神々の負の遺産
俺たちは今、ジジイ……じゃなくて俺たちを助けてくれたご老人の家にいる。老人はハデスの手当てを済ませると「栄養価の高いものを持ってくる」と言って出ていった。
しかし森の中の集落の家って言うから、なんというか……よく言えば昔ながらの質素な、悪く言えば粗末な家だと思ってた。
でも実際はローマの建築様式に似た石造の家で、中庭までついてる。
ローマ貴族の別荘と変わらない良い家だ。
居心地も悪くない。
ハデスは重症ではあるが元気だ。今はベッドの上で寝かせてもらってる。
動くと痛そうに顔を歪めるが、ご老人に消毒と止血をしてもらってからは顔色も良くなって笑顔も戻った。でもまだ動けるような状態じゃない。
俺は足を挫いただけで比較的軽傷だ。
もう少し足の痛みが取れたら、俺1人でも兵士の捜索に行こう。
森の中で1人の遺体を見つけたけど、あと数人は生きてるかもしれない。
でもその前に少しハデスの様子でも見ていこう。
ハデスが寝ている部屋をのぞく。どうやら起きてるみたいだ。
俺が部屋に入ると、ハデスは気がついて、ベットから降りてトコトコ近寄ってきた。
「おはようネロ。怪我はもう大丈夫?」
「そりゃ俺のセリフだ。具合はもういいのか?」
「見ての通り万全……とまでは言えないけど、普通に動く分には問題ないよ」
俺はハデスの脇腹に目を向ける。
服の上からだから、傷の具合はよくわからない。だけどもう血は出てないみたいだ。
でもこれくらい動けるなら、一緒に探しに行っても問題ないかな?
ぴょんぴょん跳ねて、元気をアピールしてくるハデスを見てそう思った。
「それだけ元気なら、お前にも兵士を探すの手伝ってもらおうかな」
「兵士を探すって……また森に入るの?」
「そうだな。死体を見つけたのも森の中だ。最低でも手がかりくらいは見つかるんじゃないか?」
「やめといた方がいいと思うよ。だってミノタウロスも逃げただけで生きてるんでしょ?危ないよ」
それは確かにそうなんだが、放っておくわけにもいかないだろう。
見つかった死体は1人分。ハデスが言うにはすでに47人死んでる。カトゥス将軍は何人をゲルマン人追討に向かわせたかは言ってなかったけど、端数ってことはあり得ないと思う。
だから少なくともあと2人は生きている。
「危ないのはわかってる。だからお前にも来てほしいんだけど」
「あんまり頼りにしないでよ。さっきだって君を守れなかった……」
そう言ってハデスは視線を逸らした。
顔は笑顔のままだけど、どことなく目が笑ってないように感じる。
自分のせいで俺が死にそうになったと思ってるらしい。
「そんなに落ち込むなよ。あれはお前のせいじゃねぇよ。そもそも怪我したのだって俺を庇ったからじゃねぇか」
「落ち込んでないよ。慰めてもらっておいて悪いけど、別に君が死んだからって悲しくないから」
「なんだよ急に。森の中じゃ『君に死なれちゃ困るんだよ』って言ってなかったか?」
「まあ君にやってもらいたい事があるのは事実だけど、悲しくはないから」
「なんだよそれ」
ハデスがどれだけ気に触る事を言ったとしても、見た目と声のせいで、何を言っても子供が強がっているようにしか聞こえない。
それよりも俺にはもっと気になることがあった。
『俺にやってもらいたい事』その内容だ。やってもらいたい事があるということは森の中でも聞いたが、直後に死体を見つけて内容までは聞けなかった。
「なあ、その俺にやってもらいたい事ってなんなんだ?」
「あれ?まだ言ってなかったっけ?」
「聞いてねぇな」
「殺してほしい人が10人ほどいるんだけど、殺してもらえるかな?」
「ふぁ!?」
前言撤回だ。流石に今回は見た目と声ではどうにもできない事を言い出した。
どうしちまったんだ急に。
昨日までのフレンドリーな軽口の神はどこへ?
しかも淡々とそれを言うところがまた怖い。
「お、おいハデス。お前頭でも打ったんじゃないか?そうか!ミノタウロスにやられた時に頭を打ってたんだな。お前やっぱり寝てろ!」
「ちょっと待ってよネロ、私は頭なんか打ってないよ」
「頭打った奴はみんなそう言うんだよ」
「打ってないって!話を聞いてよ。殺して欲しいのは『神々の負の遺産』って奴ら」
「神々の負の遺産?」
どこかで聞いた事がある名前だ。
あれは確か……思い出した!野営地でハデスが言っていた。
なんの話をしてた時かは思い出せないけど、確かに言ってた。
「その神々の負の遺産って何者なんだ?そもそも人なのか?」
「元々は錬金術で、君と同じ人間だよ」
「なんでそいつらを殺そうとしてんだ?」
「それを詳しく話す気はないよ。説明しても理解してもらえない思うから」
「理由も教えてくれないのか!?」
「もし嫌だったら無理にとは言わないよ。でも、いい返事を期待してる」
そんなふうに言われると弱いな。
ハデスには生き返らせてもらった借りがある。それを借りのままにしておくの、あんまり気持ちのいいものじゃない。
「わかったよ。やるよ」
「ほんと?」
「あぁ。だけどまずは兵士を探しに行く。いいな?」
俺がそう言った時、家の扉が開いて老人が帰ってきた。
肩には鹿を担いでいる。今仕留めたばかりだろうか、首から矢をつたって血が流れている。
栄養価の高い物ってこれ?
確かに栄養価はあるけど怪我人に食べさせるんだったら普通果物とかじゃないか?鹿って……
「なんだお前ら、もう元気なのか?若いってのはいいな」
老人は鹿を床に置く。
腰につけたホルダーからナイフを取り出し、慣れた手つきで鹿の皮を剥ぐ。
「なあジジイ……じゃねぇや。ご老人、見ての通り俺たちはもう大丈夫だ。実は俺たち、人を探してるんだ。せっかく鹿を獲ってきてもらって悪いんだが、すぐにここを出る」
「ほう、探してるのは兵士か?」
「え?あ、あぁ……なんでそれを?」
「ただの推測だ。実はお前ら以外にもローマ人を助けた。お前よりも礼儀正しい奴を。そいつらが言うには自分たちは兵士で、仲間が野営地で待っているから帰りたいと。そこにお前が来た。野営地から探しに来た仲間だと思うのが普通だろ?」
「その兵士たちはどこに?」
「お前らよりも酷い怪我だ。ワシじゃ手に負えない。集落でただ1人の医者に診てもらってる」
兵士が生きていると聞いてホッとした。
体が少し軽くなった気がする。
自分でも気づかなかったが、ずっと肩に力が入ってたみたいだ。
「その兵士たちがいるところに案内してくれないか?」
「今日はダメだ」
「なぜだ?」
「族長がお前に会いたがってる。お前には今すぐに族長の家に向かってもらう」
「今すぐ?」
「族長は今日会いたいと言ってた。ワシが思うに、族長は待たされるのは嫌いな人だ。できるだけ早く行ったほうがいい」
兵士がこの集落で保護されてるなら、わざわざ探しに行く必要もなくなった。
今からその族長とやらに会いに行っても問題はない。
「わかった。今すぐ行く。族長の家まで案内してくれ」
「待って、私も行くよ」
ハデスが立ちあがろうとするのを老人は手で制した。
「呼ばれてるのはこっちのローマ人だけだ。お前はここで安静にしてろ」
「悪いなハデス。ギリシャ人は大人しく待っててくれ」
俺がそう言うとハデスは少し不満げな表情をしながらも、ベッドに戻って行った。
さて、気を取り直して族長とやらの顔を拝みに行こうじゃないか。




