東京を愛し東京から愛されるということ
山手線生活も2週間が過ぎた。
あと一ヶ月半自由な時間がある。
サルトル風に言うと、そして僕は自由の刑に処せられている。
正直に言って、山手線から流れていく風景にも飽きてきたところではある。
東京は僕を取り込む巨大な鳥籠のように感じるようになってきた。
いつから僕はこの街に飲み込まれたのだろう。
そんなことを考えながら床から伝わる揺れをぼんやりと感じていた。
相変わらず電車の中は満員でみんな思い思いの時間を過ごしている。
最近ではショート動画やドラマをみている人も多いのだろう。
スマートフォンを横にしながらみている人も多い。
ここにいる皆が人生の時間を共有しているのだと思うと満員電車も嫌いではない。
あらゆる社会的階層の人がこの満員電車という空間にパッケージングされているのだ。
そんな中、僕はパソコンと筆記用具を入れたリュックを抱えながら流れる景色を見ていた。
無職を標榜しているが、たまにブログを書いてしまっている。
カフェで作業するし人の少ない山手線でも作業する。
まるで電車が停止していて建物が電車とすれ違うように動いているような錯覚を抱く。
自分だけがどんどん時間が過ぎて置いてけぼりになってるような感覚。
10月でありながら強い太陽の日差しが数々の建物のコンクリートの質感を顕にしている。
夏のバグったようなコントラストを引き継いでいる。
光に照らされた常緑樹の葉っぱはニスを塗ったような艶を発揮していた。
こうしていると何となく季節、そして時間の流れを連想する。
冬の優しい日差しも好きだし夏の彩度の高い逞しい日差しも好きだ。
「そういえばいつの間にか社会人になっていたな。まるで電車のように気がつけば別の場所にいつも僕はいる。」
そんな他愛もないことを考えながら吊り革を握るこの時間も好きだ。
車内の辺りを見渡し、また景色に目を移した。
並走する湘南新宿ラインは太陽光に照らされて銀色に光っていた。
中にはこちらと同じように沢山の社会人がパッケージングされている。
電車がブレーキをかけるとみんなで仲良く体が傾いていた。
電車はまた別の電車と並走し、すれ違いそして輪廻のごとくまた同じ場所を通る。
人生とはそのようなものかもしれない。
「次は新宿ー、新宿でございます。お出口は左側です。」
東京で働き、東京に住むということ。
僕は東京を愛していた。
そして、東京から愛されているのだろうか。
僕は山手線に乗りながら東京にラブレターを書いている。
東京の街は、いつも僕を魅了してやまない。
摩天楼が空を突き抜けるようにそびえ立ち、無数のネオンが夜空を彩る。
雑踏の中を行き交う色んな人々、それらを駆け抜ける電車、路地裏の静寂。
東京はそのすべてが一つの生命体のように感じられた。
僕はその言葉に共感した。この街は賑やかで、どこに行っても人がいる。それでも、時折感じる孤独感は何なのだろう。
そして社会人1年目で誰からも愛されないのではないかという恐怖も何だったのだろう。
東京の冷たさはそういうところかもしれない。
そもそもこのように考えるきっかけをくれるのが東京の特徴なのかもしれない。
そして、みんなそれぞれ東京に関して違う思いを抱きながら過ごしている。
夢を追い求めることの大切さ、孤独と向き合う勇気、そして、自分自身を見つめ直す機会。
夢を、目標を、矜持を持ちながらみんな過ごしている。
そんな東京が好きだ。
ただ、東京も外から見ないと分からないのかもしれない。
地方から見るとどれだけみんなが東京に行くのかわかるのだろう。
敢えて外から東京を見るのも必要かもしれない。