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第36話 だれよりもだめだめなきみのはじまり(後編)

「だから言ってるじゃないか……ボクなんかじゃ……」


“どうしたい?”。

 少女の言葉に、シュニーは低く呻く。

 自分の意思なんて、先ほどからしつこい程に主張しているじゃないか。これ以上ボクに恥を晒させてどうしたいんだ。

 暖かい晴れた昼の世界からは拒絶されて、今こうして冬の夜の最中に居る。

 だというのに、まだ重ねて苛もうというのか。

 自分が犯した罪は、これほどまでに重たいのか。


「ううん。さっきから、自分がダメダメなあぴーるばっかり。ぽんこつがぽんこつなのはききあきた」


 より深く、負の思考に沈み込みそうになる。

 けれどシュニーの心境とは真逆に、少女は一歩シュニーへと近づいた。

 

「いっかいも、だったらどうしたいのか聞けてない」


 縮まった距離の意味がわからなくて、シュニーは一歩後ずさる。

 それに合わせて少女もまた一歩、二歩と前に。


「どうしたい、か……」


 言葉を繰り返してみても、少女の言葉が意味するところは今のシュニーには把握できない。

 困惑と後ろめたさに、シュニーは駄々をこねるように目を逸らしながら聞く。

 彼女の思考が読めないのは常だったが、今日は予想も付かない。


 でも、もしかしたら少女は何かの答えをくれるのかもしれないと思った。

 また、自分に道を指し示してくれるのではと期待した。


「わたし、みんなのことがわからないの」


 だから。

 きっと明白な答えが得られるのだとばかり考えていたシュニーは、思わぬ言葉に耳を疑う。


「……ずっとひとりぼっちで、だれもいなかったから。ほかの人のこと考えてなやむのが、いいのかわるいのかわからない」


 己への失望に濡れていた目を擦って視界をはっきりさせると、寒風で不安定に揺れる銀の髪が見える。


「……だから、おしえてほしいの」

 

 そこには、少しだけ困ったような表情の少女がいた。

 彼女は小さくシュニーに近付き、切り出す。


「じぶんよりすごいひとがいたら、苦しくなる? じぶんじゃなくてそのひとでいいって思う?」

「……そうだろう。皆からすれば、ボクよりもそちらの方がいいに決まっている」

 

 少女の問いに、シュニーは己の感じるままを呟いていく。

 自分よりも優れた人間が、周りに沢山いる。

 まだ見ぬ人間が、自分よりもマシだと思う。

 こんな惨めな思いを抱く自分自身が嫌になる。

 嫉妬。敗北感。自己嫌悪。

 それは全てを諦めて場を立ち去るに足る、十分な理由だ。

 一度は拭った涙が再びあふれ出してきて視界を覆って、頭が重くなったように感じられて、シュニーは深く俯いてしまう。


「でも、その人は……じぶんにとっても、じぶんの代わりになるの?」


 けれど、少女の一言でシュニーははっと頭を上げる。

 滲むその視界は、一旦暗くなった後で明確になった。


 ぐしぐしと、力加減に慣れていない指がシュニーの目を擦ってくる。

 じんわりと暖かい他人の体温に、シュニーは驚きで見開いた目を細める。

 少女が自分の目を拭ってくれたからだ、と気付くのには一瞬遅れてしまった。


「……それ、は」


 そうして、改めて目の前の少女の言葉を内で反芻する。

 他の人間が自分の代わりになれば、きっと自分より上手くやれる。

 そうすれば、みんなは喜ぶのかもしれない。

 でも、それで自分はどう思うのだろうか。他ならぬ自分は、どうなるのだろうか。


「ダメダメでもよわよわでも……それでもじぶんは、じぶんしかいないと思うの」

「──キミは」


 少女は言葉を止めない。

 彼女が一方的に喋るのは珍しくない。そんな時は決まって、シュニーは彼女に振り回されてばかりだった。

 でも、今の少女は違った。


「……わたしにも、よくわからないけど」


 少しだけ困ったような、自分もよく知らない土地で道案内をしているような、自信が無さそうな声だった。

 雪に埋もれた自分を引っ張り出してくれて、悩みを聞いてくれて、時には道を指し示してくれたように感じて。

 これまでずっと、シュニーは彼女がどこか超越的なところがあって自分を導いてくれるような存在だと思っていた。

 ある意味で完璧な彼女に救いを求めて縋るのも、情けないけどまた一つなんじゃないかと。

 とんだ見当違いだ。


「……今まで気付けなかったなんて、これもボクの不出来なところだな」


 彼女もまた、まだまだ何も完成していなくて、知らないことだらけで。

 自分と同じなのだと、同年代の子供なのだとシュニーは気付く。

 そして、そんな彼女がどうにか言葉と思考を尽くして自分を慰めようとしてくれている事にも。


 少しだけ、内側を引き裂き続けている痛みが和らいだ気がした。

 けれどそれだけで己を奮い立たせて起き上がれるほど、シュニーは強くなんてない。


「……キミは、この地のことが好きかい? 平穏であってほしいと願っているのかね?」


 だから、卑怯な問いだと自覚しながらシュニーは尋ねる。

 起き上がるために、掴むものが欲しかった。

 彼女が望んでくれたなら、自分はそれを叶えるという目的を支えにして立つことができるかもしれない。

 彼女が大事に思っている領地を守るために頑張ろう、と必死になれるような気がする。


 他人の願いに身を預けて立つのはずるい事かもしれないけど、今のシュニーはどうしても甘い方向に逃げたくなってしまう。


「ほかのだれかのためにがんばるの、やめたほうがいいとおもう」

「……ぅ」


 でも、シュニーが一目惚れした女の子は厳しかった。

 じとっと半目になった赤の瞳が、への字に曲がった口が、逃げようとするシュニーを捕えて離そうとしてくれない。


「もっとしょーじきに。じぶんのこと、かんがえて」


 けれどその不満げな表情もすぐ、普段の無表情に戻る。

 彼女は厳しくて、でも優しい。

 シュニーが『もう無理だ』と改めて現状を放棄したなら、きっとそれを認めてくれるのだろう。

 かつて『諦めてもしょうがない』と言ってくれたように。


「だれよりもだめだめなきみはどうしたいのか……わたしに、きかせて?」

 

 再びの問いに、シュニーは一度目を閉じる。

 自分が先程吐き散らかした言葉を、思い出せる限りで反芻してみる。

『もっと優秀な領主を連れて来た方がいい』。『自分は不適格だ』。『消えるべきだったんじゃないか?』。

 言われてみれば、確かにそうだった。己が如何に立場に相応しくなくて理想が何なのかを繰り返すだけで、一度だって己がどうしたいかを表明してはいなかった。


 全てお前のせいだ。領主に相応しくない。消えた方がマシだ。

 自分への罵倒は限りなく湧き出してきて、そこから導かれる結論は至極簡単なはずだった。

 ではどうして、自分は最後の一線を越えなかったのだろうか。


「……まだ、諦めたくない」


 改めて己に問うてみれば、この上なく身勝手な答えは独り出に飛び出した。

 己を責め苛む言葉をどれだけ脳裏で繰り返しても、もう涙は出なかった。


「りゆーをのべよ」


 求められて、シュニーは語るべき内心を整理する。

 自分のありのままを吐き出すのは、泣き喚いていた先ほどまでと同じだ。


「……キミとの約束を守りたい」

「んむ。ぎりがたぽいんと、ぷらす1てん」


 我慢できず自己嫌悪で泣き喚くのもまだ諦めたくないとしがみ付くのも、ある意味では変わらない。

 ああ、そうだ。身勝手なのだ。

 この後に及んで自分は、こちらに来て少しでも握ったものを手放したくないのだとシュニーは気付く。

 たとえ知り合いの誰だろうと、顔も知らない有能な誰かだろうと、譲りたくはなかった。


「彼らと……ラズワルドとステラと、ラルバと……フィンブルの皆とほんの少しだけ、仲良くなれた気がするんだ。ここで終わるなんて、嫌だ」

「ぽんこつ、ぼっちだもんね」

「さっき聞いた限りキミも人のこと言えないじゃないか……」


 それが分不相応な望みなのは重々承知している。

 無力で無知で無能なのに、痛い程に自覚しているのに無欲でだけはいられない。

 つくづくどうしようもない人間だと苦笑してしまう。


「こちらの子供たちを、きちんと最後まで教育してやらねば。領主への不敬は捨て置けないよまったく!」

「しんちょくはいかが?」

「……やっと、少しは文字が読めるようになってきていたんだ。ここで終わるのは中途半端だろう」


 ああ、そうだ。

 たとえ苦笑でも自嘲でもいい、笑ってやるのだ。

 本当に資格があるのかとか、自分なんかがとかは一旦全て捨て置くことにした。


 どれだけ力が足りなかろうと、現在の自分が領主なのは変えようがないと思い直したから。

 どうせ身勝手な選択ならば、まだ周りに顔向けできる方を選びたいと思ったから。


 立場が人間を作る、という言葉があるじゃないか。

 自分はその途上なのだと、その場しのぎでいいから信じてみよう。


「ボクの領地と民に手を出した愚か者に、仕置きをしてやりたい!」

「ひゅーひゅー、やっちゃえ」

「……キミ、意外と好戦的だったりするのかい?」

「びしっ」

「いだぁ!?」


 この状況をなんとかしたいと思った理由の一つは、大儀だとかではないただただ単純な怒りだ。

 領地に攻め入ってくるなど、領主としてバカにされた気がしてならなかった。

 しかしネガティブから一転そんな勢い付いた主張をした罰なのか、額を勢いよく指で弾かれる。


「……ふふ」


 そのひりつく痛みが不思議にも心地よくて、思わず緩くてだらしのない笑いがこぼれてしまう。


「……あきらめたく、なくなった?」

「いいや? 今にも心が折れそうだとも。すぐにでも投げ出しそうだ」


 そこまで己を鼓舞しても、結局シュニーの奥底は今までと同じだ。

 傲慢なくせに卑屈な自分はまだ何も変わっていなくて、自信は相変わらずない。

 上手くいく保証などどこにもなければ、明確な成功の図が見えているわけでもない。

 ないない尽くしだ。皮肉極まりないことに、この領地の現状と同じ。


「でも、やれるだけの事はやってからでも遅くないだろう?」


 だが、力も使い果たさず諦めるにはまだ早い。

 甘えるな。今はいじけている場合じゃないと己の尻を蹴り飛ばせ。

 どこまでも自分勝手な願いを、貫き通すのだ。

 そうして生き足掻いてこそ、一片の希望が持てるかもしれない。


「……ひとつ質問をいいだろうか?」

「とくべつにゆるしてしんぜよー」


 でも本当に重要な理由は大事に奥底へとしまい込んだ。

 だって、恥ずかしかったから。


『彼女が好きなものを守れば多少は今回の汚名を返上できるかもしれない』なんて、いくら何でも下心が見え見えすぎて領主失格だ。彼女風に言えば「ばつみっつ」だろう。


「キミはボクが……こんな人間が上手くやれると、信じてくれているかい?」


 誤魔化すための話題転換と本心を半々で、気になったことを聞いてみる。

 感謝している。感情が熱くて、胸の奥から溢れそうになる。

 でもどうして彼女がここまで自分と話して、さらには気遣ってくれるのかまでは相変わらず分からなかった。

 その答えが、どうしても気になってしまった。

 もしかしたら、自分に好意的な感情を持ってくれているから? 期待してくれていたり?


「わかんない」


 そんな勘違いに一縷の期待を込めて勇気を振り絞ったシュニーだったが、明確な答えは得られなかった。

 これで望み通りの返事が貰えたならそれだけで数日はやる気を爆発させられる自信があったが、やっぱり世の中は甘くない。

 まあ、話題を変えられただけで成果十分と満足しておくべきだろう。


「でも……がんばって」

「~~!」


 などと考えていたのに、やっぱり少女はシュニーの思い通りに動いてはくれない。

 いつだって自由で気まぐれなウサギみたいで、ままならない。


「……ああ! 証明してあげようじゃないか! キミが雪から掘り出したのは、信じて託すに足る存在だったのだとね!」


 激励の言葉を噛みしめて、少年は傲岸不遜に言ってのけた。

 力が足りなかろうが精一杯、見苦しく足掻いてやるのだ。領主として、まだ碌に知らない民の為に。

 いいところを見せるのだ。ひとりの男として、気になるあの子に。


「……見苦しいところを見せてしまったね。すまなかった」

「だいじょーぶ。つねに見苦しいから」

「今ボクの内心がまた大丈夫じゃなくなったよ」


 軽い冗談(と思いたかった)を交わして、シュニーは身を翻す。

 同時に、思考を重ねる。いまするべき事は何か。どのような手札が残っていて、選ぶべきはどれか。

 少なくとも、終着点をどうしたいかという望みはある。

 どうにかして、そこに辿り着く道筋を見出すのだ。 


「雪は、嫌い?」

「好きになる理由がないだろう」


 背中に向けて、少女が問いかけてくる。

 かつて彼女と約束を交わした時と同じ質問だ。

 シュニーの答えもまた変わらない。

 雪。寒々しくて厄介者で、迷惑極まりない。


「でも……この地で生きるために少しは受け入れてやろうじゃないか」


 ただ、多少は許容してもいいかもしれないと思った。


 そうしてひらひらと手を振って、雪の少女に別れを告げ。

 新任辺境伯は、吹雪の中へと足を踏み出す。




―――――


「随分と不貞腐れてるじゃないか」

「……」


 城の広間、その奥部にある玉座の傍に、シュニーが探していた相手は佇んでいた。


「今からの対策会議をしようと思ったんだが……その前に、解決しておきたい事があってね」

「……」


 返ってきたのは、刺すような沈黙。

 不機嫌というよりも、無気力からくる拒絶の姿勢だ。


「前から、違和感があったんだ。でも触れまいと思っていた」

「……」


 キミが面倒な反応をするとわかっていたからね、と冗談交じりに呟くと、拒絶の感情が一段と強くなる。

 以前までのシュニーなら、それだけで腰を抜かしていたに違いない。


「……でもやめだ。今から答え合わせをさせてくれたまえ」


 だが、シュニーは言葉を止めない。

 震える内心を抑え込んで、足を前に、前にと踏み出していく。


「……キミ、意外と教養があるだろう? 子供に外国の文字を教えられるくらいに習熟している。逆にステラは少々抜けているというか……学問に疎い様子だった。基礎が違うんだろうね」

「オイ」


 そこで初めて、シュニーへと言葉が向けられる。

 苛立った様子の、しかし憔悴と疲弊で怒りを弾けさせられないかのような感情の機微が伺えた。


「マナーだってそうだ。祭りの時は──」

「死にてえのか」


 語りを、槍を床に打ち付けた衝突音と殺気が遮った。

 シュニーは溜息と共に言葉を止め、一度思案する。

 実のところ、この話題は事態の解決に直接的な関係はない。

 だが、その前提として絶対に話しておかねばならない……いいや、シュニーが話したいと望んだ内容だった。


「領民に話を聞いた時、言っていたのだよ。“まるでお姫様のように大事にしている”と。……ように、かね」

「黙れ……黙れ!」


 だからシュニーに止まってやるつもりはない。

 たとえそれが、差し迫った問題の前にさらなる一波乱を起こすことになっても。


「いいや、黙らない。ボクとキミの話をしよう、ラズワルド──」


 シュニーが選んだのは、茨の道だ。

 触れなくてもいい問題にわざわざ触れ、後回しにした方がいいものを纏めて片付ける。

 目先の楽を捨てて、息を切らしてなお走り続ける。

 一番遠回りの道を選んで、だというのに一位を目指すのだ。


「──それとも、“王子”と呼んだ方がいいかい?」


 その果てにこそ、欲深くてだめだめな少年が望む都合のいい結末がある。

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