皇帝不在のローマ 第7話
鶏のけったいな鳴き声がどこか遠くの方から聞こえてくる。その鳴き声に呼ばれたように地平線から太陽が顔を出す。
一晩中寒さと闘いながらパウルス君が呼びにくるのを待っていたが、とうとう呼ばれないまま朝を迎えてしまった。
屋敷の玄関口が開く。
「ついにきたか」
パウルス君が出てくることを期待したが、出てきたのはウァレリウスだった。奴は数人の使用人と一緒に馬車に乗り込むと、走り去って行った。
「おや?想像してた展開と違うな」
読みが外れたか……ウァレリウスは私が計画書を探していることは気づいているはず。それでも安否を確認しなかったのは、隠し場所によほど自信があるか、私の思惑がバレたか。いずれにせよ、ウァレリウスに自分から計画書の位置を教えさせるよう仕向けるのは効果的じゃないようだ。別の手を考えなければ。
茂みの中で次の一手を考えていると、また屋敷の玄関が開く。中から出てきたのはパウルス君だった。
パウルス君は私を探しているのか、屋敷の前でキョロキョロしている。
「あ。おーい!パウルス君、ここだよ」
私に気づいたパウルス君は駆け寄ってきた。一晩中起きていたらしく、目の下にはくまができている。
「おはようございますブッルスさん」
「おはようパウルス君。昨日はどうだった?」
「主人はあの部屋に近づこうともしませんでした」
「そうかぁ」
「はい」
やはりそう簡単にはいかないか。
「他に特に変わったこととかなかったかな?」
「変わったことですか……そういえば主人は今日、鍵を持って出かけられました。普段はそんなことないんですけどね」
「鍵を?どこの鍵?」
「えっと……主人の寝室の鍵と、物置部屋の鍵ですね」
やっぱり物置部屋だ。ウァレリウスはあの場所に人を入れるのをあからさまに嫌がっている。間違いない。計画書はあの部屋にあるはずだ。
やっぱりもう1回あの部屋を調べてるか。
「もう1回あの部屋を調べたい。手伝ってくれる?」
「手伝うのは構いませんけど、鍵がありませんよ」
「大丈夫。カギなんて無くても開けられるから」
昨日のうちに鍵の形はよく見ておいた。構造は単純だったから形さえ覚えてしまえば簡単に開けられる。
私たちは早速屋敷へ向った。
玄関を開けようとドアにてをかけると、パウルス君はそれを手で制してきた。
「どした?」
「今日は僕以外の使用人にも極力見られないようにしてください。2日連続で主人のいない時間に訪ねてきたら、さすがに怪しまれるので」
「ほかの人たちは協力してくれないの?」
「はい……みんなは主人を恐れて意気消沈してます。最近は互いに粗探ししては主人に報告してるほどです。協力は期待できません」
「たしか奥さんもいるって聞いたけど、そっちも協力はしてくれないかな?」
「奥様は1週間前から実家に帰られています。お父様がご病気で、もう長くないそうです」
「そうか……」
少し重い空気になったところでパウルス君は玄関をあけ、中の様子を確認した。
「大丈夫です。誰も居ません」
一応中の様子を見てから中に入る。そしてまっすぐ物置部屋へ向かう。
当然カギがかかっていた。
私はベルトに吊り下げた小さなバッグから鉄の棒を取り出して鍵穴に差し込む。
…………開いた。
最初は苦手だったのに、慣れというのは恐ろしい。
いつの間にかパウルス君がロウソクを持ってきてくれていた。それを受け取って私は中に入った。
昨日は部屋の右半分を探した。今日は左半分だ。
こっちのほうが大きい物が積み重ねて置いてある。昨日より大変そうだ。だから後回しにしたんだけど……
しかし要領はつかんだ。昨日より効率よく動けていたのでそこまで時間をかけずに4分の1を探し終えた。
ただ肝心の物が見つからない。
さらに残りの4分の1も探す。だがどこにも、なんにも、ちょっとした手掛かりすらない。
心が折れそう。
とうとう部屋の隅まで来てしまった。この木箱の中にもなかったら、捜査はふりだし。それだけは避けたい。
「たのむ!」
祈るようにして、というか祈りながら木箱を探る。だが……
「ない……」
うそだろう。ここにあると確信していたのに。
今までの苦労は無駄だったと思うとさすがにガッカリだ。大きくため息をついて下を向く。
ん?ここの床、よく見たら切れ目が入っている。普通こんな直線的ににヒビが入ることはない。間違いなく人工的なものだ。もしかして隠し扉になっているのでは?
木箱をどかして、床の切れ目に爪を立ててみると、床の1部が動いた。この1部だけが他の部分から独立して蓋のような役割を果たしているようだ。
そに床を持ち上げてみると、意外にも簡単に取れた。床の下には広い空間があった。地下室だ。
ウァレリウスが隠しているのはここか?
ご丁寧にハシゴがかけてあるので降りてみる。幸い上とは違って物は非常に少ない。あるのは何の宗教のものかわからない祭壇、それと大きな木のタルが1つ。
興味を惹かれるのはタルの方だ。中を開けてみる。
これは……土?中にはなぜか土が詰められている。
たぶん計画書はないだろうが、無視する気にはなれない。土の中に手を入れてみる。
なにかが手に当たった。
周りの土を掘り返す。
「……っ!?」
出てきたのは手だった。人の手だ。もう半分骨になり始めている。
心臓が一瞬止まったかと思ったら、今度は馬の駆け足に似たリズムをきざみ始めた。
気味が悪い……が、さらに土を掘り進める。
全身が出てきた。もう骨と皮だけになった全身の遺体だ。死後1,2週間くらいだろうか。
やはり気になるのは、これが誰だったのかということだ。しかしそれを調べるのはあとにしよう。まずは計画書を見つけないと。
次は祭壇の方を調べようとした時、上の方からドタドタと足音が響いてくる。
「おい!そこにいるのは誰だ!何をしている!」
まずい、ウァレリウスだ。今日は帰りが早いな。
私はゆっくりと地下室の入り口の方を見る。入り口からはウァレリウスがこちらを睨んでいた。その目からは一切の光が感じられない。
「誰かと思えばブッルスさんじゃありませんか。ローマの街を守るプラエトリアニの長官が不法侵入ですか?それともクビになって盗人にでもなったんですか?なんとか言ったらどうです?」
「いや~どうもウァレリウスさん。あなたの方は罪を裁く法務官でありながら殺人ですか?お互い順調に犯罪者としての一歩を踏み出せたようですね」
「ククク、っははは!犯罪者?私がですか?その死体はね、私の妻のものなんですよ」
なんだって?パウルス君から聞いた話だと奥さんは実家に帰ったはずだ。
もう一度、掘り返した遺体と目を合わせる。白骨化一歩手前で顔からは性別すら判別できない。
「見ただけじゃわからないですね。でもそれが何だっていうんです?」
「法律は学んでおくべきですよブッルスさん。家長は家族を殺すことが法律で認められている。この家の家長は私ですから、私が家族を殺したところで罪には問えない。常識ですよ」
「私もその程度は知っていますよ。でもそれならなぜ殺したことを隠すんですか?実家に帰ったなんて嘘までついて」
ウァレリウスから勝ち誇った笑顔がきえた。
「いくら法律で認められているとはいえ、家族を殺せば評判は失墜。影響力は半減します。あなたはそれを恐れているんでしょう?」
「……でも犯罪は犯してない。あなたと違ってな」
「確かに奥さんを殺しても、あなたは罪に問われません。しかしこの遺体は本当に奥さんなんですか?ここまで遺体の劣化が激しいと判断できませんね」
「……それが?」
「遺体が家族のものだと証明できなければ、法律も守ってはくれませんよ。この遺体が家族以外の物である可能性がありますからね」
「……案外頭が回るじゃないですか、あなたはもっとバカだと思ってましたよ」
ウァレリウスの口調から余裕が消えて、本性が出始めた。
「このままでは間違いなく、あなたは裁かれるでしょう。しかし……大変不本意ではありますが、私がこの事実を見なかったことにすることもできます。条件付きで」
「条件だと?」
「あなたが加担している暗殺計画のことをすべて話すという条件です」
「…………」
「もちろんあなたの身は保証しますよ」
「せっかくですが遠慮します。条件なしで、このことを黙っていてもらう方法を思いついたんですよ」
ウァレリウスはまた勝ち誇った笑顔と余裕そうな口調に戻ると、ハシゴを半分まで降りたところで飛び降た。私の目の前に着地し、手にはナイフが握られている。
「知ってますよブッルスさん。あなた右腕が動かないらしいですね。戦えば勝ち目はないですよ?ですが不本意ながら見逃してあげることもできますよ。条件付きで。そうですね~、左腕を切り落とせば見逃してあげますよ。どうですか?」
「遠慮します。片腕でも勝てますから」
「残念です。なら死ね」
ウァレリウスの長い腕がナイフを携えて伸びてきた。その突きを横に避け、ウァレリウスの懐に入る。そして狙うのは首。
ウァレリウスの首めがけ、左手を突き立てた。
”ブチッ”という音がした。
ウァレリウスは吐きそうになりながら咳き込み、その場にうずくまった。ナイフをその場に捨てると、両手でいたわるように首を押さえる。
私は放棄されたナイフを部屋の隅に蹴り飛ばしてからウァレリウスを拘束し、耳元でささやく。
「ウァレリウスさん。暗殺計画のこと、話してくれますよね」
ウァレリウスは声も出さず、ただうなずいた。
ローマの家族制度どうなってんねん




