皇帝不在のローマ 第1話
この物語はネロがゲルマニアに行っている間の物語を、ブッルスの視点でえがいていくスピンオフ作品です
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私は陛下がメディオラヌムに向けて出発したのを見届けた後、朝食を取るため食堂に向かった。しかしながら食堂に向かう途中、運が悪い事にセネカさんに見つかってしまった。案の定「話があるから部屋に来てくれ」と言われ、私の朝食はお預けになってしまった。
「食事時だというのに悪いねブッルス。早めに話しておきたいと思っていたのだが、なかなか時間が取れなくてね」
「構いません。食事はあとで取りますから。それでお話というのは?」
「ルキウスが不在の間にいくつか問題を解決したいと思ってね」
「ルキウス?ああ、陛下のことですね」
セネカさんはネロ様の事を、いまだに旧名ルキウスの名前で呼ぶ。私より何年も前からネロ様と関わっているので、その頃の呼び方がいまだに抜けないようだ。
「皇帝が代替わりした直後は兎角面倒ごとが多いもんでね、今回も例外じゃない。これを見てくれ」
「こいつは財政記録ですか?」
セネカさんの見せてくれたパピルスには、1年ごとのローマの歳出と歳入、それと国庫にどれだけの金が入っているかが書かれていた。しかしこの記録が正しいのであれば、14年前にローマの国庫は1度空っぽになっているようだ。
「あの……財政破綻してる年があるように見えるんですけど……見間違いかな?」
「見間違いじゃないとも。3代皇帝カリグラの浪費で国庫が底をついたらしい。それを立て直したのが先代のクラウディウス様だ。だがまだ完全に立て直したと言うには不十分だ」
確かに持ち直したとは言っても、初代皇帝のアウグストゥスや2代目皇帝ティベリウスの頃に比べると、国庫の中身は寂しいものになっているようだ。それでも額がある。
「確かに最盛期と比べれば大きく見劣りしまね……ですが財政収支は黒字ですから、放っておいても心配ないのでは?」
「いや、災害が起こればすぐに赤字になる。再建のための支出もかさめば、カリグラ帝の時代に逆戻りになってしまうよ」
「なるほど。そこまで頭が回りませんでした」
「だからどうにか金を増やせないものか、この1週間考えてみた。それで金の貸し付けを思いついた」
軍事教育だけを受けてきた私は、セネカさんの案がどれほど画期的で効果的なのかわからなかった。尋ねてみようとも思わない。どうせ私には理解できないのだから。
しかしセネカさんは私の同意なしで物事を決定しない。理解できなかったとしても、一応説明をしてから意見を求める。
「それで、金を貸し付ける相手なんだけどね、私はブリタニアの豪族たちが良いと思ってる。あの土地はまだまだ発展の余地がある。金を貸してやれば、豪族たちはその金で土地開発を進めるはずだよ」
「ほう。それは良いですね」
「土地開発がうまくいけばブリタニアからの税収も上がるし、利息からも利益が出るから一石二鳥だよブッルス」
「良い考えだと思います」
仕組みはよくわからないけど、セネカさんが言うんだから良い考えに違いない。
「じゃあ君も同意ってことで良いね?」
「ええ」
「よし、では早速ブリタニアに手紙を送ろう」
セネカさんは召使いを呼び、代筆を依頼した。セネカさんは忙しい時でもご自分で筆を取る人だと思っていたが、何か特別な理由があるんだろうか?
「代筆なんて珍しいですね。手を怪我したとか?」
「いやいや、そうじゃない。実は君と2人きりで話したいことがあるんだよ。ロマンチックな話じゃないから期待しないでくれよ」
部屋の外を見て、近くに誰もいない事を確認すると、セネカさんはいつもよりさらに小声で話した。
「実はルキウスの戴冠式の翌日からアグリッピナの動きが不穏でね、有力な政治家数人と接触しているらしい。それも秘密裏に」
「アグリッピナ様が?しかしそれが何か問題でも?ネロ様の支持者を増やすために有力政治家に取り入るのは、皇帝の母として当然のことのように思えますが」
「だったら隠れて接触する必要がどこにある?それに接触している人物は、我々の政敵ばかりだ。なにか企んでいてもおかしくない」
私個人としては、アグリッピナ様には好印象を持っているのだが、セネカさんはアグリッピナ様のことを心底疑っているらしく、私にこんな依頼までしてきた。
「ブッルス、君にアグリッピナの身辺調査を頼めないか?君は私より信頼されている」
「正気ですか!?考えすぎですって」
「考えすぎなら、それに越したことはない。だが何か起こってからじゃ遅いんだ」
「嫌ですよ」
「頼むよ!」
「いーやーでーす!」
「たーのーむーよ!」
結局私が折れた。そのまま話は自然と終わりの方向へ向かった。私は気の進まない身辺調査の任務を押し付けられてセネカさんの部屋を出た。アグリッピナ様が後ろめたい事をしてらっしゃるとは考えにくいのだが、任務は任務だ。やるだけやってみよう。
だがその前に栄養補給が必要だ。私は朝の冷たい空気に身震いして食堂へと向かった。




