第53話 学者曰く宝とは(後編)
「さて、これがなにかわかるかな」
灰がかった緑の葉が芽吹いている、茶色の芋。
グレーテが取り出し見せつけてきたものを簡潔に説明すれば、そうなる。
「なにとは……マカイモの苗? だろう」
諸君とは言うものの、グレーテの問いは露骨にシュニーへと向けられていた。
なにか特段の答えが思い付くわけでもないが、求められているなら応じるべきだ。
なので、シュニーは見たそのままを答える。
「おお、さすがにそこまで世間知らずではなかったか。これは失敬」
正確には種芋というがね、と付け加えてくるグレーテに、シュニーは「流石に馬鹿にしている」と少々不服そうに眉をひそめる。
細かい部分を指摘されたからではなく、そもそもの質問に対してだ。
マカイモ。不格好な楕円形をしたこの作物は、ここベルキア大陸の文明社会で食事をするなら一日に一度は目にする程度に浸透している、パンに並ぶ主食である。
平民の食事には高頻度で登場するし、貴族でも日常的に口にする。
これが何か知らないというのは、生まれて以来大自然の中で育った野生児くらいだろう。
「さて……ではこのマカイモが如何にして発見され今日のように主食のひとつにまで上り詰めたのか、その歴史を紐解いていこうじゃないか」
グレーテは種芋を机の上に置き、見えない教鞭を掲げるように手を挙げた。
まるで講師が授業を始めるかのような所作に対する反応は、二つに分かれる。
ひとつ、生真面目に背筋を伸ばし手帳と羽筆を取り出すステラ。もうひとつ、無言で抗議の視線を注ぐ男子ふたり。
「ああ、言いたいことはわかるさ。だが重要な話だから我慢してくれたまえよ」
特にシュニーにとっては気が急く話だった。
意味ありげなことを言っておきながら、結論まで遠い長話が始まりそうな予感に不満を隠せない。
堪え性なく結論を急いでは碌なことにならないとわかってはいるのだが、それでも。
「では飽きさせないよう、まずは生徒一号に何故かと問うてみようか」
「別に飽きるからではないのだが……作物として優れた性質を多く持っていたからだろう?」
若干ずれている配慮にぼやきつつ、シュニーは短く、だが自信を持って回答する。
マカイモは帝国の繁栄を助け、臣民の生存に大きく寄与した。
バルクハルツ帝国は広大な土地を有しているが、古来には幾度となく食糧危機に見舞われていたという。
原因は作物の不作だった。それも災害や病害虫に襲われたわけではなく、単純に気候によるものである。
帝国国土の大半は雪歴以前より寒冷な地に属しており、栽培できる作物に限りがあるのだ。
そのため多数の人間が安定して腰を下ろせる土地は限られていたのだが、帝国の気候でも問題なく栽培できるこのマカイモが全土に広まる事で状況は大きく改善した。
この作物の性質に関しては、シュニーが勉強の一環で読んだ書物に簡潔ではあるが記されていた。
一年に複数回の収穫が可能な成長の速さに、低温に対する耐性。光量が少なく栄養に乏しい痩せた土地だろうと問題無く生育する。
そして何より、美味しい。
「これでは点数をあげられないな」
「ぐっ……! どこがおかしいと言うのだね……!」
何も間違っていないはずなのに、グレーテの採点は厳しかった。
採点されるという行為に謎の一家言があるシュニーは恨みがましく呻き、説明を求める。
「おかしいなんて言っていないだろう。不足事項が多すぎるから減点しただけだ」
「……寒くても栽培できて、味がいい。これで満足かね」
「まあ半分くらいはあげようか。私が教えていた研究院ではギリギリで失格点だけどね」
「いちいち一言多いな! 何が足りない!」
「経緯だよ。私は最初から“マカイモが如何にして主食のひとつにまで上り詰めたか”と聞いているはずだが」
「むぐ……」
幾度かのやり取りを経ての正論に、気勢をあげていたシュニーは口を噤む。
シュニーが黙ったのは、自分の回答が前提からずれていた事に納得したのもそうだが、グレーテが求めている答えを持っていなかったからだ。
よく採れよく育つ、人類文明の繁栄を支えてくれる素晴らしい作物。
それ以上の情報は、シュニーが読んだ『現代地勢学』には書かれていなかった。
「そこでお待ちかね、今日の本題だ」
「説明したくてしたくてたまらないという声だ……」
出来の悪い生徒に呆れたようでいて、同時にグレーテの声には喜悦が混じっている。
教えたがり、という言葉がシュニーの脳裏をよぎった。
「マカイモは元々、地上の植物ではない。地下大空洞の上中層を起源とする種だ。好低温性や生育に光を殆ど必要としない性質は、この環境への適応だと言われていてね」
グレーテは足元を指し示すように、床を何度か踏み鳴らした。
彼女が語ったのは、大陸の地底に広がるもう一つの世界について。
「ああ。過酷な場所だと聞くね」
学術的な知識こそないが、冒険小説や演劇の舞台となることが多いその場所について、シュニーにはいくらかの知識があった。
かの空間は、太陽の光が届かない暗闇にある。
大地の深奥から湧き出す魔力の大流により岩が溶解する程の高温になる、とまで言われる深層はともかく、グレーテが言うような表層に近い部分は凍えるように寒いのだろう。
さらには土壌も岩石が破砕してできた粒の大きな砂礫の層が多くを占めており、栄養に乏しい。
そのような過酷な環境で生きるというなら、そこに合った性質を持っているのが確かに自然だ。
「魔王戦争時代には“魔界”と恐れられていた領域に自生する芋状の植物、だからマカイモというわけだ。覚えやすいだろう」
「安直だな……」
「興味深い話だね」
ついでの豆知識に、ラズワルドとシュニーは端的な感想をこぼす。
グレーテが言っているのは、そんな優れたマカイモの栽培を推進しようという話なのだろうか。
「マカイモが如何にボクたちにとって都合がいいかはよくわかった。だが……」
農地に転用できそうな土地を総動員してマカイモを可能な限り育てる、というのは元々対案が無かった場合の有力候補でもある。
これを選んだ場合の先行きについて改めて思考を巡らせるシュニーだったが、結論としてあまり良い将来の図は見えなかった。
「それでも、“冬”には抗いきれないだろうから困っているのだよ」
この地で主食となっているマカイモやパンの原料である雪麦といった植物は、元々の性質からして寒さに比較的強い。
だが“比較的”という表現が示すことからわかるように、その耐性は冬歴以前の多少は寒冷な気候に対応している程度だ。
シュニーは就任初日から嫌という程思い知っているが、ここスノールト領の気候はとても“比較的寒い”で済まされるような段階ではない。
「さすがにこの地では、普通に育たないのだろう?」
間期以外は雪が厚く降り積もる“冬”の最前線ともなれば、その何割かは可食部が育つに至らず枯れ、収穫までこぎつけた分も本来よりかなり痩せたものになってしまうのだろう。
スノールト領の……否、この地に限らず“冬”の時代が抱える食料問題はそこにあった。
つまり、十全に収穫を期待できる作物が存在しない、というのが大きな課題なのだ。
「おっと、話は最後まで聞きなさい。それでは依頼の話に何も関係ないだろう」
「確かにね。続きを頼むよ」
そんな懸念は承知済みだ、というように、グレーテが再び口を開く。
「意外かもしれないが……最初に地上へと持ち込まれたマカイモはとても育て辛い作物だったらしいのだよ」
「む……?」
「地上では当たり前の光量でも枯れてしまう。温暖期の気温に耐えられない。そんな、我々が生きる世界には向いていない植物だったようだ」
「なるほど……いや?」
結論を急ぐなとばかりに語られたのは、先ほどまでの作物の歴史に関する講義の続き。
シュニーはまず去来した疑問に声を漏らし、次いでの情報に納得し、結果またしても疑問が生じて首をひねる。
苛酷な地下の環境に向いているなら、逆にそれより穏やかな環境では育ちにくい。
そこは理屈として納得がいく。
極寒対策のため厚着に厚着を重ねた服装は、涼しい程度の気温では暑苦しく感じるようなものだろう。
ただ、もしそうなら少しおかしい気がした。
「そこの勤勉な君、質問を受け付けよう」
「はいっ。でも、今はそうじゃないんですよね?」
シュニーと同じような疑問を抱いていて、より分かりやすく表情に出ていた人間は他にもいたらしい。
グレーテに促され顔を上げたステラの質問は、シュニーとついでにラズワルドの声も代弁していた。
グレーテが今紹介したマカイモの性質は、シュニーが学んだマカイモとそれにより人々が支えられているという現実に反している。
もしマカイモが地上で育ちにくいなら、主要な作物として栽培されているという現実がおかしい事になってしまう。
「……ん」
そこで、シュニーは一つの可能性に思い当たる。
グレーテが自分たちに嘘を吐く意味は薄い。ということは、育てやすい現在のマカイモも育ちにくい地上に持ち込まれた当時マカイモも、どちらも真実なのだろう。
ふたつの違いは、時系列──現在と当時、今と昔。
「時間が経つうちに、地上の環境に合わせて育つようになった……のかい?」
ならば、時の流れによる影響が自然だとシュニーは結論を出す。
人は新しい環境に置かれたら、時間が経てば適応できる。少しでも肌に触れる温度が不愉快だったら騒ぎ立てていた自分が、今はほんの少しだけ寒さを我慢できるように。
「ほう、私は君を少々見くびっていたかもしれないな」
「ふっ。この程度がわからないようでは領主は務まらないさ」
賞賛と若干わざとらしい気がした拍手に、シュニーは堂々と胸を張る。
情緒的な思考から導き出された解は、これ以上深堀りすれば途端に答えられなくなるだろうし学術的でもないのだろう。
ただそれでも、一角の真実を突いていたのはたしかだ。
「その通り、今日のマカイモは選別の結果得られたものなのだ。同じ人間という種族でも背丈や顔つきに違いがあるように、マカイモにも個性があってね。他より少しだけ光や地上の気温に強いヤツがいる。それを我々が増やし、その中からまた少しだけ強いヤツを選ぶ……というのを繰り返したのさ。生命の性質がどのように定まるかは星幽界側に存在する魂素子、いわゆる魂の設計図によって肉体構造が決定されるとする魂素基底説が主流だったが近年は物質界の──」
「ステラ……後でそれを写させてくれたまえ……急に加速しすぎだろう……」
そして、少し成功すれば直後急ぎ足で不幸が突撃してくるのが平時のシュニーである。
生徒の予想外の出来に気を良くしたのか、すらすらと早口に説明を続けるグレーテ。
最初こそひとつひとつ理解しようとしていたシュニーだったが、どう考えても素人に教えることを想定していない情報量と速度で早々に折れ、筆が滑る小気味いい音を立てているステラに耳打ちする。
頼るべきは勉強熱心な臣下である。
なお、隣のラズワルドに至っては早々に船を漕ぎ始めていた。
「──と、少々脱線してしまったが。かくしてマカイモは徐々に地上でも育てられる作物へと変わった。逆に、原生環境のように寒すぎたり光が少なすぎると育ちにくくなってしまったようだがね」
最後にはなにやら生物の肉体を改造する物騒な話にまで脱線していた話題は、たっぷり時間をかけてようやく戻ってきた。
少々どこではなくずれていた気がしたシュニーだったが、その指摘はひとまず置いておくとする。
「さて、では今までを踏まえた上で……再び、ひとつ問うとしよう」
ここからだ。そう、シュニーは空気の変化を察した。
低くなったグレーテの声に、居住まいを正し聞き逃すまいと意識を集中する。
「“冬”に侵された空間は暗く冷たく捻じ曲げられる。にも関わらず、氷魔以外の動植物が存在できている。これはどういう事か?」
それは、わざわざ専門家から問われなければ当たり前に受け入れていた事実だった。
既に“冬”に呑み込まれているスノールト領南部は、雪歴以前──約140年前より変わらず森林が広がっていたという。
本来ならば“冬”の到来による急激な気温の変化と日照量の減少により尽くが枯れ朽ちて荒野と化しているはずなのに、何故か木々が残っている。
そして“冬”の領域を進んでいけば、滅びて久しい人類の史跡も残されているだろう。
ならば──
「“冬”の中に置き去られてなお生き残ったマカイモがもし今日まで世代を繋ぎ続けていたなら、今より過酷な環境で効率よく育つようになっているかもしれない……か」
環境の変化によって選別され生き残ることによる、生命の変質。
実際にそうして今日の姿となったマカイモという実例。
グレーテが語った内容から、領地を救う宝が吹雪の先に存在するという希望は確かに見いだせる。
「先に言っておくが、決して確実とは言えない。洗いざらい探してもそもそも存在していなければ見つかるわけがないし、見つかっても“冬”の瘴気に侵されてまともに食べられる状態じゃないかもしれないのでね」
そして言われるまでもなく、これはあくまで都合のいい可能性の話だとシュニーにはわかっている。
本当なら、このような賭けじみた探求に予算と自分を含めた人員を投じるべきかは、幾度もの検討の末に決めるべきだろう。
「ただまあ、お行儀がいい手堅い手段でどうにかなる現状じゃないのは、領主さまも承知の上かと思う」
だが、シュニーの手の上にある命は未だ寒さに震え飢え始めているも同然だ。安心安全な施策を待つ時間が残されているかと問われれば、それは否だった。
「それに──」
結論から言えば、シュニーはもうこの時点でグレーテの提案と依頼を受けると決めていた。
だからこれは、ただの後押しである。
「──得てして、冒険というのは不確実で時に一攫千金が狙えるものだろう? 実に浪漫があるじゃないか」
嫌味でも希望でもなく、グレーテはただ淡々と語る。
長々とした講義の締めくくりは、シュニーが抱く理屈っぽい学者のイメージとはかけ離れた言葉だった。




