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山手線暮らしと逃避行  作者: いい話byHimajin
山手線に住んでいます
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山手線での生活

さて、山手線に乗りながら何をしているのか述べることにしよう。

地獄のような社会人生活を一旦終え、モラトリアムを出来るだけ楽しむようにしている。

山手線に乗っていてもわりとすることはある。

具体的には1.景色を眺める、2.読書をする、3.人間観察 だ。

それぞれを同時進行でこなしながら山手線に揺られている。


とある日、僕は高田馬場にいた。

東京随一の東南アジア人街で買い物をしていた。

アジアン食材を買ってから駅へ。

さかえ通を見下ろしながら出発。

乗ってすぐに湘南新宿ラインが山手線を追い越していく。

窓から見える無数の並行する線路は自分の人生の選択肢の数を示しているようにも思えた。

手には都区内パスが入ったスマートフォン。

この小さな社会を僕は使い放題なわけだ。

ニューヨークやロサンゼルスの地下鉄と違い、ここは安寧の場所。

そしてゆっくりと揺られながら何かに想いを馳せている。

そんなことを考えているうちに電車は池袋へと滑り込んでいく。

池袋や上野のようなターミナル駅を通りながら思うことはみんなどこから来ているのだろうかということだ。

ゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」というフレーズが脳裏にずっと浮かんでくる。

そして、色々な場所から来た人たちがこの空間に一緒に混ぜられている。

みんな同じ人生を過ごす共同体とも言える。

みんな一様にそれぞれの人生を持ちながらこの空間だけでは同じ時間を共有している。

一種の交接点であり、そして接線のようにまた離れていく。

人だけではない。

この東京という街を作っているコンクリートや建設資材もどこから来たのだろうか。

一体合計して何トンあるのだろうか。

もし仮に人がいなくなったらアンコールワットのように古代遺跡になるのだろうか。

夥しい数のコンクリートが生えた東京。

その持続性を抜きにして、僕は今に生きている。

独立不干渉で誰も話しかけないこの東京という都市は時に非情で時に優しくもある。

そして、僕はスマートフォンに目を落としトーマス・マンの魔の山はライ麦畑でつかまえてを読んだ。

なんでこのような古めかしい本を読んでいるのかいつも聞かれる。

実は自分なりの理由が一応ある。

私は人生の中で評価されたものを積極的に摂取していきたいからだ。

特に、評価を縦軸、年代を横軸とした場合、当然ながらその積分されたエリアが大きい程、評価の度合いは大きくなる。偉そうに語ってしまったかもしれない。

でも、世の中の芸術作品や文学作品を味わい尽くして死にたいという思いがある。


読書に飽きたら、取り敢えず目線を上げる。

偉そうにたまに車内の人間観察もする。

楽しそうに景色を眺める外国人。

商談合間なのかぐったりするサラリーマン。

平日の昼間でも色々な人がいる。

前はそのような思考にならなかったが、電車は本当に色んな属性の人がいるんだと実感している。

それはある出来事が元になっている。

人間観察の中で、印象に残っているのはやはり人知れず声を上げて泣いていた女性だった。

忘れもしない、山手線3日目の夜だった。

人もまばらな日曜日の夜。

私の隣にスーツ姿の女性がドカっと座ってきた。

そして、徐に下を向きながら声を上げて泣き始めた。

人間観察をせずとも、僕の知覚を刺激するその行動は深く胸に刻まれてしまった。

なぜ、泣いているのかわからない。

大切な人が亡くなったのかも知らないし、仕事で嫌なことがあったのかも知らない。

何があったのかわからないが、彼女の気持ちが理解できる。

わりとこれは自分でも意外だった。

もしも自分が大学生で同じ状況に出会したのなら理解できなかっただろう。

社会人は何かと楽しい反面、大変なこともある。

仕事では世代の違う人と話さないといけないし、周りと比較して何かしらの焦りを感じることもある。

結婚のこと、家族のこと。

背負わなくてはいけないものが一段と増える。

窓から見える無数の並行した線路のように、それに対する対応の仕方も無数にある。

大学生という同質的な環境下では味わうことのなかった悩みが増えてくる。

テストのように答えが一つでもない。

解決すべき問題も主に学校に関わるものばかりだ。

しかし、社会人になると色々と見えてくる。

そうしたものが急に霧が晴れたように見えることがある。

普段は魔法のかかったように気にしていないことでも、気づいたら目の前に立ちはだかっている。

周りの人間関係や環境にも影響しているのかもしれない。

大学の時に気が合う仲間がわぁっーと集まってその場の勢いでサイクリングしたりイベントに行ったり。

それが社会人になると結婚先くらいでしか人が揃わない。

そうして頼る人も少なくなってくるように思える。

僕はその女性を思い出した。

あのとき自分がただできたことといえば、同じ空間に置物のように存在することだけだった。

その女性を見てから僕は電車という空間への考え方を変えざるを得なくなった。

仕方なく、手段として乗っているだけでなく、一人ひとりの人生が切り取られた場所。

みんな思い思いの人生を各家庭で過ごしているけど、電車という交接点で人生を過ごす。

そんなことに気がついたのだった。








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