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第25話 ウサギとオオカミのものがたり(中編)

「……夜に外を出歩くのは感心しないよ」


 両手を窓枠にちょこんと乗せ部屋を覗き込む少女の姿は可愛らしかったが、そうとも言っていられない。

 雪が降りしきる暗闇の中を、無力な子供がひとり。

 今更が過ぎる気もしたが、シュニーは少女が心配になってきた。

 今まで彼女と会った時は自身も外にいたから気にならなかったが、安全な室内にいて客観視できる状態になると、途端に恐ろしい状況に思えてくる。


「わかる。じゃあ……いれてもらっても、いい?」

「もちろんだとも、それが無難……いっ、入れる!?」


 危ないから入らせて。うんわかった。

 ごく自然なやり取りに、しかしシュニーは驚愕した。

 それはもう、椅子から転げ落ちそうになるくらいに。


「……どしたの?」


 彼女からすればきっと、知り合いの家に一時避難的な感覚なのかもしれない。

 そう理解していながらも、シュニーは平静ではいられなかった。


 家に客を招く? 執務の一環ではなく、私的な客人を?

 そんなのは初めてだ。しかも領主としてではなく、人生で初だ。

 それが、まさかまさかのこの子だとは。


 間違いなく嬉しくて、同時に不安だった。

 明らかに客を呼べるような部屋ではないし、庶民に対する接待のやり方を知らない。

 これで相手がラズワルドとかだったなら「その辺に座っていたまえよ」で済ませていたところだが、シュニーの中での客人として格が違い過ぎた。

 ここで無作法を晒すことは絶対に避けたい。


「……だめだった?」

「い、いや! 今はセバスが大量に荷物を送りつけてきたせいでごちゃごちゃしていてだね! キミが来るとわかっていれば片付けたのだが!」


 汚い部屋の原因をさらっと執事に押し付け、シュニーは歓待の姿勢に。


「ともあれ、寒いだろう! 入口はここの裏に……」

「ううん」


 少女を招き入れるべく立ち上がったシュニーに、しかし彼女は首を横に振った。


「そこ、開けてくれたらだいじょうぶ」

「これは……ただの換気窓だが」

「もんだいなっしんぐ」


 少女が指さした先には、今は閉じられている木製の引き戸が。

 シュニーの頭より少し上の高さにあるそれは、人の出入りではなく空気を入れ替えるための設備である。

 子供でも入れるか怪しい大きさだし、窓から家に入るなど考えたこともなかった。

 催促してくる少女に半信半疑で応じながらも、シュニーは背伸びして窓を開き。


「ぬるっと」

「うおわぁっ!?」


 瞬間、少女の頭が、次いで上半身がにゅるりと部屋に入り込んできた。

 ぬめぬめした軟体動物カラナシか蛇を思わせる、腕の無い生物が穴をくぐるような動きであった。それにしても動きが迅速だったが。


「……あれ、もしかしてがんめんせーふ?」


 そして、残るは脚だけという部分まで体を通して、少女は困ったように首を傾げる。

 彼女が入りこんで来た換気窓の位置は高い。

 身体をすぼめて無理やりねじ込むような体勢で侵入すれば、頭から落下するのもまた必然である。


 もう腰まで室内に入ってしまっていて、重心が崩れて体が大きく傾いている。

 無表情のままわたわたと手を動かして耐えようとしているが、もう数秒ともたないのは明らかだ。


「そんな規則があっても痛いのは痛いだろう!?」


 反射的に、シュニーは少女が落下するだろう場所で構える。

 受け止められそうな位置関係でよかった。

 こればかりは狭い部屋とこの世を作りたもうた聖神様に感謝するしかない。


「のわぁっ!?」


 そして足元の紙に足を滑らせた。

 運動神経が悪い上片付けを怠った報いである。

 感謝の一瞬後に今度は自分を呪う羽目になるシュニー。


「むぎゅう」

「ぐえぇー!」


 ただまあ、恰好が付かないなりに成果は出せた。

 断末魔の如き情けない悲鳴を上げながらも、シュニーは無事クッションの役割を果たすことに成功する。


「……ごめん。おもくなかった?」

「こ、この程度領主ならばなんともないとも」


 女性は体重を気にするものだと、母を煽りすぎて夕食抜きになった弟からシュニーは学んでいる。

 なので、シュニーの地位と肉体強度と少女の体重の因果関係は謎だったが、どうにか気遣いの言葉を絞り出した。


 本当なら物語の王子様がするようにスマートに抱き留められればよかったのだが、世の中はなんともままならない。

 現在のシュニーの悩みと同じように。



「……大したものはないが、ゆっくりしていってくれたまえ」

「おきづかいなく。ところでケーキはあるかしら。いちごのやつ」

「早速気遣いが求められている!」

「じょーだん」


 何をしていいのかわからないシュニーは、時折とりとめもない会話を挟みながら執務を再開していた。


 客人を放置して仕事に戻るのは無作法だと思っていたが、これはシュニーの逃げである。

 元々、客人云々というのはシュニーが気にしているだけで、少女の側はそうとは思っていない様子だった。

 さらに、真剣に仕事をする姿を見せれば、見直してもらうのに繋がるのではないかと。

 当初の客人に対する作法云々からは離れていたが、とりあえずシュニーはこのように己を納得させた。

 早い話、狭い室内で二人きりという状況にシュニーはヘタレたのだ。


「……もし眠いのだったらベッドを使ってくれて構わないよ」


 ただそれでも少女をただ座らせているだけという罪悪感は拭いきれず、シュニーは提案する。


「わたし、よるがた。いちにちじゅうおきてられる」

「そうかね……」


 睡眠という最高の娯楽もダメらしい。

 へぇ彼女は夜型なんだーという情報は得られたが。


「くっ……キミを楽しませられるものはこの部屋には無い……!」


 白旗であった。

 今のシュニーに差し出せる手札は寝床の使用権だけだった。あまりに情けない。

 苦渋の表情で、シュニーは己の無力を客人へと宣告する。


「じゃあ、そこのご本さわってもいい?」

「ん、ああ。構わないよ」


 対する少女の質問に、シュニーは虚を衝かれた。

 確かに読書は暇を紛らわせるにはぴったりだ。

 娯楽小説の類はここにはなく、執務や勉強の道具としか思っていなかったせいですっかり意識から抜けていたが言われてみれば、である。


「それじゃ、おとなりしつれい」


 とてとてと少女が隣に近寄ってくる。

 不意打ちに近くなった距離でシュニーは硬直した。何故、という疑問の声すら出なかった。


「あ、ああ! 灯りから遠いからね!」

「……ん」


 ボクの隣に居たかったから? などという都合の良すぎる予想は、シュニーの中で即座に却下された。

 ちょっと考えればわかる話だ。

 この部屋の灯りは執務机にある魔力灯だけ。

 必然的に、シュニーの近くでないと本は読みづらい。


「……う」

 

 それからは、案の状というべきか。

 シュニーは執務に集中できる状態ではなくなっていた。


 いつもの無表情ながらしげしげと興味深そうな所作でページを捲っている少女の顔に、視線が吸い込まれる。

 これまで毎回、少女と話す時は会話内容に集中するか、動揺しすぎて平静ではいられなかった。

 今も平静とは言い難いかもしれないが、少なくとも動揺に思考をかき乱されたりはしていない。

 だからこうして彼女の姿を見ることだけに意識を向けられたのは、今回が初めてだったかもしれない。


 眠たそうに少し落ちている瞼で僅かに隠れた、丸々とした赤の瞳。

 雪景色に埋もれてしまいそうな白い肌に、愛らしく整った顔立ち。

 銀色の長髪は、灯りを反射して輝いているようにも見える。

 髪型こそ何も整えていないぼさぼさの状態で衣服も粗末なぼろ布だったが、己の見目に無頓着ゆえだろうそれが逆に愛嬌を引き出している。


 可憐ではあるが、大衆から見れば特別扱いする程の理由はないだろう村娘だ。

 物語の英雄でも姫君でも悪の魔王でも、王族でも貴族でもない。

 自分を救ってくれたのは、そんなただの女の子だった。


「ねー」

「なっ……、なんだね?」


 見惚れていた、のだろう。

 振り向いた少女の声にシュニーが反応するのは一歩遅れた。


「好きなの?」

「はうわぁ!?」


 そしていきなり爆弾を投下された。


「さっきからずっと、こっち見てるから」

「なっ、いきなりそのような……はしたないじゃないか! 確かにキミには世話になっているし助かってもいるから好きか嫌いかで言われたら……その、だね……」


 動揺でしどろもどろになるシュニーに、少女が首を傾げる。


「この本」

「えっ……あっ……ああ……」


 とんだ勘違いだった。

 心からの安堵に、シュニーは間の抜けた声で応える。

 動悸が早くなりすぎて、自分が破裂するのではないかと少々怖かった。


「そっか。どんな内容なの?」

「……キミ、もしかして文字が?」

「しつもんにしつもんでかえしちゃだめ。まなーけんていごきゅう」

「む……これは失礼」


 シュニーの質問に、少女はやれやれと肩をすくめていた。

 先程から熱心に捲っていたのにわざわざ内容を聞いてくるあたり、半ば答えのようなものだ。

 決しておかしな話ではないものの、シュニーにとっては少々意外だった。

 どこか不思議な雰囲気のある彼女は、文字くらい読めるものかと思っていたのだ。


「ん? あぁ……しまったな、持ち帰っていたのか」


 少女が読んでいた本の表紙を見て、シュニーは気付く。

 表紙に絵が付いた、少々ぼろぼろになっている一冊。

 それは執務や勉学で使う小難しい本ではなかった。


「“春待ちウサギの冬越え”。この国では有名な童話だが……聞いたことはないかい?」


 フィンブルの町で子供たちに文字を教えた時の教科書に使った、物語の本である。

 ふるふると首を横に振る少女に、シュニーは了知したと頷く。


「これはね、題名の通りウサギたちが冬を越すために奮闘する物語なのだよ」


 少女から本を受け取り、改めて表紙を見せる。

 何匹ものウサギと、その周囲に集まっている動物たち。

 シュニーが幼い頃より何度も読み聞かされてきた、帝国では有名な童話だ。

 その大まかな流れを諳んじるのは簡単だった。


「ある山に、ウサギの群れがいてだね……」


 様々な動物が暮らす、小さな山。

 厳しい冬を迎えようとしているその山で、ウサギたちは肩身が狭い立場だった。

 肉が美味しかったので山を縄張りにしている肉食動物たちから狙われ、同じ草食動物の仲間たちからもいっしょにいると自分たちも危ないからと疎まれてしまっている。

 こうして仲間からは見捨てられ敵からしつこく追われるウサギたちは、やがて皆で協力して冬を乗り越えようと一致団結し始める。


 力が弱い彼らは知恵を凝らして問題に立ち向かっていった。

 ある時には策で他の山から来た敵を追い払い、またある時には道具を使って食べ物や住処を得る。


 他の草食動物たちもいつしかウサギに手を貸しはじめ、ついには一匹の肉食動物までもが共に行きたいと願い出る。

 そしてウサギたちはいくつもの苦難を耐え抜いて、待ち望んでいた春に辿り着く。


「と、まあこんな話だよ。いかがかな」


 全てを語り終わるには、少々時間がかかった。

 子供向けの読み聞かせとして場面場面が抜粋される場合が多いものの、全編合わせれば結構な長編である。


「……」

「……あまり芳しくない反応だね。もしやあまり好みではなかったかな?」


 感想を尋ねられても無反応な少女に、シュニーは恐る恐る聞き直す。


「ううん、いいかんじだった。はなしあいしてる時にねこがいきなり毛玉はきだすとこがすき」

「随分と通好みだね……」


 若干独特な感性を持っている気はしたが、どうやら好評なようだった。

 ではどうしてなにやら微妙な反応だったのか、首を傾げるシュニーであったが。


「でも……きみは、やっぱり嫌いなの?」

「え……」


 その疑問は、少女からの質問で吹き飛んでしまった。

 唖然と驚きの声を漏らすことしかできない。


「……どうしてわかったんだい?」


 この作品に抱いていた己の想いを、言い当てられてしまったからだ。


「なんか……ちょっとふまんげだった。最後の方だけ」

「む……できる限り私情は入れないつもりだったのだが。キミはよく気付くね」


 少女の声色からは、興味が向けられているのが読み取れた。

 理由を知りたがっているのだろう。

 好きと言っていた相手に作品の不満点を語るのは、ヘタをすれば喧嘩になってしまいそうで怖かったが。


「……オオカミの話がね、納得できていないのだよ」


 結局、シュニーはそれを話すことにした。

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