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閉じた瞳の国  作者: 澄吹
2/14

目玉

王都の北側、緩やかな丘の上に、その館はあった。

《王都貴族文化振興協会》という仰々しい名を掲げながら、実態は金持ちたちの秘密の遊戯場——そう、父が口を歪めていたのを、私は覚えている。


今はその父も母もいない。


私は今日、ヴァレンシュタイン家当主として、ここに名を連ねた。


案内された広間は天井が高く、壁は金箔と彫刻で飾られていた。シャンデリアの灯りが揺れ、足元には絨毯。空気には香水とワインの匂い、そして誰かの笑い声。


どこもかしこも美しく、整っていて、滑らかだった。なのに私は、ひどく居心地が悪かった。

視線がいくつも刺さった。


「今年の当主は娘だそうね」「あの名門も、ずいぶん寂しくなったわ」


会話の端々に聞こえる言葉に、私は顔を歪めることすらしなかった。


テーブルの上には、今夜の出品リストが並んでいる。


翡翠細工の懐中時計。魔物の牙で作られたワイングラス。飛べない翼を持つ剥製鳥。

——そして、最後の行に書かれた一文。


《最終出品物:非公開。会場内にてご案内いたします》


他言無用、との前情報通りだった。


私は深く息を吐き、用意された椅子に腰掛けた。もうすぐ始まる。


司会者は黒衣を纏った男だった。仮面越しの声は滑らかで、どこか芝居がかっている。


「本日はお越しいただき、誠にありがとうございます。さあ、今年も皆さまの“お目が高い”ところを拝見できますこと、楽しみにしております」


会場が柔らかな笑いに包まれる。誰もがこの空間に酔っていた。


時計、剣、陶器、絵画。次々と物が持ち込まれ、金が飛び交い、男たちが競り合い、女たちが口元を布で押さえて微笑んでいた。


私は沈黙して、それらを見ていた。

見て、考えていた。


——私は、ここにいていいのか?


ヴァレンシュタインの名のもとに、私はこの場に座っている。けれど、ここで行われていることすべてが、どこか違う。まるで、自分が違う皮膚を着せられているような感覚。


「さて——」


その声で、場が静まった。


「お待たせいたしました。本日の目玉商品でございます」


カーテンの向こうから、誰かが運び出されてくる。

運搬台車に縛り付けられた椅子。それに座らされた、小さな人影。


それは——少女だった。


破れた白のドレス、裾に泥。裸足の足首には重たい鎖が巻かれていた。

だが、それらすべての“痛ましさ”を超えて、彼女には——言葉を失うほどの美しさがあった。


白い陶器のような肌。儚げな、けれどまるで光をまとったような金色の髪。

まつ毛の影から覗いた瞳は、見たことのない蒼——

まるで、雲一つない夏空を切り取ったような、透き通った蒼天の色だった。


その色を見た瞬間、胸の奥に痛みが走った。

背筋がひやりと冷たくなり、言葉が喉の奥で凍りつく。


この場所に、この子は、あまりにも似合わない。

こんなところにいていいはずがない。


息をするのも忘れて、ただ、見つめていた。


会場がざわついた。


「……あれ、蒼い目じゃないか?」

「見間違いか? この国に、そんな色……」

「いや、まさか。神話だろ、あれは。“空の目を持つ民は、天に還った”って」

「“空の瞳は神の遣い”。昔の言い伝えさ」

「でも本物だとしたら、なぜこんな場所に?」


「これぞ“唯一無二”というにふさわしいお品でございます」


司会者の声が耳に入ってこなかった。


「蒼穹の瞳」「神話の血筋では」「本物か?」

そんな囁きが飛び交う。だが誰も、彼女に“人間”としての名を呼ぶ者はいない。


「では、入札を開始いたします。初期価格は金貨百枚より——」


——あ、と思った。


理解できなかった。

なぜこんなにも自然に、この子に“値段”がつけられようとしているのか。

誰も疑問に思わない空気が、恐ろしかった。


何かが壊れる音がした。いや、音などなかった。

ただ、私の中で何かが、決定的に断ち切れた。


この子に、値段をつける?

この、美しい蒼の瞳に?

“百枚”“百五十”“二百”——人間の少女に?


意味がわからない。どうして、どうしてこの子が“競り”にかけられてるの?


気づけば、手が震えていた。


「金貨二百五十枚を提示された方が——」


「三百」


私は静かに告げた。怒鳴らなくても、声は十分に通った。

一瞬、空気が揺れる。


「三百五十」

どこかの席から、落ち着いた男の声が上がった。


「四百」

私はすぐに重ねた。間を与えなかった。


「四百二十」

「四百五十」


次々に数字が飛ぶ。誰もが、あの少女を“特別な品”として見ている。


けれど、私の目に映っているのは、あの細い肩と、震える指先だけだった。

彼らにとっては珍しい“逸品”かもしれない。

でも私にとっては違う。


この子は——人間だ。


「五百」


ザワリと、場が揺れた。

それは高すぎる、とでも言いたげに、いくつかの囁きが漏れた。

だが私は構わなかった。


「五百十」

なおも食い下がる声があった。


「この子に、これ以上“値段”で自分を測らせないで。

連れて帰るのは、私です」


静寂が落ちた。


私は立ち尽くしていた。心臓の音が、耳の奥で鳴り続けていた。


少女はまだ、目を閉じていた。

でも、ほんの一瞬——その指先が、私の方へ向けて、かすかに震えた気がした。

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