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第37話 “奴隷と王族と昔のはなし”

「……愚民が」


 罵倒だった。

 ネザーリア連邦第一王子、ラズワルド・ケータシア・ネザーリアは、道端の石を見るのと同じ目でひれ伏している民を見下していた。


「……王子! なにとぞ、父君にお伝え願えませんか!」


 見るからに貧相な老爺が、恐怖と寒さに身を震わせながら願う。

 その背後には、同じくラズワルドに向けひれ伏している民が続いている。

 彼らのいずれも痩せこけていて、歩くのもやっとであろう程に衰弱していた。

 これが王都への在住を許された選ばれし市民の姿と聞いて、一体誰が信じられるだろうか。


「再び、かつてこの地に在った陽光の如きご温情をお恵みくださいますよう……!」

 

 老爺が一瞬だけ、視線をラズワルドから彼の背後へと。

 彼の目には、雪を被った古城と空を厚く覆う灰色の雲が映っている。

 この国の現状を写し取ったかのような、暗く重苦しい光景であった。


 ネザーリア連邦は、かつて地上の楽園と謳われた美しい地だった。

 いくつもの小さな島国が連合し構成された常夏の群島国家であるこの地は、奇跡のような条件の上に成り立っている。


 農耕に適した温暖な気候や肥沃な土地に、尽きぬ海洋資源。遠洋の島国という、外部からの侵略を困難とする立地。

 人々は必要以上を望まず平穏で満ち足りた生活を享受し、各島から選ばれた賢者で構成された大臣たちと王が民を見守る。


「作物は育たず、動物たちも倒れ……もはや、我々にはどうする事も……」


 だが神は彼らを見放したのだろうか。それとも、ついに守りきれなくなったのだろうか。

 もはや、十数年前まで続いていた平穏は欠片も残っていない。


 突如として訪れた異常な寒気に、次々と連絡を絶っていく島々。雪に侵された大地より出でて人を喰らう氷の怪物、氷魔。

 世界を呑まんとする“冬”は、とうとう温和な南国にまでその手を伸ばし始めたのだった。


「畏れながら……今は争っている場合ではないのです! どうか、どうか……」


 今まで捨てる程採れていた作物が育たなくなる。狩猟も漁もままならなくなる。

 足りていたものを奪われた人々の心が荒廃するのは、一瞬だった。

 飢えて果てるよりも、食物を奪い合って失われた命の方が多い。罪人よりも、罪過を明白にする間もなく殺された者の方が多い。

 それは原因が“冬”に限らず荒廃した地で見られるありふれた悲劇だったが、ネザーリア連邦は特に酷い有様だった。


 今まで何不自由なく満ち足りていたが故に落差で深く絶望し、悪意に疎かったが故に善性を保とうとした者が変わり果てた隣人に抗えない。

 そして末端が壊死した後中枢が侵されるように、上に立つ者たちも見る見るうちに腐り落ちていった。 


 まず大臣が、維持しきれず徐々に狭くなっていく権力の席を奪い合いはじめた。

 彼らは生まれつきの特権階級ではなく、あくまでも各分野の力量を認められた元一般国民だ。

 地位を追われれば再び一国民に転落し、そうなれば待っているのは現状の荒廃した人心による「よくも今まで豪勢な暮らしを」という妬み辛みからの迫害、私刑である。

 故に彼らは必死に蹴落とし合い、より上へ上へと権力を求め続けた。


 その有様を間近で見続けた国王が疑心暗鬼に陥るのは必然の流れであった。

 彼らの怯えと権力への飢えが最後には「王の座に成り代われば安心」という結論に至るかもしれないという疑念を、誰が否定できよう。

 かくして、国と民に目を向ける者はいなくなった。


 挙国一致で問題に抗する覚悟を決められていたならば、結末は少し違ったのかもしれない。

“冬”の侵蝕をもうしばらくの間押し留められていた希望はあったし、その間に新天地を求め皆で国を逃れる選択肢も取れただろう。

 けれどその可能性を叫ぶには、今さら遅すぎた。


「はぁ……」


 ラズワルドは、民の切実な嘆きに溜息を一つだけ返す。

 吐いた息は白く凍えていたが、それに劣らず冷たい反応だった。


「テメェらが弱いのが悪いんだろうが」


 吐き捨てるように呟き、ラズワルドは踵を返す。

 彼は『冬の子』であった。

 ネザーリア連邦という国の終わりの始まりに生を受け、穏やかで暖かかった時代など知らない世代だ。

 争いの勝者にこそ価値があり、弱き民が苦しみ強き王族が富むのは当たり前だという思想を幼少より烙印のように植え付けられ生きてきた。

 その内には、常に冷たい風が吹きすさんでいる。


―――――


「おい……何しやがる! 俺が誰だかわかってんのか!」


 傲慢な王子が牢獄の冷たさを初めて知ったのは、それから一月ほど後だ。

 贅沢三昧のいつもと変わらない日常は、寝室に押し入ってきた兵士たちによって崩れ去った。


「ええ。ご無礼をお許しください、殿下」


 暗い地下牢の鉄格子に噛みつかんばかりの勢いで怒声を張り上げるラズワルドに答えたのは、幼い頃より彼の世話役を務めてきた大臣のひとりだった。


「裏切っておいて何が……!」

「はい。確かにわたくしは王……貴方様の父君の意に背きました。ですが、これも全て貴方様のためなのです」


 怒りを消化しきれず唸り声を上げるラズワルドへと、大臣は膝を折る。

 沈痛な、しかし真剣な面持ちで。


「あァ!? 何言ってやがる! テメェが甘い汁吸いたいから父上を裏切ったクセに、何が俺の為だ!」


 ラズワルドの内心にあったのは、強い怒りとある種の納得だった。

 ラズワルドの父、この国の王は日頃息子へと呟き続けていた。

 たとえ誰であろうとも、気を許してはならない。大臣たちはいつも王族に成り代わるべく首を狙っているし、民だって同じだ。

 そう、寝る前の御伽噺でも、王としての心構えを説く時でも。


「ハッ、父上の言う通りだったってワケだ! 周りにいるのは裏切り者ばっかだってな!」


 やはり父王は正しかったのだと、ラズワルドはせめてもの抵抗とばかりに吐き捨てる。

 幼少より第二の父親のように自分を見守ってくれた人ですら、一皮剥けば野望に満ちた獣なのだと。


「受け入れ難いかと思われますが、殿下……どうかお気を確かにお聞きください」


 他人など信じてはならないという父の言葉は確かに真実だったと、今日この日彼は確信に至った。


「父君は、貴方様の命を奪うよう命じられたのです。将来の敵を排するとのご意向により」

「……は?」


 ただひとり信じられると思っていた人に、裏切られる形で。


「なに、言ってんだ……?」

「ですが、私にはできなかった……。幼き頃よりお姿を見守ってきた貴方様の命を奪うなど!」


 熱の籠った身振り手振りで語る大臣の言葉は、頭に入ってこない。

 今のラズワルドが感じているのは、頭の中が真っ白になったような、あるいは真っ黒な穴が開いたかのような空虚だけだった。


「なので、どうか今しばらくここにお隠れを。父君がお考えを改められるか、もしくは……」

「……いえ、私から何も。出過ぎた言をお許しください」


 意味ありげにラズワルドを見た後、大臣は深く跪く。

 呆然とした彼がようやく意識を現実へ向ける頃には、その姿は既に部屋から消えていた。


「……クソが」


 独り残されたラズワルドはひとしきり鉄格子につかみかかり暴れた後、小さく呟く。

 言葉の攻撃性とは裏腹に、酷く弱々しく。

 悲しみ、怒り、苦痛、無数の負の感情が区別できなくなるくらいに混じり合って、流れてくる涙を拭う余裕もなかった。


 後の彼が人生における転機を劇的な順に並べろと言われたなら、恐らくこの日は二番目か三番目になるだろう。

 王族としての立場も暮らしも誇りも失った、喪失の日。


「あ、あの! お世話を頼むって言われたんですが! こちらでしょうか……?」


 そして、絶望と諦観に満ちていた彼の生を変えた出会いの日でもあった。




 牢の出口に続く階段の上から、様子を伺うような声が。高さからして、女だろうか。


「んだよテメェ」


 己の苦しみに水を差されたような気がして、ラズワルドは怒気を込めて尋ねる。


「あっ、あなたですね……?」


 無粋にもラズワルドを独りにさせてくれなかったのは、弱気な足音だった。

 そろりそろりと慎重に階段を降りてくる気配。

 ラズワルドが不機嫌なのは声色で明らかなはずなのに、それでも足を止めたり立ち去るという選択肢は無いらしい。


 帰るなら帰れ、来るならとっとと来い。

 悪態を付くラズワルドの希望はどちらも叶わず、足音の主はゆっくりと時間をかけて目の前までやってきた。


「は、はじめまして……王子さま、なんですよね?」

「……おう」


 相手を見て、ラズワルドが吐こうと思っていた暴言は霧散する。

 貧民すら生温い、それより下の立場を思わせる少女だ。

 雑に切りそろえられた髪に、慎重に様子を伺うような怯えた目付き。

 見るからにありあわせのボロボロに薄汚れた一枚布を着ているが、多少は見られる顔も枝のように細い手足も、服で隠れていない部分も全てが汚れていて、一体どこが肌でどこが服なのかわかったものではない。


「そういうテメェは奴隷かなんかよ」


 かつて学んだ、異国の身分制度の名を呟く。

 人間としての生き方を剥奪され、モノとして売買される存在。

 本質的には同じ人として誰もが対等であると定められたネザーリア連邦には存在しないと教えられていた身分。


「そうです」

「……本気で言ってんのか」


 みすぼらしい姿への当てつけで言ったのに肯定されてしまい、ラズワルドは渋面で聞き返す。

 幼い頃、初めて奴隷という制度を知った時に『醜い』と思った。

 そんなおぞましい身分を持たない自分の国が誇らしかった。

 けれど、そうではなかったのだ。


「王子さまのお世話をするために、買われました」


 この国に、外部との取引を行う余裕などない。

 ならばこの少女は、内々でやり取りされたのだろう。

 “冬”に追い詰められる内に、国内で人を売り買いする制度が出来上がっている。


「いらねぇ。とっとと失せろ」


 国への失望が深まると共に、ラズワルドは投げやりに少女へと告げた。


「……やっぱり、私じゃ不足ですか?」

「ちげぇ。誰だろうが同じだ」


 不安げな様子の少女に不平をぶつけるように、ラズワルドは吐き捨てる。


「でも、誰もお世話しなかったら……」

「鈍いヤツだな。死にてえって言ってんだよ」


 もう何もかもが嫌になって失望して、投げ出したくなった。


 実際のところここで少女を拒絶したところで、ラズワルドは死ねない。

 政争の道具としての利用価値が残された彼は、無理やり口に食べ物なり水なり突っ込んででも延命させられるだろう。

 けれどそんな予想もできなくなるくらいに疲弊していた。


「それはだめです」

「……なんでだよ」


 何故か否定してくる少女に、力なく聞き返す。

 意味不明で、ラズワルドには怒る気力さえも残っていない。


「私が、悲しくなっちゃうからです」

「勝手に悲しくなってろ」


 もっと意味不明になった。

 どうして初対面の相手が死んで悲しめるのか。

 思考体系の違う別種の生物なのかもしれないとまで思ってしまう。


「あっ、そうだ……王子さまにもしもの事があったら責任取らされちゃうかもです……!」


 確かに、実際そうだろう。人間扱いされない身分の者が、国の要人を死なせたらどうなるか。

 ラズワルドの命に少女の命が一方的に結び付けられている以上、それは確かに止める理由として納得できるかもしれない。


「今思いついただろそれ」


 けれど彼女は、それ以前から嫌がっていたようだった。

 自分の意見を押し通すための言い訳にそれらしい納得のいく理由を使っているのは明らかだ。


「意味わかんねぇよ……。なんで俺なんかに構ってんだテメェは……」


 問答を繰り返しても、ラズワルドにはわからない。

 今の自分に何の価値があるというのか。いや価値はあるのだが、どうしてその価値を無視した上で傍にいようと思えるのか。


「……すごく寂しそうな声が、聞こえたからです」

「はぁ……やっぱわからん」


 結局その日、ラズワルドに少女の行動理由は理解できなかった。

 けれど奥底でほんの少しだけ彼女を受け入れている自分がいて、己の生温さにうんざりするようなそうでないような複雑な気分だった。




「王子さま、なんと今日はお肉が……って! まただらしなく寝転んで!」

「うるせぇな……俺の勝手だろうが……」

「いけません! お外に出た時に苦労しますよ!」


 それからの日々は、獄中生活というには騒がしかった。

 少女は毎日ラズワルドの下を訪れ、食事から着替えから生活に必要な諸々を持ってくる。

 ラズワルドも最初は拒絶していたが、あまりのしつこさに追い出すのを諦めた。


「チッ……これは食えねえ。抜いといてくれ」

「お体に悪いですから! 全部食べてください! はい、あーんです!」

「ガキじゃねえんだぞ……」

「子どもじゃないなら好き嫌いしないでくださいよ!」


 ラズワルドが我儘を言い、少女がそれを叱りつけるのは日課になりつつあった。

 鉄格子越しにぷんすかと怒ってスプーンを差し出してくる少女から逃れるべく顔を背け、だが横目でちらりと見やる。


 何故そうしたのかはラズワルドにはわからなかった。

 他人の表情をわざわざ観察する趣味など、ないはずなのに。


「……おい、いつものコレって誰が作ってんだ?」


 腐りかけた野菜の切れ端ともはや貴重品になった屑肉を煮込んだ、粗末なスープ。

 少女が用意してきた食事を突きながら、尋ねる。

 いつも少女に対して不愛想に言い返すだけだった会話は、時々ラズワルドから始めるようになっていた。


「私です! えへへ……おいしかったですか?」

「フツー」

「もー!」


 特段の意味は無い退屈しのぎだ、と自分で自分に言い聞かせる。

 その行為自体が何らかの言い訳めいたものだと薄々気付いていたのだけれど、認めたくなくて蓋をした。




「ラズワルド」

「……えっと?」

「俺の名前以外に何があんだよ」


 ラズワルドが名乗ったのは、二月程経ってようやくだった。

 一日も欠かさず顔を合わせておきながら、二人は互いの名を知らない。


 ラズワルドの心境は、出会った当初から変わっていた。

 最初は、平民ごときに教える名は無いと驕っていた。それから時間が経って、何も関係性は変わっていないのに名乗ってやってもいいかと思うようになって、今に至って。


「わかったなら今後はそう呼べ。こんなザマでいつまでも王子呼ばわりされんのも気分悪ィ」

「は、はいぃ……」


 知ってほしいと。自分の名を彼女の口から聞きたいと願うようになった。

 ついでのように添えた理由はプライドから来る本心だったが、この少女の逃げ道を塞げるなら何でもよかった。


「……んで?」

「えっ、え?」

「一国の王子に先に名乗らせといて、何もナシかよ?」


 変な所で無礼なヤツめ、とラズワルドは呆れてしまう。


「でも、私……ラズワルド様に名乗れるような……」


 彼女はいつもそうだった。

 一国の王子に接しているとは思えない無礼な態度の時と、奴隷としてのわきまえた態度の時がある。

 教養が無いから中途半端なのだと当初は思っていたが、今ではどうしてなのか察していた。 


 こちらの為を想っての話ならば、彼女は立場を越えて押し通そうとしてくるのだ。

 食事の偏りを体に悪いだとかなんだとか説教してくる。

 王族としての驕った態度を時折たしなめてくる。

 その無礼な態度の数々は、無理矢理にでも状況を改善させるため。


 逆に己自身の事となれば、彼女はどこまでも卑屈だった。

 名乗る価値など自分には無いのだと、本気で信じ込んでいる。


「俺の為に言えっつってんだよ」

「あ、ぅ……」


 だからラズワルドはずいと鉄格子に顔を寄せる。

 彼女が己を押し留める理由などどこにもない。そう、伝わるように。


「……ステラ、です」


 長い苦悩の時間を経て、ようやく少女は口を開いた。

 さほど珍しい名ではなかった。

 古代語で『星明かり』を意味する単語が語源だっただろうか。


「ステラ……そうか、ステラ」

 

 一度、二度とその名を呼んでみる。

 確かに彼女の薄汚れた外見には似つかわしくないのかもしれない。

 彼女自身がその落差を恥じていたから名乗ろうとしなかったのも、なんとなしにわかった。


「まあ、悪くはねぇな」


 でも、とてもよく似合っていると思った。

 率直な感想を、そのまま伝えることはできなかったが。




「ラズくん! 今日は熱石が用意できたんです!」

「……」


 それからまた時間が経って、他人行儀の様付けがいつの間にか友人か家族のように親しい呼び方へと変わっていて。

 辛く寒々しい日々の中で、ステラはいつだってラズワルドを優先した。

 死なない程度に、いくらでも軽んじていいはずなのに。


「あ、ご存知ないかもですけど……水に入れると、お湯に変えてくれるんです!」


 嬉々として語るその頬に真新しい痣が増えているのに、それを隠せていない事に彼女は気付いているのだろうか。

 ラズワルドが外の世界を知れるのはステラを通じてだけだったが、国が衰退の一歩を辿っているのは明らかだ。

 きっと随分前からラズワルドの世話に向けられる予算も減っていて、殴られるような無理をして日々必要な物品を集めている。


 一体何をしている。そんな真似はやめろ。

 その行為の無為に苛立って怒鳴ってしまって、喧嘩になる時もあった。

 それでもステラは身を削った献身を止めようとはしない。


「なあ。どうして、そんなにも親切にしてくれるんだ?」


 ずっと、ラズワルドは疑問に思っていた。

 心を覆っていた分厚い氷が幾分か融けた気がして、彼女の親切を多少は受け取れるようになって、それでも何故なのかわからなかった。

 この世は所詮、弱肉強食だ。他人に尽くして、どうしようというのだ。

 今の自分には媚を売る価値もないというのに。


「私は、浅ましい人間です。自分のことが大事で、それしか考えられません」


 そんなわけがない、とラズワルドは表情を険しくする。

 自分とステラの日々を見て、誰が彼女を利己的な人間だと笑えようか。


「周りの人が幸せなら嬉しいですけど……でも、人のためじゃなくて自分のためなんです。そうなると、嬉しいから」


 そう、思っていたから。

 

「だから……私のことなんて、気にしないでください。勝手にやってるだけなんですから」


 彼女の言葉に、大きく心をかき乱された。

 己の為の欲望は、己の為にしかならない。

 苦しむ民に見向きもせず権力に執着する大臣たちや、ついには息子である自分まで手にかけようとした父を見てそう学んだ。

 そこから、己の望みを貫けない弱者が踏み躙られるのが世の理なのだと納得し、絶望を深めていた。


 だがステラが自分の為にやっている行いで、確かに救われた他者がいた。


「……ステラ」

「ひゃっ、はいっ!?」

 

 鉄格子から手を伸ばし、ステラの頬に、痣を撫でるようにそっと触れる。

 価値観を真正面から殴りつけられたショックの中でも、同時に気付いてしまった。


 きっと、彼女は己自身を救おうとはしないのだろう。

 他人を拒絶していた粗暴者にまで手を差し伸べられるのに、誰よりも優しいたった一人にだけは届かない。


「俺、王になってやろうと思うんだ」

「え……」


 普段よりも熱っぽくなっている気がするステラを見ながら、ラズワルドはしみじみと考える。


「アイツ……お前を買った大臣はな、どうせ俺を担ぎ上げようとしてんだよ。父上から立場を奪い取るお人形としてな。それに乗ってやる」


 自分には、彼女のような気高さも暖かさもない。

 汚い政争に身を投じられるし、見ず知らずの他人に手を差し伸べようなんてとても思えない冷血漢だ。


「んでもって……この国で一番偉くなりゃ、危なっかしいヤツの一人くらいはどうにか守れんだろ」


 でも、無茶をやらかすお人良しひとりくらいは守り抜きたかった。


 彼女のように立派ではないけれど、今芽生えた己の願いも同じようなものなのだと気付いた。

 ステラがどう思っているかなんてどうでもいい。ただ己の内に燃える何かのために、そうしたい。

 自分のやりたいことを好き勝手やった結果、たくさんの人が救われる。

 あまりに都合が良くて馬鹿馬鹿しくて、でもそうなれば良いと思った。


「だからな……」


 それでもって、どうせなら常に近くにいた方が都合がいい。

 国の一番上に相応しいのは自分じゃない。

 お前が女王にでもなって皆の事を考えてくれたなら、きっと多少はマシな国ができるだろう。


「いや、なんでもねえ」


 続く言葉は、そうなった際に必然的に落ち着く関係性に気付いてしまって呑み込んだけれど。






「王子、残念ですがお別れですな」

「……おい。アイツを、ステラをどこにやりやがった……!」


 そしていつだって、現実は冬のように冷たい。

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