第38話 作戦会議というにはあまりにも(前編)
また、失敗した。
「……どうした、笑えよ」
王子、と本来の立場で呼ばれても、ラズワルドは明確な答えを返さなかった。
代わりに感情と気勢の抜け落ちた声で、彼は自嘲と共にシュニーを促す。
脳裏に流れる追憶が、ラズワルドを嘲笑ってくる。
いつだって、自分は手遅れになってからしか気付けないと。
ラズワルドが王になってやると決意した時には、もう彼には傀儡としての価値すら無くなっていた。
ある日ステラが姿を現さず、代わりに牢を訪れた大臣が連れていたのは、武装した兵士だった。
無表情で語る大臣曰く、ついに現状に耐えかねた民たちが反乱を起こし、王を排そうと城下に押し寄せているのだという。
彼らの憎しみは王だけでなく王族という括りへと向いており、それは王子であったラズワルドに対してもまた例外ではなかった。
この時点で、暴政を嘆いた正義の王子が父に立ち向かう、というラズワルドを革命の御旗にするヒロイックな筋書は無為に帰している。
それどころか、大臣が罰を受けるべき王族を匿っていた、と連座で責任を追及されるまであった。
この状況でどうするのが最善なのかと言えば『今の内に処分しておく』だろう。
「……別に愉快な状況じゃないだろう?」
「いや、笑えるだろ。自分で勝手に、全部上手く行くなんて勘違いしてたんだぜ」
どうしてシュニーが否定してくるのか、ラズワルドにとっては不可解だった。
とんだ喜劇じゃないか。
その時の一度だけじゃない。
愚かな男は、何度も同じ過ちを繰り返しているのだ。
ラズワルドを始末する、という計画を偶然聞いてしまったステラは、無謀にも大臣に抗議しようとしたらしい。
だから、口封じで殺して街のゴミ箱に捨てておいた。
それを聞いてから暫くの間、ラズワルドは自分が何をしたのか思い出せない。
次に気付いた時には、燃え盛る街を必死で駆けていた。
炎と煙で喉が焼けるのも、裸足の足が血塗れになるのも構わず街中を探し回る。
その果てに息も絶え絶えだったがどうにか生きていたステラを見つけられた時の安堵が、如何ほどだったか。
そうしてお互い満身創痍になりながらも、ふたりで国を出た。
民たちが反乱で奪った船に身分を隠して乗り込んで、大陸を目指した。
同じような船が嵐に遭って何隻も沈んだという噂話に震えて、僅かな食べ物を分け合って。
どうにか陸地に辿り付いて、未だまともな国体を維持しているほぼ唯一の国家だというバルクハルツ帝国の領都を目指した。
「いつだって、誰かの為に何かしたいって思った時にゃこうなる」
途中でいくつかの小さな村に立ち寄った。
そこで足を止めれば、農民としてささやかな暮らしを送れたのかもしれない。
けれどラズワルドはそうしなかった。
この“冬”の時代において、貧しい農村は破滅と隣り合わせにある。
そんな毎朝生きている幸運に感謝するような身分ではなく、安息の場が欲しかった。
もっと、ステラに不自由のない生活を送らせてやりたかった。
ラズワルドだって根拠も無くそんな理想を追いかけていたわけではない。
帝国のある程度大きい都市に辿り付き、そこの長に掛け合えば叶うはずだったのだ。
バルクハルツ帝国は“冬”に滅ぼされた国々からの亡命者を受け入れており、特に貴族階級の人間は相応の礼儀を以て迎えられるのだと聞いていた。
物乞い同然の粗末な格好に身を落としてはいたが、それでもラズワルドはネザーリア連邦という一国家の王族だ。
首から下げた王家印が、きっとその身分を証明してくれる。
その未来を信じて、自分はささやかな暮らしでもいいと言ってくれたステラを引っ張って旅を続けた。
「最初から、俺みたいなカスに都合のいい話なんざあるわけねぇのによ」
そうしてどうにかたどり着いた帝国の都市で手続きを行い、ラズワルドは帝都からの返答を受け取った。
正しくは、偶然にも返書を見てしまった。
既にネザーリア連邦の大臣が亡命してきている。
生き残った王族はおらず、王家印のひとつを盗み逃げ出した賊がいるため、捕らえて処分を下してほしいと話があった。
そんな内容だった。
また、失敗した。
「考えりゃすぐわかる事をなんでいつまでも学ばねえんだろうな」
ヤツもまた、国を捨てて逃げようとする可能性に思い当たらなかった。
自分を恨んでいるはずで、移動手段について何も持たず這う這うの体で逃げ出したこちらより優れたものがあったはず。
ならば、どちらが先に主だった帝国の都市に辿り着き助けを求められるかはわかりきっている。
結果、こうなる予想も付けられたはずだった。
でも、ラズワルドは思い付いた妙案に舞い上がってしまっていて気付けなかった。
それらしく自分たちを袋小路に誘導しようとしてくる衛兵たちの隙を突いて都市を逃げ出し、惨めな逃亡生活が始まった。
「故郷で、こっちで、最後に辿り着いたこの村で……いつも同じ失敗ばっかだ」
各地を点々とし、腰を落ち着けられるかと思ったら回ってきた自分の手配書を見て諦めて。
どんどんと僻地に追い詰められていって、最後に辿り着いたのが今にも滅びそうな、でも暖かい人たちが息づく極北の寂れた領土だった。
もう失敗は許されない。
自分が、現状をなんとかしてみせる。
その一心で戦い続けた。
かつて自分を騙し裏切ったような汚い大人が領主としてやって来たから、皆で反抗しようと呼びかけた。
なのに、自分とステラをこの地に受け入れてくれた大人たちは付いてきてくれなかった。
だから、自分たちだけで何とかした。
生活は苦しかったが、どうにか土台を作ることはできた。
大人も権力者も、もう信じるまいと誓った。
そんな日々の中で、新しい領主がやって来たと聞いた。
自分より年下の領主を名乗る少年を、当然ラズワルドは信用などしていなかった。
領主という時点で自分たちを弾圧する立場だし、百歩譲って何かを任せるには能力面で頼りない。あと態度が偉そうなので個人的に気に入らない。
そんな最悪の第一印象は、少しずつ変わっていった。
ステラやガキ共が心を開いているのは腹立たしいが、悪い奴ではないのだろう。共に日々を過ごして、多少は根性があるのも知った。
少し、ほんの少しであれば、権力者であるはずのそいつを信用してやってもいいかもしれない。
そう考えるようになっていた。
でも──
“アイツは、こっちに大人の連中を入れるつもりなのか”
また、裏切られた。
“結局、新しい領主も信用できなかった。どうにか外部の手を借りてでも、町を守らねば”
必死だった。
今度こそ間違えるわけにはいかない。
もう自分にもステラにも、後が無いのだ。
どうにかしようと必死になって、ステラの甘い考えを却下して、なんとか、なんとか……。
「そうだ。また、失敗した」
そして──この居場所をどうにか存続させるためだったはずの一手が、最悪の結末を招いた。
今度こそ上手く行くと思っていたのに、何もかもがこぼれ落ちた。
「……全部俺のせいだ! まんまと騙されてなけりゃ、こんな事にはならなかった……。わざわざステラに姫なんて名乗らせなかったら、人質として連れて行かれたのは俺だったはずだ!」
主のいない玉座に力なく腰を落とすラズワルド。
がりがりと頭を掻きむしり呻くその姿からは、日々の獰猛さは欠片も伺えない。
「俺を笑いに来たんじゃねえならなんでここに居やがる! 何のために今さら話し合いなんかしようってんだ! このまま放置してりゃ、全部テメェに都合よく収まんだろうが!」
ラズワルドの言う通りだった。
現状の最適解を考えれば、シュニーはこの場を訪れる必要すらない。
このままシュニーがフィンブルの町を見捨てて状況を静観すれば、どうなるか。
ラズワルドたちに付きつけられた選択肢は、人質戦略になど屈しないと賊と戦うか、屈するかだ。
ただ現状の戦力で歯向かったところで、返り討ちは必然。かといって要求を呑んでも人的被害がこれ以上広がらずに済むだけである。
どちらにせよ生活に必要な資源や物品のことごとくを失い、選択によっては死傷者が出る以上、もう町は存続不可能だろう。
そうなれば、子供たちは野垂れ死ぬしかないのだろうか。
違う。領都、スノールトという引き取り先が存在している。
領主に逆らい独立せんとする反逆者の町は滅び、離れ離れになった親と子も再会し、ふたたび領地はひとつに纏まる結末となる。
野放しになった賊の矛先がスノールトの町に向く可能性についても、とり急ぎ対応が必要な問題ではない。
わざわざ子供しかいない街に小芝居まで挟んで奇襲を仕掛ける時点で、相手も切迫した状況なのが見て取れる。
シュニーも全容は把握していないが、スノールトの町を攻め落とせるだけの戦力はないと推測できた。
もしそれができるのなら、最初から得られるものが多そうなこちらに来ているだろう。
「ああ、その通りだとも。このまま見捨てた方が簡単に収まる事くらい、わかっている」
「だったら……」
領主の立場から見れば、これは降ってわいた幸運だ。
悩みの種が、ただ経過を見守るだけで砕けて消える。
「……でも、キミとステラはどうするんだ?」
「っ……」
だが。
それで目的も誇りも完全に砕かれ、子供たちの先頭に立っていたふたりはどうなるのだろうか。
たとえ命を繋いだところで、スノールトの町に来てくれるのか。来たところで、平静でいられるのか。
「だからなんだ……! 俺らのことなんざテメェには関係ねえだろ……!」
それはラズワルドとステラの問題であって、大局を見れば大きな損失ではない。
最悪の場合、ふたりはスノールトの町で暮らすのを拒否して領地を去るのだろう。
たとえそれが、死とほぼ同義であったとしても。
けれど言ってしまえば、最悪でもそれだけなのだ。
領民が二人減るだけ。領主からすればたったそれだけで、領地全体に与える損害はごく小さい。
「いいや、関係あるとも。キミたちの進退は、ボクにとっては割と重要でね」
「あぁ……?」
ただ、シュニーにとっては少々事情が違っていた。
「けれどその前に聞かせてくれたまえ。どうして、ここで立ち止まっているのだね。キミはステラを助けたいのだろう」
シュニーは静かに問う。
煽りたかったわけではない。事情を知りたかったのだ。
何故勇猛果敢で直情的なラズワルドが、大切に想っているであろう相手を攫われて何もできずにいるのか。
彼が立ち止まっていたからこそ今この会話が成り立っているのだが、状況が把握できていなかった。
「……キミの認識からすれば、スノールトの町に戻るなど破滅と同じだ。ならば、そちらなど選べないはずだろう」
ラズワルドに与えられた選択肢は先に挙げたように二つに一つだ。
一つは、賊に屈して全て明け渡し、子供たちだけで生きていくのは諦めてスノールトの町へと合流する。
もう一つは、人質にされたステラを奪い返すべく必死で戦う。ただし、勝算は極めて低い。
合理的に考えれば、無用な被害もなくステラを取り戻せるだろう前者を選んだ方がいい。
素直に人質を返してくれる相手かという疑念はあるが、その点を踏まえた上でも。
だがそれは、あくまでも状況を俯瞰できる立場からの視点だ。
ラズワルドにとって、スノールトの町は民に苦痛を強いた領主と自分たちに協力せず領主に与した民たちという悪逆の集団である。
今まで自分とステラ、子供たちを散々に裏切ってきた、汚い大人たちの住まう地。
そんな場所に戻るという選択肢など存在していないはずだ。
「ならば、今すぐにでもあの賊どもに挑むべきじゃないのかね」
「そうだ……今までだったらそうしてたに決まってんだろ……けど、もう無理なんだ……」
ならばラズワルドが選ぶのは、不利を承知でなりふり構わず戦う選択ではないのか。
だというのに、今彼はこうして何もできずにいる。
「最初はぜんぶ、囮にしてやるくらいの感覚だったんだ……ステラは甘っちょろいから大事にしてたけどよ……俺は、アイツさえ無事なら、ガキどもを犠牲にしてでもって覚悟してた……」
それは、罪の告白だった。
頼れるリーダーの片割れが一体どのような心境で新たな村を作ったのか。
子供たちに、どんな感情を抱いていたのか。
「でもそんな奴らが、アニキだなんだっつって纏わりついてきやがるんだ。あれもこれも教えてほしいって毎日毎日うるせえんだ」
「……」
言葉に詰まり、立ち止まり、ラズワルドは一言一言を絞り出す。
内に秘めた理由がなんであれ、フィンブルの子供たちは彼を慕い憧れていた。シュニーも知る、紛れもない事実だ。
「……気付いたら、あいつらも大事に思えてきちまってた」
己の弱さを悔いるように、ラズワルドが呻く。
彼がもっと残酷に、目的だけを見据えられる人間であれば、今こうして悩む必要もなかった。
賊と戦って子供たちへさらなる被害や犠牲が出るとしても、そんなものは必要なコストだと切り捨てればいい。
「どうすりゃいいんだよ……ステラもあいつらも見捨てられねぇ……でもどっちか選ばなきゃいけねぇ……」
だが、冷徹な兵器にも戦闘狂にもなれはしない。
堪えに堪えていた何かがついに決壊し、滂沱の涙が床を濡らしていく。
王子や姫の護衛や町を守る戦士、特別な立場をいくつ並べ立てたとしても、根本は変えようがない。
彼はたった十五しか歳を数えていない、どこにでもいるただの少年だった。
「俺に、選べってのかよ……」
頭を抱え、いやいやと赤子のように身体を捩る。
シュニーは今までの姿とは別人のように苦悩するラズワルドの様を見て、一度小さく己の頬を叩き。
「違う。ボクはキミに、選ぶ必要など無いと言いに来た」
務めて強い調子で、堂々と言い放つ。
「……何を」
「ステラを救えるのは、キミだけだ。力があるかどうかじゃない。この状況で様々なものを天秤に乗せて、それでもステラを選べる人間が他にいるのかという話だ」
ここからが本題だ、とシュニーは覚悟を固める。
声は上ずっていて少し震えも混じっていたが、それでも。
「でも、子供たちを……領民を救うのを第一目的にできるのは、キミだけじゃないはずだ」
シュニーは己の胸を拳で叩く。
そして思いのほか力み過ぎてせき込んだ。つくづく格好が付かないと自嘲しながらも、無理やり続ける。
「ひとりで二つを追えると考える程、ボクもキミも思い上がってはいないだろう?」
ふたつの結果を同時に掴もうとするには、ここにいる少年は未熟で無力であまりにも足りていない。
二兎を追うものは一兎をも得ず、という古来からのことわざがあっただろうか。
帝国が暦を数え始める以前から民草の間に残り続けている言葉なのだ、きっとそれは正しいのだろう。
「協力したまえよ、ラズワルド。ボクが他の皆を助けてやる。だからキミがステラを救え。至極簡単な話じゃないか」
だが、追いかける人間がふたりいたならば。
「キミの弟分妹分たちを、ボクに任せろ。代わりにボクの領民をひとり、キミに任せた」




