ある昼下がりの時計店
山手線大塚駅。
池袋の隣の落ち着いた駅で僕のお気に入りだ。
昔、ミシュランを獲得したラーメン屋を訪問するために降りたことがある。
駅から20分くらい歩いたところに時が止まったような時計店があった。
山手線から歩いていくと何の変哲もない住宅街が広がっていた。
ひっそりと佇むインドレストラン以外はどこにでもある風景だ。
インド人店主とおばちゃんが世間話をしているところがいかにも国際都市東京らしい。
何故、久々に山手線を出ようと思ったのか。
僕はふと思い立って、本棚の上の方に置いてあった腕時計を直すことにした。
いずれTOEIC試験を受けるかもしれないし、動いている姿を久々に見たいという思いもあった。
東京の喧騒を離れ、静かな裏通りに佇むその店は、時が止まったような風情を漂わせていた。
ドアは開いたままで、店主はいなかった。
所狭しと置いてある壁掛け時計と1980年代に受賞したと思われる賞状達が並んでいた。
「第26回時計技術者優秀賞。」
こんなタイトルの賞状が数多く並んでいた。
時計店と共に歩んできた店主の人生が伺えた。
「すみませーん」
僕の声が誰もいない店内に僕の声が響き渡ったが、返事はなかった。
僕は何回か呼びかけ、ようやく「はいはい」という声が聞こえてきた。
恐らく70代以上の男性。
僕は祖父の横顔を連想した。
「時計の修理ですか?」
とおじさんはエプロンを結びながら近づいてきた。
僕は古びた腕時計を取り出し、徐に言った。
「だいぶ古い時計なんですけど、直せますか?電池も入れられそうでしょうか。」
おじさんは時計を手に取り、じっくりと観察した。
笑顔が素敵なおじさん。
ニコニコしながら言った
「これ15年位前のだね。家片付けてたら出たんやろ?午前中も同じような人が来て」
話好きの店主らしい。
「レンズが少し汚れてるよ。これからも大切にしないとね。掃除もしてあげるからさ」
と言いながら何やら磨く工具とか接着剤を木箱から取り出していた。
「うちは眼鏡も売ってるけどさ、みんな安いやつ買っちゃうんだよね。売れる数も減ってきたよ。」
「でも、やっぱり安いと傷が付きやすかったりするしさ。今度来たら眼鏡もどう?」と言いながら店主のおじさんは笑っていた。
手際は実に見事で、時計が蘇る姿を現在進行系で見ているかのようだった。
僕は時計のベルトの交換も所望した。
おじさんは嬉しそうに店の在庫から一つのバンドを取り出し、
「この時計の針と同じで少し華やかなこのバンドはどうかな?サービスしてあげるよ。」と言ってくれた。
時計とは不思議なものだ。
物とは不思議なものだ。
貰ったときのこと、使いながらやっていたこと、当時ハマっていたこと。
それらの記憶がみるみるうちに蘇ってくる。
一種の時の缶詰みたいなものなのだろう。
だから人が使っているものは勝手に捨ててはいけないし、捨てた捨てられたで永久的に論争が起きてしまうのもそのためだろう。
時計は動き出し、思い出も蘇ってきた。
小学生の時に腕に巻き付けて塾に通っていた。
一人でベンチでアイスクリームを食べていた。
時計を見ながら授業が終わるのを待ち構えていた。
電車に揺られながら夏期講習に行っていた。
笑顔で時計を買ってきた祖父。
いつの間にかスマートフォンを使うようになり、電池も入れなくなってしまった腕時計。
思い出は大切にしないと思い出せなくなる。
そんなことを考えていた。
僕は感謝の気持ちでいっぱいになった。「本当にありがとうございます。この時計が再び動くとは思ってもいなかったです」
おじさんは穏やかな笑顔を浮かべた。
「今日はサービスだよ。」と掃除、電池交換、ベルト交換を3700円でやってくれた。
安いのか高いのか分からないが、店主の人柄も良く、レビューの高さの要因が伺えた。
僕はまた静謐でひっそりした住宅街を歩きながら池袋の公園を目指した。
日本の路地裏はやはり細々していて好きだ。
一時停止の看板、スクールゾーン、住民、凝ったエクステリアの家達。
そうして池袋のとある公園に着いた。
数棟のタワーマンションがそびえ立っていた。
子供たち、ベビーカーを押すお母さんお父さん、日向ぼっこするお兄さん。
僕の地元の公園より格段にお洒落だ。
それぞれ思い思いの時間を過ごす人達。
別世界の住民のように僕の網膜というスクリーンに映し出された。
その光景はスマートフォンで見るドラマよりも現実感がない気がした。
僕はゆっくりと首を上げ、空を見上げた。
僕がいなくても世界は回っていく。
そう感じて公園内のキッチンカーでベトナムコーヒーを買ってベンチで飲んだ。
ベトナムコーヒーはやはり苦かった。
ベンチでゆっくりとコーヒーを飲んで時計を飲んだり荷物の整理をしたり。
日向ぼっこしているおばあちゃんに話しかけられ、巣鴨のおすすめスポットを教えてもらった。
そして、英単語を復習し、雲の流れを感じながら1時間位が経過した。
直った腕時計を見て久々に時間が過ぎていったことを自覚した。
そして店主のおじいさんを思い出し、
ふいに涙が出てきた。
何故かは分からない。
話せる知り合いがどんどん減っているからなのか、店主のおじさんの優しさに触れてるからなのか、このモラトリアムの持続性が不安なのか。
または亡くなった祖父を思い出したからなのか。
優しさに触れたからなのか。
涙が止まらなかった。
僕の頬を流れる感触は確かに存在し、手の甲で拭ったが、ポタポタと地面に水滴が流れていった。
涙が流れた。
止める気もなかった。
ただ、なぜだか悪い気はしなかった。
過去を振り返り、思い出に浸ることも悪くないのかもしれない。
思い出に浸るのも無償の娯楽の一つだ。
塾通いする僕にプレゼントしてくれた祖父、そしてユニークな腕時計。
その時計を使って勉強していた自分。
そんな過去を思い出した。
時計の刻む音が聞こえたような気がした。
この時計と共に、僕の新たな時間が始まる。
山手線の環の中で見つけた一瞬の静寂が、僕の心に新たな希望をもたらした。
この街の片隅で、僕は再び自分自身を見つけるための旅を続けるのだろう。
時間の糸を紡ぎながら、過去と未来を繋げるその旅路の中で。
そして、時のバトンを未来の自分に繋げなくては。