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「分隊長、お腹すきませんか?」
アウトランダーの覆面パトカーの助手席で、竜がのたくる前腕を頭の後ろに組みつつ、近畿管区広域捜査局刑事部機動特捜隊のリュドミラ・ジラトンスカヤ巡査長が、今まで口ずさんでいた『飾りじゃないのよ涙は』をサビの手前で切り上げ、不意にそう言いだす。
「朝の二時かぁ、確かに、お弁当のおにぎりも食べてもうたし」
リュドミラ上司である竜児実紅巡査部長は、そう返しながらハンドルを切りつつ、同居しているパートナーが握ってくれた爆弾おにぎりを思い出す。
高菜の漬物を刻んで混ぜ込んだご飯で握ったお握りを、焼きのりで全体的に包み、一個は焼いたたらこが半腹そのまま仕込んであり、もう一個は焼き鮭の切り身が埋め込まれていた。
サイズは大人の握りこぶしほど、たらこは自分が食べ、鮭の方はリュドミラにやった。
「コウ君のおにぎり、美味かったですね。お返しにアタシがなんか奢りましょうか?ここ大正ですよね?例のピロシキなんてどうですか?」
リュドミラが以前、偶然見つけたと言う軽バン屋台のピロシキ屋。
ロシア難民の夫婦が営んでおり、この辺りの大正通り沿いで商いをしている。
隊の皆にと大量に買い込んで庁舎に持ち込み、全員ご馳走になったが感想は絶賛だった。
カリッと焼きあげられた生地、豚ひき肉と玉ねぎジャガイモを炒めた餡は、いい具合に豚の脂身が溶け出していて舌に絡まり、香辛料の風味が鼻から抜けた。
その食感と味が脳内でリフレインし、胃のあたりがキュッと収縮する。
「ちょっと寄ろか?案内してや」
『四連動大震災』による巨大津波は、海辺の街である大正区に壊滅的な被害をもたらした。
震度六強の揺れと液状化で倒壊し、瓦礫と化した古い木造家屋や鉄骨造のビルを、高さ十メートルを超える津波が飲み込みほとんど全て大阪湾に引きずり込んだ。
その後、残った広大な空き地には、祖国の分裂と内戦を逃れてたどり着いたロシア難民たちが流れ込み、勝手にバラックを建て住み着き、ややかて『リトル・モスクワ』と呼ばれるようになった。
震災から十五年以上経過した今でも、JR環状線の高架周辺にはビッシリと粗末なバラックがひしめき合っており、復興も後回しにせざる負えない有様だ。
コンテナを引っ張って南港へ向かうトレーラーの尻を追いながら大正通りを南下し、例の軽バンを探す。
白青赤のロシア国旗の色に塗装されダイハツのアトレー程なく見つかった。
場所は人気の失せた千島公園の前。街灯に照らされ駐車している。テールゲートは開け放たれ、車内は明るくA型看板も出されているから営業中だろう。
道路使用許可も恐らく営業許可も保健所の検査も受けていない違法営業だろう。
普通なら警察官である二人が買い食いなどできないはずだが、近畿管区広域捜査局では暗に利用を推奨していた。
こう言う店舗は路上強盗の格好の餌食になる。それを抑止するための処置だ。武装した警察官がしょっちゅう利用する店を襲うバカは居まい。
「分隊長、前と同じで良いですか?」
とドアに手を掛けつつリュドミラ。
アトレーの後ろに止め、サイドブレーキを掛けると実紅は。
「なんか新製品でもあるの?」
「カレー味、始めてますよ?行っときます?」
「じゃぁ、普通のとカレー味」
「了解」
弾むように車外に出るリュドミラ。
まだ口にしていないのに、舌の上でカレーの風味を感じながら小走りにバンに近づくリュドミラのその後ろ姿を眺める。
「Старик!」
親し気に呼びかける彼女の声。
しかし、なぜか彼女は大腿部のホルスターに手を伸ばし、愛用の拳銃H&K45を引き抜き構え、周囲を警戒しつつ荷室に繋がるスライドドアに手を掛ける。
「分隊長、救急車を。七十代男性、腹部盲管銃創、傷はおそらく一か所、大量出血中」
淡々と、しかし緊張したリュドミラの声がイアホンから飛び出す。
すぐさま携帯端末『INCSM』から119にアクセスし、位置情報と共に状況を通信センターに伝え、ついで犯罪捜査支援AI『CISAI』通称『プリースト』を介し広域捜査局と大阪府警に応援を要請つつ、自分も車を降り、ホルスターからグロック22を抜きアトレーに向かって駆ける。
シュドミラの視線の先には、荷室の床に転がる太ったロシア人の老人、天井に向かって突き出した腹を覆うシャツは真っ赤に染まり、へその上あたりに小さな射入口が見えた。
息はしているが、異様に早い。死戦機呼吸だ。
リュドミラは腰のトラウマキッド(戦闘用の救急セット)を取り出しており、老人の血塗れのシャツを切り裂いていた。
止血作用のあるコンバットガーゼで先ずは溢れる血を拭い去り、こんどは新しいそれで射入口を塞ぐ。
応急処置はリュドミラに任せ、実紅は妻の方を探す。
彼女は助手席にいた。
肉付きの良い赤毛の老婆。
目と口をダクトテープで塞がれ、手足もダクトテープでぐるぐる巻きにされている。
ゆっくり目と口のテープをはがすと。
「撃たれたの!あの人撃たれたの!ねぇ生きてるの?ねぇ?!」
と、明らかに狼狽した早口のロシア語で問うてくる。
「大けがで意識は朦朧としてるけど、まだ生きてる!ロシアの男はみんなタフなんだろ!ばあちゃん安心しな!」
手当をしながらリュドミラが代わりに答える。
「いつやられたの?犯人の特徴は?」
「半時間前ほど、お客が居ないから別の場所に移ろうとしてたの。黒い小さな車出来て、いきなりあの人を・・・・・・。覆面してたから顔は解らない」
そこまで言って嗚咽を漏らしだす。
優しく背中を撫でると。
「日本語でスマホを出せって脅されて、出したら中に入れてたお金を全部取られた」
大抵、難民が営むような商売での決済はアングラ暗号通貨で行われ、それには闇のスマホが利用されている。
主に露天商を襲う路上強盗は被害者のスマホを奪い、セキュリティー破りのアプリが搭載されたこれも闇スマホを使って金を引き出す。
大抵、内戦で社会が破綻しているロシアや中国のネットワークを使い金のやり取りをするので追跡はほぼ不可能だ。
「何か気付いたことは無い?」
実紅の問いに、しかし老婆は頭を横に振るだけ。
老婆の肩を抱いてやりながらグロックをホルスターに戻し、辺りを見渡す。
北の方角から救急車のサイレンの音と赤色灯の明滅が近づいて来る。続いて大阪府警のパトカーも姿を現す。
リュドミラは駆け付けた救急隊員に老人の容態を説明し、実紅は同じくやって来た機動警ら隊員に状況を伝える。
引継ぎが終わり、実紅は自分たちのアウトランダーに戻り『プリースト』で周辺の民間の防犯カメラや国が設置した街頭カメラ『あんしんあんぜんカメラ』の画像を呼び出す。
しかし『あんしんあんぜんカメラ』はこの辺りには設置されて居らす、民間の物も広域捜査局や府警との提携状態に無い物が多く、使えそうな画像はヒットしなかった。
ため息をつき、どうしたものかと周囲を見渡す。
気が付くと、公園の方からバンダナで両手を拭きながらやって来るリュドミラの姿が。
プレートキャリアや黒いロングTシャツ、同色のスリムパンツのあちこちに血液飛沫が見られる。老人からの返り血だ。
「二十二口径か二十五口径、ともかく小口径な銃でしょうね。とは言え盲管銃創です。だいぶん心配ですよ、おっさん」
と言いつつ助手席に座り込む。
「さっき『プリースト』で画像検索してみたけどヒットは無し、復興の遅れに足引っ張られてるわ」
苛立たし気に実紅がこぼす。
車窓の外、大正通りの中央分離帯に視線を向けていたリュドミラが不意に。
「分隊長、あれ、交差点のあたり。なんか散らばってません?」
二人ともアウトランダーから降りて、既に機動警ら隊が設置した規制線の内側にある交差点へ向かう。
横断歩道と分離帯が交差する当たり、ガードレールの塗装がめくれひん曲がり、周囲には透明なプラスチック片。
鑑識の為に触らずにスマホで写真だけ取ると。
「ライトとウインカー。形から見て、左のフロントの奴、かな?」
と、リュドミラ。
今一度実紅は周囲を見渡すと、路面に黒々と真新しいタイヤ痕を見つける。
「私らと同じようにアトレーのおケツに付けて、犯行の後にこの場でUターンかまして、交差点を抜けようとしたところガードレールにおケツをぶつけた」
一瞬顔を見合わせた二人、すぐにアウトランダーに飛び乗り、犯人たちと同じようにUターンを掛ける。
機動警ら隊員に規制線を解放させ北上しつつ。
「左フロントのライトを破損させて大正通りを北上した黒い軽四!これで大分絞れるわ」
情報を『プリースト』を介して広域捜査局や府警の通信センター、周辺を巡回するパトカーと共有させつつ実紅。
「ねぇ、分隊長、食い物の恨みの恐ろしさ、思い知らせてやりましょうよ」
二ッと笑いながらリュドミラは言った。




