第26話 ウサギとオオカミのものがたり(後編)
「オオカミのはなし」
「ああ。あの少々毛色が違った部分だよ」
復唱する少女に、シュニーは首を縦に振る。
シュニーが納得していない、オオカミの話。
それは、先ほど読み上げた物語の中でも、良くも悪くも印象深いエピソードだった。
そのオオカミは山でも特に恐れられている存在だった。
並ぶ者なき強さを持ち、性分は狡猾にして凶暴。出会った動物の尽くを喰らう怪物。そう噂され、誰も近寄らなかった。
だがある日、そのオオカミとウサギの一匹が、突然の吹雪に見舞われ逃げ込んだ洞窟で偶然出会って一日を過ごすことになった。
最初はいつ喰われるかと怯えていたウサギは、無言ながらも自分を食べようとしないオオカミの態度を不思議に思い話しかける。
そんなウサギに驚きながらも、オオカミは自分が変わり者だったために故郷から追い出された過去と、本当は皆と仲良くしたいという想いを語りはじめた。
一夜が明けお互いの住まいへと戻った後も、二匹の関係は終わらなかった。
ウサギは皆が寝静まった夜にこっそりねぐらを抜け出して、オオカミはそんなウサギに会いにくる。
とりとめもない会話で笑いあう日々がいくらか続いたある日、ウサギはオオカミに“皆といっしょに暮らさないか”と提案した。
ウサギも最初はオオカミが狡猾な動物だと聞いて警戒していたけれど、話す内にオオカミが本当に寂しがり屋で優しくて、ウサギを害する意思は無いと信じたのだった。
オオカミは考えた末に承諾し、ウサギはその旨を群れに伝えた。
しかし、オオカミの人(?)となりを知らない他のウサギたちが信じるわけもなく、オオカミと仲良くしていたウサギは糾弾された。
それでも食い下がったウサギを見て、ついに群れのウサギたちは条件を付けて納得するに至った。
“オオカミが肉を食べないでいたのなら、仲間に受け入れてやってもいい”と。
それをウサギから躊躇いながら伝えられたオオカミは、なぜか寂しそうに笑って頷いた。
一月が経ってふらふらになったオオカミの様子を聞き、ウサギの群れはようやく彼を仲間に引き入れようと認め、歓迎会にオオカミを連れてくるよう伝える。
「健気な話じゃないか。オオカミは、そこまでしてでもウサギと仲良くなりたかったのだね」
ここまでが、子供たちによく読み聞かせられる部分だ。
『人を見かけで判断してはいけない』『別種族、他国との友好の大切さ尊さ』などを教育する材料として、この章は用いられる。
「……だが、オオカミはウサギたちの罠にかかり始末された」
子供たちに語られる事がない物語の続きは残酷だった。
空腹で弱っていたオオカミを、ウサギたちは幾重もの罠に嵌めた上で袋叩きにして殺した。
最初からオオカミを受け入れるつもりなどなかったのだ。ただ恐ろしい獣であるオオカミを始末するための方便として、オオカミと仲良くなったウサギを利用したのである。
オオカミは最後まで抵抗せず、されるがままだった。
事が済んだ後で、余計なことをしないよう閉じ込められていたウサギが力なく歩み寄り、全身を血で染めたオオカミと最期の会話を交わすところで話は終わる。
オオカミは自分と仲良くしてくれたことへの感謝だけをウサギに伝えて、己の運命を受け入れたように静かに息絶えた。
「随分と報われない話じゃないか」
『春待ちウサギの冬越え』はいくつものエピソードから構成される長編で、基本的に暖かな内容が殆どである。
だがこの話だけは不自然な程に救いが無く、後味が悪い。
何故なのか、作者は意図を語らないまま死去したため真相は闇の中だ。
後世の評論家は理由について、
『所詮は価値観の違う他者と分かり合うなんて不可能なのだという虚無主義』
『幾度となく侵略戦争を繰り返してきたにも関わらず、“冬”の被害が甚大と見るや宥和政策に転換した帝国をオオカミと見立てての皮肉』
といった推測をしている。
そんな小難しい話は聞かされた当時のシュニーにはわからなかったが、嫌な後味がとにかく気に入らなかった。
「わたしね、この話はすごくすき」
そしてどうやら、シュニーと少女の物語の好みは真逆だったらしい。
「……どうしてだい?」
「だって、オオカミはわるい動物だから。書かれてないだけで、きっといままでたくさんのうさぎを食べてきたから。うさぎと一緒にいちゃ、いけないの」
これまでになく、少女は饒舌だった。
どこか言葉に熱が籠っているとすらシュニーには感じ取れる。
ウサギに似た雰囲気だからそちらに感情移入してしまうのか、などと考えてしまう。
「……キミの感想も、きっと間違っていない。実際にオオカミはそう思っていたのだろうね」
「ん。だからオオカミは、わなだってわかってて来たの。ゆるされないって、知ってたから」
因果応報。命を以ての贖罪。
それこそがオオカミの選択だったのだと、少女は説く。
「きっと、みんながみんな、いちばんいいと思うことをしたの」
オオカミが考えた最良は、死が待っているとわかっていてもその道に進むこと。
オオカミと仲を深めたウサギが考えた最良は、種族は違うけど大事な友達と歩むこと。
群れの総意が導き出した最良は、群れの脅威となるであろう怪物を出来る限り被害を出さない方法で排除すること。
「なのにこうなったから、オオカミとウサギはいっしょにはいられない。それを教えてくれるから、この話はすき」
「……」
少女のまとめに、シュニーはしばし口をつぐむ。
それから、深呼吸を一度。
頭の中に浮かんだ内容を口にするには、少々勇気が必要だった。
「……ボクはそう思わない。オオカミもウサギも群れのウサギたちも、皆選択を誤った愚か者だよ」
それは、少女の感想に真っ向から反対する意見だからだ。
「え……」
「まずオオカミだが、どうして死だけが罪を償う手段だと考えてしまったのだね」
故郷を追い出された訳ありの身。
童話に登場するオオカミの話をしているはずなのに、シュニーの脳裏には別の物事が思い浮かんでいた。
「……だって、ウサギをたくさん食べちゃったから。そうするしかない」
「当のウサギたちがどう思っているか聞いてないじゃないか。少なくとも、この群れのウサギは犠牲になっていなかった。友達になったウサギがいたんだからそれとなく相談すればよかったものを!」
だからなのだろうか。シュニーの意見には、物語の解釈に対する議論という以上に熱が入る。
「それに群れのウサギたち! 彼らだってワケありの連中ばっかりじゃないか! 何故今更オオカミの一匹程度問題にしているのかね!」
オオカミが罪を犯したから許されないというのならば、これまでの章で活躍してきた群れのウサギたちはどうなのか。
痛快な生存劇を彩っているのは、一癖も二癖もあるウサギばかりだ。
その中には何匹もの肉食動物を闇討ちした戦闘狂だったり盗みの達人だったり、とても褒められた経歴でない者もいる。
「でも……オオカミだよ?」
「ウサギとオオカミに、どれだけの差があるのかね。言葉が通じる相手じゃないか」
ウサギとオオカミは、バルクハルツ帝国においてそれぞれ弱者と強者の象徴のように扱われている生物だ。
シュニーの生家であるルプスガナ公爵家も、オオカミと剣の紋章を掲げている。
「……そんなわけ、ない。ウサギとオオカミは、ぜんぜんちがうの」
「いいや、違わない。ウサギがオオカミのように勇猛に振舞う時だって、オオカミがウサギのように震える時だってきっとあるのだよ」
シュニーはこの地に来るまで、ずっと自分のことを選ばれし強者だと思っていた。
だがその自信の根拠であった家柄と権力はあっさり取り上げられ、抱いていた幻想は無様に打ち砕かれてしまった。
当時は受け入れられなくて、でも改めて自分を見直してやっと気付いたのだ。
人の強さと弱さ、立ち位置なんてほんの少しの機会で変わってしまうのだと。
「……だから、もしオオカミが望むなら。たとえ罪を負っていてもそれを悔いて償う覚悟があるなら、絡まった事情があったとしても生きたいと望むなら、ウサギの群れに受け入れればいい」
流罪の地、スノールト領についてシュニーはまだ多くを知らない。
「オオカミは、ウサギと一緒に生きていいんだ」
だが自分を拒絶しなかった少女と何人かの人々の為に、シュニーはそんな領主であろうと思った。
問題山積み、実現性がどれだけあるのかはまだ未知数だったけれど、領民である少女に対しての意思表示だった。
「……あ、前言撤回しよう。オオカミが望むならと言ったけど、あれは嘘だ」
「てのひらがくるくる」
しかし、シュニーは早速先程の所信表明を覆す。
「最後にオオカミと仲良くしようとしたウサギ。ボクは彼が一番失敗したと思っていてね」
「わたしと、ぎゃく……」
再び、話は童話へと。
格好が付かない自覚はあったので、シュニーは早々に話を進める。
「彼は状況に委ねるがままだった。でも……友の為に、自分の意思を好き勝手に貫くべきだったんだ」
シュニーが読むたびにもやもやしていたのは、オオカミでも群れの皆でもない。
このエピソードの主人公の片割れである、オオカミと友情を築いたウサギに対してだ。
オオカミと友人になったウサギは、終始状況に流される立場だった。
あれだけ親交を深めておきながら、具体的にやったことと言えばオオカミとウサギの群れの連絡役をする程度で、最後には友を失い己の群れに割り切れない思いを抱く最後を迎えてしまった。
「あのうさぎは、がんばったよ」
「いいや。できる事はいくらでもあったんじゃないかい?」
それらしい事を言うシュニーだが、具体的に何をすればいいのかは思いつかない。
きっとシュニーがあのウサギだったとしても、取れる手段は限られているのだろう。
「おにくがないと生きられないのに?」
「代わりになる食べ物をどうにか考えればいいじゃないか!」
自分だったらどうするかを考える。
無茶かもしれないけど、そうしたいと思った。
「群れのみんな、いやがってるよ」
「知ったことじゃないね。己の友人選びに文句なんて付けさせないとも! ほんとにオオカミが大事なら、群れを抜けて向こうに付いてやろうじゃないか」
傲慢なのだろう。
けれど、譲れない一線だった。
己の感情に口出しされてなるものかとシュニーは意地を張る。
「せっとくしてもだめで、オオカミが、さようならしようとしたら?」
「そうなったら泣いて縋りつくかもしれないね! それでも納得してくれないなら引きずってでも足止めするだろう!」
情けない答えだと自覚するが、否定できない本心だった。
お行儀よく望まない結末を迎えられるほど、シュニーは大人にはなれそうもない。
「だから、“オオカミが望むなら”じゃない。“望んでいなくても、こっちがそうしたいなら無理やり引き入れる”だ」
「……さっきから、言ってることめちゃくちゃ。じぶんかってれべる100」
「そう、これはただの自分勝手だとも」
困ったように呟く少女の声は、少し小さくなっていた。
彼女を他所に自分の考えを整理していて、シュニーは気付く。
民のための大儀とは違う場所に、己が重きを置きたい感情がある。
言われてみれば当たり前の話で、シュニーが領主としてあろうとしていたのも極めて私的な理由だ。
なのに、ここ数日のシュニーの思考はそこから離れてしまっていた。
「ボクは自分の望むがまま、好き勝手に領主をやってやるのだよ」
それを踏まえて、再び考えて。
偉くもない結論を、堂々と言ってのける。
ともすれば暴君の発言だとわかっているのに、そんな自分を否定する気になれなかった。
「……ああ、はっきり言ってしまったら納得がいったな。どちらを選ぶべきか」
「……?」
その考えに至って、今の悩みにも一つの答えが出せた。
領地の分裂を解決するか、一旦放置して別の問題に取り掛かってみるか。
感情に従うか、実利を踏まえて行動するか。
一見関係なさそうな話題で予想外に踏ん切りが付き、シュニーは思わず笑ってしまう。
「ぽんこつ」
そんなシュニーを、少女が呼ぶ。
シュニーの呼称としての“ぽんこつ”なのか今のシュニーを評しての言葉なのかはわからなかったが、どちらにせよ同じだった。
若干不満が滲んでいるような気がする声だ。
最初はさっぱりだったが、シュニーは数度の会話を経て少女の声に乗せられた感情が少しはわかるようになっていた。
「し、少々調子に乗りすぎ……」
ちょっと肝を冷やしてしまって、シュニーは控えめに少女と目を合わせる。
さすがに民を導く者として相応しくない態度だったか、呆れられてしまったかと少女の顔色を恐る恐る伺おうとして。
「にゃ、にゃにをしゅるのだね……」
しかし弁明の言葉は、シュニーの両頬ごと少女の手で潰された。
予想以上に強い力で頬を挟み込まれ、困惑しっぱなしのシュニー。
「……おばか。おばかでぽんこつ」
「むう……」
罵倒のバリエーションが増えたが、少女から負の感情は感じられなかった。
ひとまずはそれで満足しておくか、と己を納得させて、シュニーは真面目な領主として執務に戻るのだった。
「あのね」
「どうかしたかい?」
「ぽんこつがよかったらだけど……。ねこのけだまのびょーしゃについて、とうろんがしたい」
「構わないとも!」
……と思われたが、仲を深めたい相手とのお喋りチャンスを逃して机に齧りつけるほど、シュニーは立派ではなかった。
『猫は何故あの時毛玉を吐いたのか、あの描写に込められた隠喩について』の深淵な議論は、シュニーが力尽き机に突っ伏すまで続いた。
ご観覧、ありがとうございました!




