終焉の序章
「ああ泣きそうだ。」
最近酷く目が乾いている。
ただ、乾いているにも関わらず目の周りがジンとした感じがする。
泣きそうな状況がずっと続いている。
僕は新卒で前の会社に就職した。
「大日本工業?超有名じゃん。今日は奢りな。」
友人達のお囃子が今でも脳裏に浮かぶ。
どこにでもある大衆居酒屋。
大学生御用達の居酒屋だったことは今でも覚えている。
まだ大学生の延長なような社会人1年目のとき。
某大手メーカーのエリート社員として、毎日を忙しく過ごしていた。
願っていた職種。メーカーの開発職。
しかし、その華やかな肩書きの裏には、僕自身も見たくない真実が隠されていた。
きっかけは些細なことだった。
テーマが一巡したことで行われた部署異動。
生産技術の部門出身の厳しい上司。
再々提出の試験計画書。
以前は一緒に試験計画を作ったものだが、今回は一から作るのが求められ毎週毎週詰められる。
「そんなに納得しないならあなたが作れば良いのに。」
そんな思いをか抱えながらもぐったりとパワーポイントをいじる日々。
毎日決まった時間に会社に行き、メールチェック後にパワーポイントでひたすら試験計画書とレポートを作成、修正の日々。
ものづくりを希望して入ったのにひたすらパワーポイントをいじる日々。
死んだ魚の眼をしながら、テキストボックスを選択し、位置を揃える。
「それって理論破綻していないか?」と言われ、泣きそうになりながら帰宅する日々。
帰りは夜の21時になることもしばしばだった。
社会人になって日本の生産性が低い理由が嫌というほど理解することが出来た。
東武東上線の沿線にある大きな研究所。
建物は大きいが、全棟が白一色の無機質な空間だった。
駅からバスで15分揺られて着く工業団地の一角に研究所はある。
そこが僕の職場だった。
周りにコンビニすらない研究所はまるで僕の心を閉じ込める檻のようだった。
僕の目の前に広がるのは、終わりの見えない仕事の山と、絶え間ないプレッシャーだった。
ただただキーボードを叩くマシーンと化していた。
毎朝、東武東上線に乗って通勤する。電車の揺れと共に、僕の心も揺れ動く。
目の前のスマートフォンの画面には、上司からの厳しいメールや、次々と積み重なるタスクが映し出される。どんなに頑張っても終わらない仕事の波に飲み込まれていく感覚が、僕の心を蝕んでいた。
そういえば気づいたが、仕事って元々こういうものだったらしい。
仕事に忙殺され、これがやりたかったことなのか見つめられていなかった。
入社1年目のときはよく自問自答していたのに、最近では全くしなくなっていた。
仕事を終わらすことしか考えていなかった。
僕はグローバルな環境で家電やゲーム機の研究開発をやりたかった。
それが今では電子部品の研究開発でグローバルとは程遠い環境で仕事をしている。
国内で完結する仕事だ。
ある日、上司から呼び出された。
無機質な会議室の中、彼は冷たい眼差しで僕を見つめ、厳しい口調で言った。
「藤崎、君のプロジェクトの進捗が芳しくない。何か問題でもあるのか?」
僕は内心で反発しつつも、抑えた声で答えた。「申し訳ありません、全力を尽くしているのですが…」
上司は僕の言葉を遮るようにして続けた。「全力でやっている結果がこれか?君にはもっと期待していたんだ。君の進捗具合で本当に部内報告会に間に合うのか?」
その言葉は、僕の心に深い傷を残した。
僕は自分の無力さを痛感し、何かが壊れる音が聞こえたような気がした。
学生時代は学部でもわりと優秀な成績を収めていた。
でも、今はただただ自分より上の立場の人から詰められる日々。
その夜、僕は東武東上線に乗って帰宅する途中で、思い切りため息をついた。
電車の窓に映る自分の顔は、疲れ果てた表情をしていた。
次々と過ぎ去る駅の明かりが、僕の心の中にある暗闇を照らし出すようだった。
周りには僕と同じ顔をした人達であふれていた。
家に帰ると、僕はすぐにベッドに倒れ込んだ。
しかし、眠れない夜が続いた。
仕事のこと、上司の言葉、そして自分の無力さが頭を離れなかった。
僕は思いをかき消すように布団を頭から被った。
僕は、自分が何のために働いているのか、何のために生きているのか、わからなくなっていた。
僕は暇な時間を作らないために転職活動を行い、web面接が当たり、また他の企業に転職することになった。
憂鬱なのは会社に退職届を提出しなければいけないということ。
そして、ついにその日は来た。僕は上司に辞表を提出した。
会議室での短い会話の後、彼は冷たく一言だけ言った。
「了解した。君の今後に幸運を祈る。応援しているよ。」
取ってつけたような言葉を貰ったが、喧嘩しない分だけマシかもしれない。
そして、PC上で退職の手続きは完了した。
思ったよりもあっけなく。
その言葉を聞いた瞬間、僕は心の中で解放感と絶望感が入り混じるのを感じた。
仕事を辞めたことで、僕はようやく自由になった。
しかし同時に、僕は無職となり、未来への一抹の不安が残った。
僕は会社を出て、池袋まで行き、山手線に乗った。
終わりなき環の中を走り続ける電車は、僕にとって逃げ場のない現実の象徴だった。
「僕は何かに囚われているのかもしれない。」
電車の中で、僕は一人静かに座り、窓の外に広がる東京の夜景を見つめていた。
これから何をするのか、どこへ向かうのか、全く見当もつかなかった。
でも、会社から離れたことで少し気は楽になっている。
無職への謎の恐怖も日々薄れていっている。
山手線の揺れと共に、僕の心も揺れ動く。
この環の中で、僕は新たな自分を見つけるための旅を始めるのだろう。夜の静寂が僕の心を包み込み、次第にその重みが軽くなっていくのを感じた。
フォレスト・ガンプのように人生が好転することはあるのだろうか。
そんな疑問を持ちながら夏がやがて終わるこの季節、山手線で過ごすことにした。
僕の物語は、まだ始まったばかりだ。