第28話 真相探しの二日間(後編)
「やあ、なんとも清々しい朝だね」
「……お、おはようございます」
翌朝、シュニーは領主の館を訪れたナルナとにこやかに朝の挨拶を交わした。
セバスに聞くところ、シュニー不在の間もナルナは時折領主の館にやって来て、魔術が関わる器具の整備をしてくれているらしかった。
灯りから風呂まで、もし失われてはシュニーの生活およびやる気に大変な影響を与える部分である。
そんな彼女を迎えたから、というわけではなかったものの、本日のシュニーはご機嫌だった。
対照的に、シュニーを見るナルナの顔色は青ざめている。
何やら恐ろしい怪物とでも遭遇したかのような表情だ。
一体どうしてそんな反応をされているのやら、とシュニーが困惑していると。
「そ、その歓喜に満ち溢れた表情……とうとうわたしの処刑が決まったんですか……?」
「いや全くそんな予定はないが!?」
酷い勘違いが発生していた。
じわりと涙を滲ませて震えるナルナに、シュニーは若干食い気味で否定する。
ナルナが初対面で暗殺を試みてきた危険人物なのは事実だが、現状シュニーには己の教師役以上の罰を与えるつもりはない。
「あと……い、生きてたんですね……? てっきりラズワルドさんに喧嘩売って返り討ちにされたものかと……」
「そういう意味かね……あまりにもボクへの信頼が無いな……」
さらに追い打ちで酷い理由が加わった。
生存そのものに驚かれていた。確かに死んだと思っていた人間が処罰するために現れたら怖かろう。
処刑の誤解と合わせて、そこまで邪悪で血の気が多い人間と思われていたとは……とシュニーは少々ショックを受ける。
「だって何回も見た流れですし……」
「何回もってどういう事だね……ここの領主、毎回彼に喧嘩売ってるのかい……?」
先代領主とラズワルド初めフィンブルの皆に確執があるのは知っての通りが、もしや先代に限らないのだろうか。
どれだけ負の好感度を稼い押し付けてくるのだと暗澹たる思いである。
「え、あ……いや……その」
「まあいい。ボクは今その辺りの話について調べててね。キミには取り次ぎをお願いしたいのだよ」
答えに窮しているナルナに、シュニーは半ば無理やり話を進める。
シュニーが上機嫌だったのもこれが要因だ。
昨日マルシナから得られた情報は有力なもので、今日はナルナが来る日だと聞いていた。
「取り次ぐとは……?」
話が見えておらず首を小さく傾けているナルナに、シュニーは得意げに人差し指を立てる。
「この町の過去……フィンブルの町ができた当初のこと、キミの師匠なら知ってるんじゃないかい?」
―――――
「……というわけで、シュニーさんがかつての話を教えてほしいと……」
「なるほどねぇ。だから領主サマひっつけて来たわけかい」
そして街外れ、ニル婆の館。
弟子の帰宅を書斎で迎えた主は、同行してきたシュニーを見て意地の悪そうな笑みを浮かべていた。
「ああ。先日のように手伝いに来てやったわけじゃないとも。今度は掃除でもさせようとしていたのかもしれないが、残念ながら暇ではないものでね」
どう考えても状況を面白がっているニル婆に、シュニーは皮肉で答える。
今から教えを乞う相手だ、下手に出るに越したことはないのだが、どうにも余計な対抗心が湧いてしまう。
「じゃあ帰んな。アタシもタダで教えてやれる程暇じゃないんでね」
「ぐぬっ……!」
綺麗なカウンターを叩きこまれてシュニーは呻いた。
ニル婆の表情は相変わらずだ。
シュニーの生意気な態度にお冠……ではなく、単に遊んでいるだけに見える。
「そろそろ掃除でも……と思ってたんだが、最近は腰が痛くてね。暇さえありゃちょうど昔話でも呟きたい気分なんだけどねぇ……流石に同時には体力がもたないからね、残念だねぇ……」
「ぐぬぬぬぬ……!」
にやにや笑いの魔女対ぷるぷる震える領主。
勝負ありだった。
「わかっ、た……。ボクが掃除をしてやる……! このスノールトの領主が! 下働きのように掃除をね!!」
苦渋の決断を下し、ニル婆の露骨な誘いに乗る。
先程の当てこすりをそのまま実行する羽目になり、プライドを打ち砕かれ歯を噛みしめるシュニー。
人質を取られ辱めを受け誇りを曲げざるを得ない虜囚とはこんな心境なのだろうか。
「お、お茶、ご用意しますね……」
「ボクのは一番いいので頼むよ……」
シュニーとニル婆の決着を見届けたナルナが、苦笑いを浮かべながら台所へと歩いていく。
敗北者にできるせめてもの抵抗は、魔女の弟子に頼んで高価な茶葉を消費させてやるくらいであった。
「フッ、そろそろ半分くらい終わったんじゃないかい?」
「一割の半分ってとこかねえ」
「バカな……」
こうして始まったシュニーのお掃除大作戦は、酷くテンポが悪かった。
その理由は、シュニーがこれまで他人任せで家事を全くやっていなかったから、というだけではない。
「おのれ……! どうして溝の隅に溜まった埃はこうも取りにくいのか……!」
「そこまで目ざとくやんなくていいよ。適当にいきな適当に」
「貴女がよくてもボクが気になるのだよ! くっ取れない!」
なんというか、シュニーは面倒くさがりな癖に几帳面なのである。
普段はやる気を出さないくせに、いざやるとなれば完璧を求めたがる。実に面倒な性分だった。
自分でも損だとわかっているのに、気になるものは気になってしまう。
「そういえば……貴女は魔道具を造っているのかい? そこら中に転がっているが」
「そうだよ。今アンタが持ってるのは失敗作さ」
館の広さと己の厄介な性分を認めたシュニーは、作戦を変更した。
手早く片付けるのは不可能だから、雑談で面倒くささを和らげながらじっくり臨むべきだ。
そう方針を決めれば、面倒な掃除も少し楽しく思えてくきた。
魔術師の館、それも道具に魔術を施した魔道具の現物に溢れた場所を見て回るのは、とても興味深い。
「ふむ、どの辺りが? よくできた皿だと思うが……」
「迂闊に持ち上げると爆発するのさ」
「うわーっ!?」
あと危険性も十分に学べた。
「む……この扉、随分と周りから浮いた装飾というか……何か引きつけられるものがあるというか……」
「あ、そこは……入った瞬間別の世界に飛ばされるので触ったら危ないです……」
「別の世界!?」
何やら触れてはならない深淵があるのも学べた。
「これで、あらかた終わったか……」
そして、気付けばもう空が夕焼けに染まりつつある時間だった。
「随分と寿命が縮んだ気がするよ……」
「アタシより早死にしそうな顔してるねぇ」
館を爆破しかけること四回、異世界送りされかけること二回。何故か無惨な最期を迎えている自分の姿を垣間見ること三回。
興味深さというよりは恐怖を覚えた回数の方が多かったが、とにかくシュニーは館の掃除を完遂したのである。
「んで、あの子ら……ラズワルドとステラの話だったかい」
「ああ。彼らがこの地を訪れてどのようにしてあちらの町を作ったのか、教えてくれたまえ」
客室のソファーに力なく背を預けながら、シュニーは報酬を要求する。
寝転ぶだけの長さはあったが、そうしなかったのはひとえに貴族というかこの老婆に弱みを見せたくないというプライドである。
「あの子らは随分とボロボロのカッコでここに来ててねぇ。そりゃもう酷い有様だったさ」
「ふむ……ふわぁ……ふむ……」
しかしシュニーの決意と情報収集を、状況が邪魔してくる。
暖炉の暖かさとパチパチと火の粉が爆ぜる音に、穏やかな声での語り。
この話を聞くためにわざわざ足を運んだのに、疲労困憊で気を抜けば眠ってしまいそうだ。
「どっかのひねくれた領主サマと違って聞き分けのいい子らだったから、可愛がられてたけどね」
「伏せる気があるのかね……というか、ラズワルドが聞き分け………?」
だが思いがけない幸運と言うべきか、不思議な言葉が聞こえた気がして眠気が少々飛んだ。
聞き分けという言葉の対極にあるような性格をしている赤髪を思い浮かべて、シュニーは首を傾げる。
「人間不信ぎみだったけどね、まあ必死だったさ。ま、お姫様みたいに大事にしてる子のためとありゃね。アンタも見習いな」
「いちいちボクへの当てつけを挟むのはやめたまえ」
げんなりしながら眠気覚ましに茶をすするシュニーへと、小さな引き笑いでニル婆が答える。
やめてやらない、というわかりやすい意思表示だった。
大事にしてる子のために頑張る、というのは自分にも重なる部分があるだけに、強く反論もできない。
「それで、何だってするから働かせてくれって町の皆に言って回っててね。ふたりでウチの手伝いもしてくれたねぇ」
「身寄りのないガキが二人なもんだから、皆があれやこれや心配してね。食いもんから道具まで、ヘッタクソな芝居しながら渡してたもんさ」
溜息を付くシュニーを他所に、話が進む。
極北の過酷な領地で、必死に頑張る新入りの子供がふたり。
その姿は確かに、皆を引き付けて当然だったのかもしれない。
くく、と笑い天井を見つめるニル婆からは、心から楽しげな様子が伺えた。
「ただ……あの子らが来てちょっとしてから、領主が代わってね」
「それは……」
しかしその声色が、一段低くなる。
「おや、知ってんのかい?」
「軽くだがね。……碌でもない人間だったのだろう?」
シュニーもまた、それを言うには少々気分が沈む。
微笑ましいふたりの話は、ここまで。
これからは領民たちの心を冷たく閉ざした、過酷な現実の話だ。
「そうさ、もう酷い有様でねぇ。作ったモンの殆どが取られるわ、少しでも悪口言ったヤツは裸で晒し物にされるわ……ハハ、さすがこんなトコに送られてくる輩だって横暴振りだったよ」
「笑いごとではなかろうに……反抗する者はいなかったのかね?」
「アイツは紛いなりにも私兵を連れててね。それだけならどうとでもできたけど、中央への伝手まであった。何かあるたびに『陛下に報告するぞ!』って喚いてたモンさ」
話自体は既にステラから聞いていた内容と被っている。
だが大人の立場からも同様に語られて、あちらで聞いたのは対抗心や恨みつらみからの誇張などではないとわかったのはシュニーにとって収穫だった。
「しかも、自分を守らせるばっかりで治安維持なんてするつもりもない。あの時賊でも来たら危なかっただろうねぇ。ま、はぐれ者が外で生きられるようなトコじゃないからその心配はないんだが」
財を奪われ食を奪われ、力で押さえつけられ。
その上、見返りとして寒さや獣から守られるわけでもない。
結果気力を大きく削がれ生きる望みを失ったのも、仕方のないことだったのかもしれない。
特に、世の厳しさままならなさを知る大人は。
「んなワケで、どうしようもない状況だったんだが……あの二人がとうとうキレたんだ。“死にたくなかったら俺達に付いてこい!”っつってね」
「……ああ」
だが、ようやく安息の地を得られていた少年と少女は納得しなかった。
ここから何が起こったのかは、シュニーも知る通りだ。
「そっからはもう大暴れよ。あれよあれよって間にガキ共をほとんど連れて出てっちまった。大人は誘われても誰も行かなかったがね」
辺境の地で起こった造反劇。
それは見事に成功し、子供たちは活気ある暮らしを求め領都たるスノールトの街を旅立った。
「それからひと月もしない内に領主も消えてそれっきりだ。んで、しばらくしてようやくアンタが来たワケさ」
「しばらく、というと……何月かはわからないが領主が不在だったのかい?」
少々含みがある言い方に、シュニーは疑問を挟む。
ニル婆の言からは、領主の地位が空席になったのと自分が新たな領主として迎えられたのには結構な間があるように聞こえた。
「そうだよ。領主なんざいてもいなくても大して変わんなかったからね。むしろ帝都にバレたら都合が悪いまであったしねぇ……」
「……ふむ」
納得の答えだった。
酷い時代を経験したのだから、いっそのこといない方がマシというのは確かにそうだ。
「少々、今の話で気になった部分があったのだが」
脳内で得られた情報を整理して、シュニーは軽く挙手する。
軽く流されていたが、よくよく考えると引っかかる部分があった。
「ダメだね。アタシから話してやれるのはここまでだ」
「む……何故だい」
「気分じゃないからさ」
しかし、回答が拒否される。
急な打ち切りに不満を表明しながら何故なのか問えば、返ってきたのはこれまた理不尽な理由だった。
目の前の老婆が如何に勝手で底意地が悪いのか、シュニーは身をもって体感している。
きっとこれ以上は教えてくれないのだろう。
「でも、これだけきれいに片付けてくれたんだ。オマケを付けてあげようかね」
「……本当かい!」
しかし半ば諦めていたところに思わぬ機会が。
隅から隅まで片付けられ、埃ひとつない輝かんばかりの部屋にニル婆はご満悦な様子だ。
己の無駄に几帳面だった性分に感謝するシュニー。
「よし。どんな質問でも、ひとつだけ答えてやるよ」
「ひとつだけかね」
ニル婆の声と表情からは、好奇と共にどこかシュニーを観察するような感情が読み取れた。
それが意味するところを、シュニーは顎に指を当て考え込む。
彼女が語ってくれた昔話には、意図的に省かれていた部分がある。
しかも『昔話を語るにあたって冗長な部分を削って整えた』という意図ではなく、恐らく意地悪にも本来語って然るべき部分を伏せている。それも複数個所だ。
「いいだろう。貴女のお気に召す答えかはわからないが、聞いてやろうじゃないか」
シュニーは気付いた。
自分は試されているのだと。
それが領主としてなのか、はたまた別の何かなのかはわからなかったが。
「大人たちは皆ふたりに付いていかなかった、と言ったが……それは本当に、子供の立てた独立計画なんて信用できないからという理由だったのだろうか?」
今最も知りたい真実を、シュニーは迷いなく尋ねた。
ご観覧ありがとうございました!
今回の前後編でシュニーが得た情報は後ほど明かされます。
なんなのかなーと予想しながらしばしお待ちを!




