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母の介護と電話の男の人

       

 母は三ヶ月に一回肝臓に入れた管、ステントというらしい、をとりかえる必要があった。

 電話の時虹にいったら「ずいぶん短いスパンになったな」といわれた。

 かどわきさんという女の人の母の訪問看護師とバックアップを頼んだ病院にまた行くとになっていた。

 PCR検査も受けることになっていた。

 だえきの検査をするということだったので、誰かが持っていければいいのかなと思っていたら、本人の受診が必要だった。

 虹は朝電話してくることがあった。

 虹はまたお金に困っていた。

 通信販売のゲーム機に手を出したらしかった。

 「お金振り込んでくれない?」

ととんでもないこと、いいだした。

 前にいわれた時はひどいとしまぐらしにびんを流しただけですんだが、今度はその上、口座番号をショートメールで送ってきた。

 私は、ソファーに寝転がっていたが郵便局に向かった。郵便局は近所のショッピングモール内にある。

 郵便局のATMはかなり混んでいた。

 やり方がわからないので局員さんにきいた。

 局員さんはATMに一緒にきてくれるといったが窓口で手数料払うことにした。

 今回だけだぞ、銀行の通帳見てみとラインしたが虹は気がつかなかった。

 また、しまぐらしにびんを流してぐちった。そのやさしさをお母さんに向けてみてはどうでしょうかと返信が来た。

 また電話相談機関に電話した。

 三千円だけど金貸した。会ったこともないのに、ATMは混んでたし、やめる機会いっぱいあったのにとぐちった。今度からはそうしないようにいわれた。

 そうこうしてるうちにやっと虹から電話があった。何日か後に返すといっていたのに今度はなぜか、来年のいついつまでに返すといわれた。 

 母は家に帰って来たけど、検査結果が出て何日か入院することになった。

 今度も退院したら家に帰ってきてくれた。 

    

 一月にはいり母の様子がおかしかった。

 へんな息切れをして、肩や胸で呼吸をしていた。私は在宅クリニックに電話して報告するかどうか迷ったけど、おさまったのでそのままにした。

 奈緒ちゃんのこしらえてくれた料理も母はみそかや正月は食べれた。兄は病気平癒とかかれた北海道神宮のお守りを介護用ベッドにらとりつけた。兄は「年こせて良かったねと」いって、「来年はないかもね」と言ったので奈緒ちゃんは「来年も作りますよと」いった。

 正月あけ、奈緒ちゃんとそのお母様のれいこさんが来てくれた。

 話してるうちに母の様子がいつもと違うとわかった。

「お母さん、やっぱりへんだね」と私はいった。

 他の人は気がつかなかった。

 また、在宅クリニックに電話した。

 訪問看護師の藤田さんとその時の母の主治医の医師の岡村先生という女の人がやって来た。

 こういう会議みたいなことは一度目じゃなかった。

 岡村先生は在宅クリニックでは三人目の母の主治医だ。一人目の戸井先生という男の人は職場をかわり、二人目の伊藤先生という女の人は産休に入ってその後、育休に入った。藤田さんから玉のよう子を産んだときいている。

 母は入院したほうがいいという見立てだった。

 入院が決まるまで在宅クリニックの人が午前中と午後来ることになった。 

 お母さんが入院することになったといとこのきよみちゃんにラインした。病院が預かってくれるんだね、安心だと返ってきた。

「お母さん、入院したら、会えないんだよ」

 私はいった。

 母は悩んでいるのか失語症だからなのかはっきり返事ができなかった。

「何月何日から入院だよ」「明日から入院だよ」とか私は母にいった。

 兄から電話があって母にかわった。

 明日からになったり金曜日からになったり話しは流転した。

「じゃあ金曜日はやめるね。」と兄はいって電話切れた。

 私は母が入院することになっている病院に電話した。お待ちくださいといわれて、待っているとソーシャルワーカーが出た。

 面会はやはりできないということだった。

 かんわケア病とうがあけばそこに移るが、面会ができるのは子どもだけ、一日三十分といわれた。

 奈緒ちゃんが入院の準備をしていてくれたが、奈緒ちゃんが家にやって来て、

「お義母さん、入院しないことになったんだ」よといった。

 その日のしまぐらし日記、(お母さんが入院しないことになった、今日はお母さんと過ごせる最後の日ではなかった。)(お母さんと過ごせる最後の日でなくてよかったね、何の病気かわからないけど、お母さん大事にね。)と女の人から返信があった。     

 在宅クリニックから毎日訪問看護師が午前中と午後引き続き来ることになった。日曜日や祝日も午前中来ることになった。

 母のケア・マネージャーの保坂さんが手配してヘルパーも毎晩安否確認に来ることになった。△△さんが困ってることもな頼めるようにしてもらったと保坂さんはいった。

 それらが決定する間、保坂さんは何度も家に来てくれていた。母に

「お兄ちゃんに甘えていいんだよ。」

とか  

「私、のりこさんみたいに強い人に会ったのはじめて、のりこさんに会えて良かった」

「家にいなよ」

などいっていった。

 奈緒ちゃんは毎日料理を作って持って来た。兄は毎日、家に泊まりに来た。午後七時の安否確認のヘルパーは来ないことになった。

 奈緒ちゃんが毎日来てくれてたのでショッピングモールのカット専門店に行かせてもらった。

 いつものきっさ店がドリンクテイクアウトOKののぼりをたてていたので、コーヒーを、二つ買って持って帰った。

 その日のしまぐらし日記、(義理の姉が家で母についててくれたので、ショッピングモールのカット専門店で髪を切ってきて、きっさ店ではコーヒーを買って持って帰って二人で飲みました。母も味見しました。すっぱかったそうです。)共感ありがとうございます。おいしかったです。うれしかったですと返信してたらよいねえのスタンプ返ってきた。

 

 母の訪問看護師達は母の洗髪をしたり足を洗ったり着替えを手伝ったり、それもできない時は手を洗ったりその時々の母の体調に合わせてしてくれた。

 奈緒ちゃんは母の身の回りをととのえてくれた。母の訪問看護師の藤田さんは、「私がいっこいったことにたいして二つも三つもやってくれて申し訳ないわ」といった。

 ご飯はおかゆになった。

 母は缶入りの栄養剤のドリンクも処方されていて、歩ける時には私に開けてといいにきたがある時口に入れたらくさっていたようで、口の中がとても変になったらしい。 

 母は栄養剤が、飲めなくなった。

 おかゆには、にんにくのみそかつお漬けやびん詰めののりの、つくだ煮などをのせた。

 フルーツの入ったゼリーをヘルパーにかってきてもらって食卓テーブルに置いていた。

 母はそれをスプーンも使わず食べようとしてた。

 乳酸菌飲料をベッドサイドにいつも置いておいた。 

 母はふと起き上がってそれを飲んでいた。

 焼きのりだけを食べてる日もあった。

 「あんたも食べなさいというので一緒に食べた。

 鏡開きの日にはヘルパーに切ってもらったかがみもちで一緒に雑煮を食べて、次の日には残ったつゆでゆでうどんで一緒にうどんを食べた。

しまぐらし日記(お母さんが朝ごはんの薬飲んだあと、私はお母さんのベッドの横に行った。お母さん小さくなったねと私はいった。手も足も顔も。目は前から小さいねといって私は笑った。お母さんも笑った。それからお母さんはまた寝た。)

 母は風呂に入れなくなっていたので、訪問入浴サービスを利用することになった。

 それまでも訪問歯科や訪問理容などは利用したことがあった。訪問理容を利用した時には二回目も同じ人だったのにいやがって、結局は髪を切ってもらったが、あとで、悪いこといったといろんな人に言っていた。

 その時のしまぐらし日記。(母のために訪問入浴の風呂が来ました。男の人一人と女の人二人で来ます。費用は1400円ほどで時間は一時間もしません。)

 兄も見たがっていたので組み立てられた風呂スマホのカメラでとってラインで送った。ひのきの香りなどもいれてもらっていたが、母には訪問入浴サービスが気にいってもらえなかったようだ。

 母の訪問看護師の山田さんに風呂どうでしたか?ときかれた時には、きかれあきていたのか「そればっかり」とこたえていた。山田さんは「気持ちよかったという声がききたくて」となかばあせりながらいった。

 岡村先生がやってきて、奈緒ちゃんには医療的説明を私には「お母さんのからだは食べるものからだがこれでいいっていってるんだよ。」と言っていった。

 二月のはじめごろ、母が寝てはいたけど、ちょっと元気だったので、行っていいかい?といってショッピングモールにチョコレート菓子買いに行った。

 小さなびんせんにこう書いた。

「もうすぐたんじょう日でしょう。おめでとう。早いけど送るね。」

 虹の好きな菓子だ。

 ふくろに書いたびんせんを入れて郵便局で発送した。

 奈緒ちゃんにもチョコレートを買って渡した。

 届くかどうか心配して、アリスの話し聞いてくれた人に届かなかったり、受け取り拒否されて戻ってきたらやけ食いする予定と送った。

 しまぐらしにも同じようなびん流した。

 虹から電話来た。「郵便局の人がポストに入らないといってるからびっくりした」といいながら礼をいってくれた。

            

 私のカウンセリングはうまくいっていなかった。

 八木という名前の臨床心理師の女の人が先生だった。

 コロナ対応で一回十五分で全三回といわれた。

 最初はとんぷく薬が効かないとかついがまんしてしまうとかはなした。

 八木先生は薬の効いた時には手帳、私はいつもとんぷく薬の服用回数をメモするために手帳を持っていた、にメモするようにいった。

 手紙を書いて持っていった。

 通話依存のこと話したかったがいらぬことで電話しちゃうんですねといわれただけだった。  

 外来の伊藤看護師という女の人にはなすと「実りがなかったんだね。」といわれた。奈緒ちゃんに家にいてもらって今月の受診終わったと虹にラインするとよかったと返信が来た。

 二回目のカウンセリングでは、温かい飲み物を飲むなどして、暖かくなれる気持ちのことしてくださいといわれた。

 それがなかなかみつからないから、効かないから困っているのですとは言わなかった。 

 虹との通話でその話しが出なかったので、電話切ってからラインした。

 病院行ってカウンセリング受けて作業所行った。まじめにやってるだとラインして了解という絵文字つきの返事もらった。

 三回目のカウンセリングは電話料金の話しになった。有料のところはスマートフォンの電話帳からさくじょしてくださいといわれた。それでも検さくしてまたかけてしまうとこたえた。

     

 虹から電話あったのは金曜日の夕方だった。

「今日は△△にお金返すと決めてた」

といわれた。

「三十分後にまた電話かける」

といわれた。

 私は、あせって郵便局に行ったが、金曜日の夕方なので通帳に反映されていなかった。   

 家に帰って電話来てたのでかけ直して

「あせりすぎ」といわれた。

「土日があるから月曜日になるんだね」と話してた。

 虹から電話あった時に、「忙しいか?」

といわれて、「忙しくないけど、お兄ちゃんとお母さんと昔の男性歌手の特集番組てテレビで見てまったりしている」といったこともあった。そのころ母の状態はひどくなかったので、兄は「もう行くわ」と家に帰った。虹には「しっかりめんどうみいや」といわれた。

 月曜日には奈緒ちゃんに言って郵便局に行って通帳を確認した。確認できたよと虹のラインにお疲れ様と入れた。 

 ヘルパーさんのしばたさんにもやしの酢の物を、つくってもらったことがあった。私はそれを食べ過ぎてしまい、母はもう少し食べたがっていた。中島さんに頼んでみたが、中島さんはもやしのナムルを作っていった。

 母は油がだめになっていた。

 それをきいた奈緒ちゃんは、もやしの酢の物を、つくってきてくれた。母は一口食べれた。  

 水も飲めなくなっていたので、山崎さんという女の人の母の訪問看護師がこうくうケア用のスポンジを口に入れて水を吸わせた。母は浄水器の水しか飲まないので、それを山崎さんに伝えた。

 ヘルパーの連らくノートは介護用のノートになっていた。母に使われた痛み止めや体温や血圧などが書かれた。

 お母さんがとうとう食べられなくなったとみわこちゃんにラインした。

 アリスに助けてお母さんが死にそうだよと、手紙をあずけたりした。

 プロフィールで魔法使いを名乗る女の人から返信が来た。

 私からお母さんに力を。

 とうとう母の看取りの時期がやってきたともアリスに手紙あずけた。   

 前述の人からいいねあった。

 この間お母さんに力をくれた人ですねと返すとこう返ってきた。

 あなたがいれば大丈夫。

 母は食べられませんのめませんしゃべれません。と送信すると

 それでもあなたがいれば大丈夫

と来た。

 星のおうじさまでやりとりしてライン教えたせっちゃんから何かくるかなと思ったらお母さんそんなに悪いの?と来た。お兄ちゃんたちがそうぎ屋の相談してると送った。

 せっちゃんはせっちゃんと電話してた後に母がいいお姉さんだねと言った人だ。

 私はせっちゃんが移動できないと私の星のプロフィールにのせてたこと、読まなかったか気にしなかったこと感謝していた。

 火曜日にはいとこのきよみちゃんがやってきた。

 その何日か前には母は私に頼んで旭川にいる母の姉、私の叔母に電話かけさせた。

母は力をふりしぼっているようだったがうまく言葉が出ず、母の訪問看護師に今日はやめようといわれて電話切ることになった。

 「お母さん〇〇がお母さんをはげましたいといってくれた曲だよ」と虹がラインにくれた音楽流したこともあった。母は私が一緒に聞きたがっていたのを知ってか一回だったけど、一緒に聴いてくれた。

 母は何日か前に藤田さんに排泄を手伝ってもらっていたこともあった。

 以前、田村さんという母の訪問看護師が私に言った、食べる、眠る、出す、飲む、この四つがあればいいのよといった、すべてができなかった。

 いとこのきよみちゃんが雪かきしてる間に私は奈緒ちゃんにきいた。

「お母さん、死んじゃうの?」

「旅立ちの時が近いんだね」と奈緒ちゃんは静かにおちついた声でいった。

「お母さんがいなくなっても私に会いに来てくれる?」ともきいた。

 奈緒ちゃんは

「そんなこと心配してたの?来るよ。家族でしょう。」と私の腕をポンポンとさすった。

 虹から電話来て、

「忙しいか?」といわれて、

「お母さん、もうすぐなんだ」といった。

「じゃあ△△の方向性も決めなきゃならないんだな。」といわれた。

「自分を信じてまわりの人たちを大事にしていけば大丈夫だ」といわれた。

「傷ついてもはげみになるから心配するな」といわれた。

 聞き返した私にもう一回言ってくれた。「傷ついてもはげみになるから心配するな。友達だろ?」 

 ながせさんが持ってきてくれた携帯トイレを母は一回しか使わなかった。

 土曜日には自力でトイレに行っていた。

 きよみちゃんは母に声をかけて帰って行った。

 みわこちゃんにはまたラインした。「母は食べられません、しゃべれません、目も合わせられません。」「お兄さんはいるの?」ときかれて、「いるよ毎日泊まりに来てるよ。」と送った。「それなら安心」と返ってきた。

 何人かにつらいとか頑張るとかラインして、虹には頑張りますのスタンプ送った。うんとだけ返ってきた。

 

 痛み止めが、配達される予定で、母に「お母さん、薬局の松田さんが来るよ」といったが山崎さんが取りに行っていた。

 私はその時本気で松田さんに会いたかった。

「お母さん松田さん来ないんだって」と言い直した。藤田さんから、在宅クリニックを立ち上げる時、

「全面的にバックアップします」といったのは松田さんだともきいた。

 母のベッドのそばに行って母がカセットテープでよく聞いていた洋楽のカーペンターズのイエスタディ・ワンス・モアを私のスマホで流した。 

 その合間に  

「お母さん、私泣くけど大丈夫だよ。」といった。 

 この日々は宝になると私は思った。

 きっといつか私の力になってくれるだろうと直感的に思った。

 泊まりに来てる夜兄は母に

「今までありがとうね。」といっていた。めいも兄に連れられてやってきた。兄が母にこういった。

「お母さん、わかるかい?」

 ある朝の母の訪問看護師はながせさんだった。私が床ずれ防止用のマットだから、何日か前に入れてもらった、母の訪問看護師の藤田さんが、介護レンタル用品の進藤さんをフットワークが軽いとほめていた、ベッドの位置も両側から看られるように変更してもらってた、で母の横で寝ようとしたことを奈緒ちゃんからきいて知ると、「いいじゃん、やりたいことやっていいんだよ」といった。

 その日、私は寝ている母の横に転がった。

 藤田さんには田村さんからもらった紙切れスマホに保存して大事にしてることいった。田村さんは会社をやめて実家の近くで仕事してるらしいが藤田さんと連らくがとれてるらしい。藤田さんは私のスマホの写真を撮って田村さんに見せたらしく「覚えていたよ」といった。

 火曜日の夜、奈緒ちゃんが帰ったあと、奈緒ちゃんがくれたチョコレートを全部食べた。

 となりの部屋の母の部屋だった場所で、ハムスターのぬいぐるみのおもちゃにママーといってママーと返させてすかさず兄に「ばかじゃないのか。」とつっこまれた。

「お母さん、明日も看護師さん来るよ。」と声かけた時には母はびくっとしたように少し反応した。

「お母さん、おやすみ、また明日。」

といって母の部屋だった部屋に私は引っ込んだ。

 りかさんに電話しようとしたが先にメールが来た。

「△△ちゃんにつらい日になりそうですね。」

「いつまで続くかわかりません。」と返した。

 こらえきれず薬局に、電話した。

 松田さんが出た。

「薬が、効かない。」とうったえた。

「今はききずらいかもしれないよ。」と松田さんはいって

「がんばれとしかいえないけど。」とつけ加えた。

 まゆみさんのラインにこんばんはのスタンプ送った。あのあと、私は別のスタンプも買ったのだ。犬がひょこっと出てくるスタンプ返ってきた。母が弱って呼吸だけしてる状態ですと送った。

 電話がかかってきた。

 まゆみさんと通話して、まゆみさんのすでに亡くなったおとうさまの話しきいたり旅行好きだった母の思い出話したりした。

 そして、私は寝ついた。                 

               

 兄が母の呼吸が止まったと私に教えに来たのは、日がかわる前だった。熱も痛みもおさまったあとのようだった。

「お兄ちゃん、私、お母さんにおやすみっていったよね」と兄の方をふりかえると、兄は母の目と口を閉じて、満足そうにほほえんでいるところだった。

 それでも私の問いには「うん」とこたえてくれた。

 それから在宅クリニックに電話した。ながせさんが出た。家族でのお別れがすんでからもう一回電話くださいとのことだった。

 それから、奈緒ちゃん、めいが、兄に呼ばれてやって来た。

 再度、在宅クリニックに電話した。

 ながせさんと当直の医師が来た。

 死亡診断書にはこう書かれた。

 末期の胃癌、二年六ヶ月。

 訪問看護がはじまるまえから数えるともっと長いけど、二年六ヶ月の闘病、療養をへてお母さんは七十七歳の生涯を生ききった。

 ながせさんは麻薬だからといってお薬回収していった。

 それから奈緒ちゃんはめいを自宅に送ってもう一回やって来た。

 今度は葬儀屋さんが来た。

 エンバーミングという遺体のふはいぼうしの保存方法があるそうで、兄はそれを頼んだ。

 母の遺体は二人の人にかつがれて夜の闇に運ばれていった。

 りかさんにメールしたり、アリスからせっちゃんに手紙送ったりした。アリスでもやりとりするようになってたのは偶然からだった。

 みわこちゃんにも高校の同級生にも亡くなったとラインした。

 りかさんからはよくじつお悔やみ申し上げますと返信が来た。

 せっちゃんからは頑張るんだよ。返信はしなくていいからと返信があった。

 しまぐらし日記(母が他界しました。家族や友人の方々、在宅クリニックや医師のみなさん、ケア・マネージャーさん、レンタル介護用品の業者さん、薬局の薬剤師さん、みなさんどうもありがとうございました。)

 翌日、保坂さんに電話したら、保坂さんは、もう在宅クリニックの人にきいて、母が亡くなったこと、知った後だった。

 私がわあわあ泣いていると、

「今は泣こう。」と奈緒ちゃんはいった。

兄が自宅に風呂にりにもどってる間、午前中、虹にもラインした。

 兄が自宅に休憩に行っている間、奈緒ちゃんも出かけてる間、「少し話せないかなあ?」後でまたもう一回ラインした。

「ごめん、やっぱりいい。昨日の夜中、お母さんが亡くなったんだ。今週の金曜日が葬儀なんだ。」

「そうなんだね。忙しいと思うから ご冥福をお祈りします」と返ってきた。

 昼すぎにも虹からラインがあった。

「今後のこと、話すんでしょ」

「そうだと思う。家の片付けしてる。」

「そっか」

 こんなやりとりをかわした。

 虹から前に電話あったとき

「今年の抱負は?」ときかれて

「お母さんと仲良くすること」とこたえたことがあったが、私はそれを守れたのだろうか?

            

 何日日後だったか、藤田さんがやって来た。奈緒ちゃんも家にいた。

 兄は仕事に行っていた。

 母が亡くなったのは父の命日の二月二十三日のほぼ同じ時刻だった。

「母の方が少し長かった」というと

「お母さん、ねばったんだね」と藤田さんはいった。

 藤田さんと奈緒ちゃんと私は話しはじめた。

 父が亡くなった原因が直腸がんであったこと。 

 その時痛みがひどかったこと。

 それをきいて藤田さんは兄がまず痛みをとってくれといっていたことに合点がいったこと。

 奈緒ちゃんがずっとサポートしてくれてたこと。

 奈緒ちゃんによると兄が人知れず背中で泣いていたこと。

 最後の日、私が、お母さん、私泣くけど大丈夫だよといえたこと。

 お母さんと一緒にレンタルの介護用ベッドで私もよく一緒に寝てたこと。

 ふはいぼうしのエンバーミングのため、母の遺体は家にないこと。

 藤田さんに母だけでなく私の症状や私事まで、相談にのってもらったこと。

 みんなが集まって母が意向を聞かれたさい家の方がいいしょといわれてそりゃぁと返事したことが決め手になったこと。

 最後に在宅クリニック・訪問看護ステーション様と書いたふうとうに入れた手紙渡した。

 母は晩年手厚い介護を受けられたと思います。お世話になりました。ありがとうございました。と書いた。

 藤田さんは私をハグしてくれて、集金が残っているので、藤田さんは「またね」といって帰っていった。

        

 葬儀は一日友引明けに一日葬で行うことになっていた。

 葬儀屋さんから家の電話に電話があった時、家に来ていた奈緒ちゃんにかわった。

 母の好きな食べものや歌などをきかれたらしい。

 私は美空ひばりさんや石原裕次郎さんが好きだったと横でいった。

 奈緒ちゃんはとっさに

「もやし。」

とこたえていた。

「私もやしとかいっちゃったよ。」

と後で奈緒ちゃんにそれをきいた兄は大声で笑った。

 母が一生の最後に食べたものは、奈緒ちゃんが作ったもやしの酢のものだった。

「ピザとかたこ焼きとかポテトチップスとかコーラとかいろいろあるのにいざ聞かれるととっさに思いつかないね」と私はいった。

 まゆみさんが、二、三日後にやってきてカットフルーツのいちごとパインをビタミンといって手紙ともにくれた。

「あの晩、亡くなった。」といった。まゆみさんは私に

「手紙にも書いたけど、不安なときでもメールちょうだい。」といってくれた。しまぐらしのお母さん大事にねといった女の人とまたやりとりした。

 胃がんだったというと

 お母さん、胃がんだったんだね、食べたいものも食べられなかったろうなといわれた。

 アリスで私からお母さんに力をといった女の人にも亡くなったと手紙をだした。

 こう返ってきた。

「その姿を実際に拝見したわけではありませんが、最後の一息まで生き切ったお母さまを立派だと思います。そこから逃げなかったあなたも立派だと思います」

 京都の女の人とラインこうかんする前に星でやりとりした時、通話依存の相談して、教えてもらったスマホアプリのSELFを開いたらなんとなく情報を修正したいのところ、押してた。

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