきれないほどだ。


 時刻は正午過ぎ、腹を空かせた年若き者達が腹の虫に急かされ、足を動かす。


 談笑の華が路上の至る所で咲き誇る中、一組の男女は沈黙をお供に道を淡々と歩んでいた。


 連れ添う二人の手は固く紡がれ、傍から見れば仲睦まじき恋人同士に見えたかもしれない。


 しかし、醸し出す雰囲気がそれを悉く否定する。


 重く息苦しさすら感じさせるそれは、初々しい男女の仲を罪人と刑事の関係へと変貌させる。


「花湖……そろそろ手を離してもらえると助かるんだが」


 困り顔の太郎に対し、少女の目は据わったままだ。


「何ですか、オフクロさん」


 そう言って、可愛らしい唇をへの字に曲げ、より一層手に力を入れる。花湖の掌は冷たく心地良い。いや、冷たいのではない、自身の手が熱いだけだ。


 ――敬語にオフクロさん、か。花湖のやつ相当怒ってるな、これは。


 太郎は心中で吐露する。何故、これほどまでに彼女が不機嫌なのか理由が全く思い浮かぶわけも、あったりする。むしろ容易に想像できてしまう。


 自分の容態を隠していた件についてだ。


「……はぁ」


 更なる頭痛の種に、思わず溜息が漏れるが仕方ないだろう。その吐息に花湖の眉がピクリと動くのを横目で見ながら、太朗は彼女をどう宥めるか考える。


 ――花湖の頑固さは筋金入りだからな、さてどうするが吉か。


 自身の体調が周囲に知られる可能性を当然考慮していた。それに伴う影響も、そしてその中で一番、説得に苦労するであろう人物が誰であるかも。


 花湖は頑固だ、それもちょっとやそっとでは梃子でも動かないほどの、だ。本人が納得しない限り、ずっとこの調子が続くのは火を見るより明らかだ。


 そうなれば、学校中に知られてしまう。それだけは、何としても阻止しなければならない。


 太郎の脳裏に過ぎるのは過去の情景。


 正確な月日は覚えていない。ただ、朧げに記憶に留めているに過ぎない。


 小学校の低学年、だった思われるが――ある日、上級生に囲まれ虐めを受けていた子を偶然見てしまった私は当然のようにそれを注意し止めるよう言った。

 しかし部外者の、しかも年下の正論など彼らからすれば煩いことこの上ないだろう。


 暴力の矛先が変わるのは、自明の理だった。


 その結果、私は全身に傷を負った。それは到底隠しきれるものではなく、私の怪我を知った花湖は、私の制止を振り切り――暴れた。


 それはもう凄かった……らしい。


 直接、その場面を見ていないので集めた情報から推測することしか出来なかったが、確かに現場に着いたときの惨状はとにかく凄まじいの一言に尽きた。


 教室内は荒れに荒れ、まるでそこに局地的な台風が吹き荒れたかのような惨事だった。件の上級生たちは皆、花湖の剣幕に恐怖し失禁していた。

 もしほんの僅かでも現場への到着が遅れていたら、花湖は彼らに対し直接、力を行使していたかもしれない。


 暴力という名の力を。


 その後、上級生たちとその親から謝罪を受けた。顔面蒼白で必死に誤るその姿は哀れにさえ思えた。花湖も、公共器物の破壊で教員に頭を下げていた、その表情は納得していない様子だったが年齢を鑑みれば仕方のないことだろう。


 その一件以降、上級生達や虐めを受けていた子がどのような生活を送ったかは覚えていない。


 鮮明に覚えているのは荒れ果てた教室と怯える無関係な生徒、そして鬼も裸足で逃げ出す花湖の形相だ。


 ――そういえば、あの件以降か。私が鏃流を習い始めたのは。


 誰かを倒すためでも、守るためでもなく、ただ、花湖にこのような問題を起こさせないための対応策として。


 そんなわけで鏃である花湖は思い立ったら一直線、妥協という言葉は一切なく、ただ思うがままに行動する。彼女が納得しない限りこの手は離されず、機嫌が直ることもないだろう。


 ――やはり、正直に言うしかないか。


 幾多の方法を考えたところで行き着くベストな選択肢は結局そこに辿り着く。しかし、その後どのような展開になるか、容易に想像できるが故に苦しむ。


 怒る、間違いなく怒る。何故、私に隠し事をするのかと。そんなに頼りにならないのかと。


 続いて、叱る。くどくどと長い説教が始まる。もう少し自分を大切に出来ないのか。周りがどれだけ心配するか考えたことがあるのかと。


 そして、落ち込む。どうせ、私なんて何の役に立てるわけもないとか、あれから何の成長もしていないとか。例え事情を説明したところで、花湖の更なるご機嫌取りが待っている現実に太郎の意識が一瞬飛ぶ。


 慌てて頭を振るが、頭痛が激しさを増す。それだけではない、体温も上昇しているのか汗が止まらないが、体は芯まで冷え切っている。その上、全身がまるで針金で縛られているかのような圧迫感に包まれ、手足が思うように動かない。


 ――もう、詰んだな。これは。


 帰路の途中で倒れないことを切に願いながら、太郎は重い口を開けた。


「花湖……」

「……何?」

「実は数日前から――」


 太郎の意識があったのは、玄関の取っ手に手が触れるまでだった。




 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




「最近、気絶してばかりだな、私は……」


 目が覚めたら、目の前に広がっていたのは見慣れた天井だった。自身が何処にいるのか、嫌でも分かる。ここは自室だ。暗い室内に灯された暖色の人工灯が、万物に明暗を作り出す。


 聞こえる小さな吐息に首を微かに回すと額から何かがポタリと落ちる。取ってみると水気を帯びたタオルであることが分かる。


 ふと、もう片方の手で己の額に触れると、その体温に小さく安堵の息を吐く。


 熱くない、それにあれほどまで悩まされた頭痛が嘘のように消えている。


 視線をずらせば、見慣れた少女がベッドに寄り掛かるようにして眠っていた。


「やはり、迷惑をかけてしまったな」


 気絶する前は当然、制服姿だったが、今目の前で眠る少女の身を包んでいるのは夏の風物詩とも言える浴衣だ。


 しかし暦は未だに春であり、外出着としては些か心許ない。けれど花湖にとって浴衣はお洒落のための衣服でなく、あくまで寝巻きに過ぎない。そのため、肌寒い季節だろうが平気で着るのだ。


「私の風邪が移ったらどうするつもりだ」


 病院に通ったわけではないので、風邪と断言できないが、今の季節でその格好は間違いなく風邪を引く。何せ、浴衣一枚の他に布団の一枚も羽織っていないのだ。


「私は君の看病をするつもりはないぞ」


 心無い言葉を呟きながら、そっと寝る少女の前髪を掻く。日本人形を髣髴させる小柄な顔立ちから規則正しい寝息が零れる。


「ありがとう……花湖」


 自然に感謝の言葉が太朗の胸の内から溢れ出す。


「んっ……太郎ちゃん」

「すまない、起こしてしまったか」


 太朗は慌てて手を退かすが、花湖の瞼は依然閉じられたままだ。


「私はオムライスが食べたぃ~」


 呟かれた言葉に、寝言に小さな笑い声を上げる。


「迷惑をかけてしまった礼だ。腕によりをかけるから期待してくれ」

「……ぅん」


 そう言って少女の唇は緩やかな曲線を描く。その表情はとても穏やかなものだ。


 雨戸は閉められておらず、窓からの光を遮っているのは薄いカーテンだけである。溢れる光量から大よその時刻を把握すると、太郎はゆっくりと上体を持ち上げようと試みるが、何故か体が重い。


 決して体調不良によるものではない。体はすこぶる調子が良いくらいだ。


 ふと、太朗は視線を下へと向けるとその原因に突き当たる。


 まるで誰かが寝ているかのように、不自然に膨れ上がった布団。それを証明するかのように、その隆起部は規則正しい動きで僅かな伸縮を繰り返していた。その正体を太朗は容易に察する。


「織姫にも寂しい思いをさせてしまったようだな」


 ――万が一病気を移したら拙いと、さり気なく距離を取っていたのだが、それがいけなかったようだ。もしかしたら、それで気付かれた可能性もあるか。


 何かと背伸びをして手助けをしてくれる太朗の自慢の妹。


 だが、実は彦星以上に甘えたがりであり、こうして一緒に寝るのはそう珍しいことではない。


 織姫の数少ない我が儘であり、それを許さぬほど太朗は薄情ではなかった。


「しかし、よく織姫が一緒に寝ることを許したな。いや、花湖だからか?」


 玄関先で倒れたのだ。流石にもう隠しようがない。それに、その現場にいたのは花湖だ。


 身体能力や鏃流の腕前には全幅の信頼を寄せるが、気配りに関しては論外だ。


 慌てふためく花湖の姿が容易に想像できる。恐らく、近所の奥様方にも知られたことだろう。


「いかん……頭が痛くなってきた」


 近隣の奥様方の大半がOLNに入っている。この情報伝達速度は伊達じゃない。既に、町内で知られていると考えてよいだろう。


 机の上に置かれた携帯のランプがチカチカと光っている。まるで、厄介事を片手に己を手招きしているように見えるのは気のせいか。思わず、唾を呑み込む。


 ――携帯は後にして、それより問題は織姫だ。いくら体調が良くなったからといって油断は出来ない。未だ、完治しているかなど分からないからな。風邪を移したら目も当てられない。


「織姫、起きなさ……ぃ」


 織姫を自室に戻そうと布団を捲っていた腕がピタリと止まる。いや、腕だけではない。体も、頭も完全に静止状態に陥っていた。


 極上の絹糸を使ったかのような豪奢な髪が全身を覆う。その色は自身や織姫のような黒色でなければ、彦星のような金色でもなく、白。


 しかし、白髪と呼ぶには余りに艶があり、銀色と呼ぶには色に混じり気がなさ過ぎる。喩えるならば純白色、とでも言おうか。


 その髪から覗く肌もまた白い。コーカソイドの血を濃く継いだ彦星と織姫も肌が白いが、目の前の子供はそれ以上だ。


 そう、子供だ。それも明らかに織姫より歳下だ。どんなに見積もっても十に満たないだろう。


「誰なんだ……この子は」


 思わず凝視する太朗だが、突如、恐ろしい速さで視線を反らす。


 純白の髪と白い肌に惑わされ、太朗は未だ安らかに寝息を立てる少女の状態を正確に把握していなかった。


 そう、少女だ。年端の行かぬ娘が病に倒れていた自分の隣で寝ていた――しかも裸で。


 ――正直に言おう……さっぱり訳が分からない。


「んんっ」

「あぁ、済まない」


 少女が身動ぎして身体を丸まらせ、自身に強く擦り寄る。幾ら季節は春とはいえ早朝は未だ冷える。慌てて布団を掛けてやると安らかな顔に変わる。


 その表情に、ひどく癒される自分自身に対して驚く。


 赤の他人な筈なのに。何処か見覚えのある顔立ちだからだろうか、それとも実際に何処かで逢っているのか、何故か眼下で静かに眠る少女に愛おしさを覚えずにはいられない。


 その事実に、太朗は愕然とする。


 恐らく初対面であろう裸の少女に愛情を抱く高校生。これはマズイ、色々とマズイ。


 ロリコン、その言葉が重く太朗に圧し掛かる。


「まさか、私にそんな嗜好があったのか……」


 顔を手で覆い、青褪める太朗。驚愕の事実に圧死しそうな雰囲気だ。知らなかった自身の本性に未だ信じられない様子だ。


「確かに子供は好きだが、いや、だがまさか……同世代や年上の女性に欲情を覚えたことだって一度や二度くらいなら……いかん、禁欲を心掛け過ぎて自身の状態が正常か判断がつかん」


 太朗は静かに混乱状態に陥る。独り言を呟きながら呻く姿は不審者以外の何者でもない。


 その声に、一人の少女が目を覚ます。


 つぶらな目を瞬かせ、のっそりと起き上がると、上体を起こした太朗と視線が交わる。


 数瞬の間と共に、花湖の体は宙を舞った。太朗は咄嗟に布団で少女の体を完全に覆い隠す。


「太朗ちゃん!」


 飛びついてきた花湖を両腕で受け止める。太朗の体はビクともしないが着地の衝撃がベッドを強く揺さぶる。太朗の頬に冷たい汗が伝わる。


「体の調子は大丈夫? 熱は?」

「あぁ、お陰様でこの通りだ。心配をかけた」


 額やら頬やらあちこち無遠慮に触る。花湖が動く度にベッドが軋む。伝わる汗が顎からぽとりと落ちる。やましい事など何もしていない筈なのに、太朗の動悸は一向に落ち着きを取り戻す様子がない。


 そのことに気付いたのだろう、心配そうな眼差しで己を見つめる花湖に対し、何故か罪悪感を抱いてしまう。


「でも、心拍数がちょっと高いし」

「いや、大丈夫だ」

「本当に?」


 はだけた寝間着の隙間に花湖は手を無造作に入れ、太朗の厚い胸元に置く。そこに恥じらいは一切存在しない。また、先程のダイビングで花湖の着衣も乱れており、何も知らずにこの光景を目撃すれば、勘違いを起こすことはまず間違いないだろう。


 花湖はズイと顔を近づける。頭一つ分以上離れている二人の顔が此処まで近くなることは早々ない。視線と視線が交錯する、と花湖の表情が変わる。


 ――マズイ、ばれた。


「太朗ちゃん、私に何か隠しているでしょう?」

「いや、何も」


 表情はまるで変えていないはずなのに、何故か、花湖は私の心を読むのが異常に上手い。鏃流に読心術があるなんて聞いてないぞ。しかし、案の定信じていない花湖はより一層、強く私に触れようとする。氣脈から異常を感知するつもりなのだろう。


「太朗ちゃんの嘘吐き! ちょっと触らせて」

「断る!」

「やっぱり何か隠してるんだ。無茶しちゃ駄目だよ、太朗ちゃん!」

「そうじゃないんだ!」


 ――本当に体調は良いのだ。体調は! だから人の話を聞きなさい!


 花湖の手を懸命に弾くが、状態が圧倒的に不利だ。何せ下半身は見知らぬ少女に拘束されているに等しい。更に動き回る花湖の足が少女を蹴飛ばさないよう注意しなければならない。はっきりいって最悪の状況下と言えた。


 花湖は太朗に向かって手を伸ばす。太朗は向かってくる手を往なす。それが延々と繰り返される。気付けば、常人では見切れぬ速度で応酬を行っていた太朗と花湖だが、突如互いの動きが止まる。


 決着がついたわけではない。いや、ある意味、決着と言えるかもしれない。膠着状態を打破するという一点においては。


 もぞもぞと布団の中で何かが蠢く。その実体が何なのか太朗は知っている。では花湖はどうなのだろうか。


「あれ、織姫ちゃん入ってたんだ、いつの間に。織姫ちゃんの気配に気付かないとは……不覚」


 項垂れる花湖に太朗は身体を緊張させる。これでこの少女が花湖の連れという限りなく低い可能性が潰れた。


 太朗の背筋に嫌に冷たい汗が滝のように流れる。このまま布団で隠すという選択肢は、何故か選べずにいた。


 ――鬼が出るか、蛇が出るか……もう、どうにでもなれ!


 覚悟を決めた太朗はゆっくりと布団を捲ると、白の塊が眼前に現れる。


 顔を上げた花湖は大きな瞳を点にして、まじまじと少女を見つめる。


 白に包まれた少女は身体をふるふると小刻みに震わすと、ゆっくりと瞼を開かれる。


 太朗は思わず息を呑む。


 少女の瞳は人が持ちえぬ、太陽の輝きを宿していた。


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