第55話 第一回探索『不足と心掛けと』
~お詫びと修正のお知らせ~
ここ数話「探索するのは“南部”の森林地帯」という話で進行していましたが、正しくは“南部”ではなく“北部”でした……。
前回までの分は修正し、取りこぼしを見つけたらそれについても適時修正させていただきます。
混乱させてしまい申し訳ありません。
冒険・探索を共にする仲間を集めるにあたって、最優先すべき相手は決まっている。
魔法使い。
魔術でも神秘術でもいい、とにかく魔法を実戦レベルで扱える人間だ。
もしまだどの旅群にも所属していないのを見つけたなら、三日前から目を付けていた大人気店の昼食が売り切れそうでも目が覚めるような美人が歩いていたとしても、後回しにしてまず声をかけるべきだろう。ああ、交渉のための財布の中身も忘れずに。
何故彼らがここまで必要とされるのか疑問に思うようなら、その時点で冒険に出るのは早い。
教本を読めるようになるか、養成所に通うことを強く勧める。
大いなるキュアリネー様に命をお返しするつもりが、まだないなら。
~旧エオルスカ教国領、迷宮都市エリナー中央冒険者組合配布文書『冒険者の手引き』より~
幸いにも、今日の天気は曇りだった。それも比較的晴れに近く、雪が降る可能性が低い類の。
いつも固く空を閉ざしている灰色の雲は薄く、時折生じる切れ間に差し込む光は柔らかく地上を照らしてくれる。
縁起という意味でも安全性という意味でも、冒険に出る絶好の機会と言ってもいいだろう。
“冬”の脅威が未だ薄い地域からすれば妥協の産物に思えるかもしれないが、このスノールト領で完全な晴れ空を期待していては、いつ出発できるかわかったものではない。
「さて……ラズワルド、マルシナ。いよいよこの日が来たね」
場所はスノールト領、北部森林前。
北の城壁を抜け少し歩いた先にあるその場所に、シュニーたち三人は立っていた。
まるで人の世界と外側の境界を示すように置かれた大岩の前で、領主であり今から新人冒険者となる少年はこれから道行を共にするふたりの名を呼ぶ。
今日行うのは、本格的な探索ではない。
スノールト領に隣接する“冬”の領域がどの程度のものか確かめ、自分たちだけでより奥深くに踏み入ることが可能かを探るための軽い調査だ。
加えて、実際に活動するにあたっての問題点を洗い出すためでもある。
そのため、深入りはせずに浅い部分を探索するだけ。
活動期間も日帰りを想定しており、荷物もそこまでは用意していない。
そのような準備運動と言える段階であるものの、これは間違いなくシュニーが憧れた本の中の冒険だ。
躍る心をどうにか抑えて、眠れなかった先日の夜は無理やり目を閉じ心を無にしてどうにか意識を落とした。
だから、当日を迎えた今のシュニーは目に見えて舞い上がっていた──
「来てしまった、と言ってもいいかもしれない……」
「もー、暗いよ領主殿!」
──と、素直に言える状態ではないのが実際のところ。
普段通り溌剌としているマルシナと違い、シュニーとラズワルドの表情は冴えない。
この場にいるのは以上の三人。そう、三人なのだ。
一般的な戦闘想定の旅群の最低人数と同数な上、内一名は非戦闘員に近いためそう見れば最低を割っている。
さらには、ただ人数が足りないだけでなく欠けた人間の役割が問題だった。
「もう一度聞くが……知り合いに魔法使いはいるかい?」
「何回目だよそれ……いねぇよ……」
シュニーの縋るような声は、うんざりとした表情のラズワルドによって否定される。
ふたりのこのやり取りは、ここ三日間で四回目だ。
三日というのは、第一回芋の苗捜索会議から今に至るまでの期間に等しい。
旅群の一員として見込んだ魔術師、ナルナが虚弱体質と多忙によって早速離脱。
先日の話し合いで突然浮上したこの問題は、軽いものではなかった。
入手した物品の鑑定など後方での手伝いは約束してくれたが、魔術師が冒険に同行できない影響は大きい。
彼女たちは重量なき資源である魔力を用いて、物質世界的な意味での無から有を生むことを可能とする。
後方からの攻撃支援役というだけでなく、火を起こし風向きを傾け地形を作り変え水を湧かせるその力は、旅群の継戦能力や活動時間に大きな影響を与える。
短期間の探索でも荷物を大きく減らせる利点は大きく、数日以上に及ぶ長期の探索が想定される場合ではなおさらだ。
そのため、代わりに同行してくれる魔術師はいないものかとシュニーたちはそれぞれの伝手を当たった。
まず、シュニーの知り合いである魔術師はナルナとニル婆のみ。ナルナは作戦会議での通りで、ニル婆にはダメ元で聞いて当然のように断られた。
この時点でシュニーは半ば諦めかけ、事実そのまま進展なく今日を迎えてしまった。
領民を総ざらいすればひとりやふたり見つかる可能性はあったが、さすがにそこまでの時間はない。
魔法使いという大分類まで広げればミーシャという極まった神秘術の使い手がいるが、フィンブルの町の件でどれだけの領民が傷を癒してもらったかと考えると、彼女の身に万一の事態が起こった際の領地全体への影響が大きすぎる。
ラズワルドの知り合いにも、該当する人間はいなかった。
フィンブルの町の子供たちには当然おらず、大人といえば魔法を大の苦手とする人狼たちのみ。
ステラは最近魔法と薬草学の両輪で治療について学び始めたらしいが、まだ基礎の基礎、理論の勉強という段階だ。
なによりラズワルドが承諾するわけがないとシュニーにはわかっているし、提案しようとも思わない。
ならばと冒険者と関わり深いマルシナに期待したが、彼女の方もまたダメだった。
スノールトの町にも冒険者は何人かいるらしかったが、魔術師と会ったことは無いという。
「そんなに心配すんなら……」
「わかっているとも……だが、ボクも考えなかったわけではないのだよ」
結果が、今のこの状況。
ラズワルドの言わんとすることを先読みして、シュニーが宥める。
候補者が見つかるまで出発は延期すればよかったのでは、と言いたいのだろう。
決して乱暴な意見というわけではない。
今回は軽い様子見のみの予定とはいえ、気が抜けない行き先である。
念には念を入れて、候補者が見つかるまではこの計画は一時停止、という選択はシュニーも一度考えた。
「これ以上時間をかけていられないのは、キミも知っての通りだ」
「まぁな……」
だが最終的に、シュニーは予定を変えずに出発すると決めた。
食料問題の現状として、時間が経てば経つほど選択肢は狭まっていく。
わかりやすい期日が定まっているわけではないが、だからこそ嫌らしい。
万全の準備を整えるためじっくりと事を進めた結果、いつの間にか『もう間に合いません』という状況に陥っている可能性があるのだから。
「だから、少なくともまだ危険が少ないだろう今回はボクたちだけで行く。次回以降については……その間にも候補者を探そう」
今回で一度様子を見て、追加の人員や旅群の編成を再検討する。
場合により自分は留守番という選択肢もあり得るだろう。
不足と制限時間の板挟みに、シュニーは苦虫を嚙み潰したような顔で意向を伝える。
理想的とはとても言えなかったが、それが今導き出せた最もマシな選択だった。
「はい! 領主殿、はーい!」
わかっているつもりだったが、物事は愛読していた物語のようにとんとん拍子では進まない。
そんな、現状に気落ちしているシュニーへと元気溢れる挙手が。
「どうかしたかい?」
「お役立ち魔法、ちょっとだけなら使えるよ!」
挙げていた手を下ろし、シュニーへと差し出すマルシナ。
その丸められた手の平に、数秒の間をおいてごぼりと水が沸き上がった。
手皿に収まる程度のほんの少量ではあったが、それは確かに魔法使いが重宝される理由のひとつである『資源の生成』に間違いない。
「おぉ、土の組み替え以外にも使えたのかね」
納得した様子のふたりが思い返したのは、以前フィンブルの城で起こったラズワルドとマルシナの戦闘だ。
彼女はそこで、魔術を用いて土の壁を作り出していた。
「でも量が少ない辺り、無茶してんじゃねえか?」
「んー、たしかに水作るのは得意じゃないけど……」
ラズワルドの質問は嫌味ではなく、純粋な確認だ。
シュニーも言葉にこそ出さないが、同じことを考える。
身長を超す高さの壁を瞬時に生成したあの時と比べれば、今披露された魔術の規模は微弱だとと言わざるを得ない。
それは本人も認めるところだったようで、マルシナはこくこくと首を振る。
「でもいざとなったら干からびるまでやるから安心してね! だから楽しく冒険冒険!」
「それはさすがに──」
からの、無茶な献身が笑顔で放たれた。
さすがそこまでしてくれる必要はないと伝えようとして、シュニーは途中で止める。
マルシナの顔が、実際に確認したラズワルドではなく自分の方に向いていることに気付いたのだ。
そこには微かに、こちらの様子を伺うかのような感情の機微があった気がした。
「──いや」
気遣ってくれたのだろうか、とシュニーはふと思う。
今まで話題に出さなかったということは、マルシナの戦闘以外での魔術は彼女自身も実戦で役立つ水準には無いと考えていたのだろう。
だったら今になって何故この場で明かしたのかと考えると、その理由は何か。
それは困難な状況に苦悩している自分が、少しでもこの旅を純粋に楽しめるようにと考えてくれたからなのかもしれない。
魔術師がいなくても心配しなくてもいい、と。
「……そうだね。危ない時に頼れるなら、心配する必要もないのかもしれない」
シュニーは一度、ちょっと無理をして思考を切り替える。
悩み事はひとまず置いておいて、外を駆け回っている間くらいは私情を優先してみてもいいかもしれない。そう、これは今までずっと憧れていた冒険の旅なのだ。
人員不足も本当に目的のものが手に入るのかという不安も、セバスの「え、お坊ちゃまも行くんですか? 約束と違うのではないですか?」という深々突き刺さる視線も、一旦頭の隅っこへと追いやってしまえ。
「魔法が使える騎士見習い……キミはすごいんだね」
今は、マルシナの善意に応えよう。
そう決めたシュニーは、遠慮の代わりに彼女が鍛錬の末に得ただろう技術を褒めた。
「えへへ……これは見習いが取れるの待ったなし……!」
「それはまた別の話だが」
ぶんぶん振られている尻尾を幻視しながら、シュニーは苦笑する。
マルシナにとって、正式な騎士として認められるのはそんなに大事なのだろうか。
きっといつか、聞く機会もあるのだろう。
「さて、何はともあれそろそろ往こうじゃないか──」
でもそれは、まだ先の話だ。
真面目な話でもただの雑談でも、このままいつまでも話していられそうな気がしたが、そうもしてはいられない。
この旅群を取りまとめる身として、シュニーは背後を振り向く。
そこには白銀で飾られた森林の、怪物が大口を開けているかのような暗がりへ続く道がある。
「『高貴なる領主の旅群』! 出発だ!」
幻想的な白と、本能的な恐怖を感じる黒。
ずっと物語でしか知らなかった、神秘と危険に溢れた旅路。
「やっぱその名前ダセえって……」
「もう一回しっかり決めよ? ね?」
「か、仮だと言ったはずだろう!? それに高貴なる領主のどこがダサいのだね!」
領地を救う宝を見つけるため、自分の趣味という至極私的な楽しみのため。
早速仲間たちとあれこれ言い争いながら、シュニーは、冒険の道へと歩き出した。
「……」
その姿を暗がりの内からじっと観察している瞳があることには、気付かないまま。




