第44話 不合理の対価は(後編)
「……は?」
シュニーの下した裁決に、ガウルはぽかんと口を開けた。
「なんだ、聞こえなかったのかい?」
「いやちげぇって! どう考えてもおかしいだろうがよ!」
自分たちが処される刑について聞き落とすなどあり得るはずがあるまい。
だが、ガウルからすれば重要な部分を聞き落としたかと勘違いしかねない内容だった。
「冬に罪を裁かせる。何もおかしい部分などありはしないだろう」
「だからそれだけじゃ死なねえだろ……?」
凍刑が実質的な処刑として扱われているのは『“冬”のただ中に放り出す』という過程さえあれば他は何をしてもいい、という箇所にある。
他所への移動など生存の望みが残るような状態で追放するだけなら、それはより軽い刑罰とほとんど変わらない。
さらに言えば、ガウルたちは元々フィンブルの外からやって来た集団だ。
やらかした町を出入り禁止にされた以上の意味はなにもない。
「キミたちの今後なんて知ったことじゃない。ボクたちにそんな暇があるとでも思っているのかい?」
「荒らされてしまったこの町の復興に、開発計画についての皆への説明。ボク個人としても執務が山積みだ。貧弱な賊がその後どうなったかなんて、再犯でもやらかさない限り追いかけている場合ではないのだよ」
何故、このような刑罰に落ち着いたのか。
シュニーが雪崩のように連ねる愚痴めいた現状解説は、まるで言い訳のようだった。
「労働力も全く足りなくなるのが目に見えていてね。体力がある働き手がいるなら紹介してもらいたいくらいだ。きっと身元を確認している暇もないから、変なのが紛れこまないか今から心配だね」
白々しく悩んでみせるシュニーの意は誰の耳にも明らかだった。
即座に命の危機には陥らないというだけで“冬”のただ中で長く生存するのは難しい。
外に放り出すだけなら、遠回しに苦しめるつもりである……という解釈ができなくもなかっただろう。
だが、人狼たちに言い渡されたのはそのようなものではない。
「説明はこれで終わりだよ。ボクの判断に異論がある者がいたら、改めて申し出てほしい」
『凍刑』と聞いた瞬間にはざわめいていた領民たちは徐々に落ち着きを取り戻しており、人狼たちはまだ意味が十分に理解できていないのか顔を見合わせている。
「おかしいだろ……とりあえず外に放り出すだけ、後は何もするつもりはねぇってそりゃまるで……」
「なんだ、不満かね?」
実質的な無罪放免。
さらには、人狼たちが望むなら労働力として受け入れるつもりすらある。
ガウルが続けようとした言葉は、シュニーに遮られた。
「あのなぁ……生温いやり方もいい加減にしとけよ坊主!」
そのわざとらしい態度を、ガウルは食ってかからんばかりの勢いで問い詰める。
「平和な村襲ったクズ共なんざ、八つ裂きにして獣のエサにすんのが当たり前だろうが! 俺らは捕まりゃそうなる前提でやってんだよ! それをお前は……!」
罪を減ぜられた側が文句を言うという奇妙な状況に、だがシュニーは動じなかった。
ガウルの行動と態度には矛盾がある。
シュニーに便宜を計らってもらう、つまり減刑を条件に抵抗を止め降伏した。
だというのに、これ以上は望めないだろう温情の措置を受けて逆に罪が軽いと騒ぎだしている。
「シロウトの甘ったれが」
シュニーはそれを指摘しなかった。
代わりに、普段は使わない粗野な暴言をぴしゃりと付きつける。
「その言葉は、ボクよりキミたちに相応しいんじゃないかい?」
「なに言って……」
ガウルが言葉を詰まらせる。
否定しようとしたのに何かに気付いてしまって止まる、そのような間である。
「ああ、勘違いしないでくれたまえ。これはラズワルドの受け売りでね。ボクならもう少し丁寧な表現に留めるとも」
素人の甘ったれ。
ラズワルドがガウルたちをそう評したのは、領民たちを含めての詳細な作戦会議の際だった。
――人狼たちを捕えた後、無罪同然で解放して向こうが望むのなら領地のこれからに協力してもらおうと思う。
シュニーの提案には、当然のように非難の嵐が吹き荒れた。
何を考えているのか。いくらなんでも対応が甘すぎる。
“あいつら、たぶん初犯だ。追い詰められてもうやるしかねぇってなった行き先の無い移民団かなんかだろ”
若干怪しい雲行きの中で最初の根拠を挙げたのは、意外にもラズワルドだった。
「やり口が手慣れてない上に、躊躇がありすぎる」
賊など皆殺しが妥当だと荒れる空気の中で、ラズワルドは領民たちへと説明を始めた。
子供たちを傷付け、物資を奪い取る。
彼らの行いが許されざる行為である事実に否定の余地はない。
「ボクにもわかるような口下手に、用意の不足。キミたちの動きはお粗末が過ぎる」
一方で、諸々を思い返すと賊のやり方としてはやけに鈍い。
会談の際には、こちらの機密を聞き出したいという意図が露骨すぎた。
シュニーがすぐに意図を察したし、ステラも雰囲気に押されてしまって指摘できなかっただけで不審がっていた。
ラズワルドも精神的に追い込まれていなければ即座に気付けただろう。
物資を奪おうという目的がありながら、準備も悪い。
略奪が目的であれば、最初の襲撃を行う時点で荷車など効率的に物資を持ち帰る用意をしておくべきだ。
移動用だとか適当な積み荷を用意して友好の品を持って来たと偽装するだとか、理由はいくらでもでっち上げられる。
だというのに彼らはそのような用意をせず、人質にしたステラ以外はほとんど何も持ち帰らず立ち去った。
「生憎、俺らみんな教会すら通えてないもんでね。最初から最後まで穴だらけの計画しか立てれなかったのさ」
「いや、それだけじゃないね。不慣れ故の失敗だけじゃなくて、意図的に手を抜いた部分もあるだろう?」
シュニーは追及の手を緩めず、昼に得た情報とそれによって得た結論を述べていく。
この部分こそが、ガウルたちに対する処遇についての最も重要な根拠だ。
「略奪の時、ひとりも殺さず無力化に留めたな。その配慮が巡り巡ってキミたちは今捕まっている」
略奪に至る過程、子供たちの無力化。
乱暴な言い方をすれば、殺しておいて損は無い。逆に生かしておけば、周囲に助けを求めに走られる可能性があるだろう。
実際、シュニー含め皆殺しにしておけば発覚は随分と遅れたに違いない。
『フィンブルの町と領都スノールトの関係性は冷え切っている』というのが当時の彼らが得ている情報だったが、それでも町丸ごと襲撃される事件が起こればスノールトの町も警戒態勢になるくらいは予測できるはずだ。
仮にフィンブルの子供たちがどうでもよかろうと、次は自分たちが襲われると考えれば討伐に乗り出してくる可能性は高い。
さらに言えば、人狼の爪は天然の凶器である。
それを相手に完敗を喫したのであれば、死人もしくは放置すれば間もなく命を落とす重傷者が出るのが自然なはずだ。
だというのに、子供たちの怪我は重いものでも手足の骨折がせいぜいだった。
最初から殺さないように配慮して戦っていなければ、そのような結果にはならないのではないか。
「……全部奪わずに残そうとするのも不自然だ。まるで、略奪した相手の今後を気遣っているみたいじゃないか」
それだけで終わりではない。
会談でステラの城に物資が集積されているという情報をわざわざ聞きだしておきながら、そこから奪おうとした形跡はなかった。
今日人質取引を進めるために彼らが集めていたのも町の物資だけだ。
最も多くの価値ある物品が蓄えられている城には見向きもしていなかった。
その不自然な行いから、子供たちが最低限町を立て直すまでは飢えないように、という意図を読み取るのはおかしいだろうか?
「略奪という蛮行に走りながら、被害に遭う相手を気遣う。その優しさがあるのに、踏み止まらず罪を犯した。……随分とどっちつかずじゃないか」
「……」
物は奪いたい、でも殺したくはない。
ガウルたちの行動の数々からは、そんな葛藤のような感情が伺えた。
シュニーとラズワルドの推測を聞いて、領民たちはある程度納得してくれたようだった。
ただそれでも、そこまで軽い対応で留めるわけにはいかないというのが多数派であった。
「これはただの希望的観測なのだが……そんな事をしたのは、キミたちにも帰りを待っている者がいるからじゃないのか」
“それと、根拠はねえけど……あの連中、他の仲間を食わせるためにやったんじゃねえか?”
そんな領民たちに、ラズワルドは付け加えた。
人狼たちで小さな村を営んでいる、と会談の時に言っていた。七人だけの村というのも不可能な程の解釈ではないが、若干不自然だ。他にも共同体で暮らす者がいるのではないか。
料理を土産にできたら、とも言っていた。持ち帰る相手がいるという意味ではないのか。
それらの情報単体では、都合のいい予測と言わざるを得なかったかもしれない。
けれど、そう切り捨てるには不自然な状況がいくつも積み重なっている。
「……皆はそれが事実なのか確かめてから処遇を決めたい、と言ってくれたよ」
それはきっと、スノールトの皆も同じなのだとシュニーは思った。
自分たちの大事なものを守るために、領主に反乱を起こして排斥した。
聞こえはいいが、誤魔化しようのない大罪だ。
失敗してしまえば、罪を問われれば死を以て償う事になるとわかってなお動く。
躊躇しながらもそうするだけの重みと覚悟を、シュニーの民たちはきっとよく知っている。
「キミは先ほど、処刑されるのが自分たち七人だけかとボクに確認してきたな。その意図はなんだい?」
「それでも、許されるべきじゃねえだろ……」
事前に推察を聞いている人々からすれば、シュニーに刑の内容を再確認した意図は半ば確信めいて想像がつく。
自分たち七人が拷問の末処刑されるという普通なら最悪だろう判決を、領主の慈悲だと解釈したのは何故か。彼らにとってより最悪の事態があったからに他ならない。
根拠を示して問うシュニーに、ガウルは明確な答えを返さなかった。
シュニーから眼を逸らすように顔ごと視線を下げ、まるで首を差し出すように傾ける。
「では聞くが……」
「もう言うことはねぇよ」
「いやキミじゃなくてね。ラルバ、被害者代表としてどう思う?」
「……そうだなぁ」
直後、突然他人の名前を読んだシュニーとそれに応えた声にガウルは顔を上げる。
「ってか、姫様じゃなくて俺でいいのかよ?」
「彼女は優しすぎるだろう。もう少し平均的な民の意見が聞きたくてね」
彼の視線の先、シュニーの後方である村の入り口には数人の子供が立っていた。
「……こいつ、シシャは怖くて昨日から寝れてない。こっちのトゥエンは擦り傷だらけで痛い痛いってずっと泣いててな」
「だよなぁ」
その先頭、周りの子供たちに支えられて歩いている少年はガウルを睨んでいる。
ガウルにとっては知っている相手だった。
ステラとの会談の時に見た顔で、何より己の手で手足を折り縛り上げたフィンブルの衛士だ。
「まあそりゃ、許せないぜ。ここまでされて事情があったからしょうがないなんて言えるわけないだろ」
当然、そんなラルバから都合のいい赦しが与えられるわけもない。
彼に同行している子供たちからも、警戒や恐怖、怒りの視線が突き立てられる。
「……ごめんな。怖がらせちまったし、痛い思いさせちまったな」
話しかけられるだけでも恐ろしいかもしれない。
ガウルにもわかっているのだろう。
それでも彼は子供たちの目を真正面から見て、深く頭を下げた。
「領主様よ、これでわかったろ。あんだけの事してお咎めナシも当然なんて、そりゃ小躍りしたい程嬉しいさ」
「だろうね。ボクがキミたちの立場だったら狂喜するだろう」
それからシュニーに改めて向き直り、ガウルは弱々しく笑う。
「でも……こうなっちまったら、許されねえんだ。一応、まだそこまでは人間やめてねえつもりでさ」
「……そうかね」
ガウルの考えは、酷く中途半端だ。
生きる為に、大事なものの為に罪を犯す。踏み止まるつもりはない。
だが裁かれる時が来たならば、粛々とその重さを受け入れる。
仕方なかったと開き直り最後まで命に縋りつく悪に徹することもできなければ、最初から罪を犯さない清く正しい善として生きるわけでもない。
その果てに今こうして命で贖うことこそが正しいのだと、信じているようだった。
「けどま、これから許せるようになるかどうかはあんたら次第じゃね?」
「ぁ……?」
だから、ラルバが軽く告げたその言葉にガウルは言葉を失った。
まるでこれからがあるのが普通だとでも言うように、ラルバは平然と言ってのけた。
「いま俺から言えんのはそんだけ。これでいいか?」
「ああ。城で待っててもらったとはいえわざわざ悪かったね」
「いいっていいって。兄ィと姫様が大丈夫か心配だったしさ」
「ラズワルドならあそこで力尽きているよ。膝枕付きだ」
「嘘だろ!?」
ガウルがラルバと子供たちに何か言葉を返す暇はなく、彼らはシュニーと数言を交わしてその場を立ち去っていく。
「これから、なぁ……」
「キミたちが皆に許されるかはわからない。それは各々の考え方次第だろう」
ガウルたちを追放という名目で解放する以上、良い方向にも悪い方向にもそれ以上の関与はできない。
断罪を望んだ彼らが自分たちで終わりを選ぼうとも、シュニーたちに止められはしない。
死を以て償うのもまた、ひとつの選択なのだろう。
何らかの事情を抱えた者が追いやられ災厄の盾として使い捨てられようとしているこの地の在り方は、ある種それに近しいのかもしれない。
「ただ……それはいま死のうと同じなのだから、どうせなら生き延びた方が幾分かマシじゃないかい?」
だが、シュニーはそんな結末を受け入れようとは思わなかった。
「少しでも許しが欲しいなら……処刑の見世物なんかより子供たちのご機嫌取りに励んだ方が、ずっと見込みがあると思うのだがね?」
それが最善なのだと突き付けてくる物語の章が、大嫌いだった。
希望などあったものではない吹雪のただ中でも、目を閉じずに歩き続ければ何かがあると信じたかった。
「これはボクの独り言だ。まあ今から追い出されるキミたちには全く関係ない話だが……」
わざわざこうして回り道をしてまでガウルたちに生きる道を示したのも、そう考えていたからだ。
分裂した領地を仲立ちし、さらには便利に役立てるための防衛戦力や労働力を獲得する。
その利益を純粋に追い求めるなら、刑の一環という形で労役を課した方が遥かに確実で効率がいいだろう。
曖昧な言葉で今後を示す、などという確実性に欠ける選択の必要はない。
「たとえ重い事情があろうと罪を抱えようと、それを悔いて生き続けたいと足掻くならボクは受け入れたい。領主として、この地はそのように在ってほしいんだ」
でも、押し付け支配するのではなく、最後には自らの手で選んでほしかった。
使い勝手のいい道具ではなく、共に冬を越えたいと願う隣人を望んだのだ。
此度の一件でぶつかりあった、赤髪の少年と人狼の頭。
大切なものを守るためにいざという時は周囲を切り捨てようと誓っていたのに、情に負けて苦しむ事しかできなかった。
大切なものの為に苦悩し過ちを犯し、救いの道が示されたにも関わらず命を以ての断罪を欲した。
善性と悪性に揺られて不合理に迷う彼らの矛盾が辛くて、でも同時に不謹慎とわかっていても嬉しかった。
「ああ、くそっ……敵わねえな……」
そんな彼らの道が、少しでも開かれてくれたらいいなと思った。
完璧で誇らしい存在になり切れない人間が、それでも生きられる場所があればいいと願った。
身勝手と言われようが非効率的と言われようが、それこそがシュニーの望む領主と領地の在り方だった。
「……ったく。やっぱ甘ったれてんなぁ」
「くくく。せいぜい馬車馬のように働いてボクの野望の糧になりたまえよ」
そのささやかな所信表明の締めくくりに、領主はまるで悪辣な暴君のような言葉を賊の頭に向けて吐く。
言ってのけた表情は年相応に無邪気で、高慢極まりない発言には全く似合っていなかったけれど。




