カメレオンになった人間の声明
私はカメレオンになりました。なぜ私がカメレオンになったかと言いますと、社会からの要請によってです。決して自ら進んでカメレオンになろうとしたわけではありません。誤解のなきようどうかお願いしたい。カメレオンになる以前、私は人間でした。私は人間であるとこを望んでいたのです。しかし私はカメレオンになりました。これは社会からの要請によってです。社会は私にカメレオンになることを求めました。私が暮らす社会では人間の脳の負担を減らすために物事を簡単にスピーディーに効率的にすることに取り組んでいました。そしてその努力の末、目標は達成されつつありました。なるほど簡単でスピーディーで効率的な物事はストレスの少ない生活を実現し、人間はより幸福で豊かになっていくはずでした。今ここで私が“なっていくはず”と述べたことについてどうか聞いて頂きたい。なぜそのように述べたのかについてどうか耳を傾けて頂きたい。物事を簡単にスピーディーに効率的にするということに価値をおいた人間はついにそれを自分たち人間自体にも適用し始めたのです。彼らは出会う人間すべてをパターンにはめることでキャラクタライズしていきました。人間についても簡単にすることが求められたのです。何ということでしょう。人間はそこまで簡単な生き物なのでしょうか。ある初見の人間がいたとき外見的要因、行動、仕草など自分の目に見える情報からパターンを生成し、キャラクタライズする、つまりそれは考えなければならないというストレスを激減させました。彼らによって私はさまざまなキャラクターになることを期待されました。
ある人にとっては弱く幼い子供キャラ、ある人にとっては強く立派な大人キャラ、ある人にとってはおっとりゆっくりキャラ、ある人にとってはしっかりテキパキキャラ、ある人にとっては繊細で物静かキャラ、ある人にとっては大胆で朗らかキャラ、ある人にとっては慌てんぼうキャラ、ある人にとっては冷静沈着キャラ、ある人にとっては…
生き残りたかったのでしょう。私にはその期待を裏切ることができませんでした。こういうキャラであると決められた人物像に、彼らの望む姿に擬態していました。つまりそれが、私が初めてカメレオンであると自覚した瞬間でありました。
私であるということはすなわち複雑であるということを意味する、つまり私の住む社会では死を意味します。私には私固有の喜怒哀楽、考え、秘めた思い、信念、さらには言葉にはならずとも脳みそで渦巻く思考、まるで宇宙のように奥深く広がっています。しかし複雑な物事というものは私の暮らす社会からは消滅しました。社会は簡単であることスピーディーであること効率的であることこれらに最も価値があると結論し、ストレスとなる要因を徹底的に排除したのです。
今一度問いたい。人間はそこまで簡単な生き物なのでしょうか。自分自身でキャラクタライズして接する相手は、相手だと思っている自分自身の幻想に他なりません。目の前の相手を白紙に描き出すように、丁寧にその輪郭をなぞり相手を知ろうとする、その努力なくしては人間同士の本当の触れ合いは生まれないのだと私は信じています。
そして私はカメレオンになりました。
これは社会からの要請によってです。
昔書いたものでボツにしたやつなのですが読み返したらちょっとおもしろかったので採用…笑