番外編:小学生ナオミの推理
私の名前はナオミ。最近、気になる人がいる。
同じクラスの彼。彼は、目立つタイプじゃない。成績はいい。テストの後、先生が「よくできてたね」と言うと、彼は小さく頷くだけ。運動神経もいい。リレーのとき、バトンを落とさないし、走るときに変な力みがない。
でも、クラスの人気者かというと、そうでもない。おしゃべりが上手いわけじゃない。ふざけて笑いを取るわけでもない。給食の時間も、わーっと盛り上がる輪の端っこで、静かに食べている。
それなのに――私は、目が離せない。
彼はいつも、教室を見ている。黒板を見るというより、みんなを見る。みんなの声の大きさとか、誰がどの席に座っているとか、誰が誰の隣に来たときに表情が変わるとか。そういうのを、ぼーっとしているふりで、ずっと見ている。
(見て、どうするの?)
ある日、私が消しゴムを落として、机の下にもぐったとき。床の近くから見えた彼の靴が、ぴたりと止まった。私の様子を観察しているようだ。私にはそれが怖い、というより――不思議だった。
不思議に説明がついたのは、私の得意な図工の時間。
みんなが絵を描いているとき、ユウの鉛筆の動きが変だった。私もそうだけど普通は、描きたいものを真ん中に描いて背景などは後で描いていく。でもユウは、線を引いて、そのあとで絵になる。私にはわかる。そんな絵の書き方なんて無い。しかも、線に迷いがない。絵が好きでたくさん絵を描いているのかと思ったけど、笑ってもいない。楽しそうでもない。
私は、背中に冷たいものが走った。
(これ、練習じゃない。作業だ。)
そのとき先生が「次の時間、外で写生するよ」と言った。彼は少しだけ顔を上げた。そして、周りを見た。みんなの反応を、確認するみたいに。
それから数日後。掃除の時間に事件は起きた。
机を動かすと、床に何かが落ちた。
ノート。
彼のノートだった。
「落ちたよ」と言おうとして、私は言葉を飲み込んだ。
拾い上げた瞬間、ノートが開いた。
そこには――
たくさんのアルファベット。
見たことのない記号。
丸と線が繋がった図。
数字が並んで、矢印がついて、また数字が並んでいる。
……え、これ、小学生のノート?
私は背中がぞわっとした。だって、彼のノートはまるで“研究資料”だった。
私は、息を止めたままページを一枚めくった。
そこには、もっとひどいものがあった。
if attention_noise > threshold:
reset()
change_topic("quiz")
「なにこれ……」
声が出た。小さく。その瞬間、背後で床がきしんだ。
振り返ると、彼が立っていた。
目が合った。
彼は驚いていない。怒ってもいない。いつもの不思議そうに観察するような顔をしていた。
次の瞬間、彼が私の手からノートを取った。
とても静かに。
でも、ものすごく速く。
「ごめん」
彼はそう言った。
謝ったのは、私じゃなくて、彼のほうだった。
私は、その謝り方で確信してしまった。
(あ、この人、大人だ。)
大人の謝り方だった。
友達に「ごめん」って言う感じじゃない。
店員さんが失礼したときの、「申し訳ありません」に近い。
私は、頭の中で点と点が繋がり始めた。
成績が良い。
運動神経も良い。
でも人気者じゃない。
いつも観察してる。
変なノート。
アルファベット。数式。命令文。
そして、急に思い出した。
テレビで見た、あのアニメ。
大人の科学者が、薬で小さくなって、小学生のふりをして、悪い組織に追われているやつ。
(まさか――)
私は気づいてしまった。
彼が本当は大人の年齢なのに、自分の体を小さくする薬を飲んで、小学生の姿で悪い組織に追われながら何かを研究している科学者だということに!
「……ねえ。」
私は震える声で言った。
彼は首を傾げた。
「なに?」
普通の返事。
でも、普通すぎて余計に怪しい。
私は一歩近づいて、小声で言った。
「追われてるの?」
彼の眉が、ほんの少しだけ動いた。
それを私は見逃さなかった。
――動揺だ。やっぱり。
「誰に?」
彼は聞き返した。
その声は静かだった。
静かすぎて、教室の音が遠くなる。
私は唾を飲み込んだ。
(言っていいの?言ったら危ない?)
でも、私はもう戻れない。
だって私は見てしまったんだから。
あのノートを。
あの“研究資料”を。
私は、意を決して言った。
「悪い組織……」
彼は、目をぱちぱちさせた。
そして、ほんの一秒だけ、変な間があった。
その間に、私はまた確信した。
(この間は、“計算”だ。)
彼は笑った。
でも、すごく小さく。
「……そう見えた?」
私は頷いた。
彼はため息をついた。
ため息の仕方も、大人っぽい。
「ちがうよ」
「ちがうの?」
「追われてない」
「じゃあ、なんでそんなノート……」
彼は、一瞬だけ目を伏せた。
そして、教室の窓の方を見た。
外の光が、彼の横顔を白くする。
「……忘れたくないから」
それだけ言った。
忘れたくない?
何を?
私は聞きたかった。
でも、彼の声が、いつもの声じゃなかった。
少しだけ、寂しい声だった。
私は急に怖くなった。
悪い組織とか、科学者とか、そういう面白い話じゃなくて、
もっと本当に大事なものが、そこにある気がした。
私は、黙って頷いた。
彼はノートを抱えて、席に戻った。
(……やっぱり、怪しい)
私はそう思った。
でも同時に、こうも思った。
(怪しいけど、悪い人じゃない)
だって、彼は今日も、みんなを見ている。
みんなが困らないように。
みんなが笑えるように。
そのために、静かに何かを観察している。
もし彼が科学者じゃなくても、
もし悪い組織に追われていなくても、
彼の中には、私の知らない世界がある。
私は彼のことが気になっている。
だから私は彼に声をかけた。
「ねえ、君が朝の会でやってるニュースのクイズ、一緒に作っていい?」
彼は一瞬驚いた。
そして――また、あの間があった。
でも今度は、少しだけ嬉しそうに見えた。
「……いいよ」
私は、心の中で小さく勝ったと思った。
悪い組織から守るとか、そういうことじゃない。
ただ、彼の世界に近づけた気がしたから。




