初戦
森の奥から現れたのは、体は人間、頭は牛の怪物だった。
神話で聞いたことがあるからすぐにわかった。
ミノタウロスだ。
「ミノタウロス?ハデス、お前の仲間か?」
「違う!こいつは敵だ!逃げてネロ!」
ミノタウロスは人間の倍はありそうな巨大な身体で俺たちを見下すと、その巨体に見合う大きな斧を構え、俺に向かって振り下ろす。
「うぉお!」
ギリギリのところで俺は攻撃を避ける。
地面がえぐれるほどの威力だった。
これに当たったら間違いなく死ぬ!
「離れて!」
ハデスがそう言ったのが聞こえ、俺は前転で距離をとった。
その時、ハデスの手元がパッと明るくなった。
手から火の玉のようなものを出し、ミノタウロスに向かって発射する。
顔面に命中。
弾は勢いよくはじけて、ミノタウロスの頭部を炎が包む。
少し怯むが、すぐに体勢を立て直して突進してくる。
その速度は尋常じゃなく、気がついた時には、ミノタウロスの斧が眼前にあった。
マズい!避けられない!
そう思った時、ハデスに突き飛ばされて、俺は地面に倒れ込んだ。
その直後
「ぐぁぁああ!」
「ハデス!大丈夫か!?」
ハデスの悲鳴が聞こえ、俺が顔を上げると、ミノタウロスの斧が脇腹に食い込んでいるのが見えた。
傷口から斧を伝って大量の血が流れ出ている。
「お前……大丈夫なのか!?」
「だ、大丈夫。それより早くこいつを殺って……」
「俺が!?ムリだ!」
「私が時間を稼ぐから、その隙に……頼んだよ」
そう言ってハデスは、さっきの火炎弾を、またミノタウロスに喰らわせた。
だが今度はさっきよりも威力が高く、しかも近距離だ。
ミノタウロスは無傷では済まず、左腕が吹き飛び、仰向けに倒れた。
その衝撃で建物が崩れた時のような地響きがして、同時にハデスもその場に崩れ落ちた。
「ハデス!おいハデス!大丈夫か?」
呼びかけてもハデスは反応しない。
それなのにミノタウロスは早くも動き出した。
「クソっ!死ねバケモノが!」
俺は倒れているミノタウロスの腹に飛び乗って剣を突き立てる。
噴水のように血が吹き出して、俺の視界は赤一色。
ミノタウロスは苦しそうな声をあげ、右腕をジタバタさせる。
それでも何度も、何度も剣を突き立てる。
だがそれでもミノタウロスは死なない。
それどころかさっきよりも激しく暴れるようになり、俺は腹の上から振り落とされ、地面に叩きつけられた。
ミノタウロスはすかさず立ち上がって、倒れている俺を踏み潰そうとしてくる。
大きな足が視界を覆う。
俺は地面を転げ回ってその攻撃を避け、立ち上がって剣を構える。
だが暴れ回るミノタウロスにとって、俺の剣なんて細い木の枝と同じだった。
一度ミノタウロスの攻撃を剣で受けると、たちまち折れてしまった。
「えぇ!嘘だろ」
攻撃手段を無くした俺はとにかく逃げ回る。
でも正直体力はもう限界。
息は絶え絶え、足も腕も悲鳴をあげている。
ついに、倒木に足を引っ掛けて転んでしまった。
その瞬間に視界が一瞬ぼやけて、意識が遠のいていく。
いや、今気を失ったら死ぬ!
俺は深く息を吸う。
そうすると、視界は元に戻って意識もハッキリした。
だが戻った視界で最初に見たのは、斧を振り上げたミノタウロスだった。
あ、終わった……
しかしその瞬間、ミノタウロスの目に弓矢が刺さった。
ミノタウロスは狼狽える。
その隙に2発目の矢が喉に刺さった。
相当痛かったのか、ミノタウロスは死にかけの俺に背を向け、森の奥へ逃げ帰った。
「……え?」
俺は何が起こったのかのかわからず、言葉を失った。
とりあえず矢が飛んできた方向を見る。
そこには灰色の髪を肩よりも長く伸ばしたジジイが立っていた。
とりあえず話しかけてみる。
「……あの矢はお前が?」
「そうだ。命拾いしたなローマ人」
ジジイはそう答えると近づいてきて、さらにこう続けた。
「ボロボロじゃないか。立てるか?ワシらの集落が近くにある。手当てしてやろう」
「ち、ちょっと待ってくれ……仲間が怪我してんだ。先にあいつを診てやってくれ」
「わかった。そいつはどこだ?」
俺はジジイをハデスのところに案内した。
ハデスはまだ倒れていた。
俺は急いで駆け寄って、抱き抱える。
「おいハデス!まさか死んだなんて言わねぇよな!返事しろよ おい!」
「うぅ……やめて、揺らさないで。酔う」
俺が体を激しく揺らすと、ハデスはようやく意識を取り戻した。
「ハデス!死んだかと思ったぜ」
「心配かけてごめんね。ところでその人は誰?」
「弓矢でミノタウロスを追い払った変なジジイだ。お前の傷を診てもらおうと思ってつれてきた」
「命の恩人を変なジジイ呼ばわりか。なかなか尊大な若者だな」
ジジイはハデスの傷口に、持っていた包帯を巻きながら言った。
包帯は巻かれたそばから血が滲み、滴る。
応急処置じゃどうにもならなそうなのが素人目にもわかる。
「よし、応急処置は済んだ。だがまだ激しい動きはするなよ。生きてるのが不思議なほどの傷だ。近くに俺の住む集落がある。そこならもっとマシな治療が受けられるから、まずはそこに行くぞ」
「わかりました。助けていただいてありがとうございます」
「ハデスだったか?お前はあっちのローマ人と違って礼儀を知ってるようだな」
「あのローマ人はローマ人の中でも礼儀知らずなローマ人なので大目に見てやってください」
「ハデス、てめぇ好き勝手言いやがって。ジジ……ご老人、集落に行くんだろ?そいつは俺が背負って行くから早く案内してくれ」
「わかった。だがあんまり揺らすなよ」
俺は負担がかからないように慎重にハデスを背負う。
最新の注意を払ってはいたが、途中背中からハデスのうめき声が聞こえた。
「大丈夫かハデス?痛むか?」
「大丈夫。あの人の前じゃ大きな声で言えないけど、神って不老不死だから」
「なんだよ。心配して損した」
俺たちが小声で話してる間に、ジジイは包帯やナイフをしまって立ち上がった。
「何してんだお前ら?出発するぞ。準備はいいか?」
「ああ。いつでも行けるぜ」
俺たち3人はジジイの集落を目指して歩き始めた。
空はもう明るくなり始めている。